Re: 教会の廃墟と国民総泥棒ぶり ― 共産国家で見てきたこと ―
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教会の廃墟と国民総泥棒ぶり ― 共産国家で見てきたこと ― (kousei2, 2008/2/6 18:22)
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Re: 教会の廃墟と国民総泥棒ぶり ― 共産国家で見てきたこと ― (kousei2, 2008/2/6 18:24)
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Re: 教会の廃墟と国民総泥棒ぶり ― 共産国家で見てきたこと ― (kousei2, 2008/2/6 18:28)
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Re: 教会の廃墟と国民総泥棒ぶり ― 共産国家で見てきたこと ― (kousei2, 2008/2/6 18:28)
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Re: 教会の廃墟と国民総泥棒ぶり ― 共産国家で見てきたこと ― (kousei2, 2008/2/6 18:24)
kousei2
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御存知漁業相イシコフ銃殺
以前、ソ連漁業省にイシコフという大臣がいた。二十何年大臣の椅子にあり、日本にも何回かきた著名人で、その下にいた次官は私共のやっていた魚の輸入商談にも何回か出てきた人物だが、この次官がある日突然いなくなった。
同時に顔なじみの省の役人も何人か消えてしまった。変だな、と思っているうちに日本でも報道された例のキャビア事件が明るみに出てきた。あるモスクワの市民が安いニシンの缶詰を買ったところ、中には庶民の手には届かない高価なキャビアがつまっていたことから騒ぎが始まり、官僚の調査によって漁業省の組織ぐるみの犯罪であることが分かった。
キャビアを缶詰にしてニシンのレッテルを貼り、ニシンとしてごく安い価格で西側に輸出し、そのバイヤーからは多額の外貨を裏口座に入金させて大臣以下関係者で分け合っていたのだが、何かの間違いで一部が国内向けに出荷されたことから明るみに出た。これは外国にも広く知れわたってしまったためか、大臣、次官は銃殺されたという。十五年くらい前の話である。
ロシアの小噺に「ソ連くらい豊かな国は世界中にない」というのがある。革命以来七十年ほども二億を超す国民全員が、これだけ国から盗んでも、まだ盗むものが残っているから、というのがオチである。キャビア事件などは氷山の一角で、組織ぐるみの盗みはいたる所でみられる。
数年前アルメニアで大地震があり、多数の建物が倒壊して多くの死傷者が出たが、現地を視察に来たゴルバチョフが「誰がセメントを盗んだか、だ」と言ったのも、その一例で、建設企業がセメントを横流しして、不足した分だけ砂利を多く入れた粗悪な建材が事故を大きくした、と言っているのだ。
ソ連崩壊後、総泥棒はエスカレートの一途である。西側の援助物資も宛先に届かない。昨年(平成四年)一月二十三日付のイズベスチヤによれば、届くのは僅かに六~七%で、あとはすべて盗まれて消えるという。
西独の提供した多額のマルク援助も、誰が受け取ってどこに使ったか、分からぬものが大分あるという。本日(平成五年三月二十日)付の日本の各紙は、斜陽の英雄エリツィン支援の会議が四月に東京で開催されることを報じている。だが、支援自体の当否はさておき、あの総泥棒国家に対して有効な支援の方法などが一体あり得るだろうか。
いまロシアでは教会が復活しつつある。もっとも、いままでも完全に抑圧されていたわけではなく、既に六十年代にはモスクワ市内のいくつかの教会に限って日曜日の礼拝が行われていた。礼拝に集ってきたのはほとんどが老婆であった。聞くところによれば、独ソ戦の最中、民衆は夫を、父を失い、生活は苦しく、あまりの辛さに教会に行って神に救いを求める人たちがでてきたので、スターリンもやむなく一部をオープンしたのだという。
日曜の朝、その教会に行ってみると、老婆たちは壁にならぶ聖像の前にひざまづき、頭を深く垂れて長ながと祈り、聖像に接吻して次の聖像の前に移って行く。ハルビンを思い出してタイムトンネルの中に入ったような気になった。
昔ながらの信仰は、一部の老人たちの間にだけ地下茎のように細く、暗く、続いていたということになる。数年前からだが、いままで打ち捨てられていた教会や修道院がロシア正教側に返還され始め、昨年はクレムリン内外のいくつかの聖堂や、歴史的建造物としても有名なウスペンスキー寺院なども返された。これからは信徒の寄進などで逐次修復が行われるのだという。
また、最近は一種の流行のようになったせいもあって、教会に足をはこぶ人の数が増えているようだ。いずれも結構なことである。しかし教会がこれから本当に人びとの信仰を集めることができるのだろうか。それが人びとの精神の浄化に役立つだろうか。何百年の先はいざ知らず、近未来的には恐らく不可能だろう。表土層が崩落して岩肌がむき出しになった山には、いくら苗木をさし込んでも緑はよみがえらない。
ソ連共産党支配の七十数年の間に、人びとの心、魂はあまりにも深く破壊し尽くされてしまっている。その結果、人びとは人間としての誇りを失い、恥を忘れ、見るもあさましい総泥棒と化した。聖職者たちがこれからいくら熱心に神の道を説いても、信仰の苗が根付くべき心の表土層はすでにどこにも無いのである。
(おわり)
以前、ソ連漁業省にイシコフという大臣がいた。二十何年大臣の椅子にあり、日本にも何回かきた著名人で、その下にいた次官は私共のやっていた魚の輸入商談にも何回か出てきた人物だが、この次官がある日突然いなくなった。
同時に顔なじみの省の役人も何人か消えてしまった。変だな、と思っているうちに日本でも報道された例のキャビア事件が明るみに出てきた。あるモスクワの市民が安いニシンの缶詰を買ったところ、中には庶民の手には届かない高価なキャビアがつまっていたことから騒ぎが始まり、官僚の調査によって漁業省の組織ぐるみの犯罪であることが分かった。
キャビアを缶詰にしてニシンのレッテルを貼り、ニシンとしてごく安い価格で西側に輸出し、そのバイヤーからは多額の外貨を裏口座に入金させて大臣以下関係者で分け合っていたのだが、何かの間違いで一部が国内向けに出荷されたことから明るみに出た。これは外国にも広く知れわたってしまったためか、大臣、次官は銃殺されたという。十五年くらい前の話である。
ロシアの小噺に「ソ連くらい豊かな国は世界中にない」というのがある。革命以来七十年ほども二億を超す国民全員が、これだけ国から盗んでも、まだ盗むものが残っているから、というのがオチである。キャビア事件などは氷山の一角で、組織ぐるみの盗みはいたる所でみられる。
数年前アルメニアで大地震があり、多数の建物が倒壊して多くの死傷者が出たが、現地を視察に来たゴルバチョフが「誰がセメントを盗んだか、だ」と言ったのも、その一例で、建設企業がセメントを横流しして、不足した分だけ砂利を多く入れた粗悪な建材が事故を大きくした、と言っているのだ。
ソ連崩壊後、総泥棒はエスカレートの一途である。西側の援助物資も宛先に届かない。昨年(平成四年)一月二十三日付のイズベスチヤによれば、届くのは僅かに六~七%で、あとはすべて盗まれて消えるという。
西独の提供した多額のマルク援助も、誰が受け取ってどこに使ったか、分からぬものが大分あるという。本日(平成五年三月二十日)付の日本の各紙は、斜陽の英雄エリツィン支援の会議が四月に東京で開催されることを報じている。だが、支援自体の当否はさておき、あの総泥棒国家に対して有効な支援の方法などが一体あり得るだろうか。
いまロシアでは教会が復活しつつある。もっとも、いままでも完全に抑圧されていたわけではなく、既に六十年代にはモスクワ市内のいくつかの教会に限って日曜日の礼拝が行われていた。礼拝に集ってきたのはほとんどが老婆であった。聞くところによれば、独ソ戦の最中、民衆は夫を、父を失い、生活は苦しく、あまりの辛さに教会に行って神に救いを求める人たちがでてきたので、スターリンもやむなく一部をオープンしたのだという。
日曜の朝、その教会に行ってみると、老婆たちは壁にならぶ聖像の前にひざまづき、頭を深く垂れて長ながと祈り、聖像に接吻して次の聖像の前に移って行く。ハルビンを思い出してタイムトンネルの中に入ったような気になった。
昔ながらの信仰は、一部の老人たちの間にだけ地下茎のように細く、暗く、続いていたということになる。数年前からだが、いままで打ち捨てられていた教会や修道院がロシア正教側に返還され始め、昨年はクレムリン内外のいくつかの聖堂や、歴史的建造物としても有名なウスペンスキー寺院なども返された。これからは信徒の寄進などで逐次修復が行われるのだという。
また、最近は一種の流行のようになったせいもあって、教会に足をはこぶ人の数が増えているようだ。いずれも結構なことである。しかし教会がこれから本当に人びとの信仰を集めることができるのだろうか。それが人びとの精神の浄化に役立つだろうか。何百年の先はいざ知らず、近未来的には恐らく不可能だろう。表土層が崩落して岩肌がむき出しになった山には、いくら苗木をさし込んでも緑はよみがえらない。
ソ連共産党支配の七十数年の間に、人びとの心、魂はあまりにも深く破壊し尽くされてしまっている。その結果、人びとは人間としての誇りを失い、恥を忘れ、見るもあさましい総泥棒と化した。聖職者たちがこれからいくら熱心に神の道を説いても、信仰の苗が根付くべき心の表土層はすでにどこにも無いのである。
(おわり)