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Re: 終戦と引き揚げ、、北朝鮮編、、いよいよ引き揚げはじまる。野崎 博氏の手記

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団子

通常 Re: 終戦と引き揚げ、、北朝鮮編、、いよいよ引き揚げはじまる。野崎 博氏の手記

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2005/8/16 17:52
団子  半人前   投稿数: 22
(四)
ただ歩いた。風景はない。疲労がたまり、女、子供を抱えた家族の足はおそく、遅れを取り戻すのは難しい。小休止にやっと追いついても、前の人は歩き出している。行列は延びて先頭集団と後尾は4Kも離れた。

その日私は後尾の集団14,5人と一緒にいた。田舎の部落を突っきり、村はずれの処で朝鮮の若者、5、6人が行き手をさえぎり、とり囲んだ。棒を持ち、一人は鎌《かま》を持っていた。彼等は大声を出して威嚇《いかく》した。朝鮮語だからわからないが、皆は小さく固まり立ちすくんだ。

幸い私達の集団に朝鮮語を話す中年の男がいた。彼が話しを始めた時、一人の老人が若者たちを制した。諭《さと》すような話だった。やがて若者は囲みをといた。男性の話では「36年の怨み《うらみ》をはらす」と言ったそうだである。「要するに金だ。金が欲しいんだ」と強く言った。老人は「日本には200万人の朝鮮人が残っている。彼等は人質だ。日本人に危害を加えれば、彼等が報復される」と諭したと言う。朝鮮は儒教《じゅきょう=孔子を祖とする教学》の国だから老人の言う事をよくきく。偉いものだと感心していた。

興南を出て4日、5日は何処に眠たのか記憶がない。家族を全部亡くしたのか一人ぼっちのオバサンがいた。栄養不足に腫《は》れた青い顔をして食べ物を貰《もら》って歩いていた。食事時手を出して1口くれという。私はソッポを向くが、母は2、3さじ与えた。乏しい食事から与える母を馬鹿だと思ったが口は出さぬ。オバサンはついて来たのか覚えがない。気の触れた中年の男がいた。いつも笑顔で訳の判らぬ事を言っていた。リュックだけは必ず背負っていた、終わり頃いなくなった。

この頃になると末弟は事態が飲み込めたのか歩いた。姉のリユックに乗らなくなった。よその子も置き去りを怖れるのか必死について来る。ぐずる子は一人もいない。

4月28日、6日目昼3時頃、元山府に着く!やっと着いた。

台地になり丘が連なり、赤松の疎林《そりん=まばらな林》があった。リーダーは元山には3時間で着くが、夕方になり混雑して、元山の受け入れも整わないから今夜はここで野営する。元山には明朝入る。太陽は高くもうすぐ5月だ。暖かい。元山が合言葉だった。

明朝、足どり軽く出発。昼前に到着、東本願寺に入る。興南からの集団は東本願寺に指定されていた。右手に庫裏《くり=寺の台所》がある大きな寺は難民でごった返していた。

元山に着いたら汽車に乗せるという約束は情勢変化によって、中止。代わりに老人、女子供は特別料金をだせば乗せるとリーダーから報告があった。そこで我が家は、母、妹二人(小2、4)末弟(5才)。私と姉二人、次弟(小6)4人4人に分かれた。元山に2泊した。

汽車に乗る母達を残して、新しく100名の集団を組みなおし、5月1日午前9時、第二の脱出行を出発した。汽車に乗れない事情があったのか女、子供が多かった。半日歩いて変電所がある川の右岸で昼食になった。偶然、全く偶然隣の男性から声をかけられた。朝鮮語が上手な30歳位の男性だった。「女子供と一緒では捗《はかど》らない。別ルートを行くが、一緒にいかないか」次姉は即答した。年少者が弟6年生、上は40歳代の遊郭《ゆうかく》の親父だったという二人組がリーダーになって30名ほどのグループを組んだ。実質は朝鮮語の上手な男性が道案内リーダーであった。午後集団に分かれて川を渡る。左岸は急斜面の山が屏風《びょうぶ》のように岸まで迫っている。高さ300m級だったが迂回路《うかいろ=回り道》はない。キコリ道のような道をよじ登った。なるほど、これは女子供には無理である。大きなリュックを担いでの上り坂は地獄の苦しみだった。

2時間も登っただろうか。頂上に達した。心地よい風が吹きあげて、反対側は嘘《うそ》のようになだらかなスロープだった。楽々降りて大きな木の下で野営した。あたりは草地で少し離れて大きな農家があった。雨模様だった。今夜は雨を覚悟した。夜になって農家から人が来て、「雨になるから納屋《なや=倉庫》に入れ」と勧《すす》められた。頼みもしないのに親切である。感謝の言葉もない、有り難かった。お蔭様で雨にあわずに済んだ。朝、客間に招かれ、朝食を食べる。交渉したのか忘れたが、白米の白いご飯にキムチ、味噌《みそ》汁、モヤシなど沢山の副食の豪華な食事だった。家族の女性全員がもてなす客人のような接待は真底、心のこもった誠のものだった。腹は満ち、心は晴れた。

、、、、、、、、、、、、、つづく、、、、

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