紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡--妻は・8
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紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡-- (編集者, 2009/1/2 8:08)
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編集者
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礼子の死後二か月後の10月、三女が生まれた。安産だった。
手伝ってくれた岡谷教会の本屋の娘と佐久の従妹が帰ったあとは、産後の肥立ちがもうひとつおもわしくないまま、家事と育児をこなさねばならなかった。気力が湧かない日々で、わけてもつらいのはおむつの洗濯だった。諏訪の一〇月の水は、すでに背骨にまで染みるようだった。一通り汚れを落としたあと、しやがんで洗濯板でゴシゴシと二〇枚も洗っていると指は芯まで冷え、冷たさは脳髄まで上ってきた。豪雪地に比べれば雪こそ少ない諏訪だったが、結氷した諏訪湖の湖面に大音響をあげて亀裂を生じる「御神渡」(おみわたり)で知られたように、冬場の寒さ冷たさは厳しく、それも早くから始まった。
ある日、家の外でたらいに水を張っていつものように洗濯をしていると、隣組の組長が通りかかった。そのまま通りすぎるだろうと思っていたら、足をとめ、
「奥さん、産後の体を冷やさないようにね」
と声をかけてくれた。そのやさしい一言を発するのに、彼は勇気がいったにちがいなかった。
温かいおもいやりの声は、水の冷たさを忘れさせた。
陽子。これが政一が送ってきた葉書に書いてあった名前だった。葉書は長野から来た。「義の陽」という意味の陽子なのだと書いてあった。
その葉書を見た瞬間、むつみは、頭のなかが一瞬真っ白になった。すでに泰子(たいこ)と命名し、役場に届けてあったのだ。夫に誕生報告の葉書を出したのに、いっこうに返事はこず、役場に届ける期限がきた。知り合いの牧師に相談してむつみ自身が決め、最後の日に大作に役場に届けてもらった。長野から葉書が来たのは、その二日あとだった。長野への移送の直後だったので、葉書が松代から長野に転送されるのに時間がかかっていたのだ。
夫が長野にいることを知ったのも、この葉書によってだった。夫はだんだん遠くに運び去られていた。万一のことがあったら、生まれた子どもとのつながりはこの命名しかなかった。どうしても名前を変更しなければならない。
たまたま伊那の箕輪(みのわ)から、手塚という老婦人が手伝いに来てくれていた。箕輪の彼女の家に政一が不定期ではあったが泊まりがけで出かけ、特別に家庭集会を持っていた。彼女が葉書持参で役場に交渉に行ってくれた。幸運だった。事情をきいた役人の好意によって変更された。
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編集者 (代理投稿)