成瀬孫仁日記(一) 1989年9月から記す
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- 成瀬孫仁日記(一) 1989年9月から記す (あんみつ姫, 2008/10/24 11:15)
- 昭和十六年一月一日~五月三十一日 (あんみつ姫, 2008/10/24 11:20)
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投稿日時 2008/10/24 11:15
あんみつ姫
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投稿数: 485
これは哈爾浜《ハルピン》学院21期卒業生の同窓会誌「ポームニム21」に寄稿された成瀬 孫仁氏の記録を、久野 公氏の許可を得て記載するものです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
成瀬孫仁日記(一) 1989年9月から記す
これは成瀬が昨年(六十三年)春に自宅の土蔵から偶然見つけた。
本人も全く記憶にないと言うが、卒業して学徒出陣までの慌ただしい中で実家へ送ったものらしい。
期間は一年当時の昭和十六年元旦から十八年十一月の卒業時までの三年間にわたる。
気紛れなハイティーン時代に、これほど長期に記入を続けた根気と強い意志とに敬意を表したい。
内容は、学院生活のすべてを網羅し、哈爾浜を中心とした動きから世界情勢にまで及び、学院史を補う貴重な資料たるを失わない。
筆致は簡にして要を得て見事。特にクラスメ-ト間の消息については大笑を誘うもの、微笑を禁じ得ぬもの、頭をかしげさせるものなどなど、忘却の彼方からつぎつぎに息を吹き返す事実のかずかずに興味しんしん、再読、三読して飽かせない。
こんご六号、三年間は連載ということになろう。乞う御期待!
(編集者:作間隆美)
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成瀬孫仁日記(一) 1989年9月から記す
これは成瀬が昨年(六十三年)春に自宅の土蔵から偶然見つけた。
本人も全く記憶にないと言うが、卒業して学徒出陣までの慌ただしい中で実家へ送ったものらしい。
期間は一年当時の昭和十六年元旦から十八年十一月の卒業時までの三年間にわたる。
気紛れなハイティーン時代に、これほど長期に記入を続けた根気と強い意志とに敬意を表したい。
内容は、学院生活のすべてを網羅し、哈爾浜を中心とした動きから世界情勢にまで及び、学院史を補う貴重な資料たるを失わない。
筆致は簡にして要を得て見事。特にクラスメ-ト間の消息については大笑を誘うもの、微笑を禁じ得ぬもの、頭をかしげさせるものなどなど、忘却の彼方からつぎつぎに息を吹き返す事実のかずかずに興味しんしん、再読、三読して飽かせない。
こんご六号、三年間は連載ということになろう。乞う御期待!
(編集者:作間隆美)
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あんみつ姫
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一月一日(火) 晴 暖
想はざりし紀元二六〇一年を故里で過ごそうとは。山に登って内海の海を眺める。
一月二十四日(金) 晴 暖
朝、六時五十分の船で高松へ、高松泊。
一月二十五日(土) 晴 暖
高松発午後十時二十八分の鉄道連絡船《注1》で宇野港へ、午後十一時五十四分宇野発、鳥羽行で零時五十二分岡山着、岡山発一時十五分の特急「サクラ」に乗る予定の所寝すごして乗りおくれる。
一月二十六日(日) 曇後雨 稍寒し
朝十時五十五分下関着。時間があったので、壇乃浦、赤間関、文久三年毛利氏の外艦打払の台場等を見る。風強く吹き波高し。晩十時半発の関釜連絡船《注2》に乗る。船中大いに混む。
一月二十七日(月) 曇 (車中)
朝六時、釜山《ふさん=注3》着、新京《注4》行特急「望」に乗る。満席。プラットホームで中台先生にお会いする。列車中より外を眺める。今日は大陰暦の元旦、鮮人の服装も派手やかである。洛東江《注5》も結氷して居るが薄氷、江長五二九キロメートル北に行くに従い雪は増し、道は泥濘《ぬかる》む。
車中うとうとしながら安東《注6》駅にて税関検査終る。多量に仕入れて来た煙草は無事。
一月二十八日(火) 晴 寒し
十三時五十分列車新京駅着。新京近くなると雪の平原が現われる。
一月三十日(木) 曇 寒し
昨夜駅小荷物受取所で「トランク」が紛失しているのが解る。種々調査の結果大和ホテルの者が持ち帰っていることが判明。後程送って貰うことにする。
列車発車遅れること二時間、また哈爾浜に遅れて着くこと十時間。車内スチーム通らず、寒く一晩眠られず。
学校は無試験の者の検定と引越があるとて取り込んでいた。学校は暖かく、寮は寒い。
一月三十一日(金) 晴 寒し
朝室内が大変寒い。昨夜は頭を出して眠ると凍えそうになるので蒲団を頭からかむって寝た。起床十一時、室の掃除をして登校、室は大変汚ない。一号室の者全員揃う。
注1:宇高連絡船は岡山県の宇野駅と香川県の高松駅を約1時間で結ぶ航路です 昭和63年4月9日で廃止された
注2:戦前の鉄道省が本州の下関から朝鮮の釜山間の鉄道連絡船
注3:今の大韓民国東南の都市
注4:現在の中国東北部の長春で満州国建国当時の首都であった
注5:韓国南東部にある洛東江は長さ525km
注6:韓国慶尚南道の北部にある都市(アンドン)
想はざりし紀元二六〇一年を故里で過ごそうとは。山に登って内海の海を眺める。
一月二十四日(金) 晴 暖
朝、六時五十分の船で高松へ、高松泊。
一月二十五日(土) 晴 暖
高松発午後十時二十八分の鉄道連絡船《注1》で宇野港へ、午後十一時五十四分宇野発、鳥羽行で零時五十二分岡山着、岡山発一時十五分の特急「サクラ」に乗る予定の所寝すごして乗りおくれる。
一月二十六日(日) 曇後雨 稍寒し
朝十時五十五分下関着。時間があったので、壇乃浦、赤間関、文久三年毛利氏の外艦打払の台場等を見る。風強く吹き波高し。晩十時半発の関釜連絡船《注2》に乗る。船中大いに混む。
一月二十七日(月) 曇 (車中)
朝六時、釜山《ふさん=注3》着、新京《注4》行特急「望」に乗る。満席。プラットホームで中台先生にお会いする。列車中より外を眺める。今日は大陰暦の元旦、鮮人の服装も派手やかである。洛東江《注5》も結氷して居るが薄氷、江長五二九キロメートル北に行くに従い雪は増し、道は泥濘《ぬかる》む。
車中うとうとしながら安東《注6》駅にて税関検査終る。多量に仕入れて来た煙草は無事。
一月二十八日(火) 晴 寒し
十三時五十分列車新京駅着。新京近くなると雪の平原が現われる。
一月三十日(木) 曇 寒し
昨夜駅小荷物受取所で「トランク」が紛失しているのが解る。種々調査の結果大和ホテルの者が持ち帰っていることが判明。後程送って貰うことにする。
列車発車遅れること二時間、また哈爾浜に遅れて着くこと十時間。車内スチーム通らず、寒く一晩眠られず。
学校は無試験の者の検定と引越があるとて取り込んでいた。学校は暖かく、寮は寒い。
一月三十一日(金) 晴 寒し
朝室内が大変寒い。昨夜は頭を出して眠ると凍えそうになるので蒲団を頭からかむって寝た。起床十一時、室の掃除をして登校、室は大変汚ない。一号室の者全員揃う。
注1:宇高連絡船は岡山県の宇野駅と香川県の高松駅を約1時間で結ぶ航路です 昭和63年4月9日で廃止された
注2:戦前の鉄道省が本州の下関から朝鮮の釜山間の鉄道連絡船
注3:今の大韓民国東南の都市
注4:現在の中国東北部の長春で満州国建国当時の首都であった
注5:韓国南東部にある洛東江は長さ525km
注6:韓国慶尚南道の北部にある都市(アンドン)
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小林が声を出し、五藤は口をパクパク
二月一日(土) 晴 暖
朝自由に起床、自由に登校、八時なり。
講堂にて始業式あり。院長先生講話。
二時限、三時限、四時限がっちり授業あり。
二月四日(火) 晴 暖
朝登校途中、道傍に嬰児の死体あり、露人《ロシア人》か満人《注1》か、涙をそそる。
学校では井尾武雄先生の国文学史の講義が始めてあった。講義が早口でノートに取りにくいのが玉に瑕。
二月五日(水) 曇 雪 風有寒し
朝登校時、風強く雪が降り、寒さ厳しい。
今日は日本軍入哈《ちゅう2》九周年記念日。一期生の廣瀬六郎氏より入哈及び籠城当時の話を聞く。
最後に結ばれて日く「吾が学院が最初に御国に御奉公したのは日本軍入哈当時の活動である。又第二回目の御奉公は北鉄《注3》買収の時の活動である。今や第三回目の御奉公の秋が迫りつつある。今度は第一回目、第二回目のように生易しいものであるまい。学院は学院生卒業生全員生命を賭してかからなければならない」
二月六日(木) 晴 寒し
今日は恐れ多くも我が敬愛する皇帝陛下《注4》の御生れになられた日である。萬壽節と称する。講堂にて全員式典を挙行、皇帝陛下の萬歳を三唱する。
田北三市君風邪気味で就寝。
二月八日(土) 晴 寒
朝寮を出る時気が付かず運動靴のまま登校、途中足が痛くなりかけたので大急ぎで登校したが足が危く凍りそうであった。クリヤニッキー氏の言によれば零下三十二度あったと。
二月十日(月) 晴 暖
今日は元宵節(旧正月十五日)学校は休み。
二月十一日(火) 晴 暖
講堂で十時から紀元節《注5-》の式典あり。学校で武道大会。其の酒の買出しに春日、深坂と一緒に行く。
森川商店で無いというのを無理に二本、九平商店で二本、その他で二本手に入れる。薄汚ない支那店で「豆乳(ジャンズ)」を飲み三時帰校。
六時半から三年生柔道部送別会あり。場所は「銀鍋」。
二月十五日(土) 晴 暖
校内第一回スケート大会あり。一廻りレースに出て一等になる。賞品は軍足《注6》一足。氷の上を滑るのではなく走っているのが多い。
晩「翁庵」で四国会。三年生、庭瀬宗一先輩の送別会。一年生は二年生と別に帰る。後で聞くと二年生は巡邏隊《注7》に捕ったそうだった。
寮でシンガポールを日本空軍が爆撃したと噂が立ったが、結局デマだった。
二月十六日(日) 晴 大変暖
市立病院へ入院した田北三市君の見舞として「リンゴシロップ」を買うため皆から二十銭づつ集める。
二月十七日(月) 晴 大変暖
新聞にホロンバイルの雪原を血で染めた蒙古人の心中が二組あったと報じられている。
蒙古人も心中するのか。
二月十八日(火) 風強く寒し
四時から学校の食堂で寮委員の送別会あり。会費六十銭、カフスボタンを贈る。
映画の代金後払券は二十日以後新学期まで停止すると通知あり。
此の聞から二年生は下宿させると云う問題の提起があり、皆懸命に探している。
二月二十日(木) 晴 寒
体操の時間校庭でスケート。もう雪や氷が融けかけている。最後のスケートになるか。
放課後田北三市君を見舞う。もう元気になっていたが、さすがに色が白くなり痩せていた。歩くとフラフラするとか。土曜日退院予定。
二月二十一日(金) 晴 寒
第一時限目国民道徳は院長が遅刻(?)してなし。
会話の時間にA、B両組合同して授業。眠くなりロシヤ語を子守歌に一時間程眠る。
二月二十四日(月) 晴 暖
三年生の送別会あり。豆と煎餅と饅頭。
二月二十六日(水) 晴後雪 寒
一時から種痘あり。医師三人、ナース三人、何も痛くないのに皆の表情は一笑、一憂。昨年夏学院の勤労奉仕に同行した医大の山脇さん、一人前の様な顔して「シャキッ」としていた。
今月より五藤一夫君が室長代理をするように室長福真書四郎さんに云われる。
二月二十七日(木) 雪 暖
珍しい事に室長代理五藤一夫君早起して橋本君を起した。前代未聞の事、愉快なり。
森新一先生の時間、露西亜語《ロシア語》の暗誦、五藤君が当てられた。五藤君が黙って立っていると小林義徳君がその直ぐ後声をあげて読んでいる。勿論すぐばれた。その心臓振りに皆笑いこけた。森先生も苦笑して何も云われなかった。先生の視力が弱いので解からないと思ったのだろうか。
卒業生の氏名発表あり、五十一名全員卒業することになる。
二月二十八日(金) 晴 暖
本日春丁祀孔、文廟に参拝する。文廟とは孔子廟のことで明の永楽八年孔子の諡を文宜王としたことからこう呼ばれている。玄関で点呼の時は五十名、文廟へ着いた時は二十名、何時、何処でずらかったか見事である。
北方亜細亜研究会一時より第十一教室であり。
注1:現在の中国東北部旧満州国人
注2:ハルピンに入って
注3:ロシアから譲渡された北満州鉄道
注4:我が国が国策として創設した満州国の皇帝
注5:嘗て建国記念日を紀元節としていた
注6:旧軍隊で使用した靴下
注7:軍隊が街の治安を見回り巡回する隊
注8:中国モンゴル自治区北東部にある街
二月一日(土) 晴 暖
朝自由に起床、自由に登校、八時なり。
講堂にて始業式あり。院長先生講話。
二時限、三時限、四時限がっちり授業あり。
二月四日(火) 晴 暖
朝登校途中、道傍に嬰児の死体あり、露人《ロシア人》か満人《注1》か、涙をそそる。
学校では井尾武雄先生の国文学史の講義が始めてあった。講義が早口でノートに取りにくいのが玉に瑕。
二月五日(水) 曇 雪 風有寒し
朝登校時、風強く雪が降り、寒さ厳しい。
今日は日本軍入哈《ちゅう2》九周年記念日。一期生の廣瀬六郎氏より入哈及び籠城当時の話を聞く。
最後に結ばれて日く「吾が学院が最初に御国に御奉公したのは日本軍入哈当時の活動である。又第二回目の御奉公は北鉄《注3》買収の時の活動である。今や第三回目の御奉公の秋が迫りつつある。今度は第一回目、第二回目のように生易しいものであるまい。学院は学院生卒業生全員生命を賭してかからなければならない」
二月六日(木) 晴 寒し
今日は恐れ多くも我が敬愛する皇帝陛下《注4》の御生れになられた日である。萬壽節と称する。講堂にて全員式典を挙行、皇帝陛下の萬歳を三唱する。
田北三市君風邪気味で就寝。
二月八日(土) 晴 寒
朝寮を出る時気が付かず運動靴のまま登校、途中足が痛くなりかけたので大急ぎで登校したが足が危く凍りそうであった。クリヤニッキー氏の言によれば零下三十二度あったと。
二月十日(月) 晴 暖
今日は元宵節(旧正月十五日)学校は休み。
二月十一日(火) 晴 暖
講堂で十時から紀元節《注5-》の式典あり。学校で武道大会。其の酒の買出しに春日、深坂と一緒に行く。
森川商店で無いというのを無理に二本、九平商店で二本、その他で二本手に入れる。薄汚ない支那店で「豆乳(ジャンズ)」を飲み三時帰校。
六時半から三年生柔道部送別会あり。場所は「銀鍋」。
二月十五日(土) 晴 暖
校内第一回スケート大会あり。一廻りレースに出て一等になる。賞品は軍足《注6》一足。氷の上を滑るのではなく走っているのが多い。
晩「翁庵」で四国会。三年生、庭瀬宗一先輩の送別会。一年生は二年生と別に帰る。後で聞くと二年生は巡邏隊《注7》に捕ったそうだった。
寮でシンガポールを日本空軍が爆撃したと噂が立ったが、結局デマだった。
二月十六日(日) 晴 大変暖
市立病院へ入院した田北三市君の見舞として「リンゴシロップ」を買うため皆から二十銭づつ集める。
二月十七日(月) 晴 大変暖
新聞にホロンバイルの雪原を血で染めた蒙古人の心中が二組あったと報じられている。
蒙古人も心中するのか。
二月十八日(火) 風強く寒し
四時から学校の食堂で寮委員の送別会あり。会費六十銭、カフスボタンを贈る。
映画の代金後払券は二十日以後新学期まで停止すると通知あり。
此の聞から二年生は下宿させると云う問題の提起があり、皆懸命に探している。
二月二十日(木) 晴 寒
体操の時間校庭でスケート。もう雪や氷が融けかけている。最後のスケートになるか。
放課後田北三市君を見舞う。もう元気になっていたが、さすがに色が白くなり痩せていた。歩くとフラフラするとか。土曜日退院予定。
二月二十一日(金) 晴 寒
第一時限目国民道徳は院長が遅刻(?)してなし。
会話の時間にA、B両組合同して授業。眠くなりロシヤ語を子守歌に一時間程眠る。
二月二十四日(月) 晴 暖
三年生の送別会あり。豆と煎餅と饅頭。
二月二十六日(水) 晴後雪 寒
一時から種痘あり。医師三人、ナース三人、何も痛くないのに皆の表情は一笑、一憂。昨年夏学院の勤労奉仕に同行した医大の山脇さん、一人前の様な顔して「シャキッ」としていた。
今月より五藤一夫君が室長代理をするように室長福真書四郎さんに云われる。
二月二十七日(木) 雪 暖
珍しい事に室長代理五藤一夫君早起して橋本君を起した。前代未聞の事、愉快なり。
森新一先生の時間、露西亜語《ロシア語》の暗誦、五藤君が当てられた。五藤君が黙って立っていると小林義徳君がその直ぐ後声をあげて読んでいる。勿論すぐばれた。その心臓振りに皆笑いこけた。森先生も苦笑して何も云われなかった。先生の視力が弱いので解からないと思ったのだろうか。
卒業生の氏名発表あり、五十一名全員卒業することになる。
二月二十八日(金) 晴 暖
本日春丁祀孔、文廟に参拝する。文廟とは孔子廟のことで明の永楽八年孔子の諡を文宜王としたことからこう呼ばれている。玄関で点呼の時は五十名、文廟へ着いた時は二十名、何時、何処でずらかったか見事である。
北方亜細亜研究会一時より第十一教室であり。
注1:現在の中国東北部旧満州国人
注2:ハルピンに入って
注3:ロシアから譲渡された北満州鉄道
注4:我が国が国策として創設した満州国の皇帝
注5:嘗て建国記念日を紀元節としていた
注6:旧軍隊で使用した靴下
注7:軍隊が街の治安を見回り巡回する隊
注8:中国モンゴル自治区北東部にある街
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哈爾浜会館の天井落ち二年生死亡
三月一日(土) 晴 暖
建国節。満洲国《注1》建国以来早くも九年。学校で記念式典を挙行。満洲帝国萬歳を三唱。
三月三日(月) 晴 暖
朝礼で院長訓辞して日く「一、下宿者は防諜《注2》に注意せよ、二、衛生に気を付けろ、三、最後の一線を越えるな」
三月七日(金) 曇 暖
今日は国立大学第二回、創立以来第十九回卒業式。本科生(十九期)五十一名、特修科生六十二名。前院長三毛一夫先生、特務機関長、民政部大臣代理、清江省長等多数来賓あり。
三月十日(月)
陸軍記念日。朝六時起床。七時半までに集合して出発する。八区の運動場、家と樹木の蔭から豆タンク《小型戦車-》が数台ガラガラと音を立ててあっと云ふ間に眼の前に止った。
天蓋を開けて顔を出した将校が「学生さん貴方がたは全滅だ。私達はスンガリー《注3》へ行く貴方がたも早く行くと良い」と言って轟音をあげて去って行った。
スンガリーへ行って見ると、お玩具のような小さな大砲が並べてあり盛んに砲撃していた。聞くと対戦車砲だと。
終り市中行進、駐屯地司令官の閲兵分列行進あり。哈爾浜神社参拝。春日君と福永君と途中で抜け出して帰る。他の者は皆忠霊塔に参拝行軍をした。
菊地惟幾君遂に赤十字病院に入院。
三月十一日(火) 晴 寒
晩何のために来たのか、中田甫先生、森新一先生、森三郎先生の三助教授が来寮する。「コンバンワ」と言って自習室の扉を開けて入って来た。皆大笑する。
三月十二日(水) 晴 暖
馬場正治君ジフテリヤで入院する。
夜北方亜細亜研究会あり。
三月十三日(木) 晴 暖
北方亜細亜研究会あり。蒙古語の森三郎先生日く「露国の蒙古及び四連の民族の研究は日本より進んでいる。之に負けるな」と。
月蝕あり。月が段々噛られて行く、今に真黒闇になるだろう。
三月十四日(金) 晴 暖
哈爾浜会館の屋根裏落つ。淡谷のり子の実演があった晩の事である。二年生加藤勲さん、天井の落下物と椅子にはさまれて死亡する。
偶然か?哈爾浜まで来て天井に打たれて死ぬとは。
三月十五日(土) 晴 暖
春日君と街へ出る。赤十字病院に菊地君を見舞う。元気だが退院は少し遅れるそうだ。丁度担任の柴田先生も来られた。
昨日の哈爾浜会館の負傷者が澤山居た。そう言えば朝、井手口教官に会うと「成瀬生きとったか、昨夜赤十字病院に掲示した死亡者の中に「成瀬」と言うのがあって見に行ったらお前ではなかった、良かった」と言はれた事を想い出した。
加藤さんの告別式が西本願寺であり。二年生、一年生の代表之に参列する。
三月二十一日(金) 晴一時雪 暖
春分の日。内地では菜の花が咲き乱れているだろうに哈爾浜では雪が未だ残っている。
数日前、略帽《注4》を失い無帽でいると教官に叱られた。カンカン帽をかむって行く。
三月二十二日(土) 晴 暖
第一学年で授業最後の日。後は試験のみ。
三月二十七日(木) 晴 暖
試験の最後が法学通論。
午後一時から終業式あり。三月十九日に日系学生の入学予定者の表が御丁寧にも県名入りであつた。
三月二十九日(土) 晴後曇 暖
柔道部の合宿始まる。清田を担いで学校の合宿所に運ぶ。四月六日までの予定。
注1:1932~1945年日本の国策により建国された国
注2:スパイ活動を防ぐ
注3:松花江の別名
注4:戦闘帽
三月一日(土) 晴 暖
建国節。満洲国《注1》建国以来早くも九年。学校で記念式典を挙行。満洲帝国萬歳を三唱。
三月三日(月) 晴 暖
朝礼で院長訓辞して日く「一、下宿者は防諜《注2》に注意せよ、二、衛生に気を付けろ、三、最後の一線を越えるな」
三月七日(金) 曇 暖
今日は国立大学第二回、創立以来第十九回卒業式。本科生(十九期)五十一名、特修科生六十二名。前院長三毛一夫先生、特務機関長、民政部大臣代理、清江省長等多数来賓あり。
三月十日(月)
陸軍記念日。朝六時起床。七時半までに集合して出発する。八区の運動場、家と樹木の蔭から豆タンク《小型戦車-》が数台ガラガラと音を立ててあっと云ふ間に眼の前に止った。
天蓋を開けて顔を出した将校が「学生さん貴方がたは全滅だ。私達はスンガリー《注3》へ行く貴方がたも早く行くと良い」と言って轟音をあげて去って行った。
スンガリーへ行って見ると、お玩具のような小さな大砲が並べてあり盛んに砲撃していた。聞くと対戦車砲だと。
終り市中行進、駐屯地司令官の閲兵分列行進あり。哈爾浜神社参拝。春日君と福永君と途中で抜け出して帰る。他の者は皆忠霊塔に参拝行軍をした。
菊地惟幾君遂に赤十字病院に入院。
三月十一日(火) 晴 寒
晩何のために来たのか、中田甫先生、森新一先生、森三郎先生の三助教授が来寮する。「コンバンワ」と言って自習室の扉を開けて入って来た。皆大笑する。
三月十二日(水) 晴 暖
馬場正治君ジフテリヤで入院する。
夜北方亜細亜研究会あり。
三月十三日(木) 晴 暖
北方亜細亜研究会あり。蒙古語の森三郎先生日く「露国の蒙古及び四連の民族の研究は日本より進んでいる。之に負けるな」と。
月蝕あり。月が段々噛られて行く、今に真黒闇になるだろう。
三月十四日(金) 晴 暖
哈爾浜会館の屋根裏落つ。淡谷のり子の実演があった晩の事である。二年生加藤勲さん、天井の落下物と椅子にはさまれて死亡する。
偶然か?哈爾浜まで来て天井に打たれて死ぬとは。
三月十五日(土) 晴 暖
春日君と街へ出る。赤十字病院に菊地君を見舞う。元気だが退院は少し遅れるそうだ。丁度担任の柴田先生も来られた。
昨日の哈爾浜会館の負傷者が澤山居た。そう言えば朝、井手口教官に会うと「成瀬生きとったか、昨夜赤十字病院に掲示した死亡者の中に「成瀬」と言うのがあって見に行ったらお前ではなかった、良かった」と言はれた事を想い出した。
加藤さんの告別式が西本願寺であり。二年生、一年生の代表之に参列する。
三月二十一日(金) 晴一時雪 暖
春分の日。内地では菜の花が咲き乱れているだろうに哈爾浜では雪が未だ残っている。
数日前、略帽《注4》を失い無帽でいると教官に叱られた。カンカン帽をかむって行く。
三月二十二日(土) 晴 暖
第一学年で授業最後の日。後は試験のみ。
三月二十七日(木) 晴 暖
試験の最後が法学通論。
午後一時から終業式あり。三月十九日に日系学生の入学予定者の表が御丁寧にも県名入りであつた。
三月二十九日(土) 晴後曇 暖
柔道部の合宿始まる。清田を担いで学校の合宿所に運ぶ。四月六日までの予定。
注1:1932~1945年日本の国策により建国された国
注2:スパイ活動を防ぐ
注3:松花江の別名
注4:戦闘帽
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あんみつ姫
あんみつ姫
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松岡外相に随行の三期野口さんの講演あり
四月一日(火) 晴 暖
進級者発表。二年生全員進級。
一年生は森山(李)台昌、ワンジラが退学。西岡三郎君、潘鴻文、范専郷等が原級に留まる。
四月五日(土) 晴 暖
すっかり暖くなった。外部では気温も朝零度、午後には十度まで昇る。
寮の部屋の割当定まる。元の通り一号室。馬場、鈴木、早瀬君が移って来た。
四月八日(火) 晴 暖 風強し
始業式が午前十時からあり。午後から風が吹き出した。蒙古風が今年は早そうだ。
四月十一日(金) 晴 暖
柔道部の坂崎さん帰って来る。ヒョロ長い人だ。(1)
寮の規則発表。寮の改革は掛声ばかりで実質的には何の変化もない。
四月十二日(土) 晴 暖
桜木先生が露作文の時間に河面君がプリントを忘れて来たと、傍へつめ寄ってカンカンに怒っていた。其の上授業後直ちに来る様厳しく申し渡した。皆呆然としてあっけにとられた。何もそこまで怒らなくても良いのにと。
民法の遠藤先生の初授業あり。哈爾浜地方法院の裁判官。
四月十三日(日) 晴 暖
今日は猫柳の祭の日。いはば復活祭の前祭りで二十日が一番盛大だそうだ。
四月十四日(月) 曇 雪 暖
日ソ中立条約《注1》成立す。吾々にとって喜ぶべきことだろう。松岡外相頑張って下さい。
四月十五日(火) 晴 暖
新一年生哈爾浜到着の日。午後一時二十八分駅着。校庭に整列して待つ。
四月十六日(水) 晴 暖
授業なし。九時から入学式あり。院長日く「国士とは内閣総理大臣の心を以てその職場に於て最善を尽くすことである」と一体何のことかさっぱり解らない。
一時より新入生歓迎会あり。例年の如く皆野次り倒した。院長の詩吟あり。盛大の裡に終る。帰寮後七時頃より寮の歓迎会あり。前庭で火を燃やしてストームあり。各室共被害甚大、一号室は一番奥にあった為か被害なし。
四月十八日(金) 雪 寒
非常に寒く雪が旺に降っていた。一日中断続的に降り続く。
四月十九日(土) 晴
ユーゴスラビアは遂に獨に降服、バルカンはその制圧下に置かれるだろう。
夜十時頃からサボールへ復活祭を見学に行く。最初はもの珍しかったが途中長々として退屈、最後は途中で雪が降り出し、素晴らしい美しい光景を描き出していた。帰ると午前二時。
四月二十二日(火) 曇 寒
国民道徳は梅村学監の担当となる。又一年間「栗」見て暮すか。(2)
松岡洋右の今回の訪欧に随行した学院三期生の野口芳堆氏の訪欧のお話し及び露西亜事情について種々お話を聞く。其の後先輩としての希望を述べられたがその内に「先輩を頼り極力利用すること、そしてその間を親密するように」と説かれた。
四月二十三日(水) 雪後晴 寒
朝から雪が旺《さかん》に降る。今頃雪なんぞ頗る不愉快。春日が遂に引越す。蒲団等皆が手分けして運ぶ。
-
四月二十五日(金) 晴 暖
真に近来にない日本晴、而も大変暖い。靖国神社の臨時大祭。院長の語法を借りれば大御稜威《おおみいず=注2》の然らしむ所であろう。十時から式典。後忠霊塔参拝。
四月二十七日(日) 快晴 暖
哈爾浜神社春の祭礼。鈴木君とブヘットへ寄る。一年生が澤山居て片言の露西亜語を喋っていた。
四月二十九日(火) 晴 暖風強し
朝大掃除。九時から天長節《注3》の記念式典。すっかり暖くなり木の芽も綻びかけた。愈々蒙古風が吹き荒れ始めた。
(1)
四月十一日 「坂崎さん」 二十期で病気で休学して二十一期になった人だが、名簿にはない。熊本県の人。
(2)
四月二十二日 「栗」 梅村学監の見事な頭の事。満洲国軍の中将となって学校を去った。昭和二十五年四月十五日ナホトカ発、十七日舞鶴着の引揚船明優丸で見たが、声は掛けなかった。
注1:1941年に日本とソビエト連邦との間で締結された不可侵条約
注2:天皇の威徳 威光
注3:天皇誕生日
四月一日(火) 晴 暖
進級者発表。二年生全員進級。
一年生は森山(李)台昌、ワンジラが退学。西岡三郎君、潘鴻文、范専郷等が原級に留まる。
四月五日(土) 晴 暖
すっかり暖くなった。外部では気温も朝零度、午後には十度まで昇る。
寮の部屋の割当定まる。元の通り一号室。馬場、鈴木、早瀬君が移って来た。
四月八日(火) 晴 暖 風強し
始業式が午前十時からあり。午後から風が吹き出した。蒙古風が今年は早そうだ。
四月十一日(金) 晴 暖
柔道部の坂崎さん帰って来る。ヒョロ長い人だ。(1)
寮の規則発表。寮の改革は掛声ばかりで実質的には何の変化もない。
四月十二日(土) 晴 暖
桜木先生が露作文の時間に河面君がプリントを忘れて来たと、傍へつめ寄ってカンカンに怒っていた。其の上授業後直ちに来る様厳しく申し渡した。皆呆然としてあっけにとられた。何もそこまで怒らなくても良いのにと。
民法の遠藤先生の初授業あり。哈爾浜地方法院の裁判官。
四月十三日(日) 晴 暖
今日は猫柳の祭の日。いはば復活祭の前祭りで二十日が一番盛大だそうだ。
四月十四日(月) 曇 雪 暖
日ソ中立条約《注1》成立す。吾々にとって喜ぶべきことだろう。松岡外相頑張って下さい。
四月十五日(火) 晴 暖
新一年生哈爾浜到着の日。午後一時二十八分駅着。校庭に整列して待つ。
四月十六日(水) 晴 暖
授業なし。九時から入学式あり。院長日く「国士とは内閣総理大臣の心を以てその職場に於て最善を尽くすことである」と一体何のことかさっぱり解らない。
一時より新入生歓迎会あり。例年の如く皆野次り倒した。院長の詩吟あり。盛大の裡に終る。帰寮後七時頃より寮の歓迎会あり。前庭で火を燃やしてストームあり。各室共被害甚大、一号室は一番奥にあった為か被害なし。
四月十八日(金) 雪 寒
非常に寒く雪が旺に降っていた。一日中断続的に降り続く。
四月十九日(土) 晴
ユーゴスラビアは遂に獨に降服、バルカンはその制圧下に置かれるだろう。
夜十時頃からサボールへ復活祭を見学に行く。最初はもの珍しかったが途中長々として退屈、最後は途中で雪が降り出し、素晴らしい美しい光景を描き出していた。帰ると午前二時。
四月二十二日(火) 曇 寒
国民道徳は梅村学監の担当となる。又一年間「栗」見て暮すか。(2)
松岡洋右の今回の訪欧に随行した学院三期生の野口芳堆氏の訪欧のお話し及び露西亜事情について種々お話を聞く。其の後先輩としての希望を述べられたがその内に「先輩を頼り極力利用すること、そしてその間を親密するように」と説かれた。
四月二十三日(水) 雪後晴 寒
朝から雪が旺《さかん》に降る。今頃雪なんぞ頗る不愉快。春日が遂に引越す。蒲団等皆が手分けして運ぶ。
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四月二十五日(金) 晴 暖
真に近来にない日本晴、而も大変暖い。靖国神社の臨時大祭。院長の語法を借りれば大御稜威《おおみいず=注2》の然らしむ所であろう。十時から式典。後忠霊塔参拝。
四月二十七日(日) 快晴 暖
哈爾浜神社春の祭礼。鈴木君とブヘットへ寄る。一年生が澤山居て片言の露西亜語を喋っていた。
四月二十九日(火) 晴 暖風強し
朝大掃除。九時から天長節《注3》の記念式典。すっかり暖くなり木の芽も綻びかけた。愈々蒙古風が吹き荒れ始めた。
(1)
四月十一日 「坂崎さん」 二十期で病気で休学して二十一期になった人だが、名簿にはない。熊本県の人。
(2)
四月二十二日 「栗」 梅村学監の見事な頭の事。満洲国軍の中将となって学校を去った。昭和二十五年四月十五日ナホトカ発、十七日舞鶴着の引揚船明優丸で見たが、声は掛けなかった。
注1:1941年に日本とソビエト連邦との間で締結された不可侵条約
注2:天皇の威徳 威光
注3:天皇誕生日
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あんみつ姫
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
休講で教練《注1》多く皆ブウブウ
五月二日(金) 晴 暖
暖い外套なしで登校。学校で訪日宣詔記念《注2》式あり。式典後校庭で満洲国々歌の練習あり。午後各室対抗の野球とバレーボールの試合あり。一号室はバレーのみ出場、天候の不良と風向が悪いため八号室に完敗。
五月三日(土) 晴 暖風強し
蒙古風烈しく吹く。砂塵を巻き上げて吹く。その為太陽が黄色にはっきりと見える。眼も大いに痛む。
バルカン・ギリシャ戦線で獨軍遂に勝つ。北アフリカ戦線でも獨軍威振う。併し英国軍も根強く頑張る。伊軍だけは何時も敗けている。
校庭で愛馬の日について院長の話あり。其の後チフスの予防注射あり。
五月四日(日) 晴 稍寒し風強し
昨夜の蒙古風は猛烈を極め寮の屋根を剥ぎガラスを破り廊下は砂煙が濛々と立ち込め、朝になって見ると室内は砂埃りだらけ。而も今日吹き荒れたが夕方にはすっかり静まって空が青い色を見せ、校庭の草も芽を吹く。
五月八日(木) 雨後晴 稍寒し
夜中からのひどい雨で屋根が雨漏りで原田調三さんがずぶ濡れに なる。
教練の授業に始めて教官廣渡大尉が出て来た。
五月九日(金) 暖
柔道部奉天の満洲医大で開催される高専大会に十時発の亜細亜《注3》注で出発。五月十二日帰哈の予定。
五月十四日(水) 晴 寒
最近朝夕寒い。寒きがぶり返して来たか。
六時限の授業後寮の前で勤労奉仕あり。参加者約三十名。大豆、豌豆、胡瓜、小豆等澤山植える。学監先生も来て汗を流しておられた。
五月十五日(木) 晴 暖
朝感心にも早く起きて点呼に出る。此の頃どうした事か白井教授が居ないのでその時間がすべて教練に充当され皆不平ブウブウである。それで思い出したが、此の月の三日以来、演習で兵隊が寮に来て泊ったり炊事をしたりしている。
五月十七日(土) 晴 暖
午後隣りの飛行場で飛行機が一機炎上した。火を噴き黒煙をあげて炎えていた。飛行機の炎上は初めて見た。
北安省綏化街に大火事あり。最近地震があった計だ。ダブルパンチとは酷い。
五月十八日(日) 晴 暖
学院の運動場で哈爾浜鉄道局の運動会があった。美しいメツチェンが澤山来て盛大に行われ吾々も日曜日に拘らず行って眼を楽しませて貰った。
北方亜細亜研究会のジンギスカン鍋が夕方六時から校庭であり。
二次会に蒙克(モング)と一富士へ行く。此の男日本の飲屋を好み満人、露西亜人の飲屋に一緒に行ったことがない。
五月十九日(月) 晴 暖
中田甫先生からプリントと国立大学哈爾浜学院論叢を貰う。
どうした事か今日欠席者多く教練の時など実に十七人もいた。良く休んだものと感心させられる。
外出届を春日君に書いて貰い街へ出る。(3)
歴史の時間又もや教練。四時限目、三年生教練、二年生教練、一年甲組教練、教練の花盛り。
五月二十二日(木) 曇 暖
青少年学徒に賜りたる勅語の記念日。校庭で式典あり。後「国立大学哈爾浜学院報国団」の結成式を挙げる。
飛行場の飛行機が一機いきなり頭上に急降下して来て大いに吾々を驚かす。
五月二十三日(金) 雨 暖
剣道部勇躍試合のため南下す。弓道部も又夜奉天《注4》へ遠征。雌伏一年、必ず勝って帰れ。吾等御身らの優勝を待たん。
昨日の新聞によると獨軍はグライダー部隊を先頭に敵前着陸クレタ島の攻略を開始する。成否は如何に。
(3)
五月十九日 外出届は記憶にない。
注1:軍事の基本訓練
注2:満州国皇帝が日本を訪問した記念日
注3:南満州鉄道の特急列車の愛称
注4:現在中国瀋陽で 満州国当時の名称
五月二日(金) 晴 暖
暖い外套なしで登校。学校で訪日宣詔記念《注2》式あり。式典後校庭で満洲国々歌の練習あり。午後各室対抗の野球とバレーボールの試合あり。一号室はバレーのみ出場、天候の不良と風向が悪いため八号室に完敗。
五月三日(土) 晴 暖風強し
蒙古風烈しく吹く。砂塵を巻き上げて吹く。その為太陽が黄色にはっきりと見える。眼も大いに痛む。
バルカン・ギリシャ戦線で獨軍遂に勝つ。北アフリカ戦線でも獨軍威振う。併し英国軍も根強く頑張る。伊軍だけは何時も敗けている。
校庭で愛馬の日について院長の話あり。其の後チフスの予防注射あり。
五月四日(日) 晴 稍寒し風強し
昨夜の蒙古風は猛烈を極め寮の屋根を剥ぎガラスを破り廊下は砂煙が濛々と立ち込め、朝になって見ると室内は砂埃りだらけ。而も今日吹き荒れたが夕方にはすっかり静まって空が青い色を見せ、校庭の草も芽を吹く。
五月八日(木) 雨後晴 稍寒し
夜中からのひどい雨で屋根が雨漏りで原田調三さんがずぶ濡れに なる。
教練の授業に始めて教官廣渡大尉が出て来た。
五月九日(金) 暖
柔道部奉天の満洲医大で開催される高専大会に十時発の亜細亜《注3》注で出発。五月十二日帰哈の予定。
五月十四日(水) 晴 寒
最近朝夕寒い。寒きがぶり返して来たか。
六時限の授業後寮の前で勤労奉仕あり。参加者約三十名。大豆、豌豆、胡瓜、小豆等澤山植える。学監先生も来て汗を流しておられた。
五月十五日(木) 晴 暖
朝感心にも早く起きて点呼に出る。此の頃どうした事か白井教授が居ないのでその時間がすべて教練に充当され皆不平ブウブウである。それで思い出したが、此の月の三日以来、演習で兵隊が寮に来て泊ったり炊事をしたりしている。
五月十七日(土) 晴 暖
午後隣りの飛行場で飛行機が一機炎上した。火を噴き黒煙をあげて炎えていた。飛行機の炎上は初めて見た。
北安省綏化街に大火事あり。最近地震があった計だ。ダブルパンチとは酷い。
五月十八日(日) 晴 暖
学院の運動場で哈爾浜鉄道局の運動会があった。美しいメツチェンが澤山来て盛大に行われ吾々も日曜日に拘らず行って眼を楽しませて貰った。
北方亜細亜研究会のジンギスカン鍋が夕方六時から校庭であり。
二次会に蒙克(モング)と一富士へ行く。此の男日本の飲屋を好み満人、露西亜人の飲屋に一緒に行ったことがない。
五月十九日(月) 晴 暖
中田甫先生からプリントと国立大学哈爾浜学院論叢を貰う。
どうした事か今日欠席者多く教練の時など実に十七人もいた。良く休んだものと感心させられる。
外出届を春日君に書いて貰い街へ出る。(3)
歴史の時間又もや教練。四時限目、三年生教練、二年生教練、一年甲組教練、教練の花盛り。
五月二十二日(木) 曇 暖
青少年学徒に賜りたる勅語の記念日。校庭で式典あり。後「国立大学哈爾浜学院報国団」の結成式を挙げる。
飛行場の飛行機が一機いきなり頭上に急降下して来て大いに吾々を驚かす。
五月二十三日(金) 雨 暖
剣道部勇躍試合のため南下す。弓道部も又夜奉天《注4》へ遠征。雌伏一年、必ず勝って帰れ。吾等御身らの優勝を待たん。
昨日の新聞によると獨軍はグライダー部隊を先頭に敵前着陸クレタ島の攻略を開始する。成否は如何に。
(3)
五月十九日 外出届は記憶にない。
注1:軍事の基本訓練
注2:満州国皇帝が日本を訪問した記念日
注3:南満州鉄道の特急列車の愛称
注4:現在中国瀋陽で 満州国当時の名称
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あんみつ姫
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
支那派遣軍の中原作戦終る
五月二十六日(月) 曇後雨 涼
講道館長南郷少将来り哈鉄《注1》にて講演あり。 アルコオル中毒患者の様な話で面白くなく眠ってしまった。
五月二十七日(火) 暖
朝校庭に集合。哈爾浜神社での海軍記念日式典に参加。後市内行進。モストワヤ街で石黒部隊長に分列行進。
スンガリーで敵前上陸演習見学。船外機を付けた小形の鉄舟が煙幕を張りに猛スピードで飛ばす。後を大きな鉄舟ゆるいスピードで進んで来ている。私の見た所上陸部隊は全滅だ。
五月二十八日(水) 晴 暖
野球、綱引の学年対抗試合あり。何れも見事に負ける。
植物園へ行き往来の人を眺める。ベンチに横になって空を見る。
淋しいのか、女が欲しいのか、酒が飲みたいのか、雲は悠々と流れ白樺の葉はサラサラと音を立てている。その音が更に孤獨感を誘う。
五月三十日(金) 晴 暖
朝登校途中軍隊の隊列を横ぎって将校に怒鳴られた。馬鹿め偉張ってやがる。
新聞によると北海で英巡洋戦艦フツドを砲撃開始以来五分間で砲弾を火薬庫にぶち込んで撃沈させた獨戦艦ビルマスクは英海軍の戦艦プリンスオブウエールスと航空母艦の飛行機の攻撃で遂に撃沈きれたと。
晝から忠霊塔参拝。此の大祭に満人の高足踊が出た。始めて見る。
五月三十一日(土) 晴後雨 涼
朝から雨、少し晴れて又雨、又晴れて雨。
晝まで寮で寝ていた。学校へ出ずに寮で寝ている者多く晝飯ありつけない。学校へ出て行く。今日は土曜日で晝から授業はない。良く考えるとすべて理に合わない。
(成瀬孫仁日記(二)につづく)
注1:ハルピン鉄道
五月二十六日(月) 曇後雨 涼
講道館長南郷少将来り哈鉄《注1》にて講演あり。 アルコオル中毒患者の様な話で面白くなく眠ってしまった。
五月二十七日(火) 暖
朝校庭に集合。哈爾浜神社での海軍記念日式典に参加。後市内行進。モストワヤ街で石黒部隊長に分列行進。
スンガリーで敵前上陸演習見学。船外機を付けた小形の鉄舟が煙幕を張りに猛スピードで飛ばす。後を大きな鉄舟ゆるいスピードで進んで来ている。私の見た所上陸部隊は全滅だ。
五月二十八日(水) 晴 暖
野球、綱引の学年対抗試合あり。何れも見事に負ける。
植物園へ行き往来の人を眺める。ベンチに横になって空を見る。
淋しいのか、女が欲しいのか、酒が飲みたいのか、雲は悠々と流れ白樺の葉はサラサラと音を立てている。その音が更に孤獨感を誘う。
五月三十日(金) 晴 暖
朝登校途中軍隊の隊列を横ぎって将校に怒鳴られた。馬鹿め偉張ってやがる。
新聞によると北海で英巡洋戦艦フツドを砲撃開始以来五分間で砲弾を火薬庫にぶち込んで撃沈させた獨戦艦ビルマスクは英海軍の戦艦プリンスオブウエールスと航空母艦の飛行機の攻撃で遂に撃沈きれたと。
晝から忠霊塔参拝。此の大祭に満人の高足踊が出た。始めて見る。
五月三十一日(土) 晴後雨 涼
朝から雨、少し晴れて又雨、又晴れて雨。
晝まで寮で寝ていた。学校へ出ずに寮で寝ている者多く晝飯ありつけない。学校へ出て行く。今日は土曜日で晝から授業はない。良く考えるとすべて理に合わない。
(成瀬孫仁日記(二)につづく)
注1:ハルピン鉄道
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あんみつ姫