広島・長崎の被爆者の声(3) (9枚目のCD)
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投稿日時 2006/7/14 0:41
kousei
投稿数: 4
このCDは9枚組の9枚目で、広島・長崎の被爆者の声(3)が記録されています。これには51の音声記録が収められていて、それらのテキスト化されたものがここにはアップされています(便宜上10記録毎に分割されてアップされています)。どのような内容の記録かを示すために途中に以下のような伊藤明彦氏のまとめのコメントが入っています。各記録の音声は「音声を聞く」をクリックすれば聞けるようになっています。もしテキストに脱落や誤りを発見された場合は、「感想の部屋」からお知らせいただくと幸甚です。
伊藤明彦氏まとめのナレーション (その1)
なお、テキスト化された記録を読むには、
1)CD1枚分の全てを一望するには、「フラット表示」で読むことをお奨めします。見ている画面の左上の「フラット表示」をクリックすると「スレッド表示」から「フラット表示」に変わります。
2)記録のスレッド(コメントツリー)は時間的に降順になっています(下から上です)。これを昇順(上から下)にして読みたい場合は、「ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない」のメインメニューの下部の「ソート順」で「降順」を「昇順」に変更して送信を押してください。
kousei
投稿数: 4
その1 音声を聞く
この時期から始まった戦後と呼ばれる年月は、被爆者特に直接被爆者、中でも近距離の直接被爆者が放射能の後遺症状によって時間をかけ緩慢に殺されていった歳月、健康、家庭、生活のすべてを破壊された被爆者が政治、行政の無関心と人々の偏見と差別のもとで苦しんで生きた歳月です。
しかし被爆者は生き抜き健康、家庭、生活を再建する道を通じて、さまざまな社会活動に参加する道を通じて自分たちが人間の歴史の中で、他の人々が果たすことの出来ない役割を担った存在であることに気が付き、自らを単なる原子爆弾被害者から原子爆弾否定者へ変えていったダイナミックな歳月です。
これらの年月を語ったお話の録音は「被爆を語る」のタイトルで全国940箇所あまりの平和資料館、国公私立図書館、大学、高校図書館などへ寄贈してあります。
併せてお聞き取りくださることをお願いいたします。
この作品では最後にお話を伺った時、被爆者が明かした胸の内、広島の言葉、長崎の言葉を聞いていただきます。
その2 音声を聞く
何とも言えないそのー患者を診まして、気の毒な、若い人が亡くなっていくのをねー、忍びられん(忍びえない)ですなー。
許せないって事ですな、絶対に許せんですなー。
実際を目の前に見て治療してなんする者(看取る者)にとってはね、絶対的にね人道的に許せませんね。
((原爆を)二度と許せないではないのではない、一度目を許せないということですね?)
そうゆうことです、そうゆうことです。・・・・・・・・こりゃいけませんなー。
その3 音声を聞く
もういや、憎い。 憎い、とにかく憎い、ん、憎いゆうことしかひと言に言えんね、ん。
今からね、どうように(どれほど)のびていくもんやらわからんが、芽を止めてしもうて、永久に芽を止めたんじゃけ。
はぐいよ(はがゆい・くやしい)、憎いよ。言う方が悪いか知らんけど非国民といわれるかも知らんけど、ほんまいやよ。
原爆もいや、戦争もいや、何にもいや。それさえなかったら子供も主人も死にやへん。
つまらん戦争するからじゃ言いたい。
その4 音声を聞く
若輩の頃にですね、こうゆう悲惨な思い、本当に悲惨としか言いようがないんですよね、こうゆう体験をしたっていうこと自体が。
だから、こうゆう事ね2度とねー我々子供の時代にね、繰り返したくない受けさせたくないという気持ちでいっぱいですね。戦争自体がですね。
まあすでに、ベトナムやなんだかんだやってますけど、もしなんかの間違いでこれが核戦争になれば、おそらく広島、長崎の段じゃないと思うんです、現在のこの核の威力というものから推定するとですね、もっともっと悲惨なものになるんじゃないかと思うんですね。
これはねえもう絶対にねえ禁止とか何とかの生ぬるいそんな問題じゃないですわ。
使ったら必ずその使った人間が滅びる、もうこの、1回使えばおそらくこれ全世界の人間が死滅しますよ、地球の破壊ですね。
その5 音声を聞く
原爆というヤツはね、その地域におるものをね、全部虐殺するわけだね。まあ非戦闘員だよね、昔の戦争だったらあのう侍だけがするわけだ。で同じ侍でもこんだ大将どうしの一騎打ちみたいなことで、勝敗を決する、決めるというようなやり方もある。
ところがね、今の原爆のヤツはね、あー女子供赤ん坊ありとあらゆる生命、そこの地域におった生命をね、全部その焼き殺してしまうということはね、とてもそりゃあの残酷な戦争の仕方と思いますよ。うー、
そういう兵器はね、こりゃやっぱりあのやめるのが本当じゃないか。
うー、戦争でもね、ちゃんとあの戦時国際法とかね平時国際法、国どうしの戦争でもね、ちゃんと戦争それ自体にやっぱりひとつのルールがあるんですよ。
今の原爆なんていうのはその戦争のルールには全然もう合わない。ね。
その手段をもう選ばないという、これはやっぱりその人類としてね、人間としてねこれはあの許すことの出来ない武器だと私は思いますよ。
その6 音声を聞く
原爆の恐ろしさというものをですね、ま非常に観念的に捉えてる人が多いわけですね。
実際にあの原爆の真下にあった人はですね、これはもうこういうものが再びこの世の中に使われてはいけないということはもう骨の底から感じてるわけですね。
え、そうゆう連中はあまりその表面だった今は運動をむしろしていない、ですけども、その、ああゆうその~方法というものはこりゃもうどうゆうふうにしも人間が使用することのできないことをしたわけですから、もう少し本当のことがわかった人の原爆禁止運動になってもらいたい。
その7 音声を聞く
たとえ、許されたにしても原子爆弾を持っていって敵討ちしようなんていう考えは毛頭ないんですが、それほど実はその残酷なもので、これはまあどうゆう人間に対してだって、やはり人間が人間に加える加害としては、あれほどその残酷なものはないんじゃないか。
殊にああいうもの持って脅かしあったり、あるいはああいうものの傘の中に入っておりゃ安全だといったような、そうゆうその気持ちを持つことは、お互いにこの、これを根絶するようにしなきゃならんもんだ。
その8 音声を聞く
核積んだ船が日本へきとるじゃないですか。そりゃ事前協議があったなんのかいってうまいこと言いよるけどもな。実際にゃ、わしゃ、きとる思いますよ。
危険なもの2度とわしらは2度とこういうことをさいしとうない物をもってきとるわけでしょ。それを反対するのは当然でしょうが。
わしゃ社会党でも共産党でもなんでもないですよ。被爆者自体の声ですよこりゃ。
実際に体験したもんが、こんな事はさしとうないから私はそれを反対するわけですよ。
共産党社会党何にもありゃしません。
その9 音声を聞く
自分の国を守らにゃならん、いうのは口当たりのええ耳当たりのええ言葉なんですけど、自分の国を守る言うてから、守れば200万も300万人もの死傷者が出ますですからね。
このことを思うと、ああ国は守らんほうがいいです。占領したいとこへ占領さしてから、だまーって応答したほうが、かえって国民のためになるんじゃないかと。
自衛隊のあの軍人さんなんかはそれ仕方がないでしょうけどね後方で死ぬる人ですね、赤ん坊から年寄りね、女の人、こういう(ような)人のことを考えると戦争してから自分の国を守る必要ないと思います。
国を守る守るいうておられる人は、その死傷者のことは考えんのと思いますよね。
その10 音声を聞く
本当にこういうむごたらしいことが2度とあっていいんだろうかと。
国家間でいろんな亊ございましても、勿論当時の為政者は最大限に100%以上に外交折衝して平和を保ついうことは勿論やらなくてはなりませんけど、それがどうしても容れられないという場合には、躊躇なく占領されることを選びます。
戦争はいやだ。
kousei
投稿数: 4
その11 音声を聞く
2度と戦争してはなりませんわ、絶対に日本全国民がね、戦争にはね。
立ち上がって反対にしてもろうてね、そういうように巻き込まれんように。これだけは私は、ほうじゃけえ、若い人に言うておきたいんですよね、ん。
どういう事があってもこの戦争というものは、ん、決して利益になるんじゃない。そりゃ利益なるのは産業界のああいう人、一握りの人が、ええだけのもので、あとは絶対にええ事はないんですから。
ほいじゃから泣くのは誰でもない、みな我々がね、泣いてこんにゃならんのじゃから。
どういう事があっても、戦争へ巻き込まれるようなことをしちゃな2度と…再び、戦争だけは、してもらわんように、政府がどのように言うたけんいうても政府に負けたらいけん、その時にね、負けてはいけない。
その12 音声を聞く
とにかく戦争はせん、止めてくれた方が一番いいですね。ほで、まあ人間の殺し合いこは止めてくださるように、それをお願いし、原爆は2度もね、使わん、つこうてはいけん事です。
え、まあ、戦争いうものはこれでこの世で、はあ止めたらどうでしょうかと思うんです。止めた方が一番いいじゃないかと思うんですね。
そうでもやっぱり国民がやっていかれるんじゃないんですか。
だから人間殺しあいこはね、殺したりするのはぜんぜんね、それはね、本当に止めてくださった方が。
お願いですね。
その13 音声を聞く
戦争は悲惨であるからね、そうゆうものは避けなくちゃいけないと。それは後世の人にもしっかりひとつ言い聞かせたいと。
ところがその避ける方法は何であるかと、我々はそのー自分が軍人(陸軍中将)であったから、えー言うわけじゃないけど、そうじゃなくたって我々は言う。
戦争ってものを避けにゃいかんから我々は、え、しっかりとした兵器を造るということに努力をしたんで、守りがなければですねそりゃあの、相手がつけこむんだからね、だからあのそれに対して手ごわいぞっというだけのものは持っておらにゃいかんと。そのための守りというものはぜひ必要だと。
その14 音声を聞く
もう私は二人の子供を二人とも自衛隊にいちよう(一応)いれました。あの、あのう徴兵制度とか何とかいうことも、いちよう(一応)あってもいいんじゃないかなと思いますね、え。
戦争はあっちゃならんですけどね。何の下地もなくてすぐ(に戦う)いうわけにいかないでしょう。
絶対ないとはねえ、あってはならんことですけどね。
その15 音声を聞く
平和平和いうて平和はね誰も人間もう10人が10人唱えん人は、ひとりおらんと思うね。
だけどわたしはねえ、原爆に遭っておるからこそね、あのなんだ、もう原爆は使用してはならないけど、あの用意だけはして欲しいとおもうね。
番犬のね恐ろしいのがひとつおればね、あそこの家に行きゃ大きなあの番犬がおるきゃ、あれが噛み付くかわからん言えばね、そこを通りのいて人は行くですよ。
そやけど何にも無防備でね何にもしてないとこを来ればね馬鹿にしてしまうですよ、ん。国はこまいし、私らは原爆にあっていい経験じゃないですか、もう日本にゃ原爆でも持って欲しい思う。
う、でもね、使用しては絶対ならんよね、ならんけど。
その16 音声を聞く
最初はね、そういうことは2度とあってはいけないっていう気持ちだったんですよ。
ああそう思うのが当然なのかもわかりません。でも、そんなにもその、政府だとか世間の目が冷たいのでね。自分たちがもう原爆を受けて、それでそういう悩みにならないと、みんなは分かってもらえないんだという、そういう気持ちになるほうが大っきいんです。
そういうことからして、ん原爆をもう一回落としてもらったほうがいい、みんな被爆者になればいいんだってそういう気持ちが大っきいんですね。
そうなること以外になんか解決がない、分かってもらえるあれがないいう気がするんですね。
その17 音声を聞く
まあ、あちこち戦いがありますね、そこへ原子爆弾落としたらいいような気がするんです。それとね、もひとつはね、日本自体がね原爆を持ってね、相手国に落としたらいいじゃないかって思うんですね。
そしたらね、初めてね、原爆を受けたね苦痛が分かるだろうしね。注目がねそこに行くだろうし。そしてやっぱりあの、こういうことはね小国だけがねぐずぐず言ってても取り上げられないんだろうからね。大国がね、その目に遭えばね、それだけの処置をとるだろうしね。初めてあの、世界中がね大きな目を開くんじゃないか。
なんかね、日本が持てばいいのに、っていうふうな、まあ空恐ろしいことを考えたりするんですね。
その18 音声を聞く
まあ私が専門が物理なもんですから、原子爆弾そのものに内容的には、あの普通の人に較べて比較的詳しく知っている立場でありますし、それに、まあ私の場合直接、感覚的にもそれを経験したわけなんで、両方の意味で原子爆弾というものが現れたことの意味ですね、これはまあ非常に考えさせられましたですね。
それと、もうやはり人間の社会の動きというものは必ずしも理性的には動かないものなんですね。非常に奇妙な政治の自身としての運動だったり、また兵器を作りますと兵器自身の物としてのひとつのロジックと、運動があるんですねえ。
そういうことの怖さを感じますのと、人間がああいうことをやってて、ついに自滅に至るんだと、いうことに気付く前にそういう自滅的な戦争が起こらないで間に合うだろうかどうだろうかですね。
多少楽観的に過ぎるかもしれないけども尚且つフィフティフィフティぐらいだ、生き残れるかどうかという点、楽観的に見てもフィフティフィフティぐらいしか考えられない。
その19 音声を聞く
あはっ!まあ「愚かな者よ 汝の名は人間なり」言いたくなりますね。え、はっ、はは。
ほんと人間ぐらい馬鹿はおらんね。ああやって原子爆弾だなんて、こら牛や馬がしたんじゃないすからね。人間がやったんですからね。 はっ、はっ。は、
私一寸、唄作っとるでね、へっへっへっへっ。一寸貸してごらん、へっ、
原子爆弾 水爆と よいよい、
頭痛めてえ~造るけど、地獄行~き~の~お薬とー、狐や狸が嗤って~るさのよいよい、
(炭坑節のメロディ)
はっはっはっは。私が作った。どうもあほらしくてあほらしくてことになりませんわな~。
はいや、はっは、どう、ははははは。
その20 音声を聞く
そりゃーねーげえ、只迷惑をかけだっちゅうだけじゃないけ。あの長い間にね、支那の国民を痛めつけて痛みつけてね、どれだけ荒らしまわったか分かりません。こりゃね、何ぼ詫びても詫びれるものじゃなかろうと私は思いますが。
え、私ずーとこう武漢三鎮まで行ったんですがね、それから南京なんかの状態なんかを見ますとね、もうおー、チャンコロ(中国人に対する蔑称)がということでね、もう人間のうちに入れとらんのですんのう。軍刀の試し切りをやってみたり、そからまた、作戦に行って、日本の兵隊はもう悪の限りを尽くしとるんじゃけなあ。
女の子を、こう女引っ張って来ちゃのうおもちゃにするんじゃのう。
あれで罰があたらんていうのはねえ、ないですよ。 こりゃな人間業でないですけの、無茶やるんですけ。んまあ全く支那人は別嬪が多いですのう。作戦に行っちゃもう女狩りをして、それじゃけ帰って手柄話っていうのはなにかいうたら、女の話ばっかしよるんですからなあ。いよいよありゃいけん。
いーまー(今)じゃーけ あの日中国交回復いうてね、詫びて詫びれるはずがない。私というその業の深い人間はねえ、とてもじゃないその尋常一様ではね、ええもう死なれるような問題じゃなかったと。
もう親に対してもね、ええ不孝の数々を重ねておりますし。まあ戦争中も、支那、満州方面をかけりまわってね、悪の限りをこうしとるのが今生きておられるということはね、何かそのまだが、償いとしてやり残した仕事があるんじゃなかろうかと。
ええ原爆やね、もう恐ろしい目にも沢山遭いましたが、ああ、そうゆう事が、その私の経験としてよかったと、原爆を受けてげ原爆病で苦しんでも、生活を正しさえすれば、病気というものは即座に治るもんだということをね、今頃は私は商売みたいにそれを言いよるわけですね。一心にねえやりさえしたらね、誰でもこう健康になれるということがね、分かってきたですね。はあーただただ大変な教えがあるんだと。
kousei
投稿数: 4
その21 音声を聞く
戦争が悪い思わなんじゃから、する時には。
12月8日、真珠湾攻撃した。「やったぁ!」いうたんじゃけ。
日本もぐずぐずした外交しとってどう、やったあ、ようもやってくれた思うた。
なにが、だんだんだんだんこう日が経って行って、やれやれ戦争いうものは馬鹿げたことするもんじゃないですと、今は話せるねえ。とにかく戦争いうものは、美しいもののように思うとったんやねえ。
「とにかく、ま、どんなことがあってもなんですね、もう戦争は・・」(夫)
「いやですね」(妻)
「2度とするもんじゃないですね」(夫)
「ええ」(妻)
「馬鹿な戦争したもんですよ実際ねえ。ええ」(夫)
今の年とったあの体験者はですね、ちいさい、今の戦争しらんいう者に話してやって、その当時のことね、戦争がどういうもんであるか、原爆がどういうふうなもんであるかということ、孫とかね知らん者に、話しやるいうことが必要じゃないか思いますね。話して聴かす自分の体験をね。
その22 音声を聞く
支那事変とか満州事変とかね、遠いところでやってもう勝った勝ったで、もう何時も、あの祝勝ムードでね、もう提灯行列やったり旗行列やったりしてましたから。
ああ今日も何処が轟沈した、ああこっちかって占領したって言うてね。勝つことしかまた教えてくれないもんだからね。
もう何時も勝った勝ったって喜んでいたんですよ。それでも、もうこっちであの国防婦人会とか何とかやってですね、何時も勝った勝った、あれやっていたんですからね。
戦争というもんを身近に感じてないですからね。
あの、こう大東亜戦争になって、日本に空襲が入ってきて初めて戦争の恐ろしさを分かったんですね。
だからもう2度とこう戦争というものはねもう、やって欲しくないいんです。
「ベトナムでも遠いとこですけどね」
遠いとこですけど自分たちが今身近に感じ、あの、やられているからね、あっちの方はもう本当に自分たちの身近なあの親戚がやられているみたいですよ。
その23 音声を聞く
あの慰霊碑の『過ちは繰り返しませぬから』いう事に対して、ま、いろいろ批判も出ておりますがね、私はやはり、もう一歩大きく考えて、あれが正しいんじゃないかと。
正しいから戦争やっていいというもんでは決してなかろうと思うんですよ。(大義)名分が、あぁ、立てば、戦争はやっていいもんかと言ったら、決してそうじゃなかろうと思うんですよ、ね。
だからそこらに立ち至って考えれば、やはり我々も含めて、ええ、全世界のもんが、すべてが今後、おぉ、過ちはせんようにせにゃいかん、のほうに私は受け取っておりますし、そうでなければ、あの碑の、碑文がね、死んでしまうんじゃないかと。
その24 音声を聞く
私たちは、大変大勢の若者を殺しましたわねぇ、戦地で。だから、あの絶対に広島の地を離れまい。
何処へ行って暮らしてもいいんですけどね。もう家もなければ何もないんですからね。
そうなんですけどもどうしても広島は子供たちが、主人が亡くなった土地だから、自分は離れん。
今でもね、あの、あそこへいっては慰霊碑に私お参りしますときにね、「また来ましたよ!」って、そいであの碑文をね、胸のなかで唱えますと、ほんとにもう過ちはくりかえしませんて、私は思いますねえ。
「その過ちのなかに、ご自分自身が、その一部分として含まれるという、意識を持っていらっしゃる?」
「そうです・・・・・・・・」
「切実に、感じます・・・・・・・」
その25 音声を聞く
ああいう惨い死にかたしておりましたからね。例えばあの、黒焦げの死体のなかに自分の子がおったとしたらね、よう見つけんようなね、あのまったくその、勘の鈍いね、親じゃから。
申し訳がないと思って。
ああせめて残っとる子供を大事に育ててやりゃんにゃ思ってね。ほれで、今でもね、自分の子供が死ぬるのが気が付かんほど、分からんようなね、親じゃから、申し訳がないん思うんですけどね。
ほんまにあれが一人であったらね私が・・、家なんか全部捨ててしもうてねえ巡礼になってもええから捜しに行きたい思うたんですよ。だけどね、あとの子を育てにゃなりませんしね。
その26 音声を聞く
二人はあの石の下で、4つの女の子と、あの12の長男は、声がしてて救い出せませんしね。
はい、下敷きでもう火の、火が廻って、焼けましたんですね。
25年経ちましたけど、もうこうってお話しますと、本当にもう今のことのような気がしましてね。ん~。
げんばくき ははよぶこえの みみになほ (原爆忌 母呼ぶ声の 耳になほ)
繰り返す
ぎゃくえんの ぼさんのみちの ふゆなばた (逆縁の 墓参の道の 冬菜畑)
繰り返す
くんぷうや われげんしのに たちつくす (薫風や 我原子野に 佇ち尽くす
繰り返す
いくぶつと とわるかなしみ ひろしまき (幾仏と 問はる悲しみ悲しみ 広島忌)
繰り返す
ひろしまの かいこのふゆの うみなぎて (広島の 懐古の冬の 海凪ぎて)
繰り返す
ついおくの あきしおみちく ひばくのち (追憶の 秋潮満ち来 被爆の地)
繰り返す
くのありて いきえしつきひ ひろしまき (句のありて 生き得し月日 広島忌)
繰り返す
すみこ です。
その27 音声を聞く
いよいよ!、苦労しました。ほんと、あらゆる苦労をしました。えぇ、してみにゃ分からん、まいた種が悪かったのう、と、他にゃ今日び思うとりません。私がまいた種が悪かった、ええ種をまけやよかったのにのう。
まあ~、私というものは何の種まきが悪かったか、自分の種まきが、良かったらこんなこたぁないのに。この世で人に悪うしたと思わでも前の生に悪うしとったんだろうと。
こりゃねどうしてもまいた種は生えますけのう。早い人はこの世でも生える。こんど遅い人は火鉢のへりを回るように、七生があいだ廻ってくる、と。ぼんさん(坊さん)によっく聞かしてもらいました。2へん聞かしてもろうた時に、子供のないのも吾がまいた種、貧乏するのも吾がまいた種、何から何までがみな聞かしてもろうてみましゃあ。
人が悪いんでない、みな吾が悪い。人を悪い思うたら当てぇ(が)違いますで。
その28 音声を聞く
私たちやっぱりカトリック信者っていうのはもうあの、現世界で、起こるすべの事はですね、神の、あのぉ、計画であり、またあの、神自身がそのぉ、なされる、事だっていうことを信じていますからね、人が、あ、実際に手を下してもあの、先ず神っていうもを先ず考えますのでね。
私の受け取り方は先ずもう普段からやっぱりその信仰を厚く持って、でまじめに生活していた人は、ま、それほどその、ああ、不幸であるとは思わないですね。
原子爆弾で苦しんだからその、神様がその、いじめたりとかあるいはその、不幸にしたとかっていう、あぁ、本当の信仰を持っている人はそういうことは絶対に思わないでしょうと思うんですね、私がそうですから。
まあ、この後においてそういう核戦争が、え~、あるとすれば・・・・まぁ、神の意志だと受け取りますね。・・・・・・起こるとすればやっぱり、う~ん、神の摂理だと思いますね。
その29 音声を聞く
私どもカトリック・・というものは、300年のあいだもですねえ、いろんな弾圧を受けながらも、やはりほんと神様というものを本当に芯から認めておったればこそ、地下にもぐったり、そしてずーっとその信仰を守り続け、そのあいだ、神父様がおるじゃなし、なんも教えも時にはなかったけどその魂から魂に、受け継がれたその神様のその、愛ていうものはね、ずーっと続いておっただろうと思うんですよね。
そして耐え忍んで、まあ、どうやらこう、まあ、もう普通の暮らしが出来るようなった時にまたこうした大きな試練を受けたということ。しかもそれがまた、私たちのその浦上にまた下されたということ。
これはわたくしはね、やっぱし大きなお恵みをね、やっぱ神様が下さった。そうした、あんた、私たちが、あの大きなまあ試練というかお恵みというか、それを受けて、それ耐え忍んで、まあいくことによって、世界の平和がね、本当に達成されるとなれば、本当にあの~、死んだ方たちも、もって瞑すべしと申しましょうか、本当にあのう天国でねえ、ああよかったと思いなさって下さっているだろうと思うんですよねえ。
信仰者としての、気持ちとしては、ま、そういうところでございますよ。
その30 音声を聞く
神様がですね、よりにもよってですね、この信仰厚い浦上の、土地にですね、原爆を落とされたと。
これは米軍がこれをやったということは、これもやっぱり神様のその心じゃなかったかと。
昔のね、信仰の深さ、信仰に基づいた、生活、これが果たしてその信者が、そのまま受け継いだ生活様式、あるいは信仰なりを、そのままを受け継いだままの状態で、あったかと。
そこを考えてみるとですね、これは神様のひとつの試練じゃないかと。
浦上の信者を目覚めさせなくちゃ、いけないという神様の、心じゃなかったのかなあーと。
kousei
投稿数: 4
その31 音声を聞く
被爆者にはみんな、あのなんていうですかね、多かれ少なかれみんなその被爆の体験を隠しておきたいと。まあそれは~現実的にね、あの~、ま結婚に差し支えるとか就職に差し支えるとか、そういった問題からも来ることありますけどね、それとまた別に悲惨な目におうた、あの~遭ったということでですね、結局あの~ま、人間は万物の霊長だとかね、それからあの、文化だとか文明とか、そのいろいろ美しいことを知ってたけど、結局ああいうその、惨たらしいものを人間が作り出して、そしてそれを人間に対して使うって事でですね、そういうものがあのう、文化とかいうものが一切信じられなくなったんですね、私は。
人に話しても分かってもらえんような、もらえないような体験を通じて来てるわけでしょ、だから、非常に孤独な気持ちで、今まで親しくしてた友達とも結局、本当に心の通い合うあの話が出来ないわけなんですね。
原爆を落としたのはアメリカなんであって、我々はあの被害者なんですけどね。ところがその~、加害者の罪までこの自分が一身に背負い込んだようなね!
その32 音声を聞く
出ようとした時に足の太もものところをあの柱が、上から落ちてきた柱がその押さえていまして、その上ずーと重なってたもんですから、下が出ないわけですね、足が。それで、まあ「助けてくれー」って怒鳴ってましたら、はるか向こうの方から、妹が「お兄ちゃん、お兄ちゃん」言うて探してるわけです。そうしてるうちに段々、その妹が上から「お兄ちゃん、もう周りが火が出だした」と。
私があの下敷きになってもがいている時にね、丁度目の前にいっぱい、あの本箱にあった本があの散らばってわけです。当時私あの武者小路実篤の「人生論]というのが岩波新書にありますよ、あれをあの中学の4年生の頃かなんかに読んで一寸こう感激しましてね、そいでー一寸影響を受けた書物だったんです当時の。
ところがそのー岩波新書の武者小路さんの「人生論」なんていうのがのね目の前にあるわけです、で目の前ってねー、しかし私が生きるためには何の役にはたたんわけでしょ。
本だー書物読むだーなんだ言ってて、そのこと非常に私自身が大切だ思ってたんやけども、私が生きるときにねー、これいったい何の役に立つんやろうか、ニヒルなんて言ったら一寸ええ格好するようだけどもね、なんかそんなものがね・・・
その33 音声を聞く
生きていて良かったのか、死んでいて良かったのか、私はなん、どうして・・いいんだろうかということを感じたこともあります。
その、生きていて良かったとは私はですね、まあ、何とゆっていいか、かん、感慨無量です。
その34 音声を聞く
生きていて良かったなー、ゆうー、そんなにないね、私。あのー、早く言えばね、「我が青春に悔いなし」というように、悔いがないゆうことはないもん、私は、何時もこの世に。「今度生まれ変わった時は健康な身体になりたい」それしかないもの。だから私は、そんなに生きて良かったとはひとつも思っていない。
ほんと、こないだも話したんですよ、「今度生まれ変わる時は、生まれてくる時は犬でもいいから元気な身体に生まれてきたい」て言ったんです。お母さんが、「犬じゃったらねー、あの、飼い主が悪かったらどんな境遇になるかも分からない」て言われたんですけど、私はね、ふ、浮浪みたいなかってもいいから健康な身体に生まれたい、犬、犬―、犬でもいいから、私。
だから、生きていて良かったとは思わない。
その35 音声を聞く
生きとって何の楽しみもないっていうような、その気持ちはもう何時ごろ忘れたか分からないんですね、おそらく近頃じゃないでしょうかね。
もう自殺しかけた時死んどったらもう何にも、ね、もうこの世の事も何にも分からずにね。であのー本当にもう「生きとって良かった」って、「馬鹿なことせんで良かった」って今は思います。このカトリックの方でも自殺っていうことはも許せないんですね。でもやっぱり苦しい時は、あのー、考えないですものね、そんなところまでは。もう自分が苦しい時はほんともう、あの死んだほうがましっていうことが先立っていますね。
その36 音声を聞く
自分は自分なりの仕事をしてきたと、この30年間に、弱い身体に鞭打ってですね。幾ばくかはですね、学界に何かをしたと。これが亡くなった子供をはじめですね、広島・長崎でお亡くなりなった何十万の方々へのお供養だろうと思うんですね、ええ。
そういう供養の精神、あの仏教で「代受苦」という言葉ありますね、代わって苦を受けると。も、あの方々が僕に代わって代受苦の精神で死んでいかれたとするなら、生き残った僕が今度は代受苦の精神でですね、何かを人類に残さなくちゃいかんと、そういう気持ちで生きてきましたね、僕は。
その37 音声を聞く
動けなくて、火が迫ってくると、結局生きながら火葬にされた生徒もおったと。そして私の名を呼んだ生徒もおったと。
どうして自分だけですね、生き残ったのかと、あの時あの場でですね、何故死ななかったんだろうかと、あの世に行ったらですね、先ず、生徒に謝りたいと思います。
少しは再会の楽しみもありますね。ですから私は教え子の墓参りをしたことがありますけれども、その時に、まぁ、相手はお墓で声は出しませんけれどもね、お話をしたことがあるんですよ。
君たちと我々とは文字通り(もんじどーり)命を的に働いてきたと。今は平和だと世間の人は言うと。けれども君たち今の日本を見てみよと、あの温泉マークとホテルとね、ボーリングとパチンコ屋とねスポーツカーとね、あんなもんの為に俺たちは死んだんであったろうかと、怪我をしたんであったろうかと!
我々はそんな事のために、命を的に戦ったんじゃなかったはずです。
その38 音声を聞く
そいで、17日の朝になったら急に、そういう浮腫みがでます、嘔吐する、急激にもう悪くなって、ほで、「お父さん、私、もうだめのようだから、きっと、きっと、あのう、仇(かたき)をとって」と云ってまぁ、息を引き取った。
私はその後そのう、だらしがなくて、仇が今日取れない。けれども、あの一発の原子爆弾によってやれ平和がもたらされた、みんなは尊い平和の犠牲者だと、いう言葉を聴く度に、釈然としないね、気持ちが私にあって、もう故人にはもう気の毒で、今日に至るまで毎朝詫びをしたりね、していったんです。
ですから、この原爆の悲惨さっていうのは語りつくせないですが、私個人の気持ちとしてはですね、世界中から原子爆弾に知識のあるやつはみんな死んじまえばいいと。ま、このようにやれこれを原子力を平和に使うだとか、いろいろ上手いことを言ってますけど、よっぽどこんなにない時代の方が豊かな生活だったんですよ、原子力なんていうのが日本に、世界中にない時代の方がですね、はるかに平和でみんなの。
その39 音声を聞く
核兵器ってものはこんな恐ろしいもんですよと、ねー、これ使(つこ)ちゃいけませんよというふうなことを、我々はこう運動していってですね、皆さんがそれを理解してくだされば、これで仇もとれたんじゃないですか。我々の気持ちが分かってもらえりゃですね。分かってもらわん間は、まだ仇は取れてないと。ねえ、こういう風に変わってきたちゅうわけですね。
戦争でもって仇をとるちゅういうのはこれ言語道断。これはもう、これはもうとんでもないことなんですねぇ。それに気がついたわけですから。ねぇ、平和というもので仇を取らにゃいかん、これでなんとかして、やっぱこの被爆の実相、我々が知らさなあ、だれも知らせる者はおらんですからねぇ。
その40 音声を聞く
わたしも結婚してもう10年になりますけども、未だその将来の、うん、ことに対して、やはり不安がありますので、子供を作らないように努力しなければならないと思っております。
まあ、父も、年老いた父がおりますけども、それに早く孫を見せてやりたいなとも思うんですけども、もしかして万が一、奇形児でも出てきた時にはもう本当にと思いましてねぇ、それを考えると不安ですからぁ、調節しているんですけども。妻には申しわけないと思います、それはねぇ。
まあ、被爆者の方でも、そのまま正常な子供をお産なさって、まともな身体で生まれてきている方もいるの聞きますけども、もしかしてそういう風な、私等の生き汚れた身体、血が、その、ねえ、一子孫に残すということも考えものだなあとも思うんです。
kousei
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その41 音声を聞く
うー、被爆者自身も、自分の娘が結、適齢期になると、うちの結婚問題深刻、だから触れ、触れてくれるな、逃げ回る、嫌がる。 僕に言わせりゃね、何、何でお前逃げるんだと、こう問いたいですよ。 お前、なんか悪い事したのかって、こう聞いて見たいですね。 何もしてないじゃないかおめーはと言いたい。
アメリカの奴勝手に落としやがってね、そんなひどい目に合わされてね、なんでお前逃げるんだって。 反対に向かって噛み付いていってからあのぅ、腹わたでも引きずり出してやるのが本当じゃねえかって。 そんな思いをしてまで。
それを逃げてねぇ、仕方がないって諦めちゃう、そら僕はもう本当に腹立たしいなぁ、こういう考え方っていうの。 前進ひとつもないですよ、本当に後退になっちゃうですよ。
だから、この問題はね、ぜんぜん後退してしまったらねぇ、だめですよ、もう、これはねもう絶対前進していかなくちゃ。で、そういう問題点をどんどんどんどん突っ込んでいかなくっちゃね、益々忘れられてねぇ、で、結局はもう過去の語り草になって終わっちゃうわけですよ。そして終いには童、童話みたいになっちゃいますよ、だからそういうことが有ったんだそうなって。
あったんだそうなって済まされる問題じゃないですよ、こりゃ。 これはまだね、僕らの子供もいるんだからね、こりゃ、白黒はっきりさせなくちゃいけないですよ。
その42 音声を聞く
夫婦とも被爆者ですから、彼女が身ごもった時にねぇ、はたして五体満足な子供が生まれるだろうかと、それが一番心配だったです。
おかげで五体満足に生まれたんですけれど、8ヶ月の早産児で、小学校の時はですねぇ、もう病太郎で、もうどうにもなりませんでしたけれど、中学校でもそうだったし、高等学校に入ってようやく身体が当たり前になってですね、東京で結婚して、そして二人男の子を持ってですね小学校の、もう今度すぐ中学校に入りますけれど。
ええ、次男坊は今度5年生になるんですかね、だからもうほんとね親子、孫3代、そらね原水爆禁止の運動を続けにゃいかんと、3代にわたってですね、孫にも言い聞かせておりますけど、原水禁世界大会にも我々の孫を連れてね、息子が東京から参加してくれるんですよ。
私たっちゃ、これから先もずっと、親子孫3代にわたってね、原水爆を許さないと言う運動を続けるつもりでおります、はい。
その43 音声を聞く
ひどかったですねえ!。もう本当、戦争はいやですねえ。
その為にもやっぱりあのぅ、経験した者は、その声を残して、後々の人にもずーっと伝えていくいうことは、日本人だけでなくって世界中の人にやはり知らせるいう事を必要じゃないでしょうかねえ。・・・・(長い沈黙)。そう思います。
その44 音声を聞く
広島・長崎はねぇ、人間に原爆使ったねぇ、最初であり、実験だと思うんですね。
この実験の結果の恐ろしさがですね、私は、世界の人達にとってですねぇ、原爆をそういう戦争の手段として使うことのね、を戒める大きな教訓となっていると思うんです。
その意味においては、まことにこう広島・長崎の人達はねぇ、大きな犠牲を払ってはおりますけどねぇ、人類にねぇ、こんなものは使っちゃいけないんだというねぇ、あの、非常に強い教訓を与えたと思いますねぇ。
その後、何処もよう使っておりませんわ。これは単に、一方が使えば他も使って大変なことになるというような、ものでなくってですねぇ。 人間にこれを使うというものでないんだと、そしてこれを使ったらねぇ、世界中の人がねぇ、道徳的な矢をその国に向けていくんじゃないかと思いますね。
広島と長崎のこの体験がねぇ、一番強い抑止力になっているんじゃないかと思います。
その45 音声を聞く
私たちが、あの地球上で受けた最初のあの犠牲者で、そいでこれを最後の犠牲者にするためにも、私が生かされたのはね、その運動をして、あの、この世からそういう戦争の、この犠牲というふうなもの、なくすために私は生かされているんじゃないかと。
非常にあの大きな望みではございますけれども、それがまた心の支えになりましてね、生きて、生きてる限りはやっぱり、我々と同様な苦しみを味わない、というようなね、世界を作って行きたいと、いうのが、もう本当の被爆者のあの声であると私は思うてるんですね。
その46 音声を聞く
原水爆の禁止と言うことですね、これだけはやはり被爆者からやっぱ叫んでいかなければですね、誰が叫んでくれるかと。 まいろいろあらゆる団体が平和問題とか何とかで取り組んでいらっしゃいます。
やはり先頭になるのは被爆者でなければいけないという事ですね。
原爆を受けた被爆者として、そして亡くなった被爆者の同志に対してもですね、その責任があるんじゃないかということを考えるわけですよね。誰かやってくれるだろうではですね、いけないと思うんですよ。やはり。
その47 音声を聞く
私、字を書いても下手くそだし、ものをしゃべらしても碌な事もいえない。 しかし、人間ていうものは何ていうかな、嘘を言ったり、言葉をこしらえて言おうとすれば努力するわけですよねぇ。 だから下手な者はなお可笑しなことを言っちゃうということになるんだけど。
私の場合また被爆者の場合、事実を言うんだから、みんなが想像もつかない事実、それを言うだき、の事なんだから。
学術的には博士が偉くて、病院行ったら医師が偉くて、そういうひとつの道はあるけども、人生に対するその悲惨ということと、それから、あぁ、幸せを願うていう事にはね、被爆者以上にその表現の出来る者は絶対にいない、という確信が私にはあるわけです。
だから確信がある以上はね、やはりその運動に、運動っていうか、それに立ち向かわなくちゃ、その意味がないと。
その48 音声を聞く
我々、あのう、被爆者の問題は世間の片隅にねぇ、忘れられて行くんじゃないかと思うんですよ。
で、私は言いたいはねぇ、必ずそのまたこの核兵器というものはあのう、何時かは、あのう、使われると、私は思ってるんです。で、それが何時かということは、結局このう、原水禁の運動がねぇ、結局そのう、敗れた時にね、必ず、使われると私は思う。
その49 音声を聞く
自分はだるいですよ、身体の状態も悪い、のべつ風邪も引きやすい身ですね、だるいけれどもやるんですよ。
何故かいうたら、自分が苦しいですね、自分が苦しいけどね、もう一度原爆落ちればみんなも分かってくれるけど、それがあったらお終いなんですよ。 本当に苦しければ、人がそうあっちゃいけないと思うんですね。 だから原爆というもので悩んだら、本当にもうこれが2度と落ちちゃいけないんだと。 だからそれを訴えるのは自分たち以外にはないんだっと。
学者もね、すべての偉い先生たちもね、それはやらない。 真剣にやったら出来るんですよ、だけど真剣にやらないから出来ない。 真剣にやるものは被爆者以外にないんじゃないですか。
その50 音声を聞く
あのう、一片の爆風でですね、崩れてしまった、もう一家全滅した家も沢山あるんですよ、知ってるんですよ、誰も残っていない。死んだ人はさぞね、つらかろう、もう訳も分からずにですね、爆風で吹き飛ばされて死んでしまった人、熱線で焼け死んでしまった人、この人達のね、御霊を報ゆるためにはですね、生き残っている私たちがですね、ほんとにあの被爆の実情をみんなに伝えながらですね、再びこのう、戦争を繰り返してはならんと。
私の生きとるうちに出来るか出来んか分からんけれどもですね、私のね、この話が役に立つかどうか分からんけれどもね、ひとつ役立ててください。そしてね、戦争反対にね、協力してください。
その51 音声を聞く
我々たちが忘れたら、この世界から原爆というものはなくされないぞと、受けた我々たちがね、先駆けになって、原水爆禁止運動を唱えてこそ本当の我々たちの使命であると。
だから、それが絶対その忘れ、忘れたいという人はね、うん、その全くその人は誤っていると。だからその忘れることは出来ない。
全世界のですね、被爆の証人としては、我々たち35万人しかいないと。 だからダイアモンドちゅう言うけれども、ダイアモンド以上のその平和に対する価値は我々たちしか持たないと。
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「広島・長崎、私たちは忘れない。」
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「この作品は、広島・長崎の被爆者と、被爆者と同じ時代に生きたものの協力によって2006年に制作されました。」
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