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レイテ島戦不参の記 (その1) 森田勝己

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通常 レイテ島戦不参の記 (その1) 森田勝己

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/6/18 7:47
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 昭和十九年《1944年》十月二十日、満を持していた米軍のレイテ島侵攻が開始され、上陸が始まった。
 この米軍のレイテ島上陸に、大本営《=天皇直属の最高統率機関》、南方総軍《=全軍》および比島《=フィリピン諸島》を担当する第十四方面軍が、どの様に対応したかと言う事に付いては、戦後色々な意見を以って普く《あまねく=広く》世間に周知されています。

 ともあれ私の属した第二十六師団(泉)は、本来のルソン島決戦主力の任務を解かれ、レイテ島決戦の新任務を課せられ、第一師団(玉)と共に、既に米軍が上陸し、戦線を確保している新任地へ移動することになりました。東京の大本営にしてみれば、将棋盤上の歩《ふ》の一齣《ひとこま》を一桝《ひとます》動かす位の気持ちでルソン島よりレイテ島への転用であったかも知れません。

 しかし、大本営で「第二六師団をレイテ島へ」と軍用箋《ぐんようせん=軍隊専用の紙》に一行で書いても、現場はそれ程、簡単、容易ではありません。マニラ~レイテ間は約七〇〇キロ、制空権は米軍に握られ、米軍機の乱舞する海上を、1個師団を輸送すると言う事は、想像を絶する難事業で、しかも目的地の状況は大量、迅速と言う二つの条件を同時に満足させなくてはならないのであります。
 それでも船腹《せんぷく=船舶の数》が十分に有れば話は進め易い、しかし現実は毎日の空爆により、輸送船は目的地より海底へと消えて行く方が多い状況となれば、舟と名が付けばどんな舟でも、小さくても鈍足でもとマニラを出港です。

 これでは表現がまずい、ひどすぎる、司令部の苦労が分からぬか、と叱《しか》られるかも知れないが、しかし、あの時のマニラの状況は、そうとしか見えない有様でありました。

 十月二十日に米軍レイテ島上陸を受けて、泉兵団のレイテ島転用《=流用》が決まり、私共の独立歩兵第十三連隊第一大隊は、十一月三日マニラ湾を出港しました。

 この時点では、第二大隊については正確な記録が見当りませんが、第三大隊は優秀高速船で輸送され、オルモックまで四〇時間位で到着、十一月初旬には第一線《=最前線》に展開《=人員を配置すること》できました。大隊本部と五個中隊は八隻に分散乗船となり、焼玉エンジン《軽油を燃料とするエンジン、漁船用など》による夜間のみのソロソロ航行、いくら急いでも目的地のレイテ島へは、十日以上かかる航海でありました。
 航行は、敵飛行機を避けるため、夜間に限られます。船内の我々はエンジンの音にも漸く馴《な》れてくると、昼の疲れもあり、リズミカルな響きは子守歌に聞こえ、操船の船員の苦労を知るや知らずや、束の間の眠りを貪り《むさぼり》ました。
 夜の明ける前に島を見つけ海岸の木陰に船を着け、身も縮む思いで敵の飛行機を逃れるのに苦心したものでした。
 マニラを出て航海五日にもなるのに、中々レイテ島に着きません。航行のできないある日中に船の中から釣り糸を垂れ、名も知らない魚を釣り上げると言う、まるで戦争を忘れるような一日もありました。
 この穏やかな航海、船内の平穏は九日になって突然暗転、大危機に襲われました。
 この日の午後から風が強まり日没行動開始の頃には雨が加わり、暴風雨の様相になりましたが、誰も台風とは思い及びませんでした。六・七十人しか乗れない笹船《=小さな船》、無線による交信とか情報受信のないままの、孤独の船団には台風接近の状況は知るよしもありませんでした。
 船は航行を続けてはいるが、雨は段々ときつくなり、更に風は益々強くなって来た。船内も流石《さすが》に異状な雰囲気となって来た。夜中深夜と言うのに、誰も眠るどころではありません。
 実は船団はマニラ出港時に、幾つかの協定事項の一つに「灯を甲板上で丸く回せば」通常の「SOS」相当とあった。
 船は揺れる、どうも前進できないではないか。関門丸の先任佐方中隊長は「誰か甲板で灯を回せ」と指示された。名は忘れたが、一人の兵が雨を冒《おか》して甲板へ出て行ったが、間もなく船内に戻って来た。彼は言う。
 「右の船も左の船でも灯を丸く回しています」
 この様な時に軍隊には誠に適当な言葉がある「処置なし」。誰に助けを頼めず、誰も助けに来てくれない。全長二・三十米の小舟で大海で台風に弄《もてあそ》ばれる。こうなれば、後は運は天に任せるのみ、しかし船員の人々は、エンジン全開、操舵《そうだ=かじをあやつる》に汗も拭かず全力を注いでいても、船は右に左に揺れ、船内には漸く不安のようなものが漂い始めた。がどうあっても、ここは船の中、慌てても、あがいても、どうにもならない処でありました。

 この嵐がどの位の時間であったのか、船はどの辺りであったのか、何一つ分からぬまま、不安と怯え《おびえ》の時間を、お互い言葉も無く顔と顔とを見合わせて過して行きました。
 時折船底から「ザザーッ」、「ザザーッ」と異様な音が聞こえてはいたが、船については何一つ知識のない我々は、少しも気にも止めず、心配もせず台風に会えば、こういう事もあるのかくらいに思っていました。

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