広島の被爆者の声(3) (3枚目のCD の1から10まで)
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広島の被爆者の声(3) (3枚目のCD) (kousei, 2006/7/14 0:13)
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kousei
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その1 音声を聞く
8月7日 暁 広島
その2 音声を聞く
わしが一番最後の船で帰ったんですね。帰る時には潮が引いてねぇ、向こうから来る時には潮が満ちるんだそうですよぉ。
船の船方さんはねぇ、非常にまぁ苦労したっちゅう。中央はあまりねぇ、死体がないようでした。しかしそれでもねぇ、流れてくる死体が、こう櫓にあたるわけですね。
そのぅ、天神町からずっーと大芝まで来る間、川岸で「お~~い、お~~い、」ちゅうんですなぁ。「助けてくれぇ~」「もうその船に乗せてつれて帰ってくれぇ~」って悲痛な叫び声を、おぅ、そのぅねぇ、死ぬる一歩手前でしょうかねぇ。
しかしそれはもうあの、我々としては満載でですね、どうやら船が傾くとですね、もう船自身が沈む、転覆しかねないので、乗せることが出来んわけですよ。岸壁に近寄れんのです、あの、こう、(櫓に)死体が当ってですねぇ。
だからまそれもしょうがない、見殺しにするという形でですねぇ、まぁその、なんというか鬼も哭くというかねぇ、もう寂しさというか、悲惨さというかですねぇ、もう泣くに泣けない、まぁ・・
その3 音声を聞く
夜が明けるまでにね、その二人の子供が死んだん・・砂場で。「ゆきえもとし子も、この二人が死んだんじゃがどうしょうか、みやまえさん?」「可愛いが連れちゃ逃げられんよねぇ」言うたから言うたけん。考えて、「帰る言うてもな 乗りもんも無いしするけぇどうするかねぇ」言うて。
「まぁほいじゃまたな、ここへ掘りに来るにして、ここへ今晩な、あの、砂ぁ掘って埋けよう」いうてお母ぁさんが言うけ、「うん、ほいじゃ、そうするかね仕方がない、可哀相でも」言うて、そこで二人がえっと《たくさん》泣いて、そいで二つ並べて埋けたんよ、埋けたん。
そしたらあくる日もね、そこ逃げられんのよね、可哀相で、置いて逃げれんがぁ。「ね、お母ちゃん後から直ぐ行くけんね、ゆきえちゃんとし子ちゃんな、すまんのぅ」言うてから、そこでな手を合わせて拝んで二人が埋けて、えっと泣いて。
ほいたら、こんだね、朝んなったん。 ほいたらね、またバリバリやるじゃぁないね、機銃掃射しに来た。そしたらあんたぁ、他所から応援に来とるもんが、「逃げぇ!」言うてやかましぃ言うんじゃが、歩けんじゃぁないねぇ・・
その4 音声を聞く
うちの所へ行ってみますとね、もう家がなんにも無いでしょ、え~、木だけ残ってると、うん。
ほいで、そこで暫く、あの、ぼんやりして立っておりますと、え~、女の人が一人出てきましてね、「お気の毒でした」と、こう言うんですね。「うーん、どういう風に気の毒だ?」と、「いやぁ、小さい坊ちゃんが、ダメでした」と。「そいじゃぁ~、他の者はどうした?」って、「その上の坊ちゃんもダメでした」。「そいじゃ娘は?」ったら、「お嬢さんもダメだ」って。
「そいじゃ家内は?」ったら、「奥さんもダメでした」って・・・。
結局、気の毒がってね、いっぺんに言わねえんだ、四人ダメでしたって言えないんですね。
それから、そいじゃもっと詳しく話して下さいって言ったら、えー、ちょうど私の家が二階建てだったんでねぇ、二階であったために風当たりがほどいもんだから、それがもうすっかりひっくり返っちゃった。
そして、ひっくり返ってちょうど家の家族がその下敷きになったんですね。そいで下敷きになって、まだその時は死んでやしないもんですから、「助けてくれ~、助けてくれ~」って、まぁ頻りに中で合図をしよったと。それからあの~、鍋の底を叩いたりなんかして、「ここに居る、ここに居る」と、言うと。
その声が聞こえたもんだから、何とかしてこれ助けてあげたいと思って、するけども、女の手にはどうにもならん、と。それで、あの、近所の男の人を探し回ってですね、「助けてあげてくれ~」って言って頼んで回るけども、一人も来てくれないっちゅうんですよね。
ほいで来てくれないもんだからね、みすみすその、え~、下敷きになったまま放ったらかしておったら、火がずーっと回って来ましてね、火事になってしまって、皆下敷きになったまま、焼け死んでしまったと。
その5 音声を聞く
子供を探しにね、すぐ焼け跡に行ったわけです。そしたらねぇ、いろんな骨があるし、隣の材木屋のおじさんはあたしの方の前まで、防空壕の中から這い出して、みんなその人たちは、こ~うして、もう、死んでしもうちょりました《死んでしまってました》。
もう材木屋はもう、みんな下敷きになって全滅でした。
佐々木さんちゅぅ所は、お母さんと子供と、朝、新聞ばこうして見よるところをやられて、3人とも・・・もう焼きよってでしたよ。
それから裏のそのたまちゃんちゅう、その子供もおっ母さんもみんなコンクリで作った流しの上で、みんな焼けよってでした。
もうちょっと先のパン屋のところ行ったら、パン屋の奥さんは妊娠してお腹だけ残っとるし、あの~、酒屋のおじさんもお尻だけ残った。
みん~な、そがんしてね《そのようにしてね》。・・・・死んでしもうちょりましたよ。
その6 音声を聞く
で、はっ!と思ってねぇ、すぐ傘のけて、「西田さん、妹が死んだかわからん《死んだかもしれない》」って言ったらね、あのぅ、「鏡持っとるか?」って言われたんです。で、「鏡持ってる」って、あの救急道具の中から出したら、妹のこの鼻息のところに当ててね、「鏡が曇らない」と、「危い」、あの、「叩き起こせ」って言うんでね、あのぅ叩いた訳ですね。妹に。
叩いたらね、「お姉ちゃん お姉ちゃん」ってね、三言いってね、それっきりで。もう後は・・全然もうだめでね。それから・・・それでこと切れてね。もう、それが、10時15分でしたかねぇ。
あとは、「それぐらいのことしてやったんだからね・・もう・・・諦める、諦めるんだ」いって、西田さんにね、言われてね。「会えなかったら、もし会えずにね、何処かで死んでたらね・・そういう場合もあるんだから、それ以上くよくよしたらいけん」って言われてね・・
その7 音声を聞く
え~、自分の親父の、あの、頭骸骨をね、手に持ったけどねぇ、「あぁ、これが親父の骨だなぁ~」っていうようなねぇ、まあ、それだけですよ。
で、もう、悲しいっていうのはねぇ、要するにそのぅ、随分日にちが経って初めて悲しい、泣きたくなるっていう、そういうもんであってね。その瞬間っていうのはね、そういうもんを一つも感じないです。で、自分の親父~、その頭骸骨ずいぶん大きかったけどねぇ、うん、弟の方は、頭骸骨なんて特に大きかったですよ。
これが要するに、泣き叫んで火に焼かれていった時の瞬間っていうのはどんなに熱かったろうなぁ~っていう、そういう気持ちっていうのはねぇ、後になって感じるもんですよ。
だからその骨などを掘り出してる時の瞬間ってのは、ただ焼け跡の熱い土をね、赤土みたいなんで、それで、まぁ、水道の蛇口がピューッと水噴き出てねぇ、足が、もう靴履いててもほんとにこう地熱でね、もう熱くてね、足を片足上げながらこう土を掘ってってね、ほいで、ゴロッと白いヤツが出てくる、ゴロッと白いヤツが出てくる、お袋が言ったような間取りのところへ出てくる。それだけですよね。
感情、そういうゆとりってのは無い訳ですよ、もう。人間ってのはゆとりとかそういうものがあって初めて感情(が)動くものであってね。ああいう、もうほんとに周り中が一遍に破壊されて何~も無くなって、ほで、死体を山ほど見て、死んでくヤツ山ほど見て、まぁ、慣れちゃうっていうんですか、死体を踏んづけたって何ともないんですから・・・
その8 音声を聞く
しばらく探しとるうちに、あぁ、まこと《ほんとに》ここが自分の家だったかなぁ、と思うて、近寄ってみると、ちょうど、きれ~いに この焼けた瓦の上へもってってね、白骨がありましたね。あら~ここ白骨があるが、と。
そいから、よう見るというと、ちょうど歯がありました、歯がこう・・・金歯を二本入れとりましたから。はぁ、これはもう、これこそ家内のに違いないと、こう思うて、家内の骨をちょうど隣に居った兵隊さんから、あの、白い布を貰いましてね。それへ家内の骨をこう包んで、そうしてそれを除けて、こうやって除けてみるというと、その下にね、きれいーな小さい骨がバラバラッっていとったんですよ。あぁ~、これがもう子供の骨に違いないと
その9 音声を聞く
相生橋に出たんですがね、道路の上にね、それはたくさーん人が死んじょったです。もうその、みんな仰向けになってから、火ぶくれしたんじゃろう、あれ、もう腫れ上がったようになってね。そして、もうこれは道路一杯言うてもええぐらい死んどったですな。
そん中には小さい子供もいましたがね。わしゃぁ、あの、小さい子供が母親に手を引かれて、ここを通りよったんじゃろうよ、それ、パカーンとやられて、そこで死んでもうたし思ってね、私は思ってねぇ、全くなんとも言えん腹立たしい気分がいたしましたよ。
それから相生橋がね、通れんのですよ、みな橋げたがこう跳ね上がったようになってね、ほいで欄干があれが、だいぶ落っとったと思いますが、とにかくヒヤヒヤする、するあすこ《あそこ》通ったんですがね。
その10 音声を聞く
徒歩で、広島を縦断して帰ったわけですが、えー、その道すがら、見るこの惨状というものは、まぁ地獄図絵と申しますかですねぇ、もう目を覆うものでありました。
焼け爛れた、あの市電ですか、もう鉄骨だけが辛うじて残っている中に、もう、体は焼かれて、女性であるか男性であるか、見極めもつかない、と。もう骨のような、あの、骸骨のような、ミイラのようなものがですね、その鉄骨のこのスノコのような上に引っ掛かっているとか。
それから、あの、陸軍病院の跡などは、鉄の寝台がずらっと並んだ上に、これまた人間であるか、何であるかという、その死骸がですね、そのままになって、誰も手を付ける余裕も、気持ちの余裕も、また何も無かった。
それで、米軍の兵士であることはもうハッキリしてるんですが、これが鎖で繋がれて、太い針金で、あの、体を縛られて、そのまた針金を傍の電柱にがんじがらめに結びつけて逃げられないような状態にしてあるんですが、これはもう、あの原爆の下で火傷も何もしてなかったんですが。
もう呆然自失として、もう気力も無ければ生きるものも無い、もう本当に魂の抜け殻のような人間がふらふらと生き残ったものが、辛うじてその辺りを歩いておりますが、この戦争に対する人間の心が、ここまで鬼畜にまでなるのか、自分達の同胞を失ったという怒りか、報復か、もう、道行く者がそれを足蹴にする。(そこに)あるモノでその米兵を叩きつけるという。
またこれも地獄図絵で、これが人間のすることであるかという恐ろしいものをその中の光景で自分は見たわけですが・・・