Re: 昭和十六年一月一日~五月三十一日
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成瀬孫仁日記(一) 1989年9月から記す (あんみつ姫, 2008/10/24 11:15)
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昭和十六年一月一日~五月三十一日 (あんみつ姫, 2008/10/24 11:20)
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Re: 昭和十六年一月一日~五月三十一日 (あんみつ姫, 2008/10/24 11:31)
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Re: 昭和十六年一月一日~五月三十一日 (あんみつ姫, 2008/10/24 11:41)
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Re: 昭和十六年一月一日~五月三十一日 (あんみつ姫, 2008/10/24 11:47)
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Re: 昭和十六年一月一日~五月三十一日 (あんみつ姫, 2008/10/24 11:56)
- Re: 昭和十六年一月一日~五月三十一日 (あんみつ姫, 2008/10/24 11:58)
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Re: 昭和十六年一月一日~五月三十一日 (あんみつ姫, 2008/10/24 11:56)
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昭和十六年一月一日~五月三十一日 (あんみつ姫, 2008/10/24 11:20)
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
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哈爾浜会館の天井落ち二年生死亡
三月一日(土) 晴 暖
建国節。満洲国《注1》建国以来早くも九年。学校で記念式典を挙行。満洲帝国萬歳を三唱。
三月三日(月) 晴 暖
朝礼で院長訓辞して日く「一、下宿者は防諜《注2》に注意せよ、二、衛生に気を付けろ、三、最後の一線を越えるな」
三月七日(金) 曇 暖
今日は国立大学第二回、創立以来第十九回卒業式。本科生(十九期)五十一名、特修科生六十二名。前院長三毛一夫先生、特務機関長、民政部大臣代理、清江省長等多数来賓あり。
三月十日(月)
陸軍記念日。朝六時起床。七時半までに集合して出発する。八区の運動場、家と樹木の蔭から豆タンク《小型戦車-》が数台ガラガラと音を立ててあっと云ふ間に眼の前に止った。
天蓋を開けて顔を出した将校が「学生さん貴方がたは全滅だ。私達はスンガリー《注3》へ行く貴方がたも早く行くと良い」と言って轟音をあげて去って行った。
スンガリーへ行って見ると、お玩具のような小さな大砲が並べてあり盛んに砲撃していた。聞くと対戦車砲だと。
終り市中行進、駐屯地司令官の閲兵分列行進あり。哈爾浜神社参拝。春日君と福永君と途中で抜け出して帰る。他の者は皆忠霊塔に参拝行軍をした。
菊地惟幾君遂に赤十字病院に入院。
三月十一日(火) 晴 寒
晩何のために来たのか、中田甫先生、森新一先生、森三郎先生の三助教授が来寮する。「コンバンワ」と言って自習室の扉を開けて入って来た。皆大笑する。
三月十二日(水) 晴 暖
馬場正治君ジフテリヤで入院する。
夜北方亜細亜研究会あり。
三月十三日(木) 晴 暖
北方亜細亜研究会あり。蒙古語の森三郎先生日く「露国の蒙古及び四連の民族の研究は日本より進んでいる。之に負けるな」と。
月蝕あり。月が段々噛られて行く、今に真黒闇になるだろう。
三月十四日(金) 晴 暖
哈爾浜会館の屋根裏落つ。淡谷のり子の実演があった晩の事である。二年生加藤勲さん、天井の落下物と椅子にはさまれて死亡する。
偶然か?哈爾浜まで来て天井に打たれて死ぬとは。
三月十五日(土) 晴 暖
春日君と街へ出る。赤十字病院に菊地君を見舞う。元気だが退院は少し遅れるそうだ。丁度担任の柴田先生も来られた。
昨日の哈爾浜会館の負傷者が澤山居た。そう言えば朝、井手口教官に会うと「成瀬生きとったか、昨夜赤十字病院に掲示した死亡者の中に「成瀬」と言うのがあって見に行ったらお前ではなかった、良かった」と言はれた事を想い出した。
加藤さんの告別式が西本願寺であり。二年生、一年生の代表之に参列する。
三月二十一日(金) 晴一時雪 暖
春分の日。内地では菜の花が咲き乱れているだろうに哈爾浜では雪が未だ残っている。
数日前、略帽《注4》を失い無帽でいると教官に叱られた。カンカン帽をかむって行く。
三月二十二日(土) 晴 暖
第一学年で授業最後の日。後は試験のみ。
三月二十七日(木) 晴 暖
試験の最後が法学通論。
午後一時から終業式あり。三月十九日に日系学生の入学予定者の表が御丁寧にも県名入りであつた。
三月二十九日(土) 晴後曇 暖
柔道部の合宿始まる。清田を担いで学校の合宿所に運ぶ。四月六日までの予定。
注1:1932~1945年日本の国策により建国された国
注2:スパイ活動を防ぐ
注3:松花江の別名
注4:戦闘帽
三月一日(土) 晴 暖
建国節。満洲国《注1》建国以来早くも九年。学校で記念式典を挙行。満洲帝国萬歳を三唱。
三月三日(月) 晴 暖
朝礼で院長訓辞して日く「一、下宿者は防諜《注2》に注意せよ、二、衛生に気を付けろ、三、最後の一線を越えるな」
三月七日(金) 曇 暖
今日は国立大学第二回、創立以来第十九回卒業式。本科生(十九期)五十一名、特修科生六十二名。前院長三毛一夫先生、特務機関長、民政部大臣代理、清江省長等多数来賓あり。
三月十日(月)
陸軍記念日。朝六時起床。七時半までに集合して出発する。八区の運動場、家と樹木の蔭から豆タンク《小型戦車-》が数台ガラガラと音を立ててあっと云ふ間に眼の前に止った。
天蓋を開けて顔を出した将校が「学生さん貴方がたは全滅だ。私達はスンガリー《注3》へ行く貴方がたも早く行くと良い」と言って轟音をあげて去って行った。
スンガリーへ行って見ると、お玩具のような小さな大砲が並べてあり盛んに砲撃していた。聞くと対戦車砲だと。
終り市中行進、駐屯地司令官の閲兵分列行進あり。哈爾浜神社参拝。春日君と福永君と途中で抜け出して帰る。他の者は皆忠霊塔に参拝行軍をした。
菊地惟幾君遂に赤十字病院に入院。
三月十一日(火) 晴 寒
晩何のために来たのか、中田甫先生、森新一先生、森三郎先生の三助教授が来寮する。「コンバンワ」と言って自習室の扉を開けて入って来た。皆大笑する。
三月十二日(水) 晴 暖
馬場正治君ジフテリヤで入院する。
夜北方亜細亜研究会あり。
三月十三日(木) 晴 暖
北方亜細亜研究会あり。蒙古語の森三郎先生日く「露国の蒙古及び四連の民族の研究は日本より進んでいる。之に負けるな」と。
月蝕あり。月が段々噛られて行く、今に真黒闇になるだろう。
三月十四日(金) 晴 暖
哈爾浜会館の屋根裏落つ。淡谷のり子の実演があった晩の事である。二年生加藤勲さん、天井の落下物と椅子にはさまれて死亡する。
偶然か?哈爾浜まで来て天井に打たれて死ぬとは。
三月十五日(土) 晴 暖
春日君と街へ出る。赤十字病院に菊地君を見舞う。元気だが退院は少し遅れるそうだ。丁度担任の柴田先生も来られた。
昨日の哈爾浜会館の負傷者が澤山居た。そう言えば朝、井手口教官に会うと「成瀬生きとったか、昨夜赤十字病院に掲示した死亡者の中に「成瀬」と言うのがあって見に行ったらお前ではなかった、良かった」と言はれた事を想い出した。
加藤さんの告別式が西本願寺であり。二年生、一年生の代表之に参列する。
三月二十一日(金) 晴一時雪 暖
春分の日。内地では菜の花が咲き乱れているだろうに哈爾浜では雪が未だ残っている。
数日前、略帽《注4》を失い無帽でいると教官に叱られた。カンカン帽をかむって行く。
三月二十二日(土) 晴 暖
第一学年で授業最後の日。後は試験のみ。
三月二十七日(木) 晴 暖
試験の最後が法学通論。
午後一時から終業式あり。三月十九日に日系学生の入学予定者の表が御丁寧にも県名入りであつた。
三月二十九日(土) 晴後曇 暖
柔道部の合宿始まる。清田を担いで学校の合宿所に運ぶ。四月六日までの予定。
注1:1932~1945年日本の国策により建国された国
注2:スパイ活動を防ぐ
注3:松花江の別名
注4:戦闘帽
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あんみつ姫