教会の廃墟と国民総泥棒ぶり ― 共産国家で見てきたこと ―
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投稿日時 2008/2/6 18:22
kousei2
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これは哈爾浜学院21期卒業生の同窓会誌「ポームニム21」に寄稿された河西 明氏の記録を、久野 公氏の許可を得て記載するものです。
モスクワに多い教会、修道院跡
モスクワで生活し始めて、しばらくあちこち歩き回る間に気のつくことは、打ち捨てられて廃墟となった教会堂や修道院の多いことである。市の中心部には特に多いが、あのだだっ広い都市のどの地区に行っても必ず一つや二つは見かける。
ネギ坊主のような丸屋根(クーポル)は大体金色に塗られていたから、帝政の昔、いまのよぅな高層建築物はなかった頃、高台から見はるかす限り多数の金色のクーポルが目に輝き、実に壮観であったと物の本にもあり、げにさもあったろうと思われる。いまはその大多数が廃墟である。
通常その敷地は高くて頑丈な板塀囲いで遮断され、一カ所ある門扉には大きな錠がかけられていて中には入れないが、塀のすき聞からのぞくと、どの窓もガラスは欠け落ち、ポッカリあいたその空洞は骸骨のうつろな眼高のように、屋根や壁の割れ目などに生えた潅木がかなりの大きさに茂っていたりして、破壊後の年月の長さを物語っている。
ただでも索漠としたありさまだが、ハルビンを知る者には心の痛む風景である。それはその廃嘘の上に、あのサボールや地段街にあった大きな丸屋根のソフィスカヤ寺院などが二重写しになって見えるからである。
レーニンが政権をとるや徹底した教会の弾圧に乗り出した。多くの聖職者が逮捕投獄、殺害され、教会は閉鎖または破壊された。共産党にとっては宗教は阿片、教会は反革命の温床、聖職者は憎むべきその煽動者であったし、何よりもまず人びとの心から神への信仰を叩き出さねば新しい宗教であるマルクス主義を注入できなかったからであろう。
このけりがついて既に久しい1960年代になってもまだ、教会がいかに革命を妨害したか、をテーマにした映画(物語はもちろんすべてフィクションだが)が何本も作られ、映画を見ることしか楽しみのない大衆に「教会・神父イコール悪」を宣伝し続けていたが、これは党が依然として教会と信仰を潜在的脅威と見ていたからであろう。
本当はすべての教会を破壊したかったのだろうが、建物はおおむね石や煉瓦の堅牢な造りで、高く巨大だから爆薬でも使わない限り簡並Tには破壊できないので、やむなく囲いこみで遮断、放置したものであろう。
ただし実際に爆破した例もある。クレムリンからさほど遠くないモスクワ河を見おろす台地に由緒ある大聖堂があったが、これは爆薬をしかけて爆破し、丸屋根が首でも斬られたように落下する様子が映写フィルムに残されている。取りこわした跡の敷地には大きな温水プールが造られた。
温水といっても、いくらかなまぬるい程度の水だが、寒さに強いロシア人は外気が零下の冬でもここで泳いでいる。ところがこのプールでよく水死人がでる。ウォッカでも飲んだあとの心臓マヒであろうが、人々はひそかに聖堂を破壊した崇りだ、と言っていた。
市街地の中にある比較的小規模な教会は、外見はそのままに、内部を事務所に使っているのもある。ドームの形式から相当古い初期のものと思われるものが資材倉庫になっていたりする。地方諸都市でもほぼ同様で、汽車の窓からもあちこちに廃嘘が遠望できる。
(つづく)
モスクワに多い教会、修道院跡
モスクワで生活し始めて、しばらくあちこち歩き回る間に気のつくことは、打ち捨てられて廃墟となった教会堂や修道院の多いことである。市の中心部には特に多いが、あのだだっ広い都市のどの地区に行っても必ず一つや二つは見かける。
ネギ坊主のような丸屋根(クーポル)は大体金色に塗られていたから、帝政の昔、いまのよぅな高層建築物はなかった頃、高台から見はるかす限り多数の金色のクーポルが目に輝き、実に壮観であったと物の本にもあり、げにさもあったろうと思われる。いまはその大多数が廃墟である。
通常その敷地は高くて頑丈な板塀囲いで遮断され、一カ所ある門扉には大きな錠がかけられていて中には入れないが、塀のすき聞からのぞくと、どの窓もガラスは欠け落ち、ポッカリあいたその空洞は骸骨のうつろな眼高のように、屋根や壁の割れ目などに生えた潅木がかなりの大きさに茂っていたりして、破壊後の年月の長さを物語っている。
ただでも索漠としたありさまだが、ハルビンを知る者には心の痛む風景である。それはその廃嘘の上に、あのサボールや地段街にあった大きな丸屋根のソフィスカヤ寺院などが二重写しになって見えるからである。
レーニンが政権をとるや徹底した教会の弾圧に乗り出した。多くの聖職者が逮捕投獄、殺害され、教会は閉鎖または破壊された。共産党にとっては宗教は阿片、教会は反革命の温床、聖職者は憎むべきその煽動者であったし、何よりもまず人びとの心から神への信仰を叩き出さねば新しい宗教であるマルクス主義を注入できなかったからであろう。
このけりがついて既に久しい1960年代になってもまだ、教会がいかに革命を妨害したか、をテーマにした映画(物語はもちろんすべてフィクションだが)が何本も作られ、映画を見ることしか楽しみのない大衆に「教会・神父イコール悪」を宣伝し続けていたが、これは党が依然として教会と信仰を潜在的脅威と見ていたからであろう。
本当はすべての教会を破壊したかったのだろうが、建物はおおむね石や煉瓦の堅牢な造りで、高く巨大だから爆薬でも使わない限り簡並Tには破壊できないので、やむなく囲いこみで遮断、放置したものであろう。
ただし実際に爆破した例もある。クレムリンからさほど遠くないモスクワ河を見おろす台地に由緒ある大聖堂があったが、これは爆薬をしかけて爆破し、丸屋根が首でも斬られたように落下する様子が映写フィルムに残されている。取りこわした跡の敷地には大きな温水プールが造られた。
温水といっても、いくらかなまぬるい程度の水だが、寒さに強いロシア人は外気が零下の冬でもここで泳いでいる。ところがこのプールでよく水死人がでる。ウォッカでも飲んだあとの心臓マヒであろうが、人々はひそかに聖堂を破壊した崇りだ、と言っていた。
市街地の中にある比較的小規模な教会は、外見はそのままに、内部を事務所に使っているのもある。ドームの形式から相当古い初期のものと思われるものが資材倉庫になっていたりする。地方諸都市でもほぼ同様で、汽車の窓からもあちこちに廃嘘が遠望できる。
(つづく)
kousei2
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精神の荒廃は教会の破壊で始まる
昔のレニングラード、今のサンクトペテルプルグにはスモーリヌィという大きな修道院がある。皇帝も礼拝にきた由緒ある寺院で、薄ブルー、金、白の三色で彩られた外観の優雅な美しさは例えようもないが、これも建物が残っただけめっけもので、一歩中に入ると胸がつぶれそうになる。
かつては一面精密な聖画に埋め尽くされていたはずの内壁は、すべて天井まで白一色のしっくいで塗りつぶされ、もちろん聖像など一点もなく、広い床は展示場になっていて、ソ連の産業がいかに発展しているか、といった各種の統計やら工場の模型やら、嘘でかため上げた宣伝資料がゴマンと展示されていて、早々に逃げだしたものである。
革命前、信仰がロシア人の心に占めていた比重の大きさはロシア文学やレーピンなどの絵画にも色濃く投影されているし、残っている教会や修道院の数からだけでも推測できるが、更に私たちは、ガラパゴス諸島の生物のように本土から切り離されたために、その純粋性を保っていたハルビンの白系露人たちの敬虔な祈りの姿もかい間見ることができた。
彼らの住居の一隅には必ず聖像が飾ってあって、来訪者はまずその聖像に向かって十字を切って祈り、それから家人たちとのおしゃべりを始めたものだ。
パスハの晩、サボールの祭壇で神父の打ち振る香炉の煙を浴びながら、手に手に赤い蝋燭をもって粛然と立ち続ける人びと、高く低くいつ果てるともしれぬ聖歌の合唱、そして一夜明ければ行き交うロシア人は誰でも互いに「フリストス ボスクレス」(主はよみがえり給えり)、「ポイースチヌ ボスクレス」(まさしくよみがえり給えり)と挨拶と接吻を交わして祝福し、赤や紫に染めた卵をプレゼントする。下宿のおやじは私には「フリストス ボスクレス」と言ってお茶に招き、クリーチという縦長のパスハ用のパンを切ってくれた。彼らは本当に嬉しそうで、心から祭りを喜んでいるようであった。
信仰と一体になった生活 ― 何世紀にもわたって受けつがれたそ心の糧をレーニンとそのボリシェビキたちは容赦なく打ち砕いた。いま、ロシアにはすさまじいばかりの精神の荒廃がある。それはあの教会の破壊とともに始まり、年とともに深化、拡大したものだと思う。
(つづく)
昔のレニングラード、今のサンクトペテルプルグにはスモーリヌィという大きな修道院がある。皇帝も礼拝にきた由緒ある寺院で、薄ブルー、金、白の三色で彩られた外観の優雅な美しさは例えようもないが、これも建物が残っただけめっけもので、一歩中に入ると胸がつぶれそうになる。
かつては一面精密な聖画に埋め尽くされていたはずの内壁は、すべて天井まで白一色のしっくいで塗りつぶされ、もちろん聖像など一点もなく、広い床は展示場になっていて、ソ連の産業がいかに発展しているか、といった各種の統計やら工場の模型やら、嘘でかため上げた宣伝資料がゴマンと展示されていて、早々に逃げだしたものである。
革命前、信仰がロシア人の心に占めていた比重の大きさはロシア文学やレーピンなどの絵画にも色濃く投影されているし、残っている教会や修道院の数からだけでも推測できるが、更に私たちは、ガラパゴス諸島の生物のように本土から切り離されたために、その純粋性を保っていたハルビンの白系露人たちの敬虔な祈りの姿もかい間見ることができた。
彼らの住居の一隅には必ず聖像が飾ってあって、来訪者はまずその聖像に向かって十字を切って祈り、それから家人たちとのおしゃべりを始めたものだ。
パスハの晩、サボールの祭壇で神父の打ち振る香炉の煙を浴びながら、手に手に赤い蝋燭をもって粛然と立ち続ける人びと、高く低くいつ果てるともしれぬ聖歌の合唱、そして一夜明ければ行き交うロシア人は誰でも互いに「フリストス ボスクレス」(主はよみがえり給えり)、「ポイースチヌ ボスクレス」(まさしくよみがえり給えり)と挨拶と接吻を交わして祝福し、赤や紫に染めた卵をプレゼントする。下宿のおやじは私には「フリストス ボスクレス」と言ってお茶に招き、クリーチという縦長のパスハ用のパンを切ってくれた。彼らは本当に嬉しそうで、心から祭りを喜んでいるようであった。
信仰と一体になった生活 ― 何世紀にもわたって受けつがれたそ心の糧をレーニンとそのボリシェビキたちは容赦なく打ち砕いた。いま、ロシアにはすさまじいばかりの精神の荒廃がある。それはあの教会の破壊とともに始まり、年とともに深化、拡大したものだと思う。
(つづく)
kousei2
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壮絶な盗みの横行ぶり
新聞などはあまり報じようとしないが、われわれ外国人を唖然とさせるのは、ロシア全土をおおう壮絶としかいいようのない盗みの横行ぶりである。それは社会の紊乱が手に負えなくなっている昨日今日の話ではなく、私が初めて足を踏み入れた三十年近くも前から既にそうであった。
日本では盗みといえば、分別の足りない青少年とか、倫理・道徳観に乏しい連中のすることで、教養のある者、社会的地位の高い者、そこそこの年齢に達した者はするはずがない、と思いがちであるが、あの国ではその常識は通用しない。
教養も社会的地位も関係ない。盗み得る状態に置かれれば誰でもが盗むと極言してさしつかえない。国民総泥棒なのである。盗まざる者は人に非ず、なのだ。まさか、と思われるかもしれぬが、決して誇張ではない。
ある時、某輸出案件でロシア(ソ連)側の三、四の関係機関から担当官を全部で二十名ほど呼んでモスクワ支店で会議を開いたことがあった。昼食時間になったので来客にはサンドイッチとコーヒーを出し、日本人は支店の食堂に立ち去った。書類や筆入れは会議室に残して置いたのだが、休憩時間が終わって席に戻って驚いた。筆入れにはボールペン、サインペンが十二、三本あったのが、二本だけ残して消えている。
日本製の高級ペンをほしいのはわかるが、それにしても相手は日本でいえば通産省や一流企業の部長、課長クラスで、その中の数人の仕業である。たかがペンだから気易くとったのだと思われるかもしれぬが、それは違う。モノが腕時計でも電卓でも同じである。欲しいとなったら抑制がきかないのだ。
文具といえば、こんな事もあった。モスクワでは手に入らないから一年に一度、東京本社から文具をまとめて送って来る。とりあえず必要な量を日本人スタッフと、当時十数人いたロシア人秘書に分配し、残りを予備室のロッカーに入れておいた。鍵はない。
一週間ほどして開けて見たらペン類、ホチキス、セロテープなどなど一年分がすべて消えていた。秘書たち、おそらく全員の仕業だった。彼女たちはそれぞれ有名大学を卒業した教養のある有能な人間で、家庭の主婦でもあり、仕事の上では頼りになる忠実な助手なのだが、盗めるものあらばすべて盗むべし、というロシアの掟にもまた忠実なのである。
この国でも最近車が増えたが、どの車を見てもワイパーがついていない。つけておくと盗まれるから外して車の中に置いてある。急に雨が降ってきた時などは走っている車が一斉に停まって、中からワイパーを持ち出して取りつける風景が見られる。車から出る時うっかり外すのを忘れると、持ち去られるのに五分とはかからない。
商店の一階の窓には動物園の檻のような頑丈な鉄格子がついているか、または窓ガラスの内側にコードのついた不細工な警報装置が貼りつけてある。全国どこに行っても、これがある。ガラスを破ると警察署の警報器が鳴って、どこの窓が破られたか分かるようになっており、警官がかけつけるのだという。
うっかり窓を開けただけでも作動するから、窓を開ける必要がある時は予め警察に電話して、泥棒の侵入ではないことを通知してから開けるらしい。何とも御苦労な話だ。
その商店に入っても買物は容易ではない。商品はガラスのケースの中か、売り子の立っている後ろの棚にあって、買物客はじかに触れることができない。万引されるからだ。売り子に見たい物を頼むとボンと投げ出してにらみつけられる。万引はさせないぞ、という目だ。
他の客が頼んでも、待ってと言われる。一度に何人にも見せると誰かに持ち去られるからだ。買うと決めたら、それを売り子に告げ、別の場所にある会計係(カッサ)に行って金を払い、その金額を打ち込んだ紙片をもらって売場に戻り、紙片と引き換えに商品を受け取る。店が混んでいる時は売場、カッサ、売場と三回並ばねばならず、手間のかかる事おびただしい。売り子に直接金を渡すとネコババされるから、その防止策なのだ。
すなわち通行人も、店に入ってくる客も、売り子も、みな泥棒であることを前提としたシステムなのだが、それで万全か、というと、店長自身がよく商品の横流しをして私腹を肥やしたりしているから、どこまで行ってもキリがない。日本のスーパーのようなセルフの店も数は少ないが、あるにはある。ただしそこに入るためには手提袋など所持品はすべて入口脇の預り所に置いて引換札をもらい、手ぶらでカゴだけ持って入らねばならない。
出口で支払いをするのは同じだが、もし外套の襟もとがふくらんでいたりすると、押し広げてのぞきこまれたり、ポケットを上からさぐられたり、ボディチェックをされる。される方も、何もとってませんよ、というような薄ら笑いをうかべて平気なものだ。ここでも客は泥棒扱いだが、それも仕方ない。そうしなければ商品の大半は万引で消えるのだ。
仕事の上で遭遇した盗難は枚挙にいとまもないが、これは地方での話。ナホトカから一カ月以上かけてシベリアの奥地まで大型ブルドーザーを運び込んだ時のこと。これにはリンゴ箱大のバッテリーが内蔵されているが、輸送中に盗まれた。鍵は無残に引きちぎられている。
これがなければエンジンもかけられないから、運んで来たトレーラーからおろすこともできない。唖然としていたら、やって来たロシア側の責任者はヒョイとのぞき込んで、あっ、やられたか、というような顔をしただけで驚きもせず、部下に命じて似たようなソ連製のものを持ってこさせて取りつけた。性能はだいぶ劣るものの何とか間に合った。
これも大きな鉱山用掘削機械を黒海経由コーカサスの山中に運び込んだときのこと。組み立てを終わって坑道に入れ、翌日行って見てビックリ仰天した。暗闇の坑道で使う機械だから強力なサーチライトが二基ついていたのだが、これが二つともコードもろとも外されて消えている。何十万ドルの機械もパーである。
困り果てていたらロシア側の担当官がきて一瞥しただけで立ち去り、自分たちの倉庫からソ連製のやや小型のものを一つだけ持ってきて取りつけた。別に怒っているでもなく、犯人を詮索しようともしない。
あんなものを何のために盗むのか、聞いてみたら、倉庫やガレージの照明とか、何にでも使えるさ、と涼しい顔をしている。他にも例があるが、何か盗まれても何かしら代替品がどこからか出てきて、何とか最低間に合うことが多い。
おそらく盗みがあまりにも恒常化して防ぎようがないから、盗まれた場合に備えて予めいろいろなものを入手(おそらく盗んで)備蓄しておく、というのが常態になっているに違いない。だから役に立ちそうなものは何でござれ、即座に消えるのだ。かくて盗みつ、盗まれつの職烈な総泥棒合戦が全国津々浦々で日夜くりひろげられていることになる。
(つづく)
新聞などはあまり報じようとしないが、われわれ外国人を唖然とさせるのは、ロシア全土をおおう壮絶としかいいようのない盗みの横行ぶりである。それは社会の紊乱が手に負えなくなっている昨日今日の話ではなく、私が初めて足を踏み入れた三十年近くも前から既にそうであった。
日本では盗みといえば、分別の足りない青少年とか、倫理・道徳観に乏しい連中のすることで、教養のある者、社会的地位の高い者、そこそこの年齢に達した者はするはずがない、と思いがちであるが、あの国ではその常識は通用しない。
教養も社会的地位も関係ない。盗み得る状態に置かれれば誰でもが盗むと極言してさしつかえない。国民総泥棒なのである。盗まざる者は人に非ず、なのだ。まさか、と思われるかもしれぬが、決して誇張ではない。
ある時、某輸出案件でロシア(ソ連)側の三、四の関係機関から担当官を全部で二十名ほど呼んでモスクワ支店で会議を開いたことがあった。昼食時間になったので来客にはサンドイッチとコーヒーを出し、日本人は支店の食堂に立ち去った。書類や筆入れは会議室に残して置いたのだが、休憩時間が終わって席に戻って驚いた。筆入れにはボールペン、サインペンが十二、三本あったのが、二本だけ残して消えている。
日本製の高級ペンをほしいのはわかるが、それにしても相手は日本でいえば通産省や一流企業の部長、課長クラスで、その中の数人の仕業である。たかがペンだから気易くとったのだと思われるかもしれぬが、それは違う。モノが腕時計でも電卓でも同じである。欲しいとなったら抑制がきかないのだ。
文具といえば、こんな事もあった。モスクワでは手に入らないから一年に一度、東京本社から文具をまとめて送って来る。とりあえず必要な量を日本人スタッフと、当時十数人いたロシア人秘書に分配し、残りを予備室のロッカーに入れておいた。鍵はない。
一週間ほどして開けて見たらペン類、ホチキス、セロテープなどなど一年分がすべて消えていた。秘書たち、おそらく全員の仕業だった。彼女たちはそれぞれ有名大学を卒業した教養のある有能な人間で、家庭の主婦でもあり、仕事の上では頼りになる忠実な助手なのだが、盗めるものあらばすべて盗むべし、というロシアの掟にもまた忠実なのである。
この国でも最近車が増えたが、どの車を見てもワイパーがついていない。つけておくと盗まれるから外して車の中に置いてある。急に雨が降ってきた時などは走っている車が一斉に停まって、中からワイパーを持ち出して取りつける風景が見られる。車から出る時うっかり外すのを忘れると、持ち去られるのに五分とはかからない。
商店の一階の窓には動物園の檻のような頑丈な鉄格子がついているか、または窓ガラスの内側にコードのついた不細工な警報装置が貼りつけてある。全国どこに行っても、これがある。ガラスを破ると警察署の警報器が鳴って、どこの窓が破られたか分かるようになっており、警官がかけつけるのだという。
うっかり窓を開けただけでも作動するから、窓を開ける必要がある時は予め警察に電話して、泥棒の侵入ではないことを通知してから開けるらしい。何とも御苦労な話だ。
その商店に入っても買物は容易ではない。商品はガラスのケースの中か、売り子の立っている後ろの棚にあって、買物客はじかに触れることができない。万引されるからだ。売り子に見たい物を頼むとボンと投げ出してにらみつけられる。万引はさせないぞ、という目だ。
他の客が頼んでも、待ってと言われる。一度に何人にも見せると誰かに持ち去られるからだ。買うと決めたら、それを売り子に告げ、別の場所にある会計係(カッサ)に行って金を払い、その金額を打ち込んだ紙片をもらって売場に戻り、紙片と引き換えに商品を受け取る。店が混んでいる時は売場、カッサ、売場と三回並ばねばならず、手間のかかる事おびただしい。売り子に直接金を渡すとネコババされるから、その防止策なのだ。
すなわち通行人も、店に入ってくる客も、売り子も、みな泥棒であることを前提としたシステムなのだが、それで万全か、というと、店長自身がよく商品の横流しをして私腹を肥やしたりしているから、どこまで行ってもキリがない。日本のスーパーのようなセルフの店も数は少ないが、あるにはある。ただしそこに入るためには手提袋など所持品はすべて入口脇の預り所に置いて引換札をもらい、手ぶらでカゴだけ持って入らねばならない。
出口で支払いをするのは同じだが、もし外套の襟もとがふくらんでいたりすると、押し広げてのぞきこまれたり、ポケットを上からさぐられたり、ボディチェックをされる。される方も、何もとってませんよ、というような薄ら笑いをうかべて平気なものだ。ここでも客は泥棒扱いだが、それも仕方ない。そうしなければ商品の大半は万引で消えるのだ。
仕事の上で遭遇した盗難は枚挙にいとまもないが、これは地方での話。ナホトカから一カ月以上かけてシベリアの奥地まで大型ブルドーザーを運び込んだ時のこと。これにはリンゴ箱大のバッテリーが内蔵されているが、輸送中に盗まれた。鍵は無残に引きちぎられている。
これがなければエンジンもかけられないから、運んで来たトレーラーからおろすこともできない。唖然としていたら、やって来たロシア側の責任者はヒョイとのぞき込んで、あっ、やられたか、というような顔をしただけで驚きもせず、部下に命じて似たようなソ連製のものを持ってこさせて取りつけた。性能はだいぶ劣るものの何とか間に合った。
これも大きな鉱山用掘削機械を黒海経由コーカサスの山中に運び込んだときのこと。組み立てを終わって坑道に入れ、翌日行って見てビックリ仰天した。暗闇の坑道で使う機械だから強力なサーチライトが二基ついていたのだが、これが二つともコードもろとも外されて消えている。何十万ドルの機械もパーである。
困り果てていたらロシア側の担当官がきて一瞥しただけで立ち去り、自分たちの倉庫からソ連製のやや小型のものを一つだけ持ってきて取りつけた。別に怒っているでもなく、犯人を詮索しようともしない。
あんなものを何のために盗むのか、聞いてみたら、倉庫やガレージの照明とか、何にでも使えるさ、と涼しい顔をしている。他にも例があるが、何か盗まれても何かしら代替品がどこからか出てきて、何とか最低間に合うことが多い。
おそらく盗みがあまりにも恒常化して防ぎようがないから、盗まれた場合に備えて予めいろいろなものを入手(おそらく盗んで)備蓄しておく、というのが常態になっているに違いない。だから役に立ちそうなものは何でござれ、即座に消えるのだ。かくて盗みつ、盗まれつの職烈な総泥棒合戦が全国津々浦々で日夜くりひろげられていることになる。
(つづく)
kousei2
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ホテルの鍵番本人が泥棒
ついでにもう一つ、最近では方式を変えた所もあるが、大体ロシアのホテルでは各階ごとに女性の鍵番というのが居て、エレベーターホールの机に陣どり、鍵の保管と、不審者が出入りしないか、の監視に当たっているのだが、ある時、日本から着いたその晩に部屋で現金が紛失した。
後から聞けば客が着いたその日はトランクや荷物を開けて中身をタンス、机などに移し替えるから狙い時らしいのだが、その時は銀行からおろしたばかりの五千ドルを入れた封筒をうかつにも机の引き出しに入れたまま外出した。
鍵は用心のため鍵番に渡さずに自分で持って出たから大丈夫と思ったのが大間違い。私の帰宅が遅いことを知った鍵番は深夜にマスターキーを使って部屋に侵入し、物色して封筒を見つけ、中から百ドル札五枚を抜き取ったのである。
全部盗ることだってできたはずだが、そうするとあまりに騒ぎが大きくなると考えたものであろう。盗っただけでもほぼ1年分の収入なのだ。翌朝封筒の位置が変っているので不審に思い、調べて分かった。部屋に入れるのは鍵番しかない。すぐ支配人を呼びつけて説明し、鍵番の取り調べを要求したが、頑として受けつけない。その分は日本に置いてきたのだろうとか、何か支払いをして忘れているにちがいない、とか埒があかない。
結局、物的証拠がないので、こちらの泣き寝入りになったのだが、それから約三カ月後に再び出張で同じホテルに泊まり、偶然エレベーターでその支配人に会ったので、その時の話を始めたら、ああ、あれはたしかに鍵番が盗ったのです、という。だが、もうすんだ過去のことですよ、と言わんばかりに平然としたものである。日本で言えば帝国ホテル並み、外国人しか泊まれない超一流ホテルの鍵番は監視人兼泥棒であり、支配人もまた、しやあしゃあとしてかくのごとしということ。
いろいろなケースを見ていると、どうもこの国では、分からぬよぅにうまく盗んでしまえば、それは正当な所有権の移転なのだから、あとからブックサ言うことの方がおかしい、という通念があるように思える。だから罪悪感も全くないし、詮索もしない。まして法や正義に依存する考えなどかけらもない。大体、あの社会には法も正義も存在しない。
これはかつてゴルバチョフ自身が言ったことだが、彼が地方の最高権力者、党の第三日記だった頃、いろいろな問題を討議して決定を下す際に、その決定が既存の法律に抵触するか否かなどを考えたことは一度もなかった、と述懐している。法治国家では決してなかったのだ。「相手が法と正義を重んずると言った以上、領土は帰ってくるはずだ。潮どきだ」などと考えるのは、どこかのバカ首相だけである。
話がそれたが、例を挙げたような個人ベースの小泥棒は実はむしろ可愛い部類なのであって、その上には集団による盗み、さらには組織ぐるみの盗みがある。集団泥棒の一例を挙げよう。日本製のカレンダーはロシアでは大変な人気で、猫も杓子もほしがる。ただし風景物は駄目で、あでやかな和服姿や、あるいは水着の美女がほほえんでいるものに限る。
あんな屁でもないものを何故あれだけ欲しがるのか理解に苦しむ点もあるが、あの美麗なカラー印刷の技術はロシアにはないし、どこに行っても薄ぎたない室内や事務所に貼っておけば立派な装飾になることは間違いない。ある家に行ったら幾つもある部屋に、同じ一部のカレンダーから切り離したものがそれぞれ貼ってあった。日付けを見たら何年も前のものだった。
女性美といっても私ならロシア娘の方がよっぽど美しいと思うし、食指も動くのだが、ロシア人はカレンダーの日本美人をユタロンクラソトイ(美の原型)などという。過去にモンゴルの血を大量に注ぎ込まれたという彼らには東洋の美への憧れがあるのか、または一年中つまらない日常生活の中で美しい振り柚や日本庭園を見て天国を夢みるのか、詳しいことは分からないが、ともかく十二月に入ると取引先の各省庁、貿易公団の職員たちから一斉に請求されるし、交通巡査まで日本人の車を見ると停車させておねだりするから、この時期はカレンダーなしでは夜も日も明けない。
それで十一月には東京本社から一万部ぐらい送ってくるのだが、ある時これがやられた。受け取りにやったロシア人従業員が、重量が不足していて変だから引き取らないできた、と言う。仕方がないから翌日税関に行って計量したら確かに四割くらい少ない。
一辺が二メートルくらいの大箱を詳細に点検したが、どこにも開梱した跡はない。開けて調べたら内部も乱れた様子はないのに、中身の数量は送り状より四割は少ない。あるいは本社側の間違いか、と思ったので、ともかく中身を車に移したあと、念のために空になった大箱を横倒しにさせてみたら、あった。底板の一部に修理した跡がある。
それもよはど注意せねば気がつかぬほどで、プロの仕業だ。あとで聞けばそれぞれの分野専門の泥棒職人がいるらしいのだが、しかし一人や二人のプロだけで、こそこそできる仕事ではない。第一こんな重量物を横倒しや裏返しにするにはクレーンがいる。何人もの税関吏や警備の警官も交替で二十四時間見ている。倉庫の従業員も十数人いる。これが全部グルにならなければできる仕事ではない。
その頃カレンダー一部はヤミ市で十五ルーブルくらいしていたから、この稼ぎを仮に三十人で分配したとして、一人当りの手取りはほぼ一年分の収入に匹敵するから、やり甲斐のある仕事なのだ。東京本社の間違いでなかったのはもちろんである。だが、これなどもまだ小泥棒の域を出ない。更に大がかりなのは国の機関が組織ぐるみで行う盗みである。
(つづく)
ついでにもう一つ、最近では方式を変えた所もあるが、大体ロシアのホテルでは各階ごとに女性の鍵番というのが居て、エレベーターホールの机に陣どり、鍵の保管と、不審者が出入りしないか、の監視に当たっているのだが、ある時、日本から着いたその晩に部屋で現金が紛失した。
後から聞けば客が着いたその日はトランクや荷物を開けて中身をタンス、机などに移し替えるから狙い時らしいのだが、その時は銀行からおろしたばかりの五千ドルを入れた封筒をうかつにも机の引き出しに入れたまま外出した。
鍵は用心のため鍵番に渡さずに自分で持って出たから大丈夫と思ったのが大間違い。私の帰宅が遅いことを知った鍵番は深夜にマスターキーを使って部屋に侵入し、物色して封筒を見つけ、中から百ドル札五枚を抜き取ったのである。
全部盗ることだってできたはずだが、そうするとあまりに騒ぎが大きくなると考えたものであろう。盗っただけでもほぼ1年分の収入なのだ。翌朝封筒の位置が変っているので不審に思い、調べて分かった。部屋に入れるのは鍵番しかない。すぐ支配人を呼びつけて説明し、鍵番の取り調べを要求したが、頑として受けつけない。その分は日本に置いてきたのだろうとか、何か支払いをして忘れているにちがいない、とか埒があかない。
結局、物的証拠がないので、こちらの泣き寝入りになったのだが、それから約三カ月後に再び出張で同じホテルに泊まり、偶然エレベーターでその支配人に会ったので、その時の話を始めたら、ああ、あれはたしかに鍵番が盗ったのです、という。だが、もうすんだ過去のことですよ、と言わんばかりに平然としたものである。日本で言えば帝国ホテル並み、外国人しか泊まれない超一流ホテルの鍵番は監視人兼泥棒であり、支配人もまた、しやあしゃあとしてかくのごとしということ。
いろいろなケースを見ていると、どうもこの国では、分からぬよぅにうまく盗んでしまえば、それは正当な所有権の移転なのだから、あとからブックサ言うことの方がおかしい、という通念があるように思える。だから罪悪感も全くないし、詮索もしない。まして法や正義に依存する考えなどかけらもない。大体、あの社会には法も正義も存在しない。
これはかつてゴルバチョフ自身が言ったことだが、彼が地方の最高権力者、党の第三日記だった頃、いろいろな問題を討議して決定を下す際に、その決定が既存の法律に抵触するか否かなどを考えたことは一度もなかった、と述懐している。法治国家では決してなかったのだ。「相手が法と正義を重んずると言った以上、領土は帰ってくるはずだ。潮どきだ」などと考えるのは、どこかのバカ首相だけである。
話がそれたが、例を挙げたような個人ベースの小泥棒は実はむしろ可愛い部類なのであって、その上には集団による盗み、さらには組織ぐるみの盗みがある。集団泥棒の一例を挙げよう。日本製のカレンダーはロシアでは大変な人気で、猫も杓子もほしがる。ただし風景物は駄目で、あでやかな和服姿や、あるいは水着の美女がほほえんでいるものに限る。
あんな屁でもないものを何故あれだけ欲しがるのか理解に苦しむ点もあるが、あの美麗なカラー印刷の技術はロシアにはないし、どこに行っても薄ぎたない室内や事務所に貼っておけば立派な装飾になることは間違いない。ある家に行ったら幾つもある部屋に、同じ一部のカレンダーから切り離したものがそれぞれ貼ってあった。日付けを見たら何年も前のものだった。
女性美といっても私ならロシア娘の方がよっぽど美しいと思うし、食指も動くのだが、ロシア人はカレンダーの日本美人をユタロンクラソトイ(美の原型)などという。過去にモンゴルの血を大量に注ぎ込まれたという彼らには東洋の美への憧れがあるのか、または一年中つまらない日常生活の中で美しい振り柚や日本庭園を見て天国を夢みるのか、詳しいことは分からないが、ともかく十二月に入ると取引先の各省庁、貿易公団の職員たちから一斉に請求されるし、交通巡査まで日本人の車を見ると停車させておねだりするから、この時期はカレンダーなしでは夜も日も明けない。
それで十一月には東京本社から一万部ぐらい送ってくるのだが、ある時これがやられた。受け取りにやったロシア人従業員が、重量が不足していて変だから引き取らないできた、と言う。仕方がないから翌日税関に行って計量したら確かに四割くらい少ない。
一辺が二メートルくらいの大箱を詳細に点検したが、どこにも開梱した跡はない。開けて調べたら内部も乱れた様子はないのに、中身の数量は送り状より四割は少ない。あるいは本社側の間違いか、と思ったので、ともかく中身を車に移したあと、念のために空になった大箱を横倒しにさせてみたら、あった。底板の一部に修理した跡がある。
それもよはど注意せねば気がつかぬほどで、プロの仕業だ。あとで聞けばそれぞれの分野専門の泥棒職人がいるらしいのだが、しかし一人や二人のプロだけで、こそこそできる仕事ではない。第一こんな重量物を横倒しや裏返しにするにはクレーンがいる。何人もの税関吏や警備の警官も交替で二十四時間見ている。倉庫の従業員も十数人いる。これが全部グルにならなければできる仕事ではない。
その頃カレンダー一部はヤミ市で十五ルーブルくらいしていたから、この稼ぎを仮に三十人で分配したとして、一人当りの手取りはほぼ一年分の収入に匹敵するから、やり甲斐のある仕事なのだ。東京本社の間違いでなかったのはもちろんである。だが、これなどもまだ小泥棒の域を出ない。更に大がかりなのは国の機関が組織ぐるみで行う盗みである。
(つづく)
kousei2
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御存知漁業相イシコフ銃殺
以前、ソ連漁業省にイシコフという大臣がいた。二十何年大臣の椅子にあり、日本にも何回かきた著名人で、その下にいた次官は私共のやっていた魚の輸入商談にも何回か出てきた人物だが、この次官がある日突然いなくなった。
同時に顔なじみの省の役人も何人か消えてしまった。変だな、と思っているうちに日本でも報道された例のキャビア事件が明るみに出てきた。あるモスクワの市民が安いニシンの缶詰を買ったところ、中には庶民の手には届かない高価なキャビアがつまっていたことから騒ぎが始まり、官僚の調査によって漁業省の組織ぐるみの犯罪であることが分かった。
キャビアを缶詰にしてニシンのレッテルを貼り、ニシンとしてごく安い価格で西側に輸出し、そのバイヤーからは多額の外貨を裏口座に入金させて大臣以下関係者で分け合っていたのだが、何かの間違いで一部が国内向けに出荷されたことから明るみに出た。これは外国にも広く知れわたってしまったためか、大臣、次官は銃殺されたという。十五年くらい前の話である。
ロシアの小噺に「ソ連くらい豊かな国は世界中にない」というのがある。革命以来七十年ほども二億を超す国民全員が、これだけ国から盗んでも、まだ盗むものが残っているから、というのがオチである。キャビア事件などは氷山の一角で、組織ぐるみの盗みはいたる所でみられる。
数年前アルメニアで大地震があり、多数の建物が倒壊して多くの死傷者が出たが、現地を視察に来たゴルバチョフが「誰がセメントを盗んだか、だ」と言ったのも、その一例で、建設企業がセメントを横流しして、不足した分だけ砂利を多く入れた粗悪な建材が事故を大きくした、と言っているのだ。
ソ連崩壊後、総泥棒はエスカレートの一途である。西側の援助物資も宛先に届かない。昨年(平成四年)一月二十三日付のイズベスチヤによれば、届くのは僅かに六~七%で、あとはすべて盗まれて消えるという。
西独の提供した多額のマルク援助も、誰が受け取ってどこに使ったか、分からぬものが大分あるという。本日(平成五年三月二十日)付の日本の各紙は、斜陽の英雄エリツィン支援の会議が四月に東京で開催されることを報じている。だが、支援自体の当否はさておき、あの総泥棒国家に対して有効な支援の方法などが一体あり得るだろうか。
いまロシアでは教会が復活しつつある。もっとも、いままでも完全に抑圧されていたわけではなく、既に六十年代にはモスクワ市内のいくつかの教会に限って日曜日の礼拝が行われていた。礼拝に集ってきたのはほとんどが老婆であった。聞くところによれば、独ソ戦の最中、民衆は夫を、父を失い、生活は苦しく、あまりの辛さに教会に行って神に救いを求める人たちがでてきたので、スターリンもやむなく一部をオープンしたのだという。
日曜の朝、その教会に行ってみると、老婆たちは壁にならぶ聖像の前にひざまづき、頭を深く垂れて長ながと祈り、聖像に接吻して次の聖像の前に移って行く。ハルビンを思い出してタイムトンネルの中に入ったような気になった。
昔ながらの信仰は、一部の老人たちの間にだけ地下茎のように細く、暗く、続いていたということになる。数年前からだが、いままで打ち捨てられていた教会や修道院がロシア正教側に返還され始め、昨年はクレムリン内外のいくつかの聖堂や、歴史的建造物としても有名なウスペンスキー寺院なども返された。これからは信徒の寄進などで逐次修復が行われるのだという。
また、最近は一種の流行のようになったせいもあって、教会に足をはこぶ人の数が増えているようだ。いずれも結構なことである。しかし教会がこれから本当に人びとの信仰を集めることができるのだろうか。それが人びとの精神の浄化に役立つだろうか。何百年の先はいざ知らず、近未来的には恐らく不可能だろう。表土層が崩落して岩肌がむき出しになった山には、いくら苗木をさし込んでも緑はよみがえらない。
ソ連共産党支配の七十数年の間に、人びとの心、魂はあまりにも深く破壊し尽くされてしまっている。その結果、人びとは人間としての誇りを失い、恥を忘れ、見るもあさましい総泥棒と化した。聖職者たちがこれからいくら熱心に神の道を説いても、信仰の苗が根付くべき心の表土層はすでにどこにも無いのである。
(おわり)
以前、ソ連漁業省にイシコフという大臣がいた。二十何年大臣の椅子にあり、日本にも何回かきた著名人で、その下にいた次官は私共のやっていた魚の輸入商談にも何回か出てきた人物だが、この次官がある日突然いなくなった。
同時に顔なじみの省の役人も何人か消えてしまった。変だな、と思っているうちに日本でも報道された例のキャビア事件が明るみに出てきた。あるモスクワの市民が安いニシンの缶詰を買ったところ、中には庶民の手には届かない高価なキャビアがつまっていたことから騒ぎが始まり、官僚の調査によって漁業省の組織ぐるみの犯罪であることが分かった。
キャビアを缶詰にしてニシンのレッテルを貼り、ニシンとしてごく安い価格で西側に輸出し、そのバイヤーからは多額の外貨を裏口座に入金させて大臣以下関係者で分け合っていたのだが、何かの間違いで一部が国内向けに出荷されたことから明るみに出た。これは外国にも広く知れわたってしまったためか、大臣、次官は銃殺されたという。十五年くらい前の話である。
ロシアの小噺に「ソ連くらい豊かな国は世界中にない」というのがある。革命以来七十年ほども二億を超す国民全員が、これだけ国から盗んでも、まだ盗むものが残っているから、というのがオチである。キャビア事件などは氷山の一角で、組織ぐるみの盗みはいたる所でみられる。
数年前アルメニアで大地震があり、多数の建物が倒壊して多くの死傷者が出たが、現地を視察に来たゴルバチョフが「誰がセメントを盗んだか、だ」と言ったのも、その一例で、建設企業がセメントを横流しして、不足した分だけ砂利を多く入れた粗悪な建材が事故を大きくした、と言っているのだ。
ソ連崩壊後、総泥棒はエスカレートの一途である。西側の援助物資も宛先に届かない。昨年(平成四年)一月二十三日付のイズベスチヤによれば、届くのは僅かに六~七%で、あとはすべて盗まれて消えるという。
西独の提供した多額のマルク援助も、誰が受け取ってどこに使ったか、分からぬものが大分あるという。本日(平成五年三月二十日)付の日本の各紙は、斜陽の英雄エリツィン支援の会議が四月に東京で開催されることを報じている。だが、支援自体の当否はさておき、あの総泥棒国家に対して有効な支援の方法などが一体あり得るだろうか。
いまロシアでは教会が復活しつつある。もっとも、いままでも完全に抑圧されていたわけではなく、既に六十年代にはモスクワ市内のいくつかの教会に限って日曜日の礼拝が行われていた。礼拝に集ってきたのはほとんどが老婆であった。聞くところによれば、独ソ戦の最中、民衆は夫を、父を失い、生活は苦しく、あまりの辛さに教会に行って神に救いを求める人たちがでてきたので、スターリンもやむなく一部をオープンしたのだという。
日曜の朝、その教会に行ってみると、老婆たちは壁にならぶ聖像の前にひざまづき、頭を深く垂れて長ながと祈り、聖像に接吻して次の聖像の前に移って行く。ハルビンを思い出してタイムトンネルの中に入ったような気になった。
昔ながらの信仰は、一部の老人たちの間にだけ地下茎のように細く、暗く、続いていたということになる。数年前からだが、いままで打ち捨てられていた教会や修道院がロシア正教側に返還され始め、昨年はクレムリン内外のいくつかの聖堂や、歴史的建造物としても有名なウスペンスキー寺院なども返された。これからは信徒の寄進などで逐次修復が行われるのだという。
また、最近は一種の流行のようになったせいもあって、教会に足をはこぶ人の数が増えているようだ。いずれも結構なことである。しかし教会がこれから本当に人びとの信仰を集めることができるのだろうか。それが人びとの精神の浄化に役立つだろうか。何百年の先はいざ知らず、近未来的には恐らく不可能だろう。表土層が崩落して岩肌がむき出しになった山には、いくら苗木をさし込んでも緑はよみがえらない。
ソ連共産党支配の七十数年の間に、人びとの心、魂はあまりにも深く破壊し尽くされてしまっている。その結果、人びとは人間としての誇りを失い、恥を忘れ、見るもあさましい総泥棒と化した。聖職者たちがこれからいくら熱心に神の道を説いても、信仰の苗が根付くべき心の表土層はすでにどこにも無いのである。
(おわり)