教会の廃墟と国民総泥棒ぶり ― 共産国家で見てきたこと ―
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教会の廃墟と国民総泥棒ぶり ― 共産国家で見てきたこと ― (kousei2, 2008/2/6 18:22)
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投稿日時 2008/2/6 18:22
kousei2
投稿数: 250
これは哈爾浜学院21期卒業生の同窓会誌「ポームニム21」に寄稿された河西 明氏の記録を、久野 公氏の許可を得て記載するものです。
モスクワに多い教会、修道院跡
モスクワで生活し始めて、しばらくあちこち歩き回る間に気のつくことは、打ち捨てられて廃墟となった教会堂や修道院の多いことである。市の中心部には特に多いが、あのだだっ広い都市のどの地区に行っても必ず一つや二つは見かける。
ネギ坊主のような丸屋根(クーポル)は大体金色に塗られていたから、帝政の昔、いまのよぅな高層建築物はなかった頃、高台から見はるかす限り多数の金色のクーポルが目に輝き、実に壮観であったと物の本にもあり、げにさもあったろうと思われる。いまはその大多数が廃墟である。
通常その敷地は高くて頑丈な板塀囲いで遮断され、一カ所ある門扉には大きな錠がかけられていて中には入れないが、塀のすき聞からのぞくと、どの窓もガラスは欠け落ち、ポッカリあいたその空洞は骸骨のうつろな眼高のように、屋根や壁の割れ目などに生えた潅木がかなりの大きさに茂っていたりして、破壊後の年月の長さを物語っている。
ただでも索漠としたありさまだが、ハルビンを知る者には心の痛む風景である。それはその廃嘘の上に、あのサボールや地段街にあった大きな丸屋根のソフィスカヤ寺院などが二重写しになって見えるからである。
レーニンが政権をとるや徹底した教会の弾圧に乗り出した。多くの聖職者が逮捕投獄、殺害され、教会は閉鎖または破壊された。共産党にとっては宗教は阿片、教会は反革命の温床、聖職者は憎むべきその煽動者であったし、何よりもまず人びとの心から神への信仰を叩き出さねば新しい宗教であるマルクス主義を注入できなかったからであろう。
このけりがついて既に久しい1960年代になってもまだ、教会がいかに革命を妨害したか、をテーマにした映画(物語はもちろんすべてフィクションだが)が何本も作られ、映画を見ることしか楽しみのない大衆に「教会・神父イコール悪」を宣伝し続けていたが、これは党が依然として教会と信仰を潜在的脅威と見ていたからであろう。
本当はすべての教会を破壊したかったのだろうが、建物はおおむね石や煉瓦の堅牢な造りで、高く巨大だから爆薬でも使わない限り簡並Tには破壊できないので、やむなく囲いこみで遮断、放置したものであろう。
ただし実際に爆破した例もある。クレムリンからさほど遠くないモスクワ河を見おろす台地に由緒ある大聖堂があったが、これは爆薬をしかけて爆破し、丸屋根が首でも斬られたように落下する様子が映写フィルムに残されている。取りこわした跡の敷地には大きな温水プールが造られた。
温水といっても、いくらかなまぬるい程度の水だが、寒さに強いロシア人は外気が零下の冬でもここで泳いでいる。ところがこのプールでよく水死人がでる。ウォッカでも飲んだあとの心臓マヒであろうが、人々はひそかに聖堂を破壊した崇りだ、と言っていた。
市街地の中にある比較的小規模な教会は、外見はそのままに、内部を事務所に使っているのもある。ドームの形式から相当古い初期のものと思われるものが資材倉庫になっていたりする。地方諸都市でもほぼ同様で、汽車の窓からもあちこちに廃嘘が遠望できる。
(つづく)
モスクワに多い教会、修道院跡
モスクワで生活し始めて、しばらくあちこち歩き回る間に気のつくことは、打ち捨てられて廃墟となった教会堂や修道院の多いことである。市の中心部には特に多いが、あのだだっ広い都市のどの地区に行っても必ず一つや二つは見かける。
ネギ坊主のような丸屋根(クーポル)は大体金色に塗られていたから、帝政の昔、いまのよぅな高層建築物はなかった頃、高台から見はるかす限り多数の金色のクーポルが目に輝き、実に壮観であったと物の本にもあり、げにさもあったろうと思われる。いまはその大多数が廃墟である。
通常その敷地は高くて頑丈な板塀囲いで遮断され、一カ所ある門扉には大きな錠がかけられていて中には入れないが、塀のすき聞からのぞくと、どの窓もガラスは欠け落ち、ポッカリあいたその空洞は骸骨のうつろな眼高のように、屋根や壁の割れ目などに生えた潅木がかなりの大きさに茂っていたりして、破壊後の年月の長さを物語っている。
ただでも索漠としたありさまだが、ハルビンを知る者には心の痛む風景である。それはその廃嘘の上に、あのサボールや地段街にあった大きな丸屋根のソフィスカヤ寺院などが二重写しになって見えるからである。
レーニンが政権をとるや徹底した教会の弾圧に乗り出した。多くの聖職者が逮捕投獄、殺害され、教会は閉鎖または破壊された。共産党にとっては宗教は阿片、教会は反革命の温床、聖職者は憎むべきその煽動者であったし、何よりもまず人びとの心から神への信仰を叩き出さねば新しい宗教であるマルクス主義を注入できなかったからであろう。
このけりがついて既に久しい1960年代になってもまだ、教会がいかに革命を妨害したか、をテーマにした映画(物語はもちろんすべてフィクションだが)が何本も作られ、映画を見ることしか楽しみのない大衆に「教会・神父イコール悪」を宣伝し続けていたが、これは党が依然として教会と信仰を潜在的脅威と見ていたからであろう。
本当はすべての教会を破壊したかったのだろうが、建物はおおむね石や煉瓦の堅牢な造りで、高く巨大だから爆薬でも使わない限り簡並Tには破壊できないので、やむなく囲いこみで遮断、放置したものであろう。
ただし実際に爆破した例もある。クレムリンからさほど遠くないモスクワ河を見おろす台地に由緒ある大聖堂があったが、これは爆薬をしかけて爆破し、丸屋根が首でも斬られたように落下する様子が映写フィルムに残されている。取りこわした跡の敷地には大きな温水プールが造られた。
温水といっても、いくらかなまぬるい程度の水だが、寒さに強いロシア人は外気が零下の冬でもここで泳いでいる。ところがこのプールでよく水死人がでる。ウォッカでも飲んだあとの心臓マヒであろうが、人々はひそかに聖堂を破壊した崇りだ、と言っていた。
市街地の中にある比較的小規模な教会は、外見はそのままに、内部を事務所に使っているのもある。ドームの形式から相当古い初期のものと思われるものが資材倉庫になっていたりする。地方諸都市でもほぼ同様で、汽車の窓からもあちこちに廃嘘が遠望できる。
(つづく)