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長崎の被爆者の声(3) (6枚目のCD)

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投稿ツリー


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2006/7/14 0:38
kousei  管理人   投稿数: 4
 
このCDは9枚組の6枚目で、長崎の被爆者の声(3)が記録されています。これには51音声記録が収められていて、それらのテキスト化されたものがここにはアップされています(便宜上10記録毎に分割されてアップされています)。どのような内容の記録かを示すために途中に以下のような伊藤明彦氏の短いコメントが入っています。参考にされると便利です。各記録の音声は「音声を聞く」をクリックすれば聞けるようになっています。もしテキストに脱落や誤りを発見された場合は、「感想の部屋」からお知らせいただくと幸甚です。
  


明けて8月10日未明・長崎 (その1)

8月11日から14日まで・長崎 (その24)

同じ14日の夜、広島市郊外の広島中央支局、原放送所、一般より、半日早く戦争が終わる事を知った人々(その48) 

同じ夜長崎の被災者が避難していた、佐賀県のある町 (その50)       



なお、テキスト化された記録を読むには、

1)CD1枚分の全てを一望するには、「フラット表示」で読むことをお奨めします。見ている画面の左上の「フラット表示」をクリックすると「スレッド表示」から「フラット表示」に変わります。

2)記録のスレッド(コメントツリー)は時間的に降順になっています(下から上です)。これを昇順(上から下)にして読みたい場合は、「ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない」のメインメニューの下部の「ソート順」で「降順」を「昇順」に変更して送信を押してください。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 11:00
kousei  管理人   投稿数: 4
 
その1 音声を聞く

あけて8月10日未明 長崎


その2 音声を聞く

 しばらくいきますと、神学校がございまして、ペシャンとせんベいを叩き潰したように、もう大地にひらみついておりました。そして、その傍にはですね、8人もよらねば抱えられないような大木が倒れておりましたので、それをですね、越えるわけにもいかないで、こう透かしみますと、あぁ、人ひとり通れそうにも御座います。わたしは背中から子どもをおろして胸に抱きながら、そこの間を這って通りました。

 そしてなかばを通りかけたときに側の方から「みずぅ、みずぅ...」という声が聞こえるのです。わたしは、はっと思うてそっちを見ますと黒いものがうごめいております。また反対の方でも、「みず、みず、 助けて、 助けて」 それはもう無意識にいっているような声がきこえる。これはもうその大木に、たたき倒された人たちの悲鳴でございましたろうか。 

 私はどうすることもできないで胸の子どもをしっかり抱きながら、その間をにじり出まして、ほっとした時に「じぃー じぃーっ」と他に音も無いその夜のしじまを破って地虫が啼いていたこと、これはもうわたくしの忘れることのできない音でございました。


その3 音声を聞く

 夏のことですし、朝、夜が明けるかあけないか、ですから4時か5時には山をおりたんだろうと思います。
 で、めざす岡町のところまできたわけですが、ま、電車は吹きとばされているは、まあむごたらしい残骸をさらしておりました。それからやはりあのぅ、家の外に倒れている方が沢山おられたような気がします。 

 で、めざす私の家にやっとたどり着きました。と申しますのは目印が無いもんですから、と同時に道がないもんですから、うーん、ほんとに10数年間そこで生活して居ったんですけど、ちょっと戸惑うというか、家をさがすような格好だったんです。

 だぁれもいませんでした。えー、もちろん亡くなられた方がいっぱいそこに倒れているんですが、生きてる人がひとりもいないんです。

 そしてこの私のこの両手で、白骨になっておられる方々の頭蓋骨をですね、両手でもちあげましてね、おふくろが金歯がおおかったんですね、ですから金歯を目印でやったらいいんじゃないかと思いましてね (この両手を、まあ、今でも見つめるときがあるんですけどね) この両手で何十となくその遺骨というか頭蓋骨をですね、抱きあげるというか、そして歯をみる、そしてこれじゃないなあと思っては、また元へとそっと戻す。


その4 音声を聞く

 あのぅ、大学病院から、山里の丘へかかる途中ですが、最初は、立ち木が燃えてると思ったんです。そのそばを通っていて、そのとき人間だっ! と思ったんです。黒焦げの人が、立ったまま燃えているようです。おそらく首が先きに飛んだんだと思います。

 山里の一番高い丘にあがったときにはじめて、浦上天主堂とか我が家の方とか見おろすことができるんですが、まるっきり道がなくって、自分ん家(ち)のある場所を目でさがしたんですが、これがわかんないですよ。

 道もないし、勿論家なんかありゃしませんし。橋も埋まってしまっているし、目印になるようなもんはなんもないんですよ。で、おもいつきまして天主堂へ上ったんです。そこからまっすぐ丘の方向をみまして、自分ん家(ち)の焼け跡の見当をつけたんです。
 もうねぇ、ほんとうにあれは、この・・・砂漠ですね・・・。


その5 音声を聞く

 学校の壕に残りました先生がどうしているだろうか、ほとんど亡くなっていられるんじゃないかと思いながら、私は、あの、学校にでかけていきました。そうしましたところ 何人かの先生はもう亡くなっていましたけれども、10人ちかくの先生は虫の息ながらも、生きながらえていまして、私が行きましたところ、「林先生、林先生」と、いってもうあっちからもこっちからも非常によろこんでくれました。

 そこで、この先生たちが昨日からなにも食べていないので、あの、ひもじかろうと思いまして、その日すぐに大橋付近に炊き出しの握りご飯を配っていましたので、そこにもらいにいきまして、まあ、そのままでは食べきらないだろうと思いまして、いっちょこれは、おかゆにしてたべさせなければいけないと思いまして、まあ、近くに鍋を拾いに行きました。
 そこでまぁ軟らかく炊きまして、そしてやったのですけれど、まあ、ほとんど食べる元気もなかったようです。

 運動場の周りには、たくさん壕を掘っていましたので、近くの人で助かった人はみんな壕のほうに避難してまいりましたので、壕はいっぱいでしたが、その人たちも、もうだれも薬を持っている人もいませんし、ただもう壕にいただけのものでした。


その6 音声を聞く

 いきましたらその5人の看護婦が、ほんとに芋ずるを手にしたような格好で、ほとんど離れ離れでしたけれども即死しているわけですね。もう見るからに様子が変わってしまっているわけです。
 爆風で飛ばされてもう裸にしてしまわれてですね。それと膨張してしまって、身体が。見分けがさっぱりつかないんです。
 で、やっと、あの、その当時もんぺを着ていましたから、そのもんぺの柄が足首とか襟くびにすこぅし残っているんですね。で、その柄で大体見分けがついた訳です。

 そこで爆風で飛んでおります木切れをその遺体の一人ひとりの上につみかさねましてね、皆で。それであくまで、べつ別にして焼かなければ遺骨の取り扱いでまずくなるとゆうことでございます。
 さあ、火をつけましょうとゆうことになったんですけれど、とても私にはそんなこと出来ませんから「先生お願いします」と言ったわけなんですけれど「君が責任者だから君がしなければだれがするかと」と。
 もう、本当に私、そのことを今思いますともう、なんていっていいか分かりません。もう本当につらいんです。

 ですけど、まあ、やらなきゃあいけないんだとマツチを擦って拝むようにしてそれぞれ御体に火をつけました。
 ぼんぼんぼんぼん燃えていくんですね、ほんとにあの時のこと思いますと、もう、胸がいっぱいになってしまって。


その7 音声を聞く

 ちょうど防空壕の前に水溜りがあった訳ですよ。濁った水がある訳。それにわれ先にと、しがみついてその小さい穴にですね、たくさんの死骸がやまみたいに。

 その水を飲むと、みな死ぬわけですよね、だからみんな「水を飲んだらいかんぞぉっ、いかんぞー」ってその人たちが言うんですけど、きかないわけですよ。その水を飲んじゃぁ亡くなり、今度はまたその死体をかき分けてまた自分も飲む、そうゆうふうに。で、もう死体の山なんですょ。そんな死体をのけちゃ飲み、のけちゃ飲み。

 そんなするかと思えば、今度は、鉤みたいな、魚を首の所突っ込む鉤みたいなので、死んだ人をひょっと引っ掛けちゃぁ、表をひっくり返して。「ああ、これ自分の子じゃあない」言ったりするしですね。物凄かったですねぇ。親は子を捜し子は親を求めて、もう右往左往するわけですよね。


その8 音声を聞く

 いってあそこからここから「水をください 水をください」って、もう、とにかく言われるんですね。それで気の毒に後ろを見、左を見して、また空襲がきます。かごみざきが《座る場所が》、とにかくないんです。死ぬ覚悟だったんですね。もう下っていくちゅうのは。

 もう「行ってはできん、行ってはできん」と、おっしゃいましたけど、ただお父さんとお舅さんに会うだけのみ、けっしてこの子どもたちを会わせてやらんといけない、という一念から下っていったんですね。 

 もうその人様がもうみんな仰なき(仰向け)になって亡くなっておられましたね。みんな鼻をたれておられたんです。小指くらいの鼻がべったりと出ていらっしゃいましたですよ。その人間のたれていらっしゃる鼻がみんなそれぞれに色がちがうんです。黄ばな、赤ばな、青洟ですね。

 いちばん可哀想だったと思いましたのは、ちょうど中学生くらいの坊ちゃんが、鉄筋にちゃーっと背中をつきぬかれていたんです。ちょうど蛙が両手を挙げて後ろ足を上げてその背中に棒をつっこまれていたような格好で亡くなっておられました。
 それでずぅっと一年半の子をかろって四つの子を、手をひいて・・・。


その9 音声を聞く

 寝ているんですね、その「やけど」された方が。それでもう本当に黒人といっしょで、もうまっ黒なんですよ、それでもう髪がちりぢりになっているしですね。 
 「それじゃぁ、お母さん足を抱えてください、それで娘さんにはおなかのところ抱えてください、私は頭を抱えますから」といって頭をもったとたんに皮がつるんと剥けるんですね。

 またもう学校まで行く道には、もうとにかく地獄のなかってゆうですか、あれだけの人が道にずっと倒れているというのは。
 通るともう「みず みず」という、ただその言葉だけで足を捕まえて離なさないのですょ。「みずをくれ」。 

 ちょうどあすこの川を渡るときは川のうえにはもう人間が重なり、もう上に重なりで、結局もう動物も人間も死ぬ場所が一緒なんですよね、結局、人間の上に豚が押しかかってみたり、牛・馬が押しかかってみたりです。その上にまた人間がおしかかってみたりですね。***ってゆうような状態でもう一緒なんですょ。 

 私がいっちばんおそろしくもあったり、不思議に思ったのはですね、立って死んでおられた方がおったんですよ。あれだけ爆風があってなぜ立って死んでいたかと。立って死んでいた方が、立ったまま、結局、舌が膨脹して、ちょうどあのガムの風船をふくらましたような格好になっているんですね、口が。目はもう潰れたみたいになってふさがれているんですけどね。

 橋が半分に折れてその欄干の上に人間がよつばいになって、そのまま死んでいるし。
 もう、ちょっと絵で書いてくれとか、当時の状況をそのまま話してくれといわれましても、なかなか口にだして話すということは難しいですょ。


その10 音声を聞く

 浦上駅前まで来たときにですね。合同馬車、日通の馬車ですけどね、合同馬車ってゆうのはね。馬車を引いたまま馬が倒れてですね、で、馬車が上になって馬が下になっておった訳ですけど、ぞうわた《内臓のこと》がはみ出しておって3間ほど臓腸がとんでるんですね。それを焼け爛れた猫がぺろぺろねぶっていたのをみて反吐を吐いたのを憶えているんですよ。

 そこで足がみずぶくれしとったんですねえ。それがパンクしたんですね、空気にふれてもう痛くってですね、このままでは足そのまま歩けないっとですね。

 大橋に電車が2、3台おったのはおぼえています。そのなかに黒焦げになった死体が立ったまま黒焦げになっちょったのを憶えているんですょ。 

 それから大橋の鉄橋渡るときに下をみたところがその人間がいっぱい水のみに、やっぱり入ったんでしょうね。
 それから「みず 水」ゆうて這ってくるんですよ。それでもう足を引っ張るんですよ。私も、もうけっちらかしたのを憶えてますけどね。 

 それから全部立ってる人は、幽霊みたいに手をこうしているんですね、だらぁっとさがっているんですよ。皮なんですょ、全部ね。 
 そしたら、うえから汽車が下ってきたわけですね、そいでのぼってきたもんだから手を上げて停めて、もう一歩、車内に、客車内に入りこんだら、いっぱい来ているんですよ怪我人が。

 ここまで来たときにロッキードですかね、双発双胴がおったですな、あれがワァーッと、低空できたんですょ。

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 11:02
kousei  管理人   投稿数: 4
その11 音声を聞く

 小さいときから浦上の方はよく知っているんですよ。医科大学でよく出入りしていたこともありますしね。見渡す限り焼け野原になって、第一、道路が、道がどうなっているのか分からなくなっちゃてんだから。

 あぁゆう死んだ姿なんかを私、見てほんとうに残酷きわまる無残な死に方だなぁということを、しみじみ思いましたね。全身よごれたようなからだで、そのままアカチンキなんかを振り掛けたような、なんとも言いようのない姿でね。

 で、そのなかで見たものはね。いろいろな浦上天主堂のあれが私は非常に印象に残った。天主堂の破壊され炎上している姿ですね。そしてマリアの像、見たときに半身お顔からなんからこう、どすぐろぉい油をかぶったように焼け爛れているのがね。

 ほんとうにおなじ信仰をもつ、カトリツクの宗教をもつ者が400年来から弾圧に耐えながら、かくれキリシタンで守ってきたとゆう子孫のおる、熱心なカトリック信者が1万人近くも、そのやられておるとゆうようなことを後で聞いて、なんともいえない広島と違った憤りっていうか、この感じ方をもちましたね。

 
その12 音声を聞く

 私たちの防空壕に入ってきた人がいるの、あかちゃんを産んですぐの人が。お母さんも、お父さんも。あかちゃんも亡くなるし、おばあちゃんも亡くなるしね。みんな亡くなんなさったですもん。そのときの哀れがですね、本当、もうそんときの哀れがですね。ま、ほんとあんなとば、見た人でないとわからんですね。

 着物は着たまま、焼けたまま、着たまま焼けて、こんなとこもやけてしまってな。いきとる間皮膚の焼けたあとからこんな血のぴゅぅーぴゅぅーぴゅぅーぴゅぅーでるものですとね。それが出るとはもう…。

 生きとるときはもう水が欲しいでしょ。「水くれ みずくれ」とゆうてな。 

 そして、ひとが亡くなって、それば小か車、なぁ、二つ車。あれに乗せて寝たままのせて、つれていってトタンば敷いて、その上に薪ば積んで焼くとやもん、そばで、ほんとみちゃおられんかったです。
 そのおばあちゃんも、そんなして焼きなさったんでしょ。 

 あぁ私は怪我をしたばってん、私は死なんかって良かったと思いましたけど、終いには、まぁ死んだほうがよかったと思った時もあったとです。
 あぁ、見ちゃおられんかったですよ。ほぉんと。


その13 音声を聞く

 家屋は全部焼失しましてね、 生きた人影は見えませんでした。死体が累々としまして、おかあさんの胎内から臍の緒が続いたまま、あかごが母から1メーターぐらいはなれて死んどったのを見ましたときには、ほんとうに悲惨なもんだなぁって思いました。

 それと大橋の鉄橋の下の川にとびこんで、全身こうみずぶくれと豚の皮を剥いだような格好になりまして、あすこにもここにも水の中に死んどるのを見ましたときに、生きながらの地獄っちゅうのは、こういう風なもんかってやっぱり思いましたですね。

 電車のやけたのが3台ぐらいみえましたですかね、それに死骸が折り重なってどれをみても、爆風で着物が飛んでしまったのか、こう、裸のようでございましたですね。


その14 音声を聞く

 まあ、それまで、松山が、その~中心地とかそんなことはぜんぜん知らんやったです。ほとんど焼け落ちて、医大はそのコンクリビルであったところだけはゲタが割れたようにして残っておる。

 だからもう死人ですね、もう死人がいたるところにかたまって死んどるところもあるし、山坂になつたところには登りかけて、そこに倒れている人、そりゃぁ相当の数だったですょ。
 
 もうその惨状は口では言い表せんです。ちょうどウサギの皮を剥いだとおりですょ。ま、ウサギも人間も同じですけどがな、かわを一皮ペロンとはいで、こっちからあったら、こっちから剥いで、いっとんですよ。も、渋皮がはげた、そんなものじゃないですょ。


その15 音声を聞く

 その午前中は「やけど」の酷いのをですね、アネステジンとかあるいはそうゆうものを、体に振り掛けるのに、もう2、3人に追われて。
 そしたら午後から近所の人が私を連れに来たんですね、診てくれと。そしてその日の翌日の午後に初めて往診してみてですね。周囲の人たちのことが、わかったのですが、いってみると、まったく表に出ると本原町一帯無人ですね。 

 木はもう枯れ枝みたいになってるし、電線はたれさがっているし、電柱は燃えかって、家はたおれている、燃えている、もう、けぶっている。

 なにかもう無人の..あれ、そのあれだけの人はどこにいったのかと思って、下のうちに行くと「先生、診みてくれっ」と。

 それで防空壕にいくとその狭い防空壕のなかに20人くらい入っている。酷いのはもう頭を割られるとか腹から腸がでるとか、それはもう死んでるわけですから。しかしあとはもう「やけど」です。それからその軽いのはガラスのきずから血がでる。その「やけど」が顔と背中、足のふくらはぎとかね、あるいは胸と腹。

 どうして顔と背中にやけどしたかというと「ブーッ」となったときに田におった人とか、畑に居った人ね、後ろをみているんですね。後ろを見たときにピカリとしたもんだから顔と背中に焼けどした人がおるんですね。


その16 音声を聞く

 わが家(うち)の焼け跡のところに来ますと、弟の友人が杖を持って、その、弟の死ぬ時の状況を教えてくれたんです。

 やっぱり、生きたまま家の倒壊した下敷きになって、「助けてくれぇ、助けてくれ」って言うけれども、自分も負傷しているし、小さい子どもですからですねぇ、その材木をよける《とり除く》とかなんとかなどできないし、もう、その、焼けるの、死ぬのをそのまま見たそうです。も、ほんと、これが生き地獄っというんでしょうかね。

 それや、あと、すぐ下の妹がですね、頭は縮れ、顔、皮膚の露出部分はもう皮膚は焼けただれてひっくりかえって、顔もぜんぜん変形して、もうぜんぜんぜんわからん。で、すれ違うて行こうとしたら、「お母さん」という言葉でお袋は自分の娘ということが分かったと。

 そいで、お袋は妹をかるうて《背負って》、そこの方に避難するつもりで、で、畑の上に寝かせて一時様子をみたら、「お腹が痛い、痛い」と言いながら、もうすぐに息を引き取ってしまった。

 それや、あと二人の子どもは家の中でやっぱ即死をしたようです。


その17 音声を聞く

 そして、(姉に)「そして、子どもたちは?」って聞いたら、「知らない」っていうです。「どうしたの?」っていうたら、そのつぶされた時にね、「お母ちゃん、僕はここだよ、助けて。」っていったんですって。そしたら女の子も、「お母ちゃん、私もお兄ちゃんのところよ、助けて。」っていったんですって。でも、自分自身もつぶされているんですね。

 そしたら、「熱くなったよう」っていったんだって。火がずーっときているのね。でもどうしようもなくってね。「あの子達も焼けて死んだでしょう」っていってました。

 そして、父がそれを聞いて、そして、灰をずーっとね掻き分けてあれしたら、ちいさな骨をもってきてました。そして、(姉は)15日に亡くなったんです。もうだからそればっかり言ってね。「お母さん、熱くなったよ、熱いよ、熱いよ」と。その声が耳にぬかって《つきささって》いるから、母親としては耐えられないですよね。それで、「ごめんなさい、ごめんなさい」っていいながらね、亡くなりました。

 わたしはね、ほんとに自分が子どもを産んでみて、ああ、あの時の姉の心の中が解るような気がしてね。ほんとに、「ごめんなさい、ごめんなさい」、それだけをいいつづけて亡くなりましたよ。


その18 音声を聞く

 ずーっといきますとね、防空壕の中には5人10人もね もう死骸ばっかり生きとる人は一人もおらんです。それでもう学校にいったって息子はもう生きておらんだろうと、せめて死骸でもと思うて行きましたらね 学校は爆心地から谷ひとつ超えた高台なんですね。 きれいに吹き飛んでしまって箒ではいたみたいですね。

 大きな声で「あきら あきらぁ」ってよびましたら「はーい」って返事しましたょ。 それからいってみましたらちょうど基礎の角のところにしゃがんでいました。熱かったでしょう全部裸になってしまって。 もう、おとうさん来たから大丈夫よって、しとったゲートルをはずしてつないで、おんぶして帰ってきたです。
 まだ生きておりましたですけどね、今かんがえますとそこで息引き取りましたね。

 いっときそこで休みましてそして帰ってきました、戦闘帽かぶってましたんで、そこから下がやけてしまって顔なんかもうこう腫れてしまって、手なんかもう雑巾のようになってましたですね。そこへ材木を集めてきて、それで自分で焼いて。どんぶり茶碗を拾ってきて骨をこういれて。


その19 音声を聞く

 焼け爛れた校舎のなかでなんだか生きてるような気持ちがするんですよ。あの重たい材木の下で、もう生きとるんじぁなかろうかと、黒く焦げたような姿が目にちらついてね。
 とうとう私も一晩中泣いとったんですけどね、主人も「泣いたって駄目じゃぁないか」と怒っとったけど、そういいながら主人も泣いとったしね。水をいっぱいもって金比羅(山)を超えてむこうにおりましたけど。

 坂本町の上の方、大学の上の方にずぅっとお墓があるんですね。 墓石がひっくり返ってそこら辺で、みんな人が倒れていて、膨れて倒れていたのを見たときに、まあこれ以上進まれんと。
 そして人相もなにも判らんようになっとるから、とうてい、わが子か人の子かわからんよって、わが子を探すとゆう気持ちよりも、その悲惨さむごたらしさに打たれてもう自分の子どもだけじゃない これはもう全滅だとゆうふな感じで どなたかのお骨を少しいただいて、現在までお祀りしているとゆう格好ですね。

 まぁでも本当に死骸をみないとゆうことはあきらめきれないですね。


その20 音声を聞く

 ところがですね、ぜんぜーん判りませんでした。なぁーんにも無いんですから。瓦も灰になってですね。そして、私の母も、お骨もですね、もう全然なぁーんにもないんですよ。

 それであの妹のですね、金歯があったんですよ。それで、これが妹かなぁーっちてですね、それ拾ったんですけどね。それもはっきりは判らないんですよ。だから、あのぅ、もうこれだろうーっていうのをですね、屋敷内で拾ってですね。

 そして、親戚のもですね、ここが炊事場だったからね、この辺だから、あのここいらがそうやろやねーっちゅうて拾って。その、お骨を拾わないと死亡証明書がとれないんですよ。それで、多分これだろうーっていうのをですね、あのぅ、拾ってきましたんです。

 駒場町はですね、全然あの姿も何もないは、もう、白骨はですね、白骨なんですよ。で、白骨もですね、こうあせらなきゃ《掘り返さなきゃ》なかった訳ですよ。そして、あのあせってですね、はぁ、一生懸命もうこの辺じゃろうといって、叔父と二人ですねぇ、行って、『この辺になんしたから、この辺じゃろう』ちゅうてですね。

 そして、私の母は、なんか下大橋のにき《あたり》で会ったという人がいるんですよね。だから、その判らないんですよ、いまだに。お骨がですね。

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 11:04
kousei  管理人   投稿数: 4
 
その21 音声を聞く

 ほな、大学病院さ行ったですよ。待合室ですかね。あすこにはもう仰山人間が死んでるでしょうが。全部黒仏ですもんね、黒仏ですよ、人間が。着もん着たものないんです、一人も!「これ片付けろ」って医者がいうもんじゃけん、ほて、こうやったらね、なんか骨に当たるんですよ、なんじゃろかって思うて、ほれをみたら全部手の入ってしまったですもんねぇ、肉の中に。湯がきですたい、人間の。

 そん時ですね、握り飯が来たですたい、そしてずーっと配達されたですた。そしたら、そのおばさんがもう顔をこうしてですな、わーっともこうなっとるけん、握り飯ば、私がぁ、やらんじゃったとですよ《あげなかった》。まだ元気のよか人にやってさるいたとですよ 《元気の良い人に配って回った》

 「わたしにもちょうだぁい」って手を上げはるもんじゃけん、ほんとやねぇっと、そして2つやってですね、ずぅーっと奥の方からまわってですねぇ。15分か20分かかったですよ。その人はですねぇ、握り飯をこう持って、両方の手でこうしてですね、さしあげちょったですよ。さしあげちょったですよ。ほんとにねぇ。はぁ、人間てやっぱり死ぬまでやっぱ食うとば思うかな~と、思うちょったですよ。

それから、涙もつきたですよ、私しゃ、うん。私もうかんしゃくもちやけど、涙弱かもんですけんね。可哀相かねえ~。 畳の上で死ぬ人は、これは楽ばいてほんとにねぇーっとわたしは泣いとったですよぉ。畳で死ねたらほんとねぇ、運のよかと。あの原子爆弾で会うた人のね、あの哀れさはねぇ、ちょっと話じゃ語られんとて、うん。


その22 音声を聞く

 山里町あたりに来ますと、もう、焼け野原が広がるんですねぇ。そして、まだあちこちで炎がみえると。 もう城山町一帯、もう、ほんとに、家一つ無いわけですね。家一つ無くて、もう、灰になっている所々では火がくすぶっている、死体はごろごろしている所があるし。

 で、そして、寮が近づくにつれて、鬱蒼として茂っとったあの松の林がですね、将棋倒しに木が倒れとるんですね。もう、夕もやが迫っているけれども、まだ炎が見える。どうも此処が自分の寮だったことさえも見失うくらいだと。


その23 音声を聞く

 そして、もう、私たち、体を触ってみたら、すこし温(ぬく)かったからね、死んだって分からなかったからですね、その時は。あぁ、まさ子ちゃんがおったーっていうんで、「まさ子ちゃーん」って呼んだんです。口にはもう黒い斑点がね、出血したんでしょうね。唇に出てたんです。

 寝顔が苦しそうな顔でかったから、生きてるかも知れん、というようなつもりでね、もう一生懸命呼んだんです。

 そしたら、その杉の木を向こうにはさんだところに、だれか女の人がまだ生きておられて、その人が、「会えてよかったですね」って言われたんです。「いいえ、死んでます」って言って。「今まで、せつ子ねえちゃん、おかあさんって二人がくると思って呼んでたん、呼んでいらっしゃいましたよ」って。

 ちょうどあの日の晩、三日月だったん、細い三日月だったんです。杉の間からそれが見えたんです、そして虫が啼いたんです。それが悲しかったんです。

 虫が生きているのにどうして死んだのかと思って。「虫だったらよかったねぇ」と話したんです。(嗚咽) 「死んでばい・・・・わたしは」・・・ あぁ、「すみません」、なんにも・・・。

  
その24 音声を聞く

八月十一日から十四日まで 長崎

その25 音声を聞く

 それで、丁度、駅前に行った時分にまた空襲。あれは偵察飛行やったんでしょうかね。それがね、も、悪戯かなんか知らんが、その機関銃で「ババッーン」っとあのそれやるわけですね。ま、防空壕に逃げ込んだわけですが。それはもうすぐもう飛んでいってしまったわけです。

 自分が出るときにですね、ま、足許見たら、なんとその死体の上にね、私ら座ってかごんどった《しゃがんでた》というようなことでですね。「こりゃ、ここに、これ、死人ばい」というようなことですね。ま、何も感じないんですね。

 で、ただその、学校のことだけは気になるんですよ、奇妙に。それからまあ、大学病院に行った。まあ、そうしたら、その結局、病院なもんだから、そこにいっぱい逃げてきてるんですなぁ。どうかしてもらおうと思って。

 と、その廊下を歩くと「学生さん、学生さん」とこういう。私らの足をこう引っ張るわけですね、いっぱい寝とる人たちが。それでその「水くれ」とかなんとかいうんだけど、その水もどこにあるのだかも、こっちも分からん。ま、結局そのままですよ。もう助けようもない、また助ける方法も分かりませんしね。

 そして、その、ま、のろのろと家族の人でしょうかね、死体の口をみんな開ける。分からんわけですよ、もう人相がですね。焼け爛れとるもんだから。その、わしゃ、はじめ何しよるんだと思ったら、クチをあけてですね、歯を調べとるんですね。それで自分の家族の確認をしとったんじゃないですかね。

 あとはみんな、ゴロゴロ、ゴロゴロと石ころみたいに死んどるわけですね。


その26 音声を聞く

 ところが、まったく焼け野原だから、うーん、その家の目標が、ちょっと見当がつかんわけですね。家野町からずーっと城山へ行く途中は、人はあの死んどるしですね、で、馬は死ぬし、そして負傷した者は「うーうー」いっとるしですね。

 で、そのまた死に方というのがですね、大体人間、****、死ぬ時はみんな手を合わせるはずだけど、手を組んだ人はみんなこう手を握りしぶってるんですね。そしてもう腹は大きく膨れておるわけですね。それを見た時に、いかにこの爆弾が残虐性の爆弾であるかということを感じたとともにですね、いかに死にたくなくて死んだかということをもうつくづく感じた。

 そして、えー、負傷している人はもうそこらにおる、そりゃ、何十人、何百人じゃきかんでしょうね。そういうのを見た時ですね、私は本当にこういうことが阿鼻叫喚というか生き地獄というかですね、そういうことを肌に感じたですね。

 そしてあの大橋を渡って、浦上川に行くと、もうその川の中にごろごろ、ごろごろとその死んどる、うなっとるですね。


その27 音声を聞く

 あの辺一帯は、もうずうっと死骸の山です。それから水の流れの中でこう、うつ伏せになって倒れて、水の流れの中で倒れている、草むらに折り重なって倒れているもの。もう非常に沢山の人があそこにずうっと葦のあのところに亡くなって、それから僅かに残った力を振り絞って、あの辺の人が水を飲みに来て、そして水を飲んでやっと安心して、寝て、そのまま亡くなった、と。

 それから城山の学校のあの近くのほんとにこう道の脇か、或いは崩れた瓦の、屋根瓦なんかの脇のところで、ま、生きてるか死んでるかわからないと、とにかく、ま、膨れ上がって血色になっている人、それから目の飛び出してこう倒れている人。

 そこを通ると、もう音が聞こえるのか或いは何かで感ずるのかですね、「苦しいー、水をー」っともう、なんか小さな声ですが、何かこう声で、ああこの人も生きてるんだなあっていう気持ですね。これを聞いても、別に。目の飛び出して下がってる人は随分あったようです。

 そこの悲惨な状態っつうのは、今でもあのう、ほんとに、これは言葉では表現できないようです。そういう状態は。


その28 音声を聞く

 そしてまあ足音がすれば、「水、水、水、水」。足音がすれば、死んでると思とったら、そのずらーっとですよ。

 片方はもうこの辺でやそのジャンジャン、ジャンジャン焼いてるわ、死人が見つかったのは焼いてるわ、焼け爛れたような人ですよね、髪毛もなんにも無い人ですよね。

 「水、水、水」、「あなた何処の方?」って言うても、もうわからないんですよね。もう可哀想でもうほんとにもう。飲ましたい、あげたい本人が2、3歩行ったらこけるぐらいですから、飲ませる力が無かったんですよね。

 かわいそうーに死んで行った人ばっかしですねぇ。だから私はですねぇ、ほんとに今でも必ず息切れしたら、あぁー、あの人達に飲ましてあげられなかった、あんなのがやっぱり自分に祟りがきたんじゃなかろかって、も、いっつも・・・。


その29 音声を聞く

 で、行きましたけどね、まあ手に付かないんですよ。ま家は壊れてるし未だ燃えてるし。道端でね、物の下敷きになってる人がですねぇ、「助けてくれ、助けてくれ」と仰るわけですね。

 もう私達が兵隊さんに見えたんでしょうねぇ、ゲートル巻いてあのナッパ服着て戦闘帽被ってるもんですから。「兵隊さん、水、水」ってみんな言われる訳ですよ。

 ヒョっと飲ましてやりますとね、ゴクッって言ってですね、そのまま息絶える訳ですね。いわゆるあのう、末期の水って言うのが私初めて知りました、それで。体力が弱ってるのに水をやったら、飲み下ろす、嚥下する力がないんですよね。だから、ここでヒュッと瞬間、窒息。いわゆる安楽死ですよ。何十人くらい送ってあげたでしょうかねぇ。

 で、比較的ですね、未だあのう元気そうな人を見つけてですね、引っ張り出そうと思ってですね、手を握りハッと。皮がズルッと取れるんですよ。最初は手が抜けたかと思いました。ズルッとねぇ、皮ごと取れてくるんですね。

 もう目を背けるって言うのかですかね、もう仕方ありませんからねぇ。水を取り出して水を差し上げて、まぁ、あの世へ送ってあげる以外に方法無かったんですねぇ。

 とねぇ、自分達で掘り出して自分達でねぇ、露骨な言葉で言えば殺してあげなきゃならない、ねぇ。爆心地の土地の整理だ、と言う目的で行ったんですけどねぇ。


その30 音声を聞く

 前の昼にはもう死人のコロコロ、コロコロでしょ。死人の間ばこうして道ば頼って下って来たんです。「もうおじさん、も下らずにおろか」って。「ああた方に怪我させたらねえ、まあだ飛行機が来るから申し訳んなかけん」って私が言うたらですね、「ここまで来てからその親父の姿ば見付けずにどうするか」っておじさんの言いなさったけ、「でもねぇ、おじさん達怪我させたら申し訳んなか」って、「もうとても父ちゃん生きとらんですよ、この姿ば見たらぁ」て言うたですけど、みんな親戚の人が「もう行てみな《みなくては》でけん」って言うて連れて来てくれらしたもんですから。

 あの、天主堂の下さん通って来たとです。もうあの辺ば通っときゃ足は熱かっとですもん。もう足はこう持ち上げてさるくごたっと《歩くかのよう》です。瓦は焼けてしまい、道ってないですもんねぇ。もう通る所通る所死人のコロコロ、コロコロですもん。木の下に、おっしゃがれておっとば《押しつぶされているが》、助くんもんのおらんとですもん。助くってしたちゃっあ《助けようとしても》、またあげきらんとですもんねぇ。ほんとですねぇ。

 ほしてあの松山橋ば渡ってから見たらあすこにね、あなた、川はもう死人で水は見えましぇんと。人間の膨れて、もう人間だけですもん、もうその水の中は、浮いて。

 そしてそれば、「ま、あら~」って言いながら、こう来てあん橋ば渡って来たところがあなた、奥さんのここの横っぱらから、赤ん坊の、もう奥さんが焼けたもんだから、こっからひっと出て《とび出して》ですよ。ほして奥さんは、転んでこう焼けてしもうて焦がれて、そんなともう、涙もなんも出んとですよ。

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 11:06
kousei  管理人   投稿数: 4
 
その31 音声を聞く

 人のあのう死人のねぇ、山のようにこうこずんでね、焼かれてあるのを見ても、またそこで「もう生ききらんて、もう生ききらん。私しゃもうここで死んでいっちょく《諦めて死ぬ》」って言うて主人も言うてね。
 「もうこの火の中ばどうして行かれるね」ちゅうて言うてねっ、「仕方なさ。ここでね死ぬとね、あなたお父さん」ちゅうたら「死なんばしようのなか」って言うてですね、言うとったけど・・・

 私はあのその小学校に行く息子が「お母さんが我慢だしてよ、お母さんの死ぬぎい《死んでは》駄目よ駄目よ」てゆうてねえ、一生懸命私をこう庇ってねぇ、そびいて《引っ張って》ねぇ、抱えたごとして、ざーと一寸づつ歩いて、いて。
 よう無事に着いたって思いました、私のくにまで。

 そいて山の中もず~と通って行ったら、行く時山の中に顔のこう剥げた人のねぇ、倒れそうになっておって、またその人達にも言葉ばかけてねぇ。「お互いに頑張りましょう頑張りましょう」って言うて、そいて言って。

 ほしてそれからずーと行きよったけどまた飛行機が飛んで来てですね、そいでもう転んどったですよ「もう仕方なかあもう死ぬとじゃろうねぇ私達は」って言うて。

 朝の5時半頃からそのずーと死人越えて、そのなんして「そいてしようのなかもういつまでこうしとっても同じだから、一寸ずつでも五分ずつでも歩いて行かにゃできんたい」って言いよったら、もう水が欲しくて堪らんでも、だあれも水を飲ませて呉れるもんも居らずですねぇ。


その32 音声を聞く

 ちょうど4日なってでもなぁ、死んだ死骸はそのまま。焼くの真っ黒くろこげに焼けた人がよぉ、その炎天下にもう座って身動きが出来ん訳やな。そういだら目と歯だけが白うしとっと、あとは黒なっとっと。
 そういう人が道路脇に座って通行人をぎょろぎょろ見とるけど、自分達は今度それをどうという気にはならなかった。ただもう自分のただ目的を達する、ただ自分の甥を探す、というその気i以外にやなーにも無い。可哀想なぁちゅう気も起きらんやったもん。うん、そんなもんだった。

 そいでこの、まあ一番悲惨なのはな家族6名か、母親は大きな材木の下に下敷きになって、子供はチリジリバラバラね、手は広げたりお母さんの方に手を差しのべとったんでしょうねぇ、もうそんなにして。一家全部死んどったんやな、いでまあ主人はどうなっととか知らんけども。たとえ4日なってでもそのままだぁ、ええ。木の枝に引っ掛かって死んだそのまま、死んだ死骸そのまま・・・・・・。

 腰掛に腰掛けたまま、なんか重たい物が落ちて来て腰掛けたままこげえしたまま。死んだままもう腐っとっと、人間、汁流れよったもん。
 防空壕から十名ぐらいはもう引っ張り出して担架に乗せて出したような、甥がそういうとこに入とって死んどりゃせんかいと思うてな。もうその時なぁ、手を握れば手の首なんかもうー腐れ掛けて腐って腫れとったもんな。
 防空壕中に入とってでも効果無かったちゅうなぁ。もう原子爆弾ではなぁ。


その33 音声を聞く

 もう沢山の死体がある訳でございますよねぇ、男か女かわかりませんのよ。髪の毛も燃えてねぇ、そして裸なんでございますよ。裸で出ている訳じゃないけど燃えてるんですよ。で、私の子供がねぇ、特徴って言いますと歯並びがちょっとここがねぇ、前歯がちょっとこうこんな風な歯並びになって。その歯並びとそれからこのねぇ、骨盤とがねぇまだそのう、娘でその幼いからでございましょうねぇ、ひとつもこの骨盤が張ってなかったんです。

 それを目当てだったんですよ、それだけが目当てだもんでございますから、口の中をみんなこう開けて歩きました。そしてそれに奥歯にねぇ、治療しかけた虫歯がございましてね、それだけが目当てで、そいでその、死体のねあのう、口を開けて歩きました。

 私はもうこんな風で怖がりぼうで、死体なんかを扱うのは怖いのでございますけど、やっぱぁ身勝手なもんでその時は怖くなくって、もう何方の死体に構わずもう見て歩きましてね。で、まあだ生きてる方もございましたけどねぇ、もうどうして上げようも無いとでございます、私には。
 それにもう自分の子を探そうって言う気の方が先に立ちましてねぇ、もう1分間でも早く探して何とかしてやりたいもんでございますから。もう、悪いけど、もう死体を踏み越えるようにして。学校のあの校庭は一杯死んどりましたからねぇ。それを踏み越えるようにして乗り越えるようにして、もう口をこう開けて歩きましてねぇ。


その34 音声を聞く

 瓦1枚1枚、柱1本1本、板は1枚1枚、剥ぐって《剥がして》、一番先にえー女房を見つけ出した。丁度お昼時だったもんだからねぇ、たしか炊事場に立っとんたんですね。ほいでなんかぁ包丁や何か料理しよったんでしょう。出刃包丁持っとった。それがねぇ・・・まっけん《眉間》にボウスと。だから即死ですよね。こうりゃまた可哀想にまあねここにやあんたあの、大きな出刃包丁が刺さって。

 ほいで***に座敷の下の方かぁ、あ、その1番かしら娘がねぇ、あの非常袋を首に、下げたままこれはそのう圧死ですよ。顔なんかこんなに歪んじゃってね。これが1番苦しい思いをしてるでしょうなぁ。圧死だから、即死じゃないんでしょうね、おそらくね、ね。

 それとあと1人残ってる訳だ。さあ、これが何処に居るのか分らないで、まあグルグルグルグルグル探したらね、「お宅のじょうちゃんじゃなかろうか下の広場の方へ、あの人じゃないかと思ったんですけどねぇ」って言う、「そうか!」っち言う訳で直ぐ行ったら、案の定そうだった。まあ3つだったけど。それでまあすぐ死体を持ってきて、そしてまあ親子そこへ、まあ4人、まあ並べて。

 
その35 音声を聞く

 ずっと一巡したんですが、この下の川の川ですね。それからまあ大橋の川、浦上川ですね。これにはもう死体がもう、毒ながしにおった魚と同じですよ。もういっぱいその、浮いてるんですね、死体が。
 それからまあもう爆風の威力って言うのがこんなに強いのかと思ったのは、丁度、その山里にその孟宗の竹林がありましたね。その竹林がもうずーと撫でて倒れてね、しゃげ 《つぶれ》とるんですよ、筏みたいなように。

 そしてみんな死体は裸ですね、これは爆風で取られたのか、或いは焼けたのか知りませんけれども。それで着物着とる者はもう死体の確認がし良いんですよ。と、もうそれで非常に骨折りましたですね。

 ほいでもうそのう、うち山里で見たんですけども、まあ子供が三輪車に乗ったまま、黒焦げになっていましたね。実に酷かったですねぇ。妊婦がですねぇ、爆風によってそのう子供を露出しとるんですね、死んで。そしてそのうまあ可哀想なのはね、もう親が死んで赤ん坊が生きとると。

 こういう風のもあるんですね。もう手の施しようが無いんですねぇ。まあ実に私はまあ「地獄」て言いますけども、大橋の橋の下、ちゅうのはまあほんとの地獄だと。
 もうそのう惨状、実にもう目を覆うような。


その36 音声を聞く

 そしてその翌日からいわゆる浦上のね、分工場の方のそのう、死体の収容をしに行った訳ですよ。
 1日にねやっぱ何十人て焼きましたよ。そいて運ぶのもね、あのう夏で臭いからね、まあさら寝でしょ、戸板のような板切れに乗せればね、一箇所に集結して、軽油なんかを掛けてね、だいぶやっぱ焼きましたよ。

 ほいで1日に一番よけい焼いたとは50人ぐらい焼いたようでしたねぇ。もう臭くてねぇ、それからもう、もうね2日、3日経ったのはもう夏でしょ、腐敗しとでしょもう、食事はね弁当不味か弁当持って行っとって、よけいまずうして食えんような、時のありよりましたよ。

 もう道路はほらあっちこっちにまだ、あのう収容せんね死亡者がね、ゴロゴロしとった時代ですからねぇ。支那大陸に居る時の戦争する時にゃあね、そりゃあね辛いですよ。田んぼなんかに何十人て死んだ人が居りましたよ、戦死したのがね。ああ支那人も日本人もですけども。

 だけども原爆ちゅうのはね、長崎市全体でしょう、そいでやっぱ原爆んとが酷かったですねあのう、長崎市全体がやられちゅうのは。


その37 音声を聞く

 兵役廠?兵役廠へ行って、それからもう始まった訳、死体片付け。いい加減に人間を積んでからー、てあっちこっち板とかぼろとか石油とか、あれて結え付けて、焼いて。

 早いうちはこの焼けるの見ておった。この人間が焼けるのを。ああ、こっちがもう焼けてあのう破裂する~、気持悪いなあ。この音がジュジュボォン、リンは飛ぶジャンジャン上がるし、縮まったりのんだりするでしょう、火の中で。「もう、よう人間って言うのはやっぱしよう動くもんじゃなあー」ってよう見とった。

 生きてる人間みたいにこう動きよった、手も足も。私がこっちに寝とったら、まあここら辺にはまあ女子挺身隊がもうこんなしてもう死んでるわけ、20人ぐらい。気に掛らんかったなあ、汚いとかそういう気持も無くて。

 で焼け残ったこの肩ね、ここここがまだ残ってる人も居た。ここ焼けた後に。もう「肉の塊がこっちにあるんだが」って言ってみんな冗談して「あのうひもじいやつは食べていいよ」って言うてからこの取って見せたらこの、これからね、これだけ骨が少し残っとった。

 生きている人、あのう助けておった、あの病院へ連れて行くのだけれども車に乗せよったがねぇ、またあのう車の上で動く、こうこうしてからあのう痙攣してから死ぬでしょう。1、2の3でまた道に投げよったよ。あんじぶんは、人間もうなんか、豚か鶏投げるようだったよ。


その38 音声を聞く

 こういう材木、家が壊れたものを井桁に置いてですね、で死体をくべて《燃やして》いくんですね。で「お母さんは未だ生きてるー」って言うけどやはり処理をしないと、どうせ腐るものでしょ。鬼になりたくないけどやらねば仕方が無いでしょ、処理班ですからねぇ。

 で、ま一人一人丁寧にあのね、なんてそんな時間無いですよね、除けってもんですよね。ポーンとくべるでしょ、「あっ!あっ、まだこりゃ生きとる、動きよるばい」「あっ、ほんならまだ燃やされん」ですね。

 で、殆どの母親が、子供にこう覆い被さって抱くようにしてですね、死んでますよね。で赤ん坊が生きてるんですね。でそのひもじいもんですからね、乳房をこう、がむしゃらに吸い付いてるんですけどね、お母さん死んでるもんですからねぇ、赤ん坊は癇癪出してですねぇ、母親の周りを這い回るやら、もういっぺん乳房をこうくわえるやら・・・。
 そうこうするうちに、赤ん坊除けてポーンくべるでしょ。


その39 音声を聞く

 もう一人で焼かざるをえん、大体、朝10時頃死んで昼ぐらいからですね、焼いたですけどね。一人でまあ戸板に乗せて、あのうリヤカーで死体持って行って。

 もうすでに焼いた後がありましたからねぇ。その穴ちょっとした窪みに大きな死体に材木を入れてねぇ、そこの上に死体乗せると燃え易いやろーと。なかなか焼けないしねぇ、そいでほんとあの頃は異常心理でしたよなあ。よその傍でも焼きよったけどねぇ、早く焼けるようにねぇ、頭の脳を鳶口で出すとかねぇ腸をねぇ、あのう鳶口でねぇ早く焼けるようにねぇ引き出してやってねぇ。先ず一人焼けましたねぇ。そいでやっぱり4、5時間掛ります。

 そいで焼いてねぇ骨壷も何も無いしそいで焼いてしまって焼きよったら「骨はどうするんですか?」って隣の人に聞いたらね、その「水かけなさい」と。水かけたらねぇ木の灰は真っ黒くなるしねぇ、骨は真っ白く浮き上がるっと。そいでえ家に連絡する手段も無いし、そいで骨壷も無いと。ここどうしようかと。


その40 音声を聞く

 やっと、もう「見つけ出した」って言うような人達は引っ張って行ってねぇ、どうせ焼いて貰わなけりゃならないんですよ。でね、ちゃんとまあ記録をしてもらって、焼いてもらって、こんな大きな壷ですよね素焼きの壷をね持って行くと、その中にザクッとスコップで掬って、そして入れてくれるんですよ。

 で、その壷の熱いのを抱えてね、安置室が出来ていましたからそこに持って行くんですよ。また、このもう、引き取る時もね、もう丁度私達が殺したみたいにねぇひどーく仰るんですよ、親御さんがねー。

 しかし、あの親御さんの辛さが分るからね、私達も何にも言わないでもう「もう、ほんとお気の毒でした」って言うより他に言いようが無いんですよねぇ。親御さんにしてみれば、もうそう言わなきゃもうおれない訳ですよね。

 私は忘れる事できませんねー。そらもう親御さんから叱られた時のねぇ、辛さをね。
 私忘れる事できないですね。

    黙祷の サイレン鳴れり 目瞑れば 火を噴きている 乙女の髪見ゆ 

    爛れたる ひた土の上に 積み重ね 教え子の死体 焼きたる記憶


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/14 11:09
kousei  管理人   投稿数: 4
 
その41 音声を聞く

 死体収容は、一番最初はもうあのう県道ですね。道路の死体を先ず一番先処理したですもんね、それから川の中、溝の中それから、防水壕まあ水のあるところの死体を先ず先に処理したんですが、それこそ道路の真ん中へ壊れた家の柱持って来て、積み重ねてそこへ死体積み重ねて焼くと。

 それが済んでえ、まあ潰れた家の下敷きになってる人とか、それからあすこに浦上の刑務所がありましたもんね、刑務所の死体があれがまあ3日ぐらい掛りましたでしょうね。それからあのう学校、先生生徒の死体もうそれこそ悲惨なもんでしたよ。
 それから最後にはもう今度は山の中の捜索でしたね。稲佐側の方の死体も相当有りました山ん中に。
 だけど一番多かったのが、大学病院からあの裏手の山、お諏訪様にかけ、諏訪神社の向こうに細道がありますもんね、あそこの方の山が一番ひどかった。だから約6800ほど自分達は確認してるんですよね。その中で身元のわかったってのは殆どありませんでした。未だに無縁仏。


その42 音声を聞く

 救護車に着くまでのもう様子は、もう、昔の城山のやなかったですねぇ。川端通りの桜一本も無いようになって。川岸にずーと、あのうコンクリートで塀を作ってあるのがですね、も一つも無いようにいっきに横倒しに倒れてしまってるんですねぇ。

 そして、川の中にも、まだ死骸がだいぶ残っていました。でそれをこんだあ、あの警防団の人がねですね、あのう鶴嘴みたいなのでまるで鰯か魚を引きずるようにして引きずって行ってですねぇ、ほしてあのう何人もこずんどって燃やしよんなさる。
 その臭いがもう臭くてですねぇ。

 それから、ずーと戸板に乗って病院に行って、野戦病院みたいでですね、床も何にも無い、もうーほんともう、ゴロゴロしたところに粗莚を敷いた上に、被爆者がずらーっと並べてあるんですよねぇ。
 そこで、そのガラスの破片を取って貰ったんですよ、肉をもう、こう剥ぎ取られるように、食い込んでいるガラスが一緒にこう抜けてくるでしょ、で、こうザラザラっていうもう音が、吃驚するような音がしたんですけど。


その43 音声を聞く

 娘「雨は酷かしですねバラバラバラバラ言うてですね。また爆弾またあれして来たあって言うてからですね、弟『原子ばらん』て言いよっとですよ。原子爆弾って言いきらんで『原子ばらんがまた来た』言うて。

 ほいでもうお医者さん達が藥を置いて逃げて行くでしょう。その間に藥を取ってみんなに治療してある訳ですよ、自分がずーと、回って。」母親「そうしてね」娘「ほーいで今度そげんしよってですね。

 そしたら最後にあれですね、もうこげん逃げよった、私しゃもう寝たきりで全然動かれんでしょ。そいけん、逃げよってもどうもならんけん、2人でここで死のうでね」

 母親「3人で死のうちゅうてね」
 娘「3人で死のうって言うでしょうが、うーんそげんしようーって言うた、そしたら、またバランバランバランたらううーて言いよるわけ。母ちゃんあんたなんしよる、私引っ張る役ですよ、もう必死になって。あんたはね、うちば置いてね逃げんて言うてね、ここで死のうーて、言うとってね。見てみんね。

 こげんしよったら、あんた、また置いてうちば置いてから逃げて行きよろうがって言うばってん、あたしゃ一生懸命引っ張り役やったですよ。
 そしたら繰り返しするからですよぉもう。しょっちゅうそんなされよったですよ」

 母親「言うてね、またね、そしたらね、病院の先生がね、ピンセットとなんと持っていってねぇ、この人ば消毒しよるんですよね。
 そしたらピカッと光ったらね、雷さんがそん時光っととよね。そしたら先生がピンセットから何から置いてね逃げとんなさっと」

 娘「やっぱりねぇあの、子が可愛いか誰が可愛いかやっぱり自分の命が一番可愛いし」母親「私たちは逃げますね、うん」
 娘「私達がね、もうあれって言うても経験したけん、絶対こらもう間違わん自分自身って私は言うたですよ。いくら子供が可愛いか婿さん言うてもねぇ。
 やっぱり自分の身ば守るとやね、最後はって言うて、あたしそれだけ経験したですよ、よか経験やった、フフフ。


その44 音声を聞く

 「亡くなった方とか、怪我をした方とか、随分沢山ご覧になったんでしょうか?」
孫娘「あんね死んだ人とかね、怪我をした人とかね、見られたやろか?」

 あ~、その時は、もう、なんて言うですかねぇ人間じゃ無くって。いろいろな怪我をして、いろいろな首が無い人やらですねぇ、人間の上へ重なったりなんだりして人間の皮は着らずに身だけな人達が多い、呻いたりしてですねぇ。

 もうあの時の悲惨さは、何て言いましょうかねぇ。もう死体なんかも箱にポンポンポンポン人間をもうゴミそのものですよ。子供も大人も一緒たくですねぇ。

 そしてもう何処に積んで行くのかと思うて黙って見てると、もう空き地にそのままザアーと捨てて、そんまま石油みたいなひっ被せてやって、ほんと、まあ、なんか私 嫌ですね。2度ともう繰り返したくないですねぇ。恐ろしくって・・・

 「住む所はどうされましたか?住む所、家は?」
孫娘「住む所はどうでしたかって!」
 「どうされましたか?」
孫娘「あんね、住む所はねどうされましたかって!」何処?
 「住む所!」住むところ?
 住む所は今言うように駅、それから野原、そこが私の住むところ。

 
その45 音声を聞く

 被災者が二通りありましてねぇ。直接爆風でやられたか方は出た所が全部オレンジ色してるんですね、焼けて。川ん中折り重なって、死んでる人が何百人ってありましたけども。上から見ますとね、まるでオレンジ色してるんですね、皮膚が。

 それからもうひとつは、火災の為に焼けた人は黒こげなんですねぇ、泥のような。もうほんと泥人形みたいになってねぇ、足を妙に空に跳ね上げたような格好して手は空を掴むようなね、そういう格好して。

 特に子供なんかがねぇ、あのう道の片側にある小さい溝の中に、頭を突っ込んで死んでるのが随分まだブスブス燃えてましたけどね、その子なんか。私もスケッチしましたけども。

 ま一番心苦しいのはあのう、両手を丁度幽霊のように前に持ってきてねぇ、目は虚ろで、ブルブルブルブル震えているその人の前でね、描く時は嫌な気がしました。だから「ちょっとすいませんけど」って言って描きましたけどもねぇ。まあ軍服を着てるもんだから誰も怒りもしないで、描かして呉れましたけども。

 こんな、凄惨な場所を自分が絵描きとして生まれてなんとこう不幸だろうかと思いましたねぇ。そして最初はその妙な臭いと、そのう人を恨むような目付きの未だ死んでない人、或いは黒こげの人、或いは焼け爛れてねぇ、半死半生の人、もうあらゆる人を前に置いて描くんですから。

 軍服を着ておりましたからねぇ書けるようなもんですけどもね。
 これはとても普通の人が、ああいう時に絵をスケッチするなんてこと到底出来ない、と思うんです。

 そん頃永井さん(永井隆博士)も病気が悪化しましてねぇ、全然起きれないんですよ。その枕元に行って、このスケッチ見せましたら、しばらく熱心に見られましてねぇ、寝たままあの、巻紙に書いて呉れた詩があるんですけどもねぇ。

 一つは、「実相に見入る目は確かなれど、同胞なれば震う描線」と、「実相に見入る目は確かなれど、同胞なれば震う描線」と。


その46 音声を聞く

 病院の先生に往診願った訳ですよ。そうしたところがですねぇ、あのう玄関まで来てね、とにかく「その患者さんを玄関まで引っ張って来い」ちゅうんですよ。

 そいで私はとにかくその寝たまんまでしょ、ほっと(そうすると)ね、少しでもそのベットに触られると、その骨折したところに肉が挟まってね、もうそれが物凄く痛いんですよ。一寸も動かされないわけですよ。
 だから母も堪りかねてね「とにかく靴のままで結構ですから上がって下さい」と言ったんですよ。

 そしたら上がって来てですね、ほいで診察してくだすったんですけども。とにかくま手とか足ならね、ま治療の方法も有るけど、肝心な脊髄骨折では、あのぅ、治療のしようが無いって。だからね、あのぅ「板の上に薄い布団でも敷いて寝せて置いてくれ」って仰ったんですよ。

 結局そうして寝せられて居たわけなんですけどもね。
 だんだん、今度そこからね腐れだしたんですよ。
 まず骨折したところから腐れだして、それから仙骨が腐れだして、それからあのぅ臀部、おしりのね高いところが両方、そいからあのぅ太いももどの ところが両方、それからかかど(踵)、っていうほんもう1箇所2箇所増えて8箇所から腐れだしたんですよ。

 それでねぇ、日赤病院にね連れて行って貰ったんですよ、担架のまんま。ところが、もうどうしようもないからその「藥をあげるからね、これであのう自分の家で治療してくれ」って仰るんですよ。


その47 音声を聞く

 14日の午後、もう2時頃でしょうか。あの~、木炭バスが一台来て、横断幕が張ってあって『口傳報道隊』って、まあ墨痕鮮やかに書いてあるわけ、で「これに乗ってくれ」って言うこと。

 最初に着いた所が八坂町の清水神社ですか、ここに連れて行くって。
 ほう、こんな所に人間が居るんだろうかなぁ、思っていたところがそのう長い高段を上ってぇ、この神社の裏っかわにもう、もういくつも横穴防空壕が掘ってある。
 我々の隊員なんかがメガホンで「只今から、あー口傳報道隊の、おー、報告がありますからお集まり下さい」と。

 まあおらんだら(さけんだら)三々五々、百人近くでしょうか、の人達が集まってきましたねぇ。
 それでえ~、私も地図なんかを用意しまして、満州から朝鮮附近の地図を指差しながらですね、まあ当時の官製ニュースで、え~、朝鮮軍以下ですねぇ、満州その他でも関東軍、まあ頑張って居るんだと。どうぞみなさん、ひとつ最後まで戦いましょうと。 言うようなことしかまあ言えないんだからぁ、嘘っぱちかもしれんけれども。

 まあそういうこと喋ってええまあ第1回の清水神社を済ました。みんな本当にですね、え~、9日のこの原爆以後、13日まで横穴で毎日を過ごしてね、不安におののいている市民ですからねぇ、僕らがまあ『防衛本部の報道班員』と言う腕章を見てね、喜びましたねぇ。

「どうでしょうか?」と。「日本は大丈夫なんでしょうか?」と、言うことを僕らにね、すがり付くような目で聞いて来るんですよ。で、まあ「今こういう状態なんだから、みんなね、最後まで頑張るんだ」と。


その48 音声を聞く

 同じ、14日の夜、広島市郊外の広島中央放送局、原放送所、一般より、半日早く戦争が終わる事を知った人々。


その49 音声を聞く

 その14日の夕方近くにそう言う話聞きましてねぇ、終わったか!と、思ったんすよ。ホッとしたのが半分ですよ。そして、夜になりまして誰も寝ないんですよもう。あすこの放送所に詰めている連中はみんな寝なかった、誰も一睡もしなかったです。 もう戦争は終わる、終わった。将来どうなるだろうか、ということ。

 それから今まで抑えてたもんがだんだん出て、軍に対する反感、それから左翼思想を持ってる人達は、もうここぞとばかりに「それ見よと、だから日本はこういう風になってしまったじゃないか」という理論を、吐き出した人もありましたねぇ。

 そいでみんなでもう、飲み且つそのう心配し、且つ憤慨し且つそのう、思想の問題から平生悩んでた問題をぶつけ合うとか言うことでね、一睡もしませんでした。誰も寝なかったです。

 
その50 音声を聞く

同じ夜、長崎の被災者が避難していた、佐賀県のある町で

その51 音声を聞く

 14日の深夜ぐらいから、もう怪我人がみんな危篤状態になりまして、夜中に妹が最初、一番先に死んだと思います。息が切れて。
 そいで、バタバタしてるうちに気が付いたら赤ん坊が死んでまして。それからおじさんが「ま、赤ん坊とかその小さい子をよろしくお願いします」とか何か言うって、リンゲルをやった後、直後に死んだと思います。
 なんか14日の夜から15日の早朝にかけてみんなパタパタっと死にました。

 時期は同じでしたね、だから、あのう日にち、ありゃあ、なんか一日くらい置くのが法律の規則なんでしょうけども。あのう我々はやっぱり何処か行かなければいけないんで院長さんもなんか、手配して下さいましてね。あのう、直ぐ火葬の手配して下さいまして。

 その日のうちにもう昼ごろには、棺におさめて。で、亡くなった日に、なんか、その、病院であのうダリヤの花がすごく真夏ですからねぇ、綺麗に咲いてましてね。そのダリヤの花、1本黙って取ってきて、こうして死体にのっけて、お棺にこう入れてやりましたよ。まあせめても野辺送りですね。

そこで火葬しました、みんな一緒に。それで、あのう婦長さんがいっぺん病院に帰られまして、焼けた頃また迎えに、お骨になった頃また迎えに来られたと思いますが。
 その時に、あのう終戦になってなんか、あのう終戦の放送ですか?なんか「天皇さんの放送がありましたよ」とか、と言うことを言われ・・・


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