八つ割れ草履 <英訳あり>
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- Re: 八つ割れ草履 (KAME) (kousei2, 2004/2/15 11:17)
- Re: 八つ割れ草履 (かれい) (kousei2, 2004/2/15 11:24)
- Re: 八つ割れ草履 (マーチャン) (kousei2, 2004/2/15 11:25)
- Re: 八つ割れ草履 (パープル) (kousei2, 2004/2/15 11:26)
- Re: 八つ割れ草履 (かれい) (kousei2, 2004/2/15 11:32)
- Re: 八つ割れ草履 (編集者, 2004/5/30 17:58)
- Re: 八つ割れ草履 (かれい) (編集者, 2004/6/2 21:34)
- Re: 八つ割れ草履 (ゲスト) (編集者, 2004/6/2 21:51)
- Re: 八つ割れ草履 (かれい) (編集者, 2004/6/10 20:39)
- Re: 八つ割れ草履 (伸) (伸, 2004/6/13 19:59)
kousei2
投稿数: 250
かれいさん、今日は
八つ割れ草履を工場で履いた理由を考えました。
工場は火気厳禁で靴の裏に金具をうつのも禁止していました。
当たって火花がでるのを恐れたのです。
当時は靴底の減るのでみなさん靴の裏に金を付けてました。
それに八つ割れ草履は滑らない安全です。
KAME(亀井)
八つ割れ草履を工場で履いた理由を考えました。
工場は火気厳禁で靴の裏に金具をうつのも禁止していました。
当たって火花がでるのを恐れたのです。
当時は靴底の減るのでみなさん靴の裏に金を付けてました。
それに八つ割れ草履は滑らない安全です。
KAME(亀井)
kousei2
投稿数: 250
KAMEさん、こんにちは
> 八つ割れ草履を工場で履いた理由を考えました。
> 工場は火気厳禁で靴の裏に金具をうつのも禁止していました。
> 当たって火花がでるのを恐れたのです。
> 当時は靴底の減るのでみなさん靴の裏に金を付けてました。
>
> それに八つ割れ草履は滑らない安全です。
なるほど、なるほど、KAMEさんの思いつかれた理由はとても納得がいきます。そんな中で、ちょうどいい履物として手許にあったというわけですね。(^^; 八つ割れ草履は下駄よりも機敏な動きがとれそうですし。
靴の裏に鋲《びょう》を打ったのは知ってます。昔の革靴は底まで皮でしたから、合成樹脂のものに比べて、はるかに持ちが悪かったですから、鋲を打って大事に履いたんでしたよね。
1辺1センチ位の、三角だったか四角だったかの鋲で、歩くとカチカチと音がしましたね。(^_^)
かれい
> 八つ割れ草履を工場で履いた理由を考えました。
> 工場は火気厳禁で靴の裏に金具をうつのも禁止していました。
> 当たって火花がでるのを恐れたのです。
> 当時は靴底の減るのでみなさん靴の裏に金を付けてました。
>
> それに八つ割れ草履は滑らない安全です。
なるほど、なるほど、KAMEさんの思いつかれた理由はとても納得がいきます。そんな中で、ちょうどいい履物として手許にあったというわけですね。(^^; 八つ割れ草履は下駄よりも機敏な動きがとれそうですし。
靴の裏に鋲《びょう》を打ったのは知ってます。昔の革靴は底まで皮でしたから、合成樹脂のものに比べて、はるかに持ちが悪かったですから、鋲を打って大事に履いたんでしたよね。
1辺1センチ位の、三角だったか四角だったかの鋲で、歩くとカチカチと音がしましたね。(^_^)
かれい
kousei2
投稿数: 250
KAME(亀井)さん
ようこそ「後世プロ」のお部屋へ。
> 八つ割れ草履を工場で履いた理由を考えました。
> 工場は火気厳禁で靴の裏に金具をうつのも禁止していました。
> 当たって火花がでるのを恐れたのです。
> 当時は靴底の減るのでみなさん靴の裏に金を付けてました。
やはり、大阪では、けっこう普及していたのですね。
> それに八つ割れ草履は滑らない安全です。
金具のように丈夫でしかも滑らないーーーということですね。
ありがとうございました。
マーチャン
ようこそ「後世プロ」のお部屋へ。
> 八つ割れ草履を工場で履いた理由を考えました。
> 工場は火気厳禁で靴の裏に金具をうつのも禁止していました。
> 当たって火花がでるのを恐れたのです。
> 当時は靴底の減るのでみなさん靴の裏に金を付けてました。
やはり、大阪では、けっこう普及していたのですね。
> それに八つ割れ草履は滑らない安全です。
金具のように丈夫でしかも滑らないーーーということですね。
ありがとうございました。
マーチャン
kousei2
投稿数: 250
かれいさん、こんにちは。
>私には初めてみるものでしたが、メロウのお兄様方には、履いたことの
>おありになる方も、大勢いらっしゃることと思います。
八つ割れ草履、90歳の父は見たことがないそうです。(-_-;)
もちろん、私も初めて見ました。
♪パープル
>私には初めてみるものでしたが、メロウのお兄様方には、履いたことの
>おありになる方も、大勢いらっしゃることと思います。
八つ割れ草履、90歳の父は見たことがないそうです。(-_-;)
もちろん、私も初めて見ました。
♪パープル
kousei2
投稿数: 250
パープルさん、こんにちは
> 八つ割れ草履、90歳の父は見たことがないそうです。(-_-;)
> もちろん、私も初めて見ました。
そうでしたか。九州にはなかったのかも知れませんね。
お父上に伺って下さってありがとうございました。
今は、テレビ、通信販売、コンビニなどのせいで(おかげなのか?)、どこにいても手に入れられないものはありませんが、ちょっと前までは地域によって使っているものが違いましたものね。
かれい
> 八つ割れ草履、90歳の父は見たことがないそうです。(-_-;)
> もちろん、私も初めて見ました。
そうでしたか。九州にはなかったのかも知れませんね。
お父上に伺って下さってありがとうございました。
今は、テレビ、通信販売、コンビニなどのせいで(おかげなのか?)、どこにいても手に入れられないものはありませんが、ちょっと前までは地域によって使っているものが違いましたものね。
かれい
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
鎌倉市の保田英男様より、お電話で下記コメントを頂戴しました。
保田様、ありがとうございました。
*******************************************
昭和12-13年頃、鎌倉でも、このような草履はよく見かけましたが、これを「板裏ぞうり」と呼んでいました。
主に、商店街で小僧さん(男性の店員さん)が履いていました。
当時、ご用聞きや配達に自転車を使うことが多く、底の曲がる草履が便利だったからです。
足に接する面はタタミ表のようなもので、その裏にベルトの端切れのような皮を貼り、それに、厚さ3センチ程度の板を何枚か貼り付けていました。
旦那衆は、自転車に乗るときには、タタミ表の裏に自転車の古タイヤを貼り付けた草履を履いていました。
(タイヤには弾力性があるので。 また、これは店でも売っていました。
ただし、小僧さんには高くて買えないので、板裏ぞうりを自分で作って履いていました。
保田様、ありがとうございました。
*******************************************
昭和12-13年頃、鎌倉でも、このような草履はよく見かけましたが、これを「板裏ぞうり」と呼んでいました。
主に、商店街で小僧さん(男性の店員さん)が履いていました。
当時、ご用聞きや配達に自転車を使うことが多く、底の曲がる草履が便利だったからです。
足に接する面はタタミ表のようなもので、その裏にベルトの端切れのような皮を貼り、それに、厚さ3センチ程度の板を何枚か貼り付けていました。
旦那衆は、自転車に乗るときには、タタミ表の裏に自転車の古タイヤを貼り付けた草履を履いていました。
(タイヤには弾力性があるので。 また、これは店でも売っていました。
ただし、小僧さんには高くて買えないので、板裏ぞうりを自分で作って履いていました。
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
昔は「板裏草履」といった。
底は、杉の木か何かの板で、その上にふつうの草履がついていた。下が割れていて歩きやすいということだった。
よく履いていたのは、町工場の職人さん。黒い足袋と草履というのがお決まりのスタイル。川崎や鎌田あたりのバネ工場などで、旋盤《せんばん》職人がはいているのをよく見かけた。
あと、東京ガスの工場でも使われていた。今はすべて天然ガスになっているので工場がなくなったが、かっては石炭を蒸してその煙をガス化し、都市ガスに使っていた。その工場が大森、豊洲《とよす》、根岸などにあった。そこで、レンガ作りのかまどの上で作業する職人がやはり履いていた。工場ではズック靴も多かったが、かまどの上ではゴム底のものが使えず、板裏が重宝したのではないか。
昭和2年まれの栗田様(男性)より
5月30日付けの読売新聞の記事をご覧になって新聞社へ情報提供してださったものです。
底は、杉の木か何かの板で、その上にふつうの草履がついていた。下が割れていて歩きやすいということだった。
よく履いていたのは、町工場の職人さん。黒い足袋と草履というのがお決まりのスタイル。川崎や鎌田あたりのバネ工場などで、旋盤《せんばん》職人がはいているのをよく見かけた。
あと、東京ガスの工場でも使われていた。今はすべて天然ガスになっているので工場がなくなったが、かっては石炭を蒸してその煙をガス化し、都市ガスに使っていた。その工場が大森、豊洲《とよす》、根岸などにあった。そこで、レンガ作りのかまどの上で作業する職人がやはり履いていた。工場ではズック靴も多かったが、かまどの上ではゴム底のものが使えず、板裏が重宝したのではないか。
昭和2年まれの栗田様(男性)より
5月30日付けの読売新聞の記事をご覧になって新聞社へ情報提供してださったものです。
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編集者 (代理投稿)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
読売新聞5月30日朝刊くらし面にて
八つ割れ草履の記事を読みこれを書きました。
我々の子どもの頃は「板裏草履(イタウラゾウリ)」と呼び商店の小僧さん、工場の工員さん達が主に使用して居ました。
現在の様な安全靴などと云うものは戦後も昭和30年ころからで戦前は革靴など履いて仕事は出来なかった。
その点、板裏草履は下が3cm位の板が数枚貼ってあり適度に曲がるので工場の切粉《せっぷん》など踏んでも安全で旋盤工《せんばんこう》等が良く使用していました。
記事を見て昔を思い出し懐かしくなりこれを書きました。
川崎市 77才、男性
読売新聞社へハガキをお送りいただいたものを、新聞社より転送してくださったものです。
八つ割れ草履の記事を読みこれを書きました。
我々の子どもの頃は「板裏草履(イタウラゾウリ)」と呼び商店の小僧さん、工場の工員さん達が主に使用して居ました。
現在の様な安全靴などと云うものは戦後も昭和30年ころからで戦前は革靴など履いて仕事は出来なかった。
その点、板裏草履は下が3cm位の板が数枚貼ってあり適度に曲がるので工場の切粉《せっぷん》など踏んでも安全で旋盤工《せんばんこう》等が良く使用していました。
記事を見て昔を思い出し懐かしくなりこれを書きました。
川崎市 77才、男性
読売新聞社へハガキをお送りいただいたものを、新聞社より転送してくださったものです。
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編集者 (代理投稿)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
(5/30 貴社朝刊 くらし家庭)のうち八つ割れ草履について小生の記憶にある事項をお知らせします。
但し年代的記憶は1930年頃以降からと御了承して下さい。(小生10歳位以降)
1.名称に付いて
板裏草履 これ以外に耳にした記憶は有りません。
2.使用職種
一般の商店で使用人(当時小憎さんと称する従業員をふくむ)と店主(魚屋は今同様ゴム長靴でした。)
3.販売場所
所謂《いわゆる》下駄屋で店頭に、束にしてつるしてあった。
4.価 格
小生子供でしたので分かりませんが前述の末端の小憎さん迄殆ど履いて居たことから下駄程度又はそれ以下と推察しています。
5.利便性
今の各種のウオーキングシューズが出現する以前では商品の配達集荷等に最適であり、運動性はかなり高かったと思いました。(駆け足も充分可能)一方ゴム底(専用の形の物、自転車の古タイヤ利用)のものは値段が比校的高め、雨天時には一搬所謂草履は無理。板裏草履(板の厚みが20ミリはありました)は適していた。
6.耐久性能《たいきゅうせいのう》
使用者が所謂チビる迄使用していたのを見かけた記憶は有りませんでした。(安価で入手カ容易?)
7.普 及 度
全国的に販売されて居たと思われる。
東京都町田市 梅沢様
但し年代的記憶は1930年頃以降からと御了承して下さい。(小生10歳位以降)
1.名称に付いて
板裏草履 これ以外に耳にした記憶は有りません。
2.使用職種
一般の商店で使用人(当時小憎さんと称する従業員をふくむ)と店主(魚屋は今同様ゴム長靴でした。)
3.販売場所
所謂《いわゆる》下駄屋で店頭に、束にしてつるしてあった。
4.価 格
小生子供でしたので分かりませんが前述の末端の小憎さん迄殆ど履いて居たことから下駄程度又はそれ以下と推察しています。
5.利便性
今の各種のウオーキングシューズが出現する以前では商品の配達集荷等に最適であり、運動性はかなり高かったと思いました。(駆け足も充分可能)一方ゴム底(専用の形の物、自転車の古タイヤ利用)のものは値段が比校的高め、雨天時には一搬所謂草履は無理。板裏草履(板の厚みが20ミリはありました)は適していた。
6.耐久性能《たいきゅうせいのう》
使用者が所謂チビる迄使用していたのを見かけた記憶は有りませんでした。(安価で入手カ容易?)
7.普 及 度
全国的に販売されて居たと思われる。
東京都町田市 梅沢様
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編集者 (代理投稿)
伸
投稿数: 10
かれいさん、こんばんは。
6月11日の読売新聞の朝刊に、関西地区にも暮らしの家庭欄に、この部屋のことが出ていました。
それに載っていた。八つ割れ草履について、一言申しあげま。みなさんが色々言ってておられますが、私の見たのは、主として、工場に働く人々が履いていたように思います。あれは昭和の10年代だったと思いますが、当時は、安全靴のようなものがありませんから、紺の仕事足袋を履いて、八つ割れ草履を職人さん達はつっかけていました。
サンダルのようなものも当時はありませんでしので、工場の中に落ちている。旋盤のキリコとか、その他鉄のくずを踏んでも、裏が木ですから平気だったんでしょう、お昼休みなど、八つ割れ草履を履いて、ぞろぞろと食事に行く工場の人たちの姿をよく見かけました。
伸
6月11日の読売新聞の朝刊に、関西地区にも暮らしの家庭欄に、この部屋のことが出ていました。
それに載っていた。八つ割れ草履について、一言申しあげま。みなさんが色々言ってておられますが、私の見たのは、主として、工場に働く人々が履いていたように思います。あれは昭和の10年代だったと思いますが、当時は、安全靴のようなものがありませんから、紺の仕事足袋を履いて、八つ割れ草履を職人さん達はつっかけていました。
サンダルのようなものも当時はありませんでしので、工場の中に落ちている。旋盤のキリコとか、その他鉄のくずを踏んでも、裏が木ですから平気だったんでしょう、お昼休みなど、八つ割れ草履を履いて、ぞろぞろと食事に行く工場の人たちの姿をよく見かけました。
伸