紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡--妻は・9
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紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡-- (編集者, 2009/1/2 8:08)
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編集者
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出産を待っていたかのように、長野の警察本部から特高刑事が来た。
縁側で、というむつみに、外ではなんだから、と刑事は家の中に入ることを求めた。むつみは、背中におぶっていた陽子を降ろして膝に抱き、居間で応対した。むつみを取り調べるためだったのだ。しかし調べるもなにも、初めからむつみの語りもしない文章を書いたものを持参していた。
読むようにと言うので、むつみは読んだ。一通り目を通したら、あとは「池田」 の印鑑を押せばいい、と言った。
「押しません」
声が上ずらないように気をつけて、むつみは突っぱねた。
「わたしは、こんなことを話したこともないし、書いたこともありません」
気合いをこめて、書類を返した。
「何言っているんだ。調べはついているんだ!」
罵声(ばせい)が飛んできた。あまりの怒鳴り声に、眠っていた陽子が泣きだした。刑事はさすがに声を落としたが、高飛車だった。
「わが国には、天照大神直系の現人神、天皇陛下が居られるんだ。キリストはその上に立つんか。あんたらの言っていることは、そういうことだろ、え」
目の前の紙をにらんだまま、むつみはだんまりを通した。何か話せば、言葉尻をつかまれそうだった。脅しに負けてはいけない。心のなかで恐怖と戦った。
乳飲み子の陽子を連れて自分が引っ張られるということはよもやあるまいが、背後になにか夫を引っ掛けるワナが仕掛けてありそうな気がした。この戦争が始まるまでよく思想事件があった。思想犯が転向させられるときに、妻が先に「時局認識」を深めさせられ、懐柔(かいじゅう)され、「家族のために考えを変えてください」と夫に懇願させる話を聞いたことがあった。これもまた、そういうワナなのかもしれなかった。
夫のために戦っているのではなく、まさしくむつみ自身の戦いだった。
むつみはネンネコのなかに手をいれて、陽子の紅葉のような掌(てのひら)を人指し指で触った。すると握り返す反応があり、そこから温もりがむつみの指へと流れてきた。物言えぬ陽子が、おかあさん、がんばって、と励ましているようだった。
根くらべの末、刑事は帰った。
刑事の足音が遠ざかっていった。むつみは腰が抜けたようでしばらくは立ち上がれなかった。
---終わりーーー
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編集者 (代理投稿)