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Re: 牡丹江予備士官学校での日記から(4)

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あんみつ姫

通常 Re: 牡丹江予備士官学校での日記から(4)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2007/11/29 8:32
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
 昭和19年12月、やっと見習士官《みならいしかん=高等武官(少尉以上)になるまでの士官見習いで軍隊の階級》

 12月1日 
 学徒出陣一周年記念日。三〇三部隊に入隊した日。前夜、大連神社の社頭で、大連駅で、忘れない!
 すったもんだで軍刀が貰えた。刀の操法があったからだ。家から送って来たら、取り上げられることになろう。さて愈々、見習士官である。将校勤務の……。

 12月2日 
 教官殿が区隊長殿になった。途端にとてつもなく円満になつた。

 12月4日 
 舎内点呼《しゃないてんこ=兵舎内での人員確認》は原案だ。寒くないから。今朝は恒例の勅諭《ちょくゆ=天皇から下された諭し言葉-》奉読。指が切れるかと思った。

 12月7日 
 今朝は不寝番《ふしんばん=夜間寝ないで警戒する当番》。辛かったが、これが最後の勤務になるだろう。あと九日。南方組《なんぽうぐみ=次の赴任地が南方の一団》の出発が延びませんように。

 12月9日 
 全く思いがけなかった。それだけに眠れぬ程嬉しい。〝牡丹江に親戚のある候補生は、明日外出を許可する。申出るように″どんなに待望んでいたことかを今表現出来ない。とにかく、明日泰子姉さん(大連の姉の姻戚)の家を訪れるんだ。

 12月10日  
 気持は飛ぶように西詳倫街の家を尋ねると、泰子姉さん一家はこの四日に大連《だいれん=中国遼寧省の都市》に引揚げたばかりとのこと。落胆した様子を見ていて気の毒に思われた隣家の香山さん御一家の、思いがけない親身の御接待をうける。感激の他なかった。初対面の若者に、ぼたもち、まんじゅう、菓子に始まって、すきやき、天ぶら、煮付、とろろ、酒も白米も……。こんなにお世話になっていいのだろうか。精一杯の心をこめた香山様親娘三人の歓待の中に、国民の我々に対する切ない期待と労わりを見た思いがした。門限を気にし乍ら帰営の道を、そのことだけを考えながら一気に歩いた。

 12月15日 
 香山さん父娘が面会に来てくれる。勘違いしたらしい佐原軍曹のお蔭で、ゆっくり時間が出来た。その下士官《かしかん=判任官待遇の軍隊の階級(伍長から曹長)》室で、用意しておいた朱書した手紙の投函をお願いした。これでもう凡てが終った。香山様に感謝の外ない、めぐり合いであった。

 12月16日 
 卒業式。母の七周忌でもある。晴れて見習士官、やっと手にした……。壮行会、大道寺区隊長も来られた。そして出発。
 急に命令が出て、全員奉天の通信教育隊に転属とのこと。何のことやら全然わからぬ。駅に向う途中、香山様宅に挨拶に寄る。手紙は出して頂いた由。感謝。

 12月17日 
 哈爾浜着。約三時間の乗換えで駅前の門脇さんの家を訊ねた。春日はどうしていることだろう。朝食を御馳走して下さる。こんな風に知人宅を訪れるなど考えてもみなかった。夕刻新京着。五時問の乗換時間に、全員大いに羽根を伸ばすことに決まる。六十名の若き見習士官は、思い思いに新京の街を走り廻る。吉野町の街角で、ひょっこり青柳に遭う。第一グリルから渡口の家へ。お母さんとお姉さんが、我が事のように歓待して下さる。此処でもボタ餅を頂く。だが折角の新京には、今僕を待つ人は居ない。唯、歩き廻る。軍人になったのだ。過去は後ろに投げ棄てるのだ。夜行で奉天に向う。満員の列車だが、見習士官だけは一車輌貸切りである。

 12月18日 
 朝奉天に着く。駅頭にずらりと並んだ青年士官は壮観である。
 艱難と克己の教育を終え、新たな困苦と献身の中に飛び込まうとする青年の気構えがそれぞれの顔面に輝いていた。
 全員トラックで北陸の広大な兵営(曽て此処は東北大学の学舎であった)に送り込まれる。
 何ということだ。此処で我々を待っていたのは、思いがけない〝再教育″であった。〝南方への輸送が敵の制圧下で不可能になった為、暫時通信教育を行う……″ということだ。
 勇躍!南方第一線の夢は崩れ、放り込まれた零下十数度の室内で一夜を明かす。
 此の部隊を五四九部隊と云う。(以上で日記を終る)

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あんみつ姫

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