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Re: 教会の廃墟と国民総泥棒ぶり ― 共産国家で見てきたこと ―

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kousei2

通常 Re: 教会の廃墟と国民総泥棒ぶり ― 共産国家で見てきたこと ―

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2008/2/6 18:24
kousei2  長老   投稿数: 250
 精神の荒廃は教会の破壊で始まる

昔のレニングラード、今のサンクトペテルプルグにはスモーリヌィという大きな修道院がある。皇帝も礼拝にきた由緒ある寺院で、薄ブルー、金、白の三色で彩られた外観の優雅な美しさは例えようもないが、これも建物が残っただけめっけもので、一歩中に入ると胸がつぶれそうになる。

かつては一面精密な聖画に埋め尽くされていたはずの内壁は、すべて天井まで白一色のしっくいで塗りつぶされ、もちろん聖像など一点もなく、広い床は展示場になっていて、ソ連の産業がいかに発展しているか、といった各種の統計やら工場の模型やら、嘘でかため上げた宣伝資料がゴマンと展示されていて、早々に逃げだしたものである。

 革命前、信仰がロシア人の心に占めていた比重の大きさはロシア文学やレーピンなどの絵画にも色濃く投影されているし、残っている教会や修道院の数からだけでも推測できるが、更に私たちは、ガラパゴス諸島の生物のように本土から切り離されたために、その純粋性を保っていたハルビンの白系露人たちの敬虔な祈りの姿もかい間見ることができた。

彼らの住居の一隅には必ず聖像が飾ってあって、来訪者はまずその聖像に向かって十字を切って祈り、それから家人たちとのおしゃべりを始めたものだ。

パスハの晩、サボールの祭壇で神父の打ち振る香炉の煙を浴びながら、手に手に赤い蝋燭をもって粛然と立ち続ける人びと、高く低くいつ果てるともしれぬ聖歌の合唱、そして一夜明ければ行き交うロシア人は誰でも互いに「フリストス ボスクレス」(主はよみがえり給えり)、「ポイースチヌ ボスクレス」(まさしくよみがえり給えり)と挨拶と接吻を交わして祝福し、赤や紫に染めた卵をプレゼントする。下宿のおやじは私には「フリストス ボスクレス」と言ってお茶に招き、クリーチという縦長のパスハ用のパンを切ってくれた。彼らは本当に嬉しそうで、心から祭りを喜んでいるようであった。

信仰と一体になった生活 ― 何世紀にもわたって受けつがれたそ心の糧をレーニンとそのボリシェビキたちは容赦なく打ち砕いた。いま、ロシアにはすさまじいばかりの精神の荒廃がある。それはあの教会の破壊とともに始まり、年とともに深化、拡大したものだと思う。

                        (つづく)

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