広島・長崎の被爆者の声(3) (9枚目のCDの41から51まで)
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広島・長崎の被爆者の声(3) (9枚目のCD) (kousei, 2006/7/14 0:41)
- 広島・長崎の被爆者の声(3) (9枚目のCDの1から10まで) (kousei, 2006/7/14 11:37)
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- 広島・長崎の被爆者の声(3) (9枚目のCDの31から40まで) (kousei, 2006/8/8 11:47)
- 広島・長崎の被爆者の声(3) (9枚目のCDの41から51まで) (kousei, 2006/8/8 11:49)
kousei
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その41 音声を聞く
うー、被爆者自身も、自分の娘が結、適齢期になると、うちの結婚問題深刻、だから触れ、触れてくれるな、逃げ回る、嫌がる。 僕に言わせりゃね、何、何でお前逃げるんだと、こう問いたいですよ。 お前、なんか悪い事したのかって、こう聞いて見たいですね。 何もしてないじゃないかおめーはと言いたい。
アメリカの奴勝手に落としやがってね、そんなひどい目に合わされてね、なんでお前逃げるんだって。 反対に向かって噛み付いていってからあのぅ、腹わたでも引きずり出してやるのが本当じゃねえかって。 そんな思いをしてまで。
それを逃げてねぇ、仕方がないって諦めちゃう、そら僕はもう本当に腹立たしいなぁ、こういう考え方っていうの。 前進ひとつもないですよ、本当に後退になっちゃうですよ。
だから、この問題はね、ぜんぜん後退してしまったらねぇ、だめですよ、もう、これはねもう絶対前進していかなくちゃ。で、そういう問題点をどんどんどんどん突っ込んでいかなくっちゃね、益々忘れられてねぇ、で、結局はもう過去の語り草になって終わっちゃうわけですよ。そして終いには童、童話みたいになっちゃいますよ、だからそういうことが有ったんだそうなって。
あったんだそうなって済まされる問題じゃないですよ、こりゃ。 これはまだね、僕らの子供もいるんだからね、こりゃ、白黒はっきりさせなくちゃいけないですよ。
その42 音声を聞く
夫婦とも被爆者ですから、彼女が身ごもった時にねぇ、はたして五体満足な子供が生まれるだろうかと、それが一番心配だったです。
おかげで五体満足に生まれたんですけれど、8ヶ月の早産児で、小学校の時はですねぇ、もう病太郎で、もうどうにもなりませんでしたけれど、中学校でもそうだったし、高等学校に入ってようやく身体が当たり前になってですね、東京で結婚して、そして二人男の子を持ってですね小学校の、もう今度すぐ中学校に入りますけれど。
ええ、次男坊は今度5年生になるんですかね、だからもうほんとね親子、孫3代、そらね原水爆禁止の運動を続けにゃいかんと、3代にわたってですね、孫にも言い聞かせておりますけど、原水禁世界大会にも我々の孫を連れてね、息子が東京から参加してくれるんですよ。
私たっちゃ、これから先もずっと、親子孫3代にわたってね、原水爆を許さないと言う運動を続けるつもりでおります、はい。
その43 音声を聞く
ひどかったですねえ!。もう本当、戦争はいやですねえ。
その為にもやっぱりあのぅ、経験した者は、その声を残して、後々の人にもずーっと伝えていくいうことは、日本人だけでなくって世界中の人にやはり知らせるいう事を必要じゃないでしょうかねえ。・・・・(長い沈黙)。そう思います。
その44 音声を聞く
広島・長崎はねぇ、人間に原爆使ったねぇ、最初であり、実験だと思うんですね。
この実験の結果の恐ろしさがですね、私は、世界の人達にとってですねぇ、原爆をそういう戦争の手段として使うことのね、を戒める大きな教訓となっていると思うんです。
その意味においては、まことにこう広島・長崎の人達はねぇ、大きな犠牲を払ってはおりますけどねぇ、人類にねぇ、こんなものは使っちゃいけないんだというねぇ、あの、非常に強い教訓を与えたと思いますねぇ。
その後、何処もよう使っておりませんわ。これは単に、一方が使えば他も使って大変なことになるというような、ものでなくってですねぇ。 人間にこれを使うというものでないんだと、そしてこれを使ったらねぇ、世界中の人がねぇ、道徳的な矢をその国に向けていくんじゃないかと思いますね。
広島と長崎のこの体験がねぇ、一番強い抑止力になっているんじゃないかと思います。
その45 音声を聞く
私たちが、あの地球上で受けた最初のあの犠牲者で、そいでこれを最後の犠牲者にするためにも、私が生かされたのはね、その運動をして、あの、この世からそういう戦争の、この犠牲というふうなもの、なくすために私は生かされているんじゃないかと。
非常にあの大きな望みではございますけれども、それがまた心の支えになりましてね、生きて、生きてる限りはやっぱり、我々と同様な苦しみを味わない、というようなね、世界を作って行きたいと、いうのが、もう本当の被爆者のあの声であると私は思うてるんですね。
その46 音声を聞く
原水爆の禁止と言うことですね、これだけはやはり被爆者からやっぱ叫んでいかなければですね、誰が叫んでくれるかと。 まいろいろあらゆる団体が平和問題とか何とかで取り組んでいらっしゃいます。
やはり先頭になるのは被爆者でなければいけないという事ですね。
原爆を受けた被爆者として、そして亡くなった被爆者の同志に対してもですね、その責任があるんじゃないかということを考えるわけですよね。誰かやってくれるだろうではですね、いけないと思うんですよ。やはり。
その47 音声を聞く
私、字を書いても下手くそだし、ものをしゃべらしても碌な事もいえない。 しかし、人間ていうものは何ていうかな、嘘を言ったり、言葉をこしらえて言おうとすれば努力するわけですよねぇ。 だから下手な者はなお可笑しなことを言っちゃうということになるんだけど。
私の場合また被爆者の場合、事実を言うんだから、みんなが想像もつかない事実、それを言うだき、の事なんだから。
学術的には博士が偉くて、病院行ったら医師が偉くて、そういうひとつの道はあるけども、人生に対するその悲惨ということと、それから、あぁ、幸せを願うていう事にはね、被爆者以上にその表現の出来る者は絶対にいない、という確信が私にはあるわけです。
だから確信がある以上はね、やはりその運動に、運動っていうか、それに立ち向かわなくちゃ、その意味がないと。
その48 音声を聞く
我々、あのう、被爆者の問題は世間の片隅にねぇ、忘れられて行くんじゃないかと思うんですよ。
で、私は言いたいはねぇ、必ずそのまたこの核兵器というものはあのう、何時かは、あのう、使われると、私は思ってるんです。で、それが何時かということは、結局このう、原水禁の運動がねぇ、結局そのう、敗れた時にね、必ず、使われると私は思う。
その49 音声を聞く
自分はだるいですよ、身体の状態も悪い、のべつ風邪も引きやすい身ですね、だるいけれどもやるんですよ。
何故かいうたら、自分が苦しいですね、自分が苦しいけどね、もう一度原爆落ちればみんなも分かってくれるけど、それがあったらお終いなんですよ。 本当に苦しければ、人がそうあっちゃいけないと思うんですね。 だから原爆というもので悩んだら、本当にもうこれが2度と落ちちゃいけないんだと。 だからそれを訴えるのは自分たち以外にはないんだっと。
学者もね、すべての偉い先生たちもね、それはやらない。 真剣にやったら出来るんですよ、だけど真剣にやらないから出来ない。 真剣にやるものは被爆者以外にないんじゃないですか。
その50 音声を聞く
あのう、一片の爆風でですね、崩れてしまった、もう一家全滅した家も沢山あるんですよ、知ってるんですよ、誰も残っていない。死んだ人はさぞね、つらかろう、もう訳も分からずにですね、爆風で吹き飛ばされて死んでしまった人、熱線で焼け死んでしまった人、この人達のね、御霊を報ゆるためにはですね、生き残っている私たちがですね、ほんとにあの被爆の実情をみんなに伝えながらですね、再びこのう、戦争を繰り返してはならんと。
私の生きとるうちに出来るか出来んか分からんけれどもですね、私のね、この話が役に立つかどうか分からんけれどもね、ひとつ役立ててください。そしてね、戦争反対にね、協力してください。
その51 音声を聞く
我々たちが忘れたら、この世界から原爆というものはなくされないぞと、受けた我々たちがね、先駆けになって、原水爆禁止運動を唱えてこそ本当の我々たちの使命であると。
だから、それが絶対その忘れ、忘れたいという人はね、うん、その全くその人は誤っていると。だからその忘れることは出来ない。
全世界のですね、被爆の証人としては、我々たち35万人しかいないと。 だからダイアモンドちゅう言うけれども、ダイアモンド以上のその平和に対する価値は我々たちしか持たないと。
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「広島・長崎、私たちは忘れない。」
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「この作品は、広島・長崎の被爆者と、被爆者と同じ時代に生きたものの協力によって2006年に制作されました。」
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