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紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡--妻は・6

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通常 紅葉の影に--ある牧師の戦時下の軌跡--妻は・6

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/1/20 7:49
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 心悸高進もなんとか落ち着いたむつみは、久しぶりに差し入れに行った。特高主任の高見沢は転勤していた。
 応対してくれた松尾巡査がそっと、「ご主人に会わせてあげましょう。ちょっとですよ」と言った。「お願いします」と、夢中でたのんだ。報告したいことが山ほどあった。松尾巡査は、政一のいる部屋の前にむつみを連れていった。扉がそっと開けられた。

 高い窓から日が差しこみ窓の真下を暗くしていたが、会えるとは思ってもいなかった夫がそこにいた。とっさに、子どもたちのことを話した。
 目をこらすと見える夫は別人のようだった。「何をしているんですか~」と思わず訊(き)いた。「黙想しているんだ」。松尾巡査はすばやく扉を閉めてしまった。聞けたのは、その二言だけだった。
 翌日上諏訪の信者が訪ねてきて、池田先生はもう上諏訪署にはいない、と知らせてくれた。
 「差し入れに伺ったら、『松代に移ったから家族に知らせてやれ』 と言われた」との話であった。
 松尾巡査の情けをありがたいと思った。

 病後の礼子の体力がなかなか回復しないまま、今度はハシカにかかった。その上腸が冒された。
 むつみの体力も精神力も限界だった。夫が諏訪にいる、身近にいると思っていたから、気力があったのだった。このままでは親子共倒れになるのはあきらかだった。佐久の平賀(ひらか)にある実家に移る決心をした。もう両親は亡くなり空き家になっていたが、姉の和代が子どもたちと住んでいた。婚家は山奥の大石にあったが、夫の西沢益市は船乗りで航海に出ていることが多く、和代はなにかと便利な実家に移っていた。
 大作はまだ一学期が終わっていなかったので下諏訪に残した。母方の本家を継ぐ叔父にたのみ、嫁入り前の従妹に大作の世話にきてもらうことにした。

 むつみは、妊娠八か月の身で重体の礼子を抱き、三歳の祐子を連れ、下諏訪駅から汽車に乗った。小海線に乗りついで佐久まで四時間あまりだった。
 平賀につくと、むつみは寝込んだ。祐子は、望月の三枝の実家にあずけられた。姉の和代や弟の保芳やその妻の三枝が、代わるがわる礼子の看病をしてくれた。本家の人たちも顔を出してくれた。兄の誠一も、ブドウ糖その他の注射をリュックサックに一杯詰め、東京からかけつけてきてくれた。一族の人びとの網に包まれ、むつみはやっと悲壮感から抜けでた。

 礼子が小さなジャガイモを一つ食べてもうれしさがこみあげた。しかし二、三時間もすると下痢をした。片時も母を離さなかった礼子だったが、布団を並べているむつみが床を離れても、泣かなくなった。看護婦だった姉の和代は、一喜一憂するのではなく、もう神にすべてをゆだねるように、とむつみに言った。しかし、夫不在のゆえにことさら子どもの健やかであることを願っていたのに、こんな事態になってしまったと思うと、むつみの気持ちはまた荒波に翻弄《ほんろう=もてあそばれる》されるのだった。

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編集者 (代理投稿)

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