Re: 教会の廃墟と国民総泥棒ぶり ― 共産国家で見てきたこと ―
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教会の廃墟と国民総泥棒ぶり ― 共産国家で見てきたこと ― (kousei2, 2008/2/6 18:22)
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Re: 教会の廃墟と国民総泥棒ぶり ― 共産国家で見てきたこと ― (kousei2, 2008/2/6 18:24)
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Re: 教会の廃墟と国民総泥棒ぶり ― 共産国家で見てきたこと ― (kousei2, 2008/2/6 18:24)
kousei2
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ホテルの鍵番本人が泥棒
ついでにもう一つ、最近では方式を変えた所もあるが、大体ロシアのホテルでは各階ごとに女性の鍵番というのが居て、エレベーターホールの机に陣どり、鍵の保管と、不審者が出入りしないか、の監視に当たっているのだが、ある時、日本から着いたその晩に部屋で現金が紛失した。
後から聞けば客が着いたその日はトランクや荷物を開けて中身をタンス、机などに移し替えるから狙い時らしいのだが、その時は銀行からおろしたばかりの五千ドルを入れた封筒をうかつにも机の引き出しに入れたまま外出した。
鍵は用心のため鍵番に渡さずに自分で持って出たから大丈夫と思ったのが大間違い。私の帰宅が遅いことを知った鍵番は深夜にマスターキーを使って部屋に侵入し、物色して封筒を見つけ、中から百ドル札五枚を抜き取ったのである。
全部盗ることだってできたはずだが、そうするとあまりに騒ぎが大きくなると考えたものであろう。盗っただけでもほぼ1年分の収入なのだ。翌朝封筒の位置が変っているので不審に思い、調べて分かった。部屋に入れるのは鍵番しかない。すぐ支配人を呼びつけて説明し、鍵番の取り調べを要求したが、頑として受けつけない。その分は日本に置いてきたのだろうとか、何か支払いをして忘れているにちがいない、とか埒があかない。
結局、物的証拠がないので、こちらの泣き寝入りになったのだが、それから約三カ月後に再び出張で同じホテルに泊まり、偶然エレベーターでその支配人に会ったので、その時の話を始めたら、ああ、あれはたしかに鍵番が盗ったのです、という。だが、もうすんだ過去のことですよ、と言わんばかりに平然としたものである。日本で言えば帝国ホテル並み、外国人しか泊まれない超一流ホテルの鍵番は監視人兼泥棒であり、支配人もまた、しやあしゃあとしてかくのごとしということ。
いろいろなケースを見ていると、どうもこの国では、分からぬよぅにうまく盗んでしまえば、それは正当な所有権の移転なのだから、あとからブックサ言うことの方がおかしい、という通念があるように思える。だから罪悪感も全くないし、詮索もしない。まして法や正義に依存する考えなどかけらもない。大体、あの社会には法も正義も存在しない。
これはかつてゴルバチョフ自身が言ったことだが、彼が地方の最高権力者、党の第三日記だった頃、いろいろな問題を討議して決定を下す際に、その決定が既存の法律に抵触するか否かなどを考えたことは一度もなかった、と述懐している。法治国家では決してなかったのだ。「相手が法と正義を重んずると言った以上、領土は帰ってくるはずだ。潮どきだ」などと考えるのは、どこかのバカ首相だけである。
話がそれたが、例を挙げたような個人ベースの小泥棒は実はむしろ可愛い部類なのであって、その上には集団による盗み、さらには組織ぐるみの盗みがある。集団泥棒の一例を挙げよう。日本製のカレンダーはロシアでは大変な人気で、猫も杓子もほしがる。ただし風景物は駄目で、あでやかな和服姿や、あるいは水着の美女がほほえんでいるものに限る。
あんな屁でもないものを何故あれだけ欲しがるのか理解に苦しむ点もあるが、あの美麗なカラー印刷の技術はロシアにはないし、どこに行っても薄ぎたない室内や事務所に貼っておけば立派な装飾になることは間違いない。ある家に行ったら幾つもある部屋に、同じ一部のカレンダーから切り離したものがそれぞれ貼ってあった。日付けを見たら何年も前のものだった。
女性美といっても私ならロシア娘の方がよっぽど美しいと思うし、食指も動くのだが、ロシア人はカレンダーの日本美人をユタロンクラソトイ(美の原型)などという。過去にモンゴルの血を大量に注ぎ込まれたという彼らには東洋の美への憧れがあるのか、または一年中つまらない日常生活の中で美しい振り柚や日本庭園を見て天国を夢みるのか、詳しいことは分からないが、ともかく十二月に入ると取引先の各省庁、貿易公団の職員たちから一斉に請求されるし、交通巡査まで日本人の車を見ると停車させておねだりするから、この時期はカレンダーなしでは夜も日も明けない。
それで十一月には東京本社から一万部ぐらい送ってくるのだが、ある時これがやられた。受け取りにやったロシア人従業員が、重量が不足していて変だから引き取らないできた、と言う。仕方がないから翌日税関に行って計量したら確かに四割くらい少ない。
一辺が二メートルくらいの大箱を詳細に点検したが、どこにも開梱した跡はない。開けて調べたら内部も乱れた様子はないのに、中身の数量は送り状より四割は少ない。あるいは本社側の間違いか、と思ったので、ともかく中身を車に移したあと、念のために空になった大箱を横倒しにさせてみたら、あった。底板の一部に修理した跡がある。
それもよはど注意せねば気がつかぬほどで、プロの仕業だ。あとで聞けばそれぞれの分野専門の泥棒職人がいるらしいのだが、しかし一人や二人のプロだけで、こそこそできる仕事ではない。第一こんな重量物を横倒しや裏返しにするにはクレーンがいる。何人もの税関吏や警備の警官も交替で二十四時間見ている。倉庫の従業員も十数人いる。これが全部グルにならなければできる仕事ではない。
その頃カレンダー一部はヤミ市で十五ルーブルくらいしていたから、この稼ぎを仮に三十人で分配したとして、一人当りの手取りはほぼ一年分の収入に匹敵するから、やり甲斐のある仕事なのだ。東京本社の間違いでなかったのはもちろんである。だが、これなどもまだ小泥棒の域を出ない。更に大がかりなのは国の機関が組織ぐるみで行う盗みである。
(つづく)
ついでにもう一つ、最近では方式を変えた所もあるが、大体ロシアのホテルでは各階ごとに女性の鍵番というのが居て、エレベーターホールの机に陣どり、鍵の保管と、不審者が出入りしないか、の監視に当たっているのだが、ある時、日本から着いたその晩に部屋で現金が紛失した。
後から聞けば客が着いたその日はトランクや荷物を開けて中身をタンス、机などに移し替えるから狙い時らしいのだが、その時は銀行からおろしたばかりの五千ドルを入れた封筒をうかつにも机の引き出しに入れたまま外出した。
鍵は用心のため鍵番に渡さずに自分で持って出たから大丈夫と思ったのが大間違い。私の帰宅が遅いことを知った鍵番は深夜にマスターキーを使って部屋に侵入し、物色して封筒を見つけ、中から百ドル札五枚を抜き取ったのである。
全部盗ることだってできたはずだが、そうするとあまりに騒ぎが大きくなると考えたものであろう。盗っただけでもほぼ1年分の収入なのだ。翌朝封筒の位置が変っているので不審に思い、調べて分かった。部屋に入れるのは鍵番しかない。すぐ支配人を呼びつけて説明し、鍵番の取り調べを要求したが、頑として受けつけない。その分は日本に置いてきたのだろうとか、何か支払いをして忘れているにちがいない、とか埒があかない。
結局、物的証拠がないので、こちらの泣き寝入りになったのだが、それから約三カ月後に再び出張で同じホテルに泊まり、偶然エレベーターでその支配人に会ったので、その時の話を始めたら、ああ、あれはたしかに鍵番が盗ったのです、という。だが、もうすんだ過去のことですよ、と言わんばかりに平然としたものである。日本で言えば帝国ホテル並み、外国人しか泊まれない超一流ホテルの鍵番は監視人兼泥棒であり、支配人もまた、しやあしゃあとしてかくのごとしということ。
いろいろなケースを見ていると、どうもこの国では、分からぬよぅにうまく盗んでしまえば、それは正当な所有権の移転なのだから、あとからブックサ言うことの方がおかしい、という通念があるように思える。だから罪悪感も全くないし、詮索もしない。まして法や正義に依存する考えなどかけらもない。大体、あの社会には法も正義も存在しない。
これはかつてゴルバチョフ自身が言ったことだが、彼が地方の最高権力者、党の第三日記だった頃、いろいろな問題を討議して決定を下す際に、その決定が既存の法律に抵触するか否かなどを考えたことは一度もなかった、と述懐している。法治国家では決してなかったのだ。「相手が法と正義を重んずると言った以上、領土は帰ってくるはずだ。潮どきだ」などと考えるのは、どこかのバカ首相だけである。
話がそれたが、例を挙げたような個人ベースの小泥棒は実はむしろ可愛い部類なのであって、その上には集団による盗み、さらには組織ぐるみの盗みがある。集団泥棒の一例を挙げよう。日本製のカレンダーはロシアでは大変な人気で、猫も杓子もほしがる。ただし風景物は駄目で、あでやかな和服姿や、あるいは水着の美女がほほえんでいるものに限る。
あんな屁でもないものを何故あれだけ欲しがるのか理解に苦しむ点もあるが、あの美麗なカラー印刷の技術はロシアにはないし、どこに行っても薄ぎたない室内や事務所に貼っておけば立派な装飾になることは間違いない。ある家に行ったら幾つもある部屋に、同じ一部のカレンダーから切り離したものがそれぞれ貼ってあった。日付けを見たら何年も前のものだった。
女性美といっても私ならロシア娘の方がよっぽど美しいと思うし、食指も動くのだが、ロシア人はカレンダーの日本美人をユタロンクラソトイ(美の原型)などという。過去にモンゴルの血を大量に注ぎ込まれたという彼らには東洋の美への憧れがあるのか、または一年中つまらない日常生活の中で美しい振り柚や日本庭園を見て天国を夢みるのか、詳しいことは分からないが、ともかく十二月に入ると取引先の各省庁、貿易公団の職員たちから一斉に請求されるし、交通巡査まで日本人の車を見ると停車させておねだりするから、この時期はカレンダーなしでは夜も日も明けない。
それで十一月には東京本社から一万部ぐらい送ってくるのだが、ある時これがやられた。受け取りにやったロシア人従業員が、重量が不足していて変だから引き取らないできた、と言う。仕方がないから翌日税関に行って計量したら確かに四割くらい少ない。
一辺が二メートルくらいの大箱を詳細に点検したが、どこにも開梱した跡はない。開けて調べたら内部も乱れた様子はないのに、中身の数量は送り状より四割は少ない。あるいは本社側の間違いか、と思ったので、ともかく中身を車に移したあと、念のために空になった大箱を横倒しにさせてみたら、あった。底板の一部に修理した跡がある。
それもよはど注意せねば気がつかぬほどで、プロの仕業だ。あとで聞けばそれぞれの分野専門の泥棒職人がいるらしいのだが、しかし一人や二人のプロだけで、こそこそできる仕事ではない。第一こんな重量物を横倒しや裏返しにするにはクレーンがいる。何人もの税関吏や警備の警官も交替で二十四時間見ている。倉庫の従業員も十数人いる。これが全部グルにならなければできる仕事ではない。
その頃カレンダー一部はヤミ市で十五ルーブルくらいしていたから、この稼ぎを仮に三十人で分配したとして、一人当りの手取りはほぼ一年分の収入に匹敵するから、やり甲斐のある仕事なのだ。東京本社の間違いでなかったのはもちろんである。だが、これなどもまだ小泥棒の域を出ない。更に大がかりなのは国の機関が組織ぐるみで行う盗みである。
(つづく)