広島の被爆者の声(3) (3枚目のCD の21から30まで)
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広島の被爆者の声(3) (3枚目のCD) (kousei, 2006/7/14 0:13)
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kousei
投稿数: 4
その21 音声を聞く
で、その橋のそばにちょっと、広場がある。そこんとこへ、5~60人か、6~70人ぐらい、ざぁ~と、殆ど女の人だぁ。みんなぁ、もうそりゃ、皮は剥けたようになってるわぁ、形相もなにもわからないよねぇ。黒く焦げてるようなのもあれば、それがずらーっと並べてある、ね。
それがですねぇ、その、炎天下に、晒されてるでしょう。そりゃ、人間あんた発酵するから、みんなぶっ~とこう膨れたようになって、ほいで皮膚の皮の弱いとこから内部のガスが、ブツブツブツ、ブツブツブツブツいうような、プチュプチュプチュいうような音を立てて、(ガスを)出してる。ほんまに、誰~れもいない、僕一人ですよ、そこ立って見てるのは、うん。
そいで、家内が居やぁしないかなぁとこう見てる。で、これじゃぁないかなぁと思ったって確認でけないわけなんだ、まるで変わってるから分からない、うん。で、衣類があれだったら、あぁ、これだと思うんだけど、衣類いうものは殆ど焼けとるんだから。これがねぇ、実に人間の奇妙な心理ですねぇ。探すべく周っておりながらぁ、実際はそういうその他の死骸のような状態のものを、見るに忍びないと。
その22 音声を聞く
たくさんあの~、死体があるからって途中で聞きましたから、歩いて行ったんです。その道ながらだってもう~、死体いちいち、いちいちこう見ながら行ったんですけど。ほしたら、己斐《こい・地名》の小学校には、もうほんとにもう廊下から、あの、お手洗いの、とこまでもう、死体と、その~、怪我人でもう一杯なんですよねぇ。
で、そのなかを、一人ひとりこうして見てあるいてもう、でも、二日か三日目になるともう腐ってきましてもう臭いんですねぇ。あの、子供が背中でゲッゲッってこう戻すんですよぉ。でも、お父ちゃん探すんだからねって言って一生懸命でもって探したんです。
そしたらね、あの~、そんなに、そんなになる人の、あのこの困ってる中でねぇ、あのもう、死体からねぇ、あの~金歯をね、あの~、ペンチでもってこう抜く人が居るんですよ。抜いて、こう抜いてるんですよ。 だから、もうそんな惨いことやめてって、あたし言ったんだけど、その人も自分も血だらけになってるんですよねぇ。そのあの~、抜いた歯から出る血だのね、何と、けが人なんかの中歩いてますでしょう。で、あたしのこと、恐ろしい人相でもう、睨みつけるんですよねぇ
その23 音声を聞く
あたしたちがあの~、こういうように筵(ムシロ)に寝ていますねぇ。それが十~十五円?、十五円やったか十五銭やったか、あたしわからないんですけど、がしかしそれ幾らかのお金を出さにゃぁ、その筵を買われないなんですね。
ほいで、やっとその筵を買いましてね、夜寝てますと、上へこう被ってますんですねぇ、夜露が掛るもんですから二枚買って。そうすとその上をこう、何処から来てこう剥いで、行ってそいで、それをまた余所の人に売っていく人があるんです。着て寝てるんのにね、まお布団みたいなもんです。
今考えると それをこう剥いでしもうて、他所に売りに行くっちゅう人が、私はあの時、いやぁ~、戦争して、ま、あれほど、ま、人の心の浅ましいっちゅうことを、はじめて思いましたですよねぇ。
その24 音声を聞く
8月10日から県繊(?)に出社して被災者に被服を配給を始めました。もう7時頃から三百人ぐらいの人が並んでおられます。
それも現在では見ようと言っても見られん、半裸体に等しい人が並んでおられるんでございます。「どうして早くきて配布してくれんのか」って責められるんです。
中に、今に私の胸について離れんのは、60歳ぐらいの紳士が破れた軍服を着て、十円札を1枚持って、「つり銭がない、これがたった一枚で、6人家内がこの白島まで逃げてきて、今、トタンで屋根をして、後の5人は早う帰ってやらんと何時死ぬるやら分からん、哀れな状態にあるんじゃから、どうか、このつり銭がどうじゃこうじゃ言わずに、配給してくれ」よと、かように申されます、ので、「はい宜しゅうございます」って、皆さんに内緒で・・
その25 音声を聞く
毎日毎日負ぶっちゃぁそのねぇ、あの、もう「お父ちゃんお父ちゃんお父ちゃん」って、もう、あたしも声を限りに「お父ちゃん、居たら返事して~~! お父ちゃん~~!」って言って、あの~、「お父ちゃんお父ちゃん」ってあの~、言っていましたからねぇ。
ほしたらやっぱり背中の子が同じようにねぇ、「お父ちゃ~ん!」と呼ぶんですよねぇ。でもう、ほんとにあの~、あたし、恥ずかしかったけどもう。去年ねぇ、あの~ドームを見ましたらねぇ、もうほんとうにもうねぇ、その当時のことがもう蘇ってしまってねぇ、立ってられないんですよぉ。でもうね、泣けてしまってねぇもう、ほんとにあたしあの辺からね、家のお父さんね出てきやしないかしらんと思ってねぇ。
その26 音声を聞く
行方不明者がいっぱい居るでしょう、何処で死んだか分からないような人がね。だから昼も夜もねぇ、もう夜、夜中でももうね、一晩中ですよ、「何々や~」って、自分の家の居ない人の名前を呼んでねぇ、「何々や~~何々や~~」。
そのまた あの哀れなねぇ、まぁこの広島のアクセントだから、「何々や~~、何々や~~い」ってもうねぇ、それが一晩中、もうほんとそれを聞くだけでもね、もう、身が締まるような泣きたいような、変な気持ちになりますですよ。
その27 音声を聞く
地域によって違いますけど、広島の方では不幸がありますと、忌中という張り紙を、おー、表に表札の付近に出すものなんですが、え~、その忌中という紙の、忌中という墨の文字が、あ~、焼けておるんです。そして白いところはどうもない《なんともない》という。
え~、これは、我々が、あぁ、小学校時代に太陽の光を利用しまして、レンズで、その、墨の字を辿って焼いた覚えがありますが、それとおんなじ姿が、忌中という文字を焼け切って、白いところだけが残っておるという、表示を見たわけです。ということは・・・
その28 音声を聞く
完全な遺体か生きてるかハッキリ分かるわけですよ。それらをとにかく処理しろと、次の日は我々はもう、直にその方たちを、もう衣類は殆ど焼けておりますからね、肌を結局持って、え~、運ぶわけですが、50人ぐらいの山にしては、あの、「よし、ここは宜し」と言われたらそこに重油を置いてそれに火を付けると。
死体ふんぷんする中で、我々は、握り飯を食ってまた死体を運ぶと、もう二日目辺りからはもう遺体もほら手が付けられんで、握ったらツルッと一皮剥けるんですね。で、そのぉ、ツルッと剥けた一皮がこちらの手に移るわけですわ。中には髪の毛が残ってみたりねぇ、腐った汁と一緒に付着して取れないんですね。
連日、私は100名以上の遺体を、その処理した。その中には知った近所の、その時には綺麗だったお嬢さん方もいらっしゃったし、そういったものを機械的に運んだ、何の感動もなく運んだということですねぇ。そして、それを平気で焼き、三日目にはもうこれ運べないから、あの火事の時の鳶口ってありますねぇ、あれで目のところをグッと刺して、そしてそれを持って、あの、うーん、引きずりながらですね。
その29 音声を聞く
えー、もうそのぉ、火葬場に持って行っても焼き切れないんです、方々から運ばれるもんですからね。で、焼き切れないもんだから、で、似島検疫所の向こうにこう横穴がありましてね、横穴に遺体を運びましてね、一つの横穴へ50体、あの詰めて、そうして横穴を塞いだと。
ま、よそからも送ってきます。そういうな事で海岸にずーっとこう死体を並べましてね。そして、遺髪、それから遺爪、それからまぁ、少しでもまぁ着物を、模様で特色のあるような部分を切り取るとか、そして、まぁ大体、推定年齢と男女の別と書いて、そしてみんなを一つの状袋に入れましてね。
その30 音声を聞く
死体の整理はねぇ、もう3日目、4日目になったらねぇ、人間の手こうやって持てないんだから。なんぼやってもここに引っ掛るところあるんだよ。ドンゴロス《麻袋又は麻布》で持ってもね、持てないんですよ。スルッと抜けちゃう、皮ごと取れちゃうんです。
ほいで足もそうでしょ?足でもこんなに太うなっちゃてるんで、下のほうが。そうすると山口の連隊がねぇ、手鉤を使い始めたんだ、手鉤を。魚なんかこうやっちゃやるもの、米俵こうやってやる。ほんでねぇ、人間がこうねぇ、なってるでしょう。そうって足のほうを、すーと刺すんです。
これがあの~、頭ここをねぇ、ちゃ~んと、こうやってねぇ、ホイッと持ってって、ほんで積むんじゃなぁ。それをねぇ、消防団の本部へねぇ、わしらの署長んところへねぇ、「みな、なんぼうにも《いくらなんでも》ねぇ、なんぼぅ死んでるからいうてもむごいからねぇ。これはどうかひとつ止めさしてくれんか」いうて、やっぱり近辺のものからねぇ、え~、あの、あのですの、「そりゃあんたの仰る通りじゃ、ほいじゃまぁ止めます」。ほいで止めるんじゃ。ほいでね、見えなくなったらのう、またもうやりよる《続けている》、そりゃ持てんのじゃからしょうないんで。
それから今じゃぁハッキリな場所はいえませんけど、焼くものが無くなっちゃってのぉ、わしらんところにその近辺の消防団の者が頼みにきてね、「土葬させてくれ」言うて。
で、その橋のそばにちょっと、広場がある。そこんとこへ、5~60人か、6~70人ぐらい、ざぁ~と、殆ど女の人だぁ。みんなぁ、もうそりゃ、皮は剥けたようになってるわぁ、形相もなにもわからないよねぇ。黒く焦げてるようなのもあれば、それがずらーっと並べてある、ね。
それがですねぇ、その、炎天下に、晒されてるでしょう。そりゃ、人間あんた発酵するから、みんなぶっ~とこう膨れたようになって、ほいで皮膚の皮の弱いとこから内部のガスが、ブツブツブツ、ブツブツブツブツいうような、プチュプチュプチュいうような音を立てて、(ガスを)出してる。ほんまに、誰~れもいない、僕一人ですよ、そこ立って見てるのは、うん。
そいで、家内が居やぁしないかなぁとこう見てる。で、これじゃぁないかなぁと思ったって確認でけないわけなんだ、まるで変わってるから分からない、うん。で、衣類があれだったら、あぁ、これだと思うんだけど、衣類いうものは殆ど焼けとるんだから。これがねぇ、実に人間の奇妙な心理ですねぇ。探すべく周っておりながらぁ、実際はそういうその他の死骸のような状態のものを、見るに忍びないと。
その22 音声を聞く
たくさんあの~、死体があるからって途中で聞きましたから、歩いて行ったんです。その道ながらだってもう~、死体いちいち、いちいちこう見ながら行ったんですけど。ほしたら、己斐《こい・地名》の小学校には、もうほんとにもう廊下から、あの、お手洗いの、とこまでもう、死体と、その~、怪我人でもう一杯なんですよねぇ。
で、そのなかを、一人ひとりこうして見てあるいてもう、でも、二日か三日目になるともう腐ってきましてもう臭いんですねぇ。あの、子供が背中でゲッゲッってこう戻すんですよぉ。でも、お父ちゃん探すんだからねって言って一生懸命でもって探したんです。
そしたらね、あの~、そんなに、そんなになる人の、あのこの困ってる中でねぇ、あのもう、死体からねぇ、あの~金歯をね、あの~、ペンチでもってこう抜く人が居るんですよ。抜いて、こう抜いてるんですよ。 だから、もうそんな惨いことやめてって、あたし言ったんだけど、その人も自分も血だらけになってるんですよねぇ。そのあの~、抜いた歯から出る血だのね、何と、けが人なんかの中歩いてますでしょう。で、あたしのこと、恐ろしい人相でもう、睨みつけるんですよねぇ
その23 音声を聞く
あたしたちがあの~、こういうように筵(ムシロ)に寝ていますねぇ。それが十~十五円?、十五円やったか十五銭やったか、あたしわからないんですけど、がしかしそれ幾らかのお金を出さにゃぁ、その筵を買われないなんですね。
ほいで、やっとその筵を買いましてね、夜寝てますと、上へこう被ってますんですねぇ、夜露が掛るもんですから二枚買って。そうすとその上をこう、何処から来てこう剥いで、行ってそいで、それをまた余所の人に売っていく人があるんです。着て寝てるんのにね、まお布団みたいなもんです。
今考えると それをこう剥いでしもうて、他所に売りに行くっちゅう人が、私はあの時、いやぁ~、戦争して、ま、あれほど、ま、人の心の浅ましいっちゅうことを、はじめて思いましたですよねぇ。
その24 音声を聞く
8月10日から県繊(?)に出社して被災者に被服を配給を始めました。もう7時頃から三百人ぐらいの人が並んでおられます。
それも現在では見ようと言っても見られん、半裸体に等しい人が並んでおられるんでございます。「どうして早くきて配布してくれんのか」って責められるんです。
中に、今に私の胸について離れんのは、60歳ぐらいの紳士が破れた軍服を着て、十円札を1枚持って、「つり銭がない、これがたった一枚で、6人家内がこの白島まで逃げてきて、今、トタンで屋根をして、後の5人は早う帰ってやらんと何時死ぬるやら分からん、哀れな状態にあるんじゃから、どうか、このつり銭がどうじゃこうじゃ言わずに、配給してくれ」よと、かように申されます、ので、「はい宜しゅうございます」って、皆さんに内緒で・・
その25 音声を聞く
毎日毎日負ぶっちゃぁそのねぇ、あの、もう「お父ちゃんお父ちゃんお父ちゃん」って、もう、あたしも声を限りに「お父ちゃん、居たら返事して~~! お父ちゃん~~!」って言って、あの~、「お父ちゃんお父ちゃん」ってあの~、言っていましたからねぇ。
ほしたらやっぱり背中の子が同じようにねぇ、「お父ちゃ~ん!」と呼ぶんですよねぇ。でもう、ほんとにあの~、あたし、恥ずかしかったけどもう。去年ねぇ、あの~ドームを見ましたらねぇ、もうほんとうにもうねぇ、その当時のことがもう蘇ってしまってねぇ、立ってられないんですよぉ。でもうね、泣けてしまってねぇもう、ほんとにあたしあの辺からね、家のお父さんね出てきやしないかしらんと思ってねぇ。
その26 音声を聞く
行方不明者がいっぱい居るでしょう、何処で死んだか分からないような人がね。だから昼も夜もねぇ、もう夜、夜中でももうね、一晩中ですよ、「何々や~」って、自分の家の居ない人の名前を呼んでねぇ、「何々や~~何々や~~」。
そのまた あの哀れなねぇ、まぁこの広島のアクセントだから、「何々や~~、何々や~~い」ってもうねぇ、それが一晩中、もうほんとそれを聞くだけでもね、もう、身が締まるような泣きたいような、変な気持ちになりますですよ。
その27 音声を聞く
地域によって違いますけど、広島の方では不幸がありますと、忌中という張り紙を、おー、表に表札の付近に出すものなんですが、え~、その忌中という紙の、忌中という墨の文字が、あ~、焼けておるんです。そして白いところはどうもない《なんともない》という。
え~、これは、我々が、あぁ、小学校時代に太陽の光を利用しまして、レンズで、その、墨の字を辿って焼いた覚えがありますが、それとおんなじ姿が、忌中という文字を焼け切って、白いところだけが残っておるという、表示を見たわけです。ということは・・・
その28 音声を聞く
完全な遺体か生きてるかハッキリ分かるわけですよ。それらをとにかく処理しろと、次の日は我々はもう、直にその方たちを、もう衣類は殆ど焼けておりますからね、肌を結局持って、え~、運ぶわけですが、50人ぐらいの山にしては、あの、「よし、ここは宜し」と言われたらそこに重油を置いてそれに火を付けると。
死体ふんぷんする中で、我々は、握り飯を食ってまた死体を運ぶと、もう二日目辺りからはもう遺体もほら手が付けられんで、握ったらツルッと一皮剥けるんですね。で、そのぉ、ツルッと剥けた一皮がこちらの手に移るわけですわ。中には髪の毛が残ってみたりねぇ、腐った汁と一緒に付着して取れないんですね。
連日、私は100名以上の遺体を、その処理した。その中には知った近所の、その時には綺麗だったお嬢さん方もいらっしゃったし、そういったものを機械的に運んだ、何の感動もなく運んだということですねぇ。そして、それを平気で焼き、三日目にはもうこれ運べないから、あの火事の時の鳶口ってありますねぇ、あれで目のところをグッと刺して、そしてそれを持って、あの、うーん、引きずりながらですね。
その29 音声を聞く
えー、もうそのぉ、火葬場に持って行っても焼き切れないんです、方々から運ばれるもんですからね。で、焼き切れないもんだから、で、似島検疫所の向こうにこう横穴がありましてね、横穴に遺体を運びましてね、一つの横穴へ50体、あの詰めて、そうして横穴を塞いだと。
ま、よそからも送ってきます。そういうな事で海岸にずーっとこう死体を並べましてね。そして、遺髪、それから遺爪、それからまぁ、少しでもまぁ着物を、模様で特色のあるような部分を切り取るとか、そして、まぁ大体、推定年齢と男女の別と書いて、そしてみんなを一つの状袋に入れましてね。
その30 音声を聞く
死体の整理はねぇ、もう3日目、4日目になったらねぇ、人間の手こうやって持てないんだから。なんぼやってもここに引っ掛るところあるんだよ。ドンゴロス《麻袋又は麻布》で持ってもね、持てないんですよ。スルッと抜けちゃう、皮ごと取れちゃうんです。
ほいで足もそうでしょ?足でもこんなに太うなっちゃてるんで、下のほうが。そうすると山口の連隊がねぇ、手鉤を使い始めたんだ、手鉤を。魚なんかこうやっちゃやるもの、米俵こうやってやる。ほんでねぇ、人間がこうねぇ、なってるでしょう。そうって足のほうを、すーと刺すんです。
これがあの~、頭ここをねぇ、ちゃ~んと、こうやってねぇ、ホイッと持ってって、ほんで積むんじゃなぁ。それをねぇ、消防団の本部へねぇ、わしらの署長んところへねぇ、「みな、なんぼうにも《いくらなんでも》ねぇ、なんぼぅ死んでるからいうてもむごいからねぇ。これはどうかひとつ止めさしてくれんか」いうて、やっぱり近辺のものからねぇ、え~、あの、あのですの、「そりゃあんたの仰る通りじゃ、ほいじゃまぁ止めます」。ほいで止めるんじゃ。ほいでね、見えなくなったらのう、またもうやりよる《続けている》、そりゃ持てんのじゃからしょうないんで。
それから今じゃぁハッキリな場所はいえませんけど、焼くものが無くなっちゃってのぉ、わしらんところにその近辺の消防団の者が頼みにきてね、「土葬させてくれ」言うて。