お米と世相の移り変わりーその3
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お米と世相の移り変わりーその1 (としつる, 2004/10/3 15:47)
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お米と世相の移り変わりーその2 (としつる, 2004/10/4 11:46)
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お米と世相の移り変わりーその3 (としつる, 2004/10/5 14:59)
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Re: お米と世相の移り変わりーその4 (としつる, 2004/10/6 11:07)
- Re: お米と世相の移り変わりーその5終り (としつる, 2004/10/7 11:38)
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Re: お米と世相の移り変わりーその4 (としつる, 2004/10/6 11:07)
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お米と世相の移り変わりーその3 (としつる, 2004/10/5 14:59)
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お米と世相の移り変わりーその2 (としつる, 2004/10/4 11:46)
としつる
居住地: 東京
投稿数: 31
【お米と世相の移り変わり-3】
やがて昭和の12年夏前後でしょうか、国内での一部のリーダーが現在の中国大陸へ野望を抱き始め戦時色が強まると共に、内地に残る国民は「戦地優先」「贅沢《ぜいたく》は敵だ」と統制経済の名の許に時の為政者《いせいしゃ=政治を行う者》から一般家庭は厳しくなり、食糧、衣料など全て配給統制制度で管理され1日の食糧が年齢別、職業別などに分類され戦争が深みに嵌《はま》って行く段階で徐々にではあったが、最後的には急激にダウンして行ったのです。
無論食糧のみならず衣類も男は背広姿は許されず、カーキ色の謂《い》わば国防色と決められた国民服《軍服に似た服装》に統一され、同じ色の戦闘帽が決められ、女性は着物姿は襷《たすき》掛けのモンペ姿に変り、一億国民が全て戦時一色に拘束され胸に姓名と血液型を表示した返付を付け「自由は敵だ」と拘束されて行ったのです。
少ないながらも一般国民は食料を持参し、列車の乗車券すら枚数制限内で購入せねばならず、東京など他所への物見遊山や行楽は無論、自由な行動も出来ず制限されての生活でした。
国のリーダーから率先しての統制でしたから、我々一般国民は全てその命令に従い
勝手気侭《きまま》は許されず、全ての日本人はそう言うものだ、それに従わない者は非国民だと罵《ののし》られたものです。
無論中には云うことを聴かず強情に自由に振り回っていた人も居たようだが、それでは戦時に相応《ふさわ》しからずと判断され、要注意人物と軍の憲兵《けんぺい=軍事警察科の軍人》や警察がマークし、常に付き纏《まと》うと言う様なご時世でした。
無論男女の恋愛などと言う文字は縁遠く全てが滅私奉公《めっしほうこう》ですから、男女二人ずれなど許される筈も無くこれまた白眼視されたものでした。
農家の大切な男衆が兵隊に、工場に招集され動員され始めると、我々街中に育った学校生徒も、その農家へ動員され《=学徒動員、学業は捨てて農業や工場で労働に従事した》お米のご飯に有り付けると学校での勉強はゼロになるが、成長期の腹膨《ふく》れる喜びで厭《いと》いはせず、唯ひたすら日夜を忘れ頑張ったものです。
でもやがては農家だけという訳には行かず、いわゆる兵器生産の軍需工場に動員され、女学生と言えどもアメリカ攻撃に使う風船爆弾など造らせられたり一億総決起と邁進《まいしん》したものです。
今の歳で言えば中学生になれば総て動員の対象になった筈ですから「一億火の玉」で戦争と言う国難に立ち向かったものです。
【更に続く】としつる
やがて昭和の12年夏前後でしょうか、国内での一部のリーダーが現在の中国大陸へ野望を抱き始め戦時色が強まると共に、内地に残る国民は「戦地優先」「贅沢《ぜいたく》は敵だ」と統制経済の名の許に時の為政者《いせいしゃ=政治を行う者》から一般家庭は厳しくなり、食糧、衣料など全て配給統制制度で管理され1日の食糧が年齢別、職業別などに分類され戦争が深みに嵌《はま》って行く段階で徐々にではあったが、最後的には急激にダウンして行ったのです。
無論食糧のみならず衣類も男は背広姿は許されず、カーキ色の謂《い》わば国防色と決められた国民服《軍服に似た服装》に統一され、同じ色の戦闘帽が決められ、女性は着物姿は襷《たすき》掛けのモンペ姿に変り、一億国民が全て戦時一色に拘束され胸に姓名と血液型を表示した返付を付け「自由は敵だ」と拘束されて行ったのです。
少ないながらも一般国民は食料を持参し、列車の乗車券すら枚数制限内で購入せねばならず、東京など他所への物見遊山や行楽は無論、自由な行動も出来ず制限されての生活でした。
国のリーダーから率先しての統制でしたから、我々一般国民は全てその命令に従い
勝手気侭《きまま》は許されず、全ての日本人はそう言うものだ、それに従わない者は非国民だと罵《ののし》られたものです。
無論中には云うことを聴かず強情に自由に振り回っていた人も居たようだが、それでは戦時に相応《ふさわ》しからずと判断され、要注意人物と軍の憲兵《けんぺい=軍事警察科の軍人》や警察がマークし、常に付き纏《まと》うと言う様なご時世でした。
無論男女の恋愛などと言う文字は縁遠く全てが滅私奉公《めっしほうこう》ですから、男女二人ずれなど許される筈も無くこれまた白眼視されたものでした。
農家の大切な男衆が兵隊に、工場に招集され動員され始めると、我々街中に育った学校生徒も、その農家へ動員され《=学徒動員、学業は捨てて農業や工場で労働に従事した》お米のご飯に有り付けると学校での勉強はゼロになるが、成長期の腹膨《ふく》れる喜びで厭《いと》いはせず、唯ひたすら日夜を忘れ頑張ったものです。
でもやがては農家だけという訳には行かず、いわゆる兵器生産の軍需工場に動員され、女学生と言えどもアメリカ攻撃に使う風船爆弾など造らせられたり一億総決起と邁進《まいしん》したものです。
今の歳で言えば中学生になれば総て動員の対象になった筈ですから「一億火の玉」で戦争と言う国難に立ち向かったものです。
【更に続く】としつる