長崎の被爆者の声(3) (6枚目のCDの31から40まで)
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長崎の被爆者の声(3) (6枚目のCD) (kousei, 2006/7/14 0:38)
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kousei
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その31 音声を聞く
人のあのう死人のねぇ、山のようにこうこずんでね、焼かれてあるのを見ても、またそこで「もう生ききらんて、もう生ききらん。私しゃもうここで死んでいっちょく《諦めて死ぬ》」って言うて主人も言うてね。
「もうこの火の中ばどうして行かれるね」ちゅうて言うてねっ、「仕方なさ。ここでね死ぬとね、あなたお父さん」ちゅうたら「死なんばしようのなか」って言うてですね、言うとったけど・・・
私はあのその小学校に行く息子が「お母さんが我慢だしてよ、お母さんの死ぬぎい《死んでは》駄目よ駄目よ」てゆうてねえ、一生懸命私をこう庇ってねぇ、そびいて《引っ張って》ねぇ、抱えたごとして、ざーと一寸づつ歩いて、いて。
よう無事に着いたって思いました、私のくにまで。
そいて山の中もず~と通って行ったら、行く時山の中に顔のこう剥げた人のねぇ、倒れそうになっておって、またその人達にも言葉ばかけてねぇ。「お互いに頑張りましょう頑張りましょう」って言うて、そいて言って。
ほしてそれからずーと行きよったけどまた飛行機が飛んで来てですね、そいでもう転んどったですよ「もう仕方なかあもう死ぬとじゃろうねぇ私達は」って言うて。
朝の5時半頃からそのずーと死人越えて、そのなんして「そいてしようのなかもういつまでこうしとっても同じだから、一寸ずつでも五分ずつでも歩いて行かにゃできんたい」って言いよったら、もう水が欲しくて堪らんでも、だあれも水を飲ませて呉れるもんも居らずですねぇ。
その32 音声を聞く
ちょうど4日なってでもなぁ、死んだ死骸はそのまま。焼くの真っ黒くろこげに焼けた人がよぉ、その炎天下にもう座って身動きが出来ん訳やな。そういだら目と歯だけが白うしとっと、あとは黒なっとっと。
そういう人が道路脇に座って通行人をぎょろぎょろ見とるけど、自分達は今度それをどうという気にはならなかった。ただもう自分のただ目的を達する、ただ自分の甥を探す、というその気i以外にやなーにも無い。可哀想なぁちゅう気も起きらんやったもん。うん、そんなもんだった。
そいでこの、まあ一番悲惨なのはな家族6名か、母親は大きな材木の下に下敷きになって、子供はチリジリバラバラね、手は広げたりお母さんの方に手を差しのべとったんでしょうねぇ、もうそんなにして。一家全部死んどったんやな、いでまあ主人はどうなっととか知らんけども。たとえ4日なってでもそのままだぁ、ええ。木の枝に引っ掛かって死んだそのまま、死んだ死骸そのまま・・・・・・。
腰掛に腰掛けたまま、なんか重たい物が落ちて来て腰掛けたままこげえしたまま。死んだままもう腐っとっと、人間、汁流れよったもん。
防空壕から十名ぐらいはもう引っ張り出して担架に乗せて出したような、甥がそういうとこに入とって死んどりゃせんかいと思うてな。もうその時なぁ、手を握れば手の首なんかもうー腐れ掛けて腐って腫れとったもんな。
防空壕中に入とってでも効果無かったちゅうなぁ。もう原子爆弾ではなぁ。
その33 音声を聞く
もう沢山の死体がある訳でございますよねぇ、男か女かわかりませんのよ。髪の毛も燃えてねぇ、そして裸なんでございますよ。裸で出ている訳じゃないけど燃えてるんですよ。で、私の子供がねぇ、特徴って言いますと歯並びがちょっとここがねぇ、前歯がちょっとこうこんな風な歯並びになって。その歯並びとそれからこのねぇ、骨盤とがねぇまだそのう、娘でその幼いからでございましょうねぇ、ひとつもこの骨盤が張ってなかったんです。
それを目当てだったんですよ、それだけが目当てだもんでございますから、口の中をみんなこう開けて歩きました。そしてそれに奥歯にねぇ、治療しかけた虫歯がございましてね、それだけが目当てで、そいでその、死体のねあのう、口を開けて歩きました。
私はもうこんな風で怖がりぼうで、死体なんかを扱うのは怖いのでございますけど、やっぱぁ身勝手なもんでその時は怖くなくって、もう何方の死体に構わずもう見て歩きましてね。で、まあだ生きてる方もございましたけどねぇ、もうどうして上げようも無いとでございます、私には。
それにもう自分の子を探そうって言う気の方が先に立ちましてねぇ、もう1分間でも早く探して何とかしてやりたいもんでございますから。もう、悪いけど、もう死体を踏み越えるようにして。学校のあの校庭は一杯死んどりましたからねぇ。それを踏み越えるようにして乗り越えるようにして、もう口をこう開けて歩きましてねぇ。
その34 音声を聞く
瓦1枚1枚、柱1本1本、板は1枚1枚、剥ぐって《剥がして》、一番先にえー女房を見つけ出した。丁度お昼時だったもんだからねぇ、たしか炊事場に立っとんたんですね。ほいでなんかぁ包丁や何か料理しよったんでしょう。出刃包丁持っとった。それがねぇ・・・まっけん《眉間》にボウスと。だから即死ですよね。こうりゃまた可哀想にまあねここにやあんたあの、大きな出刃包丁が刺さって。
ほいで***に座敷の下の方かぁ、あ、その1番かしら娘がねぇ、あの非常袋を首に、下げたままこれはそのう圧死ですよ。顔なんかこんなに歪んじゃってね。これが1番苦しい思いをしてるでしょうなぁ。圧死だから、即死じゃないんでしょうね、おそらくね、ね。
それとあと1人残ってる訳だ。さあ、これが何処に居るのか分らないで、まあグルグルグルグルグル探したらね、「お宅のじょうちゃんじゃなかろうか下の広場の方へ、あの人じゃないかと思ったんですけどねぇ」って言う、「そうか!」っち言う訳で直ぐ行ったら、案の定そうだった。まあ3つだったけど。それでまあすぐ死体を持ってきて、そしてまあ親子そこへ、まあ4人、まあ並べて。
その35 音声を聞く
ずっと一巡したんですが、この下の川の川ですね。それからまあ大橋の川、浦上川ですね。これにはもう死体がもう、毒ながしにおった魚と同じですよ。もういっぱいその、浮いてるんですね、死体が。
それからまあもう爆風の威力って言うのがこんなに強いのかと思ったのは、丁度、その山里にその孟宗の竹林がありましたね。その竹林がもうずーと撫でて倒れてね、しゃげ 《つぶれ》とるんですよ、筏みたいなように。
そしてみんな死体は裸ですね、これは爆風で取られたのか、或いは焼けたのか知りませんけれども。それで着物着とる者はもう死体の確認がし良いんですよ。と、もうそれで非常に骨折りましたですね。
ほいでもうそのう、うち山里で見たんですけども、まあ子供が三輪車に乗ったまま、黒焦げになっていましたね。実に酷かったですねぇ。妊婦がですねぇ、爆風によってそのう子供を露出しとるんですね、死んで。そしてそのうまあ可哀想なのはね、もう親が死んで赤ん坊が生きとると。
こういう風のもあるんですね。もう手の施しようが無いんですねぇ。まあ実に私はまあ「地獄」て言いますけども、大橋の橋の下、ちゅうのはまあほんとの地獄だと。
もうそのう惨状、実にもう目を覆うような。
その36 音声を聞く
そしてその翌日からいわゆる浦上のね、分工場の方のそのう、死体の収容をしに行った訳ですよ。
1日にねやっぱ何十人て焼きましたよ。そいて運ぶのもね、あのう夏で臭いからね、まあさら寝でしょ、戸板のような板切れに乗せればね、一箇所に集結して、軽油なんかを掛けてね、だいぶやっぱ焼きましたよ。
ほいで1日に一番よけい焼いたとは50人ぐらい焼いたようでしたねぇ。もう臭くてねぇ、それからもう、もうね2日、3日経ったのはもう夏でしょ、腐敗しとでしょもう、食事はね弁当不味か弁当持って行っとって、よけいまずうして食えんような、時のありよりましたよ。
もう道路はほらあっちこっちにまだ、あのう収容せんね死亡者がね、ゴロゴロしとった時代ですからねぇ。支那大陸に居る時の戦争する時にゃあね、そりゃあね辛いですよ。田んぼなんかに何十人て死んだ人が居りましたよ、戦死したのがね。ああ支那人も日本人もですけども。
だけども原爆ちゅうのはね、長崎市全体でしょう、そいでやっぱ原爆んとが酷かったですねあのう、長崎市全体がやられちゅうのは。
その37 音声を聞く
兵役廠?兵役廠へ行って、それからもう始まった訳、死体片付け。いい加減に人間を積んでからー、てあっちこっち板とかぼろとか石油とか、あれて結え付けて、焼いて。
早いうちはこの焼けるの見ておった。この人間が焼けるのを。ああ、こっちがもう焼けてあのう破裂する~、気持悪いなあ。この音がジュジュボォン、リンは飛ぶジャンジャン上がるし、縮まったりのんだりするでしょう、火の中で。「もう、よう人間って言うのはやっぱしよう動くもんじゃなあー」ってよう見とった。
生きてる人間みたいにこう動きよった、手も足も。私がこっちに寝とったら、まあここら辺にはまあ女子挺身隊がもうこんなしてもう死んでるわけ、20人ぐらい。気に掛らんかったなあ、汚いとかそういう気持も無くて。
で焼け残ったこの肩ね、ここここがまだ残ってる人も居た。ここ焼けた後に。もう「肉の塊がこっちにあるんだが」って言ってみんな冗談して「あのうひもじいやつは食べていいよ」って言うてからこの取って見せたらこの、これからね、これだけ骨が少し残っとった。
生きている人、あのう助けておった、あの病院へ連れて行くのだけれども車に乗せよったがねぇ、またあのう車の上で動く、こうこうしてからあのう痙攣してから死ぬでしょう。1、2の3でまた道に投げよったよ。あんじぶんは、人間もうなんか、豚か鶏投げるようだったよ。
その38 音声を聞く
こういう材木、家が壊れたものを井桁に置いてですね、で死体をくべて《燃やして》いくんですね。で「お母さんは未だ生きてるー」って言うけどやはり処理をしないと、どうせ腐るものでしょ。鬼になりたくないけどやらねば仕方が無いでしょ、処理班ですからねぇ。
で、ま一人一人丁寧にあのね、なんてそんな時間無いですよね、除けってもんですよね。ポーンとくべるでしょ、「あっ!あっ、まだこりゃ生きとる、動きよるばい」「あっ、ほんならまだ燃やされん」ですね。
で、殆どの母親が、子供にこう覆い被さって抱くようにしてですね、死んでますよね。で赤ん坊が生きてるんですね。でそのひもじいもんですからね、乳房をこう、がむしゃらに吸い付いてるんですけどね、お母さん死んでるもんですからねぇ、赤ん坊は癇癪出してですねぇ、母親の周りを這い回るやら、もういっぺん乳房をこうくわえるやら・・・。
そうこうするうちに、赤ん坊除けてポーンくべるでしょ。
その39 音声を聞く
もう一人で焼かざるをえん、大体、朝10時頃死んで昼ぐらいからですね、焼いたですけどね。一人でまあ戸板に乗せて、あのうリヤカーで死体持って行って。
もうすでに焼いた後がありましたからねぇ。その穴ちょっとした窪みに大きな死体に材木を入れてねぇ、そこの上に死体乗せると燃え易いやろーと。なかなか焼けないしねぇ、そいでほんとあの頃は異常心理でしたよなあ。よその傍でも焼きよったけどねぇ、早く焼けるようにねぇ、頭の脳を鳶口で出すとかねぇ腸をねぇ、あのう鳶口でねぇ早く焼けるようにねぇ引き出してやってねぇ。先ず一人焼けましたねぇ。そいでやっぱり4、5時間掛ります。
そいで焼いてねぇ骨壷も何も無いしそいで焼いてしまって焼きよったら「骨はどうするんですか?」って隣の人に聞いたらね、その「水かけなさい」と。水かけたらねぇ木の灰は真っ黒くなるしねぇ、骨は真っ白く浮き上がるっと。そいでえ家に連絡する手段も無いし、そいで骨壷も無いと。ここどうしようかと。
その40 音声を聞く
やっと、もう「見つけ出した」って言うような人達は引っ張って行ってねぇ、どうせ焼いて貰わなけりゃならないんですよ。でね、ちゃんとまあ記録をしてもらって、焼いてもらって、こんな大きな壷ですよね素焼きの壷をね持って行くと、その中にザクッとスコップで掬って、そして入れてくれるんですよ。
で、その壷の熱いのを抱えてね、安置室が出来ていましたからそこに持って行くんですよ。また、このもう、引き取る時もね、もう丁度私達が殺したみたいにねぇひどーく仰るんですよ、親御さんがねー。
しかし、あの親御さんの辛さが分るからね、私達も何にも言わないでもう「もう、ほんとお気の毒でした」って言うより他に言いようが無いんですよねぇ。親御さんにしてみれば、もうそう言わなきゃもうおれない訳ですよね。
私は忘れる事できませんねー。そらもう親御さんから叱られた時のねぇ、辛さをね。
私忘れる事できないですね。
黙祷の サイレン鳴れり 目瞑れば 火を噴きている 乙女の髪見ゆ
爛れたる ひた土の上に 積み重ね 教え子の死体 焼きたる記憶