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食糧難時代 (1) (としつる) その5

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通常 食糧難時代 (1) (としつる) その5

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/3/30 7:51
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 食糧難時代その5 97/07/12 16:17

 豪雨禍による災害で亡くなられたお方のご冥福をお祈りいたします。

 敗戦後の我が国は何処に住まわれていても、皆さんそれ相応の ご苦労をされたのでしょうが、私どもも母の懸命な買出しと、物物交換《=通貨ではなくものと物の交換》での食糧補給とで食いつないでこられたのです。

 既に13年前92歳で他界しておりますが、母親に感謝すべき事柄は山ほどもあります。
 その中でも終戦前後の留守を守った女性には偉大なバイタリティを見せられました。働き者の“かかあ天下”を自認していた程の上州人は多勢居りましたが・・・・・

 その頃,街に住んでいた者達から取上げた(失礼ですね御免なさい)お祝い着やら、貴重品など物々交換されたものはどうなっていたのでしょう。
 空襲での防火活動に懸命であった街の主婦の防空頭巾《ずきん》を背負ってのモンペ姿が浮かんで参ります。

 従兄が海軍から復員して来たその頃、ゴムの厚い袋(畳一枚程もあった)に入った米を両毛線の小山駅まで取りに3人掛りで行った事もありました。

 軍から恐らく山分けでもしたのでしょうか、随分酷いとは思いながら汽車の切符も買えないので,駅の出札口に居た知合いの女性を呼び出し、分け前を届けることで売ってもらったような、情けない事もありました。

 裁判官でしたでしょうか、配給だけで生活を続け最後には栄養失調で亡くなられた立派な方も居られました。

 “沖縄芋”ばかりは配給でもかなり敬遠されたようで,大吉さんが書かれておりますように私も同様でした。米糠《こめぬか》ばかりでの煎餅やら、玄米を1升ビンに入れ木の棒で突いて白米にしたのもこの前後だったのでしょうか。

 当時の日記なり、記録は防空壕の中で、水浸しともなり、私のコンサイス英和辞典は最後の方のVからZまで煙草の巻紙《注1》に使ってしまって消えてしまいました。
 従って“うろ覚え”での記憶ですから間違いも多いとは思いますがご勘弁願います。

 もうあのような思いを繰り返すことは考えられませんが,並木路さんが書かれていますように北朝鮮の今後が気掛かりです。50年以上も前の我が国のように“窮鼠、猫を噛む”《きゅうそねこをはむ=注2》ようなことの無いよう先進国のリーダーは厳重な政治力で納得させて欲しいものです。

 これからは又の機会に書込ませて頂きます,暫くの駄文にお付合い下さったこと心より感謝申し上げます。

注1 煙草の巻紙=煙草は不足していたので、野草を乾燥させて薄紙で巻いて自家製煙草をつくった
注2 窮鼠、猫を噛む =追いつめられた鼠が猫にかみつくように、弱い者も追いつめられると強い者に反撃することがある

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編集者 (代理投稿)

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