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Re: 夕陽残照ー渡満篇ー 澤田恵三氏の文章から

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grue

通常 Re: 夕陽残照ー渡満篇ー 澤田恵三氏の文章から

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2005/8/27 11:33
grue  新米   投稿数: 8

(その4) 満州へ ー鴨緑江大鉄橋ー 


「鮮満国境」の大河、鴨緑江の大鉄橋(参考3)を渡ると、そこは満州の陸の玄関・安東市〔現・丹東タントン〕である。そして橋を渡ってびっくりするのが色の変化、白の朝鮮から黒へと劇的に変わることである。当時、ここ安東からの満州鉄道はすべて彼の有名な「満鉄」(南満州鉄道株式会社の略、詳しくは後で述べる)の経営路線であった。この安東駅で、旅客に必ず決まった儀式があった。それは時計の時刻調整(朝鮮から満州に入る場合は一時間遅らせ、逆の場合は一時間進める)と税関検査であった。私達家族もこれにならったのは言うまでもない。

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(参考3) 鴨緑江大鉄橋建設の経緯

日本は、日露戦争(1904-05)の勝利によって、ロシアとの間にポーツマス講和条約を結んだ。その中身はロシアに日本の朝鮮に対する完全な植民地支配の保障を認めさせるとともに、新たにロシアから、かれらが清国東北部に獲得していた広大無限の「満州の権益」(遼東半島の租借権《そしゃくけん=他国の領土の一部を借りて統治する権利》「南満州」の鉄道・鉱山の経営権、それらの鉄道警備の為の軍隊の駐留権(関東軍))を譲渡させたのである。

その結果、朝鮮鉄道は、日本の大陸経営〔満州〕の主要幹線としてますます重要な役割を担うことになる。そこで、朝鮮と満州をつなぐ鴨緑江の大鉄橋架橋の建設と、その延長線上に国境の安東から、すでにロシア帝国の手によって貫通していた東清鉄道南部支線「ハルピンー大連」間の奉天(現・瀋陽、現・遼寧省の省都)に連結する、安奉線全線二七四キロの開通が急務となった。そして、1911年(明治四四)一一月、その二つの懸案が同時に完成の暁を見ることとなった。

鴨緑江架橋は全長1023メートル、日本が「東洋一」と自慢した大鉄橋である。単線鉄道の両側に人車道(軍事目的の、有効幅二.四メートル)を併設し、珍しく橋の中程が十文字に開く開閉式構造であった。「鴨緑江を利用する中国ヂャンク船の航行に支障のないように」という商業活動上の理由からだが、アメリカ・イギリスの要求に応えたのである。しかし国際列車を走らせる主要幹線の鉄橋が単線であることなど世界にも例が少ない奇妙なものと、のちのちまで悔いをのこすこととなった。この先に続く「安奉線」が単線だったからとされている。この大橋の開閉は昭和九年(1934)三月に中止した。

この釜山から奉天へつながる鉄道はさらに新京(現・長春、現・吉林省の省都)・ハルピン(現・黒竜江省の省都)までつながり、全線途中いっさい乗換えなしに朝鮮・満州の二つの国を結ぶ大陸国際直通列車が走っていた。
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続く


続く

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