牡丹江予備士官学校での日記から(1)
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牡丹江予備士官学校での日記から(1) (あんみつ姫, 2007/11/29 8:15)
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投稿日時 2007/11/29 8:15
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
哈爾浜《ハルピン》学院21期生 馬場 正治(記)
昭和十八年十二月一日、いわゆる学徒出陣《がくとしゅつじん=文科系の旧制大学、専門学校学生から軍隊に召集された》で連勝の三〇三部隊に入った。同じ中隊に池田栄、伊津野政弘、春日偉也、五藤一夫、未岡日出徳、鈴木淳栄、中本鯉三、成瀬孫仁、西岡三郎、久野公、松本五朗、城所(現水野)尚爾の十二人の同期生と、22期の木山勇、西尾寛三、花田謙二の三君が一緒だった。同十九年三月、幹部侯補生合格者がチチハルの第六二四部隊に移り、このとき遼陽駅《りょうようえき=中国遼寧省の都市の駅》で行き交う隊列の中に同期、同窓の連中と手を振り合って別れた記憶がいまも鮮烈だ。
同年四月、甲種幹部候補生《かんぶこうほせい=将来将校になる為の試験合格者》に合格、予備士官学校第十一期生として牡丹江《ぼたんこう=中国黒龍江省の町》第四七八部隊に入校して同年十二月十六日に卒業し、同十八日、奉天《ほうてん=現在の瀋陽で遼寧省の省都》第五四九一部隊通信教育隊に入って、ここでまた多くの同窓と会うことになる。この日誌は、この間、五カ月弱の間につけた、今から目を通すと、自らの内ばかりにこもった忸怩たらざるを得ないようなしろものだが、あえて披露《ひろお=広く発表する》することにした。
そのあと、翌二十年に北満綴陽《てつよう=黒龍江省の中露国境の町》の挽馬《ばんば=車を引いて物を運ぶ馬-》部隊に配属、このときから久野とずっと一緒だった。五月に第十二師団通信隊に転属と同時に南下して斉州島に渡り、ここで終戦を迎え、十一月十日に佐世保に上陸して復員した。外地にいた同期生の中では、たいへん早い引き揚げということになる。
8月7日
埃にまみれた長靴が涯しない《はてしない=行く先が見えない程遠い》道をポコポコと進む。前にも後ろにも横にも戦友が歩いている。時々無意識に瞼と唇のまわりに垂れる汗水を払いのける。落ちてゆく汗の玉は埃の中で、くるつと丸くなる。斯んな強いかたまりの中では、誰もが孤独を感じていることだらう。
桔梗、撫子、女郎花、萩……道端の草花を誰も顧みない。行軍は止まらない。日が翳って《かげって=薄暗くなって》きた。でもあの雲が流れると、又赫々《かくかく=熱くなる》と烈しい陽が輝く。靴の下から埃が舞い上る。遥かに白く光り乍ら牡丹江がうねっている。
水浴びがしたい。長靴の単調な音が続く。小休止!。……そろそろ時間である。もう少し休みたい。そっと区隊長《軍隊編成上の単位の長》の顔を見る……。まだ大丈夫……。あ……。誰なんだ、音なんか立てて、装具を着け出したのは……。
8月8日
陣、動かない、唇、夢・・・。朝霧、秋かぜ、はしばみ、とんぼ、金と銀のうろこ雲、紫いろの大地。
夢、兄が面会に来た……。変りがなければいいが‥…・。
8月11日
兄、南海に征きしと。かの時征きしひと、おほかた散りしと。されど、兄、生きてあれ。
8月12日 匍匐《ほふく=腹ばいで進む》前進の丘の上。玩具の様な汽車が美倫山の麓に現れ、拉古《らこ=中国黒龍江省の町》を通り抜け、平原の彼方、南の方に段々小さくなって消えて行った。あの向こうには哈爾浜があり、新京《しんきょう=現在の中国長春で吉林省の省都であり、かつての満州国の首都》がある。大連があり、美しい国、日本がある。
煙は広い平原の中央を、澄んだ秋の空へまっ直ぐに昇ってゆく。露西亜《ロシア》風の白壁の家が、ポッンと二つ線路際に並び、高い大きなポプラの緑に浮き出るようだ。あの南の方に青春を置いてきた。消えてゆく汽車よ。
はつもの、すいか、まくわ。
8月13日
雨は小止みなく降りつづいて、肌に冷たくしみ通る。ぬかるみを転ぶまいと、一心に歩く。闇の中に幽か《かすか》に光る、濡《ぬ》れた馬の背を頼みに懸命に歩く……。夜行軍。
8月15日
何時まで経っても試験というものはつきまとう。一体死ぬために、何の勉強が必要なのだらうか……。だが死に臨んで悠然たり得るか、そのための克己《こっき=困難に耐える》なのだらうか。
8月20日
うすら寒さ、指が痺れる。軍隊の試験場で斯んなもの淋しい木枯を聞こうとは。秋が、すぐ後ろに冬の楚音《そいん=密やかな音》を忍ばせてやって来た。樹々が透き通るようだ。かさかさと木の葉が黄ばむ。何て殺風景なんだらう。この部屋。
8月21日
二六一貨物に至りて、兄の体臭を求める。兄が恋しくなりぬ。内地が戦場になりつつある。祈る心。
8月23日
西欧的物質文明が自ら墓穴を掘りつつあるのだ……、ということは疑わないが、現実にはその西欧が東洋の精神世界を圧殺しようとしているのではないだらうか……。
されど、されど、神洲は……。銃後が前線の勇士に期待するよりも、前線の将兵が銃後の奮闘を祈る心尚切なるものがある昨今。
8月30日
野営訓練《やえいくんれん=屋外で生活する訓練》で、地形通過のとき、暴走した藤夏(輓馬《ばんば=車を引かせる馬》の名)に轢かれ、崖より車馬諸共転落失心した。幸い骨折もなかったが、骨の髄まで雨風泌み渡り、暫く戦友の飯食炊きくるるを待ちたること。幕舎《ばくしゃ=天幕で造った兵舎》の雨もり著しく小石程の雹《ひょう=氷の塊》降る中に、シャベルを持って応急工事にあたりしこと。はしばみと兵隊、どれだけ助かったことか……。心が、気持が……。とうもろこし、すいか、まくわ、パン、キャラメル等々、書き留めざるが花ならむ。分哨長として、警戒しつつ喫せし《きっせし=食べる》こととも。
昭和十八年十二月一日、いわゆる学徒出陣《がくとしゅつじん=文科系の旧制大学、専門学校学生から軍隊に召集された》で連勝の三〇三部隊に入った。同じ中隊に池田栄、伊津野政弘、春日偉也、五藤一夫、未岡日出徳、鈴木淳栄、中本鯉三、成瀬孫仁、西岡三郎、久野公、松本五朗、城所(現水野)尚爾の十二人の同期生と、22期の木山勇、西尾寛三、花田謙二の三君が一緒だった。同十九年三月、幹部侯補生合格者がチチハルの第六二四部隊に移り、このとき遼陽駅《りょうようえき=中国遼寧省の都市の駅》で行き交う隊列の中に同期、同窓の連中と手を振り合って別れた記憶がいまも鮮烈だ。
同年四月、甲種幹部候補生《かんぶこうほせい=将来将校になる為の試験合格者》に合格、予備士官学校第十一期生として牡丹江《ぼたんこう=中国黒龍江省の町》第四七八部隊に入校して同年十二月十六日に卒業し、同十八日、奉天《ほうてん=現在の瀋陽で遼寧省の省都》第五四九一部隊通信教育隊に入って、ここでまた多くの同窓と会うことになる。この日誌は、この間、五カ月弱の間につけた、今から目を通すと、自らの内ばかりにこもった忸怩たらざるを得ないようなしろものだが、あえて披露《ひろお=広く発表する》することにした。
そのあと、翌二十年に北満綴陽《てつよう=黒龍江省の中露国境の町》の挽馬《ばんば=車を引いて物を運ぶ馬-》部隊に配属、このときから久野とずっと一緒だった。五月に第十二師団通信隊に転属と同時に南下して斉州島に渡り、ここで終戦を迎え、十一月十日に佐世保に上陸して復員した。外地にいた同期生の中では、たいへん早い引き揚げということになる。
8月7日
埃にまみれた長靴が涯しない《はてしない=行く先が見えない程遠い》道をポコポコと進む。前にも後ろにも横にも戦友が歩いている。時々無意識に瞼と唇のまわりに垂れる汗水を払いのける。落ちてゆく汗の玉は埃の中で、くるつと丸くなる。斯んな強いかたまりの中では、誰もが孤独を感じていることだらう。
桔梗、撫子、女郎花、萩……道端の草花を誰も顧みない。行軍は止まらない。日が翳って《かげって=薄暗くなって》きた。でもあの雲が流れると、又赫々《かくかく=熱くなる》と烈しい陽が輝く。靴の下から埃が舞い上る。遥かに白く光り乍ら牡丹江がうねっている。
水浴びがしたい。長靴の単調な音が続く。小休止!。……そろそろ時間である。もう少し休みたい。そっと区隊長《軍隊編成上の単位の長》の顔を見る……。まだ大丈夫……。あ……。誰なんだ、音なんか立てて、装具を着け出したのは……。
8月8日
陣、動かない、唇、夢・・・。朝霧、秋かぜ、はしばみ、とんぼ、金と銀のうろこ雲、紫いろの大地。
夢、兄が面会に来た……。変りがなければいいが‥…・。
8月11日
兄、南海に征きしと。かの時征きしひと、おほかた散りしと。されど、兄、生きてあれ。
8月12日 匍匐《ほふく=腹ばいで進む》前進の丘の上。玩具の様な汽車が美倫山の麓に現れ、拉古《らこ=中国黒龍江省の町》を通り抜け、平原の彼方、南の方に段々小さくなって消えて行った。あの向こうには哈爾浜があり、新京《しんきょう=現在の中国長春で吉林省の省都であり、かつての満州国の首都》がある。大連があり、美しい国、日本がある。
煙は広い平原の中央を、澄んだ秋の空へまっ直ぐに昇ってゆく。露西亜《ロシア》風の白壁の家が、ポッンと二つ線路際に並び、高い大きなポプラの緑に浮き出るようだ。あの南の方に青春を置いてきた。消えてゆく汽車よ。
はつもの、すいか、まくわ。
8月13日
雨は小止みなく降りつづいて、肌に冷たくしみ通る。ぬかるみを転ぶまいと、一心に歩く。闇の中に幽か《かすか》に光る、濡《ぬ》れた馬の背を頼みに懸命に歩く……。夜行軍。
8月15日
何時まで経っても試験というものはつきまとう。一体死ぬために、何の勉強が必要なのだらうか……。だが死に臨んで悠然たり得るか、そのための克己《こっき=困難に耐える》なのだらうか。
8月20日
うすら寒さ、指が痺れる。軍隊の試験場で斯んなもの淋しい木枯を聞こうとは。秋が、すぐ後ろに冬の楚音《そいん=密やかな音》を忍ばせてやって来た。樹々が透き通るようだ。かさかさと木の葉が黄ばむ。何て殺風景なんだらう。この部屋。
8月21日
二六一貨物に至りて、兄の体臭を求める。兄が恋しくなりぬ。内地が戦場になりつつある。祈る心。
8月23日
西欧的物質文明が自ら墓穴を掘りつつあるのだ……、ということは疑わないが、現実にはその西欧が東洋の精神世界を圧殺しようとしているのではないだらうか……。
されど、されど、神洲は……。銃後が前線の勇士に期待するよりも、前線の将兵が銃後の奮闘を祈る心尚切なるものがある昨今。
8月30日
野営訓練《やえいくんれん=屋外で生活する訓練》で、地形通過のとき、暴走した藤夏(輓馬《ばんば=車を引かせる馬》の名)に轢かれ、崖より車馬諸共転落失心した。幸い骨折もなかったが、骨の髄まで雨風泌み渡り、暫く戦友の飯食炊きくるるを待ちたること。幕舎《ばくしゃ=天幕で造った兵舎》の雨もり著しく小石程の雹《ひょう=氷の塊》降る中に、シャベルを持って応急工事にあたりしこと。はしばみと兵隊、どれだけ助かったことか……。心が、気持が……。とうもろこし、すいか、まくわ、パン、キャラメル等々、書き留めざるが花ならむ。分哨長として、警戒しつつ喫せし《きっせし=食べる》こととも。
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あんみつ姫