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食糧難時代 (1) (としつる) その2

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通常 食糧難時代 (1) (としつる) その2

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/3/27 8:05
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 食糧難時代その2 97/07/07 11:24

 前回に続いて,今日は私 としつる の戦前(太平洋戦争)での食糧事情について記憶を辿《たど》ってみたいと思います。

 既に昭和6年9月ですか満州事変に始まった我が国大陸制覇の野望は中国東北部に向けて集中的に進められていたのでしょう。 この状況を批判的に見ていた有志を抑え込んでの軍部の勢力は益々その拡大を我々当時の幼い国民にまで軍国主義の勇ましさを煽った《あおった》ような気がしてなりません。

 大陸の広野を得ることで食糧事情は確保されると判断しての政略だったのでしょうか。私どもの身近な先輩達が"満蒙開拓義勇軍"とか言う言葉に憧れ《あこがれ》長男はさて置き、次男三男がこれに赴く《おもむく》風習が男らしくさせたようでした。
 
元々先祖代々が農業水産民族の日本人でしょうから、他民族が襲って来る国難には一致して向ったでしょうが、生来は温厚篤実《おんこうとくじつ》な平和民族だった筈ですが一旦、軍部に唆され《そそのかされ》他国の人を見下すような教育が徹底すると"天皇を神"として利用した命令が大半の若者を階級制度に従わせたのではないでしょうか?

 兵力の増強と共にその軍用米をはじめ、農家より調達した機動用の馬、更には食肉など農業も全てが軍用第一となり、あちらこちらの看板に陸軍省御用達、海軍省御用達の文字が幅を利かせる時代に変化して行ったものと思います。

 そんな訳で学問より勤労奉仕の方が気力、体力共に軍の方向に向ってしまいました。農業にとって機動力の最たる馬や牛が徴発されて行きましたから,必然的に人力,しかも都会の未だ成長過程だった中学生を動員したのです。

 そのようなムードで経過をしながら昭和16年12月太平洋戦争開戦を勇ましくも迎えた国民は"銃後を守る""平和主義者は非国民"などこの小さな島国がアジアを相手に、かつアメリカ大陸までも含めて戦争一色に突っ込んでしまったのです。

 農家から軍事工場に移って行ったのは何時頃だったでしょうか?うろ覚えですが確か中学3年生の後半か4年生に近かったかもしれません。昼食こそ工場の食堂で一定量のものは食べられましたが、全て一色,ご飯に味噌汁、他に何か一品のおかずがあったのでしょうが、若いゆえかお腹が減ってしまって,然も何時でも満腹感の満たされない言わば欠食少年だったような気がしてなりませんでした。
 
次回は工場での食事をもう少し思い出してみたい。

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編集者 (代理投稿)

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