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広島・長崎の被爆者の声(3) (9枚目のCDの31から40まで)

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kousei

通常 広島・長崎の被爆者の声(3) (9枚目のCDの31から40まで)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/8/8 11:47
kousei  管理人   投稿数: 2
 
その31 音声を聞く


 被爆者にはみんな、あのなんていうですかね、多かれ少なかれみんなその被爆の体験を隠しておきたいと。まあそれは~現実的にね、あの~、ま結婚に差し支えるとか就職に差し支えるとか、そういった問題からも来ることありますけどね、それとまた別に悲惨な目におうた、あの~遭ったということでですね、結局あの~ま、人間は万物の霊長だとかね、それからあの、文化だとか文明とか、そのいろいろ美しいことを知ってたけど、結局ああいうその、惨たらしいものを人間が作り出して、そしてそれを人間に対して使うって事でですね、そういうものがあのう、文化とかいうものが一切信じられなくなったんですね、私は。

 人に話しても分かってもらえんような、もらえないような体験を通じて来てるわけでしょ、だから、非常に孤独な気持ちで、今まで親しくしてた友達とも結局、本当に心の通い合うあの話が出来ないわけなんですね。
 
 原爆を落としたのはアメリカなんであって、我々はあの被害者なんですけどね。ところがその~、加害者の罪までこの自分が一身に背負い込んだようなね!


その32 音声を聞く

 出ようとした時に足の太もものところをあの柱が、上から落ちてきた柱がその押さえていまして、その上ずーと重なってたもんですから、下が出ないわけですね、足が。それで、まあ「助けてくれー」って怒鳴ってましたら、はるか向こうの方から、妹が「お兄ちゃん、お兄ちゃん」言うて探してるわけです。そうしてるうちに段々、その妹が上から「お兄ちゃん、もう周りが火が出だした」と。

 私があの下敷きになってもがいている時にね、丁度目の前にいっぱい、あの本箱にあった本があの散らばってわけです。当時私あの武者小路実篤の「人生論]というのが岩波新書にありますよ、あれをあの中学の4年生の頃かなんかに読んで一寸こう感激しましてね、そいでー一寸影響を受けた書物だったんです当時の。

 ところがそのー岩波新書の武者小路さんの「人生論」なんていうのがのね目の前にあるわけです、で目の前ってねー、しかし私が生きるためには何の役にはたたんわけでしょ。

 本だー書物読むだーなんだ言ってて、そのこと非常に私自身が大切だ思ってたんやけども、私が生きるときにねー、これいったい何の役に立つんやろうか、ニヒルなんて言ったら一寸ええ格好するようだけどもね、なんかそんなものがね・・・


その33 音声を聞く

 生きていて良かったのか、死んでいて良かったのか、私はなん、どうして・・いいんだろうかということを感じたこともあります。
 その、生きていて良かったとは私はですね、まあ、何とゆっていいか、かん、感慨無量です。


その34 音声を聞く

 生きていて良かったなー、ゆうー、そんなにないね、私。あのー、早く言えばね、「我が青春に悔いなし」というように、悔いがないゆうことはないもん、私は、何時もこの世に。「今度生まれ変わった時は健康な身体になりたい」それしかないもの。だから私は、そんなに生きて良かったとはひとつも思っていない。

 ほんと、こないだも話したんですよ、「今度生まれ変わる時は、生まれてくる時は犬でもいいから元気な身体に生まれてきたい」て言ったんです。お母さんが、「犬じゃったらねー、あの、飼い主が悪かったらどんな境遇になるかも分からない」て言われたんですけど、私はね、ふ、浮浪みたいなかってもいいから健康な身体に生まれたい、犬、犬―、犬でもいいから、私。
 だから、生きていて良かったとは思わない。


その35 音声を聞く

 生きとって何の楽しみもないっていうような、その気持ちはもう何時ごろ忘れたか分からないんですね、おそらく近頃じゃないでしょうかね。

 もう自殺しかけた時死んどったらもう何にも、ね、もうこの世の事も何にも分からずにね。であのー本当にもう「生きとって良かった」って、「馬鹿なことせんで良かった」って今は思います。このカトリックの方でも自殺っていうことはも許せないんですね。でもやっぱり苦しい時は、あのー、考えないですものね、そんなところまでは。もう自分が苦しい時はほんともう、あの死んだほうがましっていうことが先立っていますね。


その36 音声を聞く

 自分は自分なりの仕事をしてきたと、この30年間に、弱い身体に鞭打ってですね。幾ばくかはですね、学界に何かをしたと。これが亡くなった子供をはじめですね、広島・長崎でお亡くなりなった何十万の方々へのお供養だろうと思うんですね、ええ。

 そういう供養の精神、あの仏教で「代受苦」という言葉ありますね、代わって苦を受けると。も、あの方々が僕に代わって代受苦の精神で死んでいかれたとするなら、生き残った僕が今度は代受苦の精神でですね、何かを人類に残さなくちゃいかんと、そういう気持ちで生きてきましたね、僕は。


その37 音声を聞く

 動けなくて、火が迫ってくると、結局生きながら火葬にされた生徒もおったと。そして私の名を呼んだ生徒もおったと。
どうして自分だけですね、生き残ったのかと、あの時あの場でですね、何故死ななかったんだろうかと、あの世に行ったらですね、先ず、生徒に謝りたいと思います。

 少しは再会の楽しみもありますね。ですから私は教え子の墓参りをしたことがありますけれども、その時に、まぁ、相手はお墓で声は出しませんけれどもね、お話をしたことがあるんですよ。

 君たちと我々とは文字通り(もんじどーり)命を的に働いてきたと。今は平和だと世間の人は言うと。けれども君たち今の日本を見てみよと、あの温泉マークとホテルとね、ボーリングとパチンコ屋とねスポーツカーとね、あんなもんの為に俺たちは死んだんであったろうかと、怪我をしたんであったろうかと!
 我々はそんな事のために、命を的に戦ったんじゃなかったはずです。


その38 音声を聞く

 そいで、17日の朝になったら急に、そういう浮腫みがでます、嘔吐する、急激にもう悪くなって、ほで、「お父さん、私、もうだめのようだから、きっと、きっと、あのう、仇(かたき)をとって」と云ってまぁ、息を引き取った。

 私はその後そのう、だらしがなくて、仇が今日取れない。けれども、あの一発の原子爆弾によってやれ平和がもたらされた、みんなは尊い平和の犠牲者だと、いう言葉を聴く度に、釈然としないね、気持ちが私にあって、もう故人にはもう気の毒で、今日に至るまで毎朝詫びをしたりね、していったんです。

 ですから、この原爆の悲惨さっていうのは語りつくせないですが、私個人の気持ちとしてはですね、世界中から原子爆弾に知識のあるやつはみんな死んじまえばいいと。ま、このようにやれこれを原子力を平和に使うだとか、いろいろ上手いことを言ってますけど、よっぽどこんなにない時代の方が豊かな生活だったんですよ、原子力なんていうのが日本に、世界中にない時代の方がですね、はるかに平和でみんなの。


その39 音声を聞く

 核兵器ってものはこんな恐ろしいもんですよと、ねー、これ使(つこ)ちゃいけませんよというふうなことを、我々はこう運動していってですね、皆さんがそれを理解してくだされば、これで仇もとれたんじゃないですか。我々の気持ちが分かってもらえりゃですね。分かってもらわん間は、まだ仇は取れてないと。ねえ、こういう風に変わってきたちゅうわけですね。

 戦争でもって仇をとるちゅういうのはこれ言語道断。これはもう、これはもうとんでもないことなんですねぇ。それに気がついたわけですから。ねぇ、平和というもので仇を取らにゃいかん、これでなんとかして、やっぱこの被爆の実相、我々が知らさなあ、だれも知らせる者はおらんですからねぇ。


その40 音声を聞く

 わたしも結婚してもう10年になりますけども、未だその将来の、うん、ことに対して、やはり不安がありますので、子供を作らないように努力しなければならないと思っております。

 まあ、父も、年老いた父がおりますけども、それに早く孫を見せてやりたいなとも思うんですけども、もしかして万が一、奇形児でも出てきた時にはもう本当にと思いましてねぇ、それを考えると不安ですからぁ、調節しているんですけども。妻には申しわけないと思います、それはねぇ。

 まあ、被爆者の方でも、そのまま正常な子供をお産なさって、まともな身体で生まれてきている方もいるの聞きますけども、もしかしてそういう風な、私等の生き汚れた身体、血が、その、ねえ、一子孫に残すということも考えものだなあとも思うんです。

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