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紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡--妻は・7

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通常 紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡--妻は・7

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/1/21 8:28
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 八月一四日、小さな灯火がふっと消えるように、礼子の息がとまった。安らかな死であった。
 三日後家族だけの葬儀を終え、本家の了解を得て土屋家の墓に埋葬した。
 松代警察署の政一には、三枝が報告に行ってくれた。会ってじかに伝えてほしいと思ったが、それは許可されなかった。
 望月に預けてあった祐子を、葬儀の二日後に連れもどした。祐子は脇目もふらず、礼子の寝かされていた部屋にタッタッタッと入って行った。寝ているはずの妹がいなかった。布団もなかった。立ったまましばらく見ていたが、黙って家中をさがしはじめた。元気になってどこかで遊んでいるのだと思ったようだった。見つからなかった。
 「礼ちゃんはどこ~ どこにいるの」
 「礼子はね、東京のおじちゃんの家に薬がたくさんあるから、預けたのよ」
 さりげなく、むつみはそう言った。父親は病院に入院している、妹は死んだというのでは、幼い心にあまりに悲しみが重なるからだった。

 それからは何も言わなかった祐子が、半年ほどたって伯母の和代と道を歩いているとき、手をつないだまま突然言った。
 「おばちゃん。礼ちゃん、なかなか帰ってこないね」
 忘れたと思っていたら、鮮明に記憶したまま、ずっと帰りを待っていたのだった。
 「礼子ちゃんはね、神さまのところへ行ったのよ」
 もう本当のことを言うしかなかった。祐子は立ち止まって和代を見上げ、唇をぎゆつと曲げ、ひどく怒った。
 「東京のおじちゃんは、どうして、礼ちゃんを治してくれなかったの」
 死ということ、もう会えないということを、幼いなりに理解しているとしか思えなかった。手を強く握る祐子を、和代は不憫(ふびん)に思った。単に最も年の近い肉親というだけでなく、下諏訪では、礼子は祐子の唯一の友だちだった。
 むつみは、祐子を連れて下諏訪にもどった。礼子の訃報を知らせに松代署まで出かけた三枝が、松代警察では衣類の差し入れが許可されていると教えてくれたからだ。諏訪で許されたのは食料のみだった。ずっと同じ物を着たままに違いなかった。早く、差し入れの荷物を作りたかった。
 ところが、浴衣や褌(ふんどし)など身の回りのものを梱包したら、もうそれだけで力を使い果たしてしまった。荷のなかに入れる手紙どころか宛名も書けなかった。台所の板の間に座りこんで、せりだした腹部に手を当て、目の前の荷を茫然《ぼうぜん》と見つめるしかなかった。どれぐらい経っただろうか。
 明日にしようとあきらめたとき、「ごめんください」と、表で声がした。やっと腰をあげて戸を開けると、若い女性が立っていた。
 「妹とけんかをしたので、今晩泊めてください」
 思いつめた顔だった。
 「まあ。どうぞ、お入りになって」と招じいれて、話を聞いてみると、岡谷の教会に通っていたとのことだった。本屋の娘だった。泊まっていっていいのよと言うと、心底ほっとしたように顔をほころばせた。
 台所の様子をみて、荷物の宛先も書けないでいることがわかると、お役に立てることが見つかったと喜んで、達筆でさっさと書いてくれた。一晩泊まって、駅へ荷物を持っていき、もう一晩泊まって家事も助けてくれた。不思議な訪れだった。

 特高課の刑事はしばしばやってきた。
 奥さん、教会を売りなさい。佐久の実家に帰りなさい。
 信者のなかには、特高以上に教会の売却をすすめる人がいた。
 「奥さん、わたしたちが生きている間には、教会は再び立つことはないでしょう。ご主人も、もう、いつ戻られることか」
 「主人不在のうちに、わたしがこの教会を売るなど、どうしてできますか。死んだって、できません。クリスチャンなら、おわかりでしょうに」
 牧師夫人の激しい言葉は、信者であった者にきつく響いたにちがいなかった。かろうじてなごやかにつながっていた関係が、目に見えて壊れていった。ああ、夫がいてくれたら。なぜ、わたしがこんなことを言う事態になったの。

 そんなとき、政一と聖書学院で同期だった金井直治牧師が見舞ってくれた。他県では、長野県ほど取り締りが厳しくなかったところもあり、時折ホーリネス系牧師の見舞いを受けることがあったのだった。政一が検挙されてからの一部始終を、むつみは堰(せき)を切ったように話した。
 金井牧師はじっくりむつみの話を聞き、しつかりと支え、ともに祈りを捧げてくれた。
 「奥さん、日本は負けますよ。神の子らを、あなたも信者たちも、こんなに苦しめるような国は負けます」
 誰にも聞かれてはならない言葉であった。

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編集者 (代理投稿)

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