Re: 牡丹江予備士官学校での日記から(3)
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牡丹江予備士官学校での日記から(1) (あんみつ姫, 2007/11/29 8:15)
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Re: 牡丹江予備士官学校での日記から(2) (あんみつ姫, 2007/11/29 8:24)
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Re: 牡丹江予備士官学校での日記から(3) (あんみつ姫, 2007/11/29 8:29)
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Re: 牡丹江予備士官学校での日記から(4) (あんみつ姫, 2007/11/29 8:32)
- Re: 牡丹江予備士官学校での日記から(5) (あんみつ姫, 2007/11/29 8:37)
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Re: 牡丹江予備士官学校での日記から(4) (あんみつ姫, 2007/11/29 8:32)
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Re: 牡丹江予備士官学校での日記から(3) (あんみつ姫, 2007/11/29 8:29)
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Re: 牡丹江予備士官学校での日記から(2) (あんみつ姫, 2007/11/29 8:24)
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
昭和19年10月1日
手紙が来ている。誰からのだろう。何時もだと嬉しいのに何か不安だ。福永からだ。肋膜だそうだ。嘘だろう。あんなに逞しい男なのに……。寒い。心の底までうすら寒い。
10月3日
テニヤン、大宮島の皇軍《こうぐん=天皇の軍隊》、同胞一万五千玉砕《ぎょくさい=大義に殉じて潔く死ぬ》………。護国の鬼《ごこくのおに=国を護る為に戦死した人》となる。29師団これなり。衝撃!我等の出陣を輝かしく迎えくれし遼陽師団なりき。高品中将以下、あの温顔《おんがん=柔和な顔》の土屋中隊長、兄貴のようだった永原教官、今はなし。我等も又散《ちる=花が散る様を死に例えた言葉》るのみ。
10月8日
今夜は窓外で木枯らしの音が高い。異様にもの悲しい。サイパン、テニヤンで玉砕した将兵の怨念が、この北満まで吹いて来たに違いない。土屋隊長殿、永原教官殿、仇はとります、我々が……。
10月12日
体操衣で写真を撮った。送るために。
姉さん、心尽しを感謝します。身に弛みて愛情を感じます。僕が又苦しんでいると思って下さったのでしょう。そうです。弱虫の僕は恰度《ちょうど=折りよく》苦しんでいました。僕は貴女の温かい愛情に思い切り甘えたい。じつと僕をみつめてくれる貴女達。そうだ、こんなに良い人達ばかりの銃後を、どうして傍若無人《ぼおじゃくぶじん=気ままに振舞う》の敵の手に任されようか。どんな苦しみも喜んで耐えよう。貴女達そして日本を守るために。
一緒に君より手紙と万年筆、ペンシル同封しあり。ダイヤ街で二人の名前を彫って貰い互に分け持つのだと。教官室で点検を受けた。何のため……
10月16日
糸と針を使ってする細工が面白い。物を創るということは面白いことだ。今に女より上手になるかもしれない。時間さえあれば…!
毎日卒業の日ばかりを噂している儚さ。“卒業したら、飯が腹一杯喰える……”だが、果たしてそうなるだろうか。そうではなくて、唯死の日が近づくだけなのかも知れぬ。その方が確実で、原案なのだ。だが我々員数候補生《いんずうこうほせい=数だけ揃えば内容は問わない候補生(蔑んだ考え方)》はそんなことは先刻超越して、猶この空腹と斗っている。国軍の中堅ともなるべき者たちが、こんな次元で居ていいのだろうか。当局は“期間がない、期間がない”と云い乍ら、やれ芋掘りだ、土管理めだ、草むしりだ、と貴重な日々を浪費させるばかり。
出鱈目、矛盾、不合理を問えばきりがない。卒業が待ち遠しい。
10月17日
久方振りに聞きし、比島沖の大戦果なりき。日本よ。南海の陸海空の勇士よ。勝って下さい。戦い抜いて下さい。今こそ攻勢移転の秋です。僕たちも、もうすぐ参加します。
今日、日本の将来を憶ふ《おもう》。我等の明日を憶う。開戦の日の如き身震いを覚ゆ。
10月19日
柔軟さと客観性を喪った《うしなった》コチコチの精神主義教育。段々ひどくなり無気味な気がする。日も暮れて、くたくたなのに、経理検査の準備とか。何でもやってくれ。何でもやろう。それが真実勝つため……なら。
10月25日
靖国神社合祀祭。お情けの映画見物ではあるが、何でもよい、我々には思いがけない潤いである。「家光と彦左」だったが、後は見せてくれなかった。帰途、駅前の小休止で求めた豚まんのうまかったこと。候補生の見交わす満足気な笑顔…・。
街上で見かけた先輩見習士官の肩警した様子が可笑しかった。我々はもっと率直であろうと話し合った。
特志を勧められた。次のように書いた。希望、初年兵教官、任地哈爾濱、特志なし。
軍の経理検査とかで、皆大騒ぎ。威かされた揚句の今日、お偉方は中通路を風の如く素通りしただけ。そんなもんだ。
10月
京都の姉さんより、四、五日中に京の有名な鍛冶より、古刀を求めて送ると便りあり。何ぞ喜ばしき。重光兄さん、比島に在り、と。よかった。この上は攻勢移転の戦果が更に拡大されて、米の侵寇企図《しんこうきかく=他国を征服する計画》が挫折せんことを……。それにしても米は、何としぶといことであろう。
10月28日
豆粕とか、大根とか、葱とか、唐もろこしとか、すっかり頭の中が空白になってしまう。もう少しの辛抱だ。10月習十月も終わる。嫌な野営《やえい=野外での訓練》さえ済めば自由になれる。あと四~五十日だ。頑張ろう。
手紙が来ている。誰からのだろう。何時もだと嬉しいのに何か不安だ。福永からだ。肋膜だそうだ。嘘だろう。あんなに逞しい男なのに……。寒い。心の底までうすら寒い。
10月3日
テニヤン、大宮島の皇軍《こうぐん=天皇の軍隊》、同胞一万五千玉砕《ぎょくさい=大義に殉じて潔く死ぬ》………。護国の鬼《ごこくのおに=国を護る為に戦死した人》となる。29師団これなり。衝撃!我等の出陣を輝かしく迎えくれし遼陽師団なりき。高品中将以下、あの温顔《おんがん=柔和な顔》の土屋中隊長、兄貴のようだった永原教官、今はなし。我等も又散《ちる=花が散る様を死に例えた言葉》るのみ。
10月8日
今夜は窓外で木枯らしの音が高い。異様にもの悲しい。サイパン、テニヤンで玉砕した将兵の怨念が、この北満まで吹いて来たに違いない。土屋隊長殿、永原教官殿、仇はとります、我々が……。
10月12日
体操衣で写真を撮った。送るために。
姉さん、心尽しを感謝します。身に弛みて愛情を感じます。僕が又苦しんでいると思って下さったのでしょう。そうです。弱虫の僕は恰度《ちょうど=折りよく》苦しんでいました。僕は貴女の温かい愛情に思い切り甘えたい。じつと僕をみつめてくれる貴女達。そうだ、こんなに良い人達ばかりの銃後を、どうして傍若無人《ぼおじゃくぶじん=気ままに振舞う》の敵の手に任されようか。どんな苦しみも喜んで耐えよう。貴女達そして日本を守るために。
一緒に君より手紙と万年筆、ペンシル同封しあり。ダイヤ街で二人の名前を彫って貰い互に分け持つのだと。教官室で点検を受けた。何のため……
10月16日
糸と針を使ってする細工が面白い。物を創るということは面白いことだ。今に女より上手になるかもしれない。時間さえあれば…!
毎日卒業の日ばかりを噂している儚さ。“卒業したら、飯が腹一杯喰える……”だが、果たしてそうなるだろうか。そうではなくて、唯死の日が近づくだけなのかも知れぬ。その方が確実で、原案なのだ。だが我々員数候補生《いんずうこうほせい=数だけ揃えば内容は問わない候補生(蔑んだ考え方)》はそんなことは先刻超越して、猶この空腹と斗っている。国軍の中堅ともなるべき者たちが、こんな次元で居ていいのだろうか。当局は“期間がない、期間がない”と云い乍ら、やれ芋掘りだ、土管理めだ、草むしりだ、と貴重な日々を浪費させるばかり。
出鱈目、矛盾、不合理を問えばきりがない。卒業が待ち遠しい。
10月17日
久方振りに聞きし、比島沖の大戦果なりき。日本よ。南海の陸海空の勇士よ。勝って下さい。戦い抜いて下さい。今こそ攻勢移転の秋です。僕たちも、もうすぐ参加します。
今日、日本の将来を憶ふ《おもう》。我等の明日を憶う。開戦の日の如き身震いを覚ゆ。
10月19日
柔軟さと客観性を喪った《うしなった》コチコチの精神主義教育。段々ひどくなり無気味な気がする。日も暮れて、くたくたなのに、経理検査の準備とか。何でもやってくれ。何でもやろう。それが真実勝つため……なら。
10月25日
靖国神社合祀祭。お情けの映画見物ではあるが、何でもよい、我々には思いがけない潤いである。「家光と彦左」だったが、後は見せてくれなかった。帰途、駅前の小休止で求めた豚まんのうまかったこと。候補生の見交わす満足気な笑顔…・。
街上で見かけた先輩見習士官の肩警した様子が可笑しかった。我々はもっと率直であろうと話し合った。
特志を勧められた。次のように書いた。希望、初年兵教官、任地哈爾濱、特志なし。
軍の経理検査とかで、皆大騒ぎ。威かされた揚句の今日、お偉方は中通路を風の如く素通りしただけ。そんなもんだ。
10月
京都の姉さんより、四、五日中に京の有名な鍛冶より、古刀を求めて送ると便りあり。何ぞ喜ばしき。重光兄さん、比島に在り、と。よかった。この上は攻勢移転の戦果が更に拡大されて、米の侵寇企図《しんこうきかく=他国を征服する計画》が挫折せんことを……。それにしても米は、何としぶといことであろう。
10月28日
豆粕とか、大根とか、葱とか、唐もろこしとか、すっかり頭の中が空白になってしまう。もう少しの辛抱だ。10月習十月も終わる。嫌な野営《やえい=野外での訓練》さえ済めば自由になれる。あと四~五十日だ。頑張ろう。
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あんみつ姫