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「民族大移動・大連引揚者の記憶」 (引力)

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通常 「民族大移動・大連引揚者の記憶」 (引力)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2007/7/27 8:07
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 はじめに  メロウ伝承館スタッフより

 インターネットが一般家庭にまで普及したのは20世紀末で、それ以前は、パソコン通信による交流が行われており、このメロウ倶楽部の出身母体もニフティーサーブの運営していたパソコン通信「ニフティーサーブ」の高齢者向けフォーラムの「メロウフォーラム」です。
 この投稿は、その当時、パソコン通信上に掲載されたものの転載です。

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 やさしい父が豹変《ひょうへん=人の態度ががらりと変わる》した95/05/19 23:30

  時 : 昭和20年5月
 場 所 :関東州 大連《中国》

 夕刻、玄関で呼鈴が鳴る。私と2才の弟が争って父を出迎え、抱っこと肩車を順番にしてもらう。弟は玄関近くで私に追い抜かれた時なぞ、泣き叫び自分が先だと訴える。そんな時、父は必ず弟を先に抱きあげた。そんな行事が我が家でしばらく続いた時があった。50年経った今の日本でもよくある光景に違いない。
 だが何時まで待っても父が帰って来ない日が増えだした。母に聞くと「大事な用事」の一言。時折、朝など顔を合わせても今までならニコッと笑顔をみせてくれた父が、難しい表情のまま相手にして呉れない。私も弟もいつのまにか行事を忘れてしまった。

 ある朝 おそらく休日の朝に違いない。
 父は家族全員を集めた。母、兄、弟、私の4人が父の前で正座させられた。
 父は厳しい顔のまま、これから毎朝 神棚に向かい日本が勝ちますようにと祈れと言った。私と弟は「日本が勝ちますように」と声を出して練習させられた。それから父は、当時面倒をみていた母の養父母を呼びつけて質問した。
 「毎朝 神棚に手をあわせて何を願っているのか?」
 母の養父は無言のまま。かわって養母がてれ笑いをしながら答える。
 「どうか長生きできますように ですけどねえ」
 父は命令するような口調で 日本が戦争に勝つよう祈らねば駄目だと言った。

 30年後 私は二人の幼い娘の父になっていた。
 機械営業一筋だった私は上司の一言で一年間 スタッフをした。
 「弓は張り詰めてばかりだと プツリと切れる。緩《ゆる》めることも必要」それまで帰宅の時間はいつも夜10時を過ぎていたのに、6時には帰宅出来る。
 娘二人が飛び出してきて私を迎える。
 順番に抱っこをしてやりながら、私は12年前死んだ父を思い出していた

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編集者 (代理投稿)

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