広島の被爆者の声(3) (3枚目のCD の31から40まで)
投稿ツリー
-
広島の被爆者の声(3) (3枚目のCD) (kousei, 2006/7/14 0:13)
- 広島の被爆者の声(3) (3枚目のCD の1から10まで) (kousei, 2006/7/14 0:14)
- 広島の被爆者の声(3) (3枚目のCD の11から20まで) (kousei, 2006/7/14 0:17)
- 広島の被爆者の声(3) (3枚目のCD の21から30まで) (kousei, 2006/7/14 0:20)
- 広島の被爆者の声(3) (3枚目のCD の31から40まで) (kousei, 2006/7/14 0:22)
- 広島の被爆者の声(3) (3枚目のCD の41から43まで) (kousei, 2006/7/14 0:23)
kousei
投稿数: 4
その31 音声を聞く
陸軍の兵隊がたくさん来ましてね、死体の処理をやっとったんです、で、その死体をねぇ、本川橋の根元へたくさん積み上げておったですよ。積み上げてねぇ、そして石油をかけて焼くんですよぉ。ところがまさにその石油をかけて焼こうか言う時に、一人の兵隊がな、「あぁちょっと待て、こりゃ、この人まだ生きとるわい」言うてね。「ちょっとこれだけは除けとけ」っちゅうような、「こっちの人」。そういう状態で、死体の処理やっとったちゅうことなんです。
仏教のあの地獄極楽の絵っていうのがありますよね。地獄の絵っていうのは子供心に見ても、まぁ~、大変なもんだなぁ、恐ろしいなぁという気がしておったんですが。まそのねぇ、地獄の絵なんちゅうものは、まだまだ生易し、易しいもんだなぁと思いましたよ。
その32 音声を聞く
遺体が完全に焼けないんですねぇ、やっぱり。頭が残ったり、胴体が残ったりねぇ、えぇ。それを今度はねぇ、鳶口一丁持ってねぇ、このぉ、死体をこう焼けるようにこう、歩くんですね。
死体のねぇ、この金の入れ歯があるんですね、それをあの~、プライヤーかヤットコってっいってこう持つようなのあるね。あれを持ってねぇ、死体から金歯を抜きに来るんですね。
それから、死体に掛けてある毛布ですね。その毛布も無くなっちゃうんですね。夜陰に乗じて盗りに来るんですね。ところが向こうも盗りに来るのも必死だからねぇ。その連中が捨て身になって来るんですからねぇ、彼らは。死んだ人よりもね、生きてる人が怖いんですよ。
死んだ人はなにも暴れもしないしねぇ、別に何でもないの。ふっふっ、生きてる人が怖いんですね。その毛布もねぇ、もう腐乱した死体だもんだから毛布に付いてるね、肉片とかなにかってダラダラ付いてるんですね。それをそのまま構わずに持ってくっのね。
「捕まえてねぇ」見るとおじいさんでしょ。で、「おじいさん、この毛布、あんた持ってってどうする」って言ったらねぇ、「まぁ、これねぇ、実はもう生まれたばかりの子供がね、何も何も無いから」。
その33 音声を聞く
最初はですねぇ、手袋を大体2枚から3枚軍手をしてですね、そしてまぁ手鉤のようなヤツを作ってですね、水死者の、その、バンドならバンドをですね、その手鉤に引っ掛けてこう、隅寄せて上げよった訳ですね。
ところがそれがもう2日目になるとですね、もう手袋するのもせからしい《めんどうくさい》というとこで、もう素手ですよね。素手で、そのぉ、こう抱きかかえるごとして上げたり、ちょっと手が届かんからと思うて女の方なんか、髪の毛がこう乱れとるでしょう。髪の毛を持ってからこう引きずる訳ですねぇ。そうすりゃもう髪の毛がズロッとこう抜けるしですね。手を持てば手の皮がブリッと剥けるしですしね。ちょうど手袋外すごとですね。
ちょっと手鉤なんかがもうちょっと深く入るでしょぅ、するとちょうど人間の肉が、その、今で言うたら、ま一番分かり易いのが明太子ですねぇ、明太子の実を見よるとあのブツブツが一杯こう重なったごとなってですね。そうけん、あんまり私も明太子は今でもあんまり食べようごとないです。
大体何歳くらいの、まぁ、女なら女と言うことだけ書いてですね、何処何処地区で収容と、その、もう焼けてしもうた後やからですねぇ、その、町の名前もハッキリせん訳ですよねぇ。あぁ、こりゃ何町ぐらいやったなぁぐらいのことでですなぁ。それで結局、もう大体報告しておいて、それでいいや。
その34 音声を聞く
「お母ちゃ、んお母ちゃん、ねぇ、ちょっと来てごら~ん」言うて、「また死体が流れてきたよ、人が流れて来たよ」って言うからね。
満ち潮になったら向こう、川の方から、もう、人間の死体だけじゃないんですよ、馬やらね、豚やら鶏やらいっぱい、で、こう行って、こんど向こうからね、今度、引き潮になるでしょ。そしたら今度帰る時はまたそれが帰って来る訳なんです。
それをね、みんな、まだ、あの~、死体処理もできないわけなんですよね。もう陸の上の方がねぇ、死体処理でもぅ大変だもんだから、川の中の流れた分まで、まだ揚げんわけなんです。だからもう満ち潮引き潮になったら両方からこうね、流れてくるわけなんです。それを見てもう子供たちがね、数えて遊んでるわけなんです。
その35 音声を聞く
その地下室全体がこう火の海になるようにして、そして、そこへ死体の片付けにきた人たちがね、戸板に死体を乗せてきてから、いちにのさんでね、投げ込んで行くんですよ。
で、空を切ってその硬直した死体がねぇ、次から次へ、そのう、火の海の中に、こう投げ込まれていく。しかもその死体は黒焦げのもの、ピンク色のもの、黒焦げを通り越してねぇ、骨だけに近いような状態になっておるもの、いろんな死体が、しかもいろんなスタイルでねぇ、硬直しておる死体がありました。 終わりには、まるで死体で死体を焼いてゆくような事じゃなかったか思うんですけどもねぇ、うーん。
僕は、あの~、今の福屋《デパート》の西側の入り口へ座っておりましてねぇ。しばらく見てたもんですよ。それって言うのもやっぱり姉がおりゃぁせんか、そん中おりゃぁせんだろうかっていうことを思いましてね。でも居ったところで判りっこないなぁと思って。
その36 音声を聞く
そしてそのぉ、全身の火傷でしょ。ですからあの、自分の体だか自分の手足の感覚がなくって、急ごしらえのその、診療所っていうか、救護所へ、藁(わら)ぞうりを履いて竹の棒にすがって、その、蟻(あり)の歩みのような格好で、まぁあのぉ、そこへ診療を受けに行くわけなんですけども。
そのいく道の両側に、戸板だの、あの、筵《むしろ》に寝かされている、あの、診療を待つ人の群れですねぇ。それがずっ~っと炎天下に並んでる訳です。 生きてるか死んでるか判らないような、あの、グレーの物体ですねぇ。あの、丸坊主で目も開いてもちろんないし、グレーの小さい子供のような形の人たちがぁ、板の上に直《じか》に寝てぇたり、筵《むしろ》の上にあの~横になっていて目も勿論塞《ふさ》がっているし、順番を待つ人が両側にずら~っと並んでる。
それを見たときあたしは、あたしのこんなのは怪我の内にはもう入らない、到底あたしはそんな診療なんか受けることは出来ないと思って、もう、あの、折角もう、蟻の歩みでトボトボトボトボもう杖に縋って歩いて来たんですけれども、その道を引き返してきて、そしてあの
その37 音声を聞く
医療班がね、来ちゃったですよ、1週間ぐらいして。ほいで、それへね、診て貰おう思うて行ったらね。まぁ、何と皆ひどいでしょ、私の皮が下がっとるぐらいは、ほーんまもう、傷じゃぁないんでさぁ。酷い人はほんと背中、こんとにねぇ《こんなにねぇ》、ウジ虫が湧いてねぇ、ウジが湧いてもう、唸ってんですよぉ。
ほいでそれ、薬いうんだけども、あんたつい、赤チン、チクチクとこう塗っての程度でしょう。それをあんた、して貰うのにずら~っと暑いのに、みな並んで待ちよってじゃ。私の皮がぶら下がっとるぐらい、これぐらいこまい《些細な》ことじゃけんに、ほんま診て下さい言うの恥ずかしいような思うた。で、私ぁ戻ったよ、診てもらわんと。
その38 音声を聞く
みなその頃は、時間がねぁ経っておりますもんですからね、もう火傷が全部崩れちゃってベチャベチャなんですよね。ボロ布(ぎれ)みたいになってんですよ。ヌタヌタのボロ布みたいなんですよ、人間が。そういうよな人が、その、公民館に、もう、次々次々担(かつ)ぎ込まれるんですからねぇ。
とにかくもう、ボロボロ布団、布団がこうつくねた《積み上げた》ようになってるんですよ、人間が。おんぼろ布団が濡れてね、油をぶちまけたようになってね、そこの縁こうつくねてあるような感じだったですねぇ。人間そのものが。それだから、あたしたちの傷ぐらいこまい《些細な》ことですよねぇ。えぇ、こりゃ気の毒なけん、帰ろ帰ろ言うて帰ったですがねぇ。
その39 音声を聞く
あれは、もうすごいもんでしたなぁ。これはほんまに地獄やなと思いました。
ゾロゾロ、ゾロゾロ、何百人じゃぁないよ、次々来るんじゃから。それがみな、口々に「エエーッ!エーッ!いたい、エー」っと言っとるんですよ。唸っとるんです。みんなが、みんな。
みんな半死半生や、ヨボヨボ。あの時分には粗末な着物であり 夏じゃった。そこへ放射能浴びとるんじゃから、どうにもならん。ボロボロの着物着ちょ、着てる。それにじぇんぶ焼けとるでしょ。中には乳母車の砕けたような乗してもらってくるんですねぇ。押しとる人そのものがもうヨボヨボやから、大八車に二人ぐらい乗せて、治療班とこに来るんですがな。それでももう引っ張とる人そのものがもうヨボヨボなんや 。
口々にみんな同じ、言う、みんなみんながじゃ。「エーッ! エーーッ!」、心からの苦しい叫び声ですなぁ。直ぐ死んだ人は幸せなほうや。
その40 音声を聞く
全部の人を私はもう手を握ってですね、決別をしております。「その時が、最後の一兵まででしょうね」っち、「貴方たちも一緒でしょうね」っちいうことを言い切ってですね。そして「勝つまで頑張ってください」いうのが、まあ、死んでいく人の願いでしたね。
それから、子供がですね、軍歌を歌うて死にました。もうこれはもう涙流れ、流れて、私はそのまぁ、手を握りましたがねぇ。もうその子供たちがもう、いじらしいけども、お母さんと呼ぶ子もおりますけどねぇ。矢張り勝つためのその死に方をしましたねぇ。
これはもう本当に私はもう、今思い出せますしねぇ、たまりません。中学のですね、3年生のね、子供です。それが軍歌を歌うたり校歌を歌うたりして死んで行くんですよね。それが路傍においてもそうじゃったそうです。
本当にもう子供がいじらしい死に方をしましたねぇ