Re: 成瀬孫仁日記(三) 昭和十六年八月~九月
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成瀬孫仁日記(三) 昭和十六年八月~九月 (kousei2, 2008/11/4 9:47)
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Re: 成瀬孫仁日記(三) 昭和十六年八月~九月 (kousei2, 2008/11/4 9:51)
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kousei2
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八月二十一日(木) 晴 暖
起床六時半。近頃に無く早く起きる。登校、朝食。登校途中、「トマト」を買って二つ喰べる。「トマト」とはこんなに美味いものか。此の頃吉川英治の「宮本武蔵」が乗り移って来たような気がする。果敢無《はかない》いものよ。
八月二十二日 (金) 晴 暖
久し振りの清い天候。このような日に、このような秋気の下で育つとどんなに清い人が出来るのかと考える。
柔道にしても、剣道にしても、ラグビーにしてもあらゆるスポーツは強くなるにこしたことはないが、自己の精神と体力を鍛え抜く所に本当の意義があるのではないか。
八月二十三日 (土) 雨 寒
午後五時頃から強く降り出した雨は夜に入ると愈々猛烈を極める。
外出していてまともに雨に会った。暗い雨の降っている中を寮へずぶ濡れになりながら一人歩いた。「シャツ」まで雨が通ってしまえば後はどんなに濡れても同じ。唯、冷たいだけ。満洲に暴風雨が来るようだ。雨は愈々烈しくなり、風も交ってきた。
八月二十四日 (日) 晴 畷
昨日の風雨は夢だったのか、太陽が笑っている。朝早く登校。官本武蔵七巻を読了する。
昼食は、米内先生が「ニューハルビン」で御馳走してくれた。
「ニューハルビン」は始めて。帰寮して窓から眺めていると、寮の看護婦さんが一人花を擁みながら唄を歌っていた「ポロリ」と感傷的な気持になる。男ばかりの寮では滅多に見られない貴重な風景である。
八月二十五日(月)
朝、春日達新京商業の連中を待っていると遅くなって時間がない。朝食を食べる時間がなく飯に味噌汁かけて喉に流し込む。二杯。汁が熱かった。
朝礼に院長が、王朝時代の大伴家持の祖国愛を説き愛国心を訴える。解っているが、彼の話を聞くと心が反対の動きをする。
米内先生が晩「西瓜」を買って来て下さった。室で皆で食べる。美味。今まで美味と思った事がない。 晩、柔道部の会計その他の事で会合あり。
八月二十六日(火) 晴後雨 暖
朝から曇、雨が降るとの予感が当った。豪雨というより車軸を流すような雨になった。
柔道の練習があった。こたえた。体が痛い。眠が真赤だと云われる。勉強する気はさらに起らない。武蔵!! 武蔵!!
寮に汁粉があり。実力百%。
そもそも修業とは何か?自らを苦しめる事か?又苦しめて果たして何が得られると云うのか?苦しんで得られなかった時はどうなると云うのか?
八月二十七日(水) 晴一時雨 暖
朝とてもひどい霧。ポシェット湾の勤労奉仕を思い出さされた。が気温が昇るにつれて次第に消えていった。
防護団《注1》の訓練あり。寮の方に編入される。初めて学校の屋上へ上がって見た。鳩の糞が一杯ある。厚さ五センチメートル。飛行場が直ぐ下に見える。南はずうっと通が伸びて居り、新市街の樹の緑、赤煉瓦や白い建物の調和が美しい。久し振りに雄大な気に接す。
夕方になり雨降る。哈爾浜の夏の終わりの気候は女心と同じか?
八月二十八日 (木) 晴 暖
南崗、亜細亜劇場へ「勝利の歴史」を見に行く。途中、星野剛さん(20期)に会う。何時も人懐こく笑顔、柔道で鍛えた巨大な体躯、併しそれと似合わない優しい心が人を引きつける。学院生の典型みたいな人だ。
「勝利の歴史」は独の対佛《フランス》、対和《オランダ》、対白《ベルギー》の西部戦線の勝利の宣伝映画。皆何だ大した映画でないと言っていたが、臥薪嘗胆的な独の苦しみと努力に賛辞を送る。
帰りに伊藤鎮の下宿に寄る。西瓜を食べる。長い下宿だ。
学校に帰って防護団の演習を見学。隊長は良く出来たと賞める。院長、学監大満悦。
八月二十九日 (金) 晴 暖
昼から神原義徳さん(20期)を訪ねる。長戸俊郎、会場錆一(共に22期)と一緒「マルス」 へ。「ケーキ」「コーヒー」。夕方全部揃って訪ねて行く。ロシヤ料理。夜、哈爾濱駅へ。神原義徳さんと深川正八郎さんを見送る。帰りに蒙克と「一富士」「一駒」へよる。
八月三十日 (土) 晴 暖
午前十一時、星野剛さん。山県泰夫さん(共に20期)汽車で海拉爾へ発つ。見送る。
もう、一銭の金もない。晩、春日と街へ出る。金がないので何とつまらない長い時間をすごした。
寮で音楽室が出来た。ゆったりとした気持ちよい部屋になる。
宴会などの所為か帰らない者が多い。
八月三十一日(日) 晴 暖
哈鉄厚生会館で第一回無段者柔道大会あり。学院は見事に敗れ、私は無惨に醜態をさらして負けた。哈爾濱中学優勝す。
慌ただしかった八月が終わった。
注1:昭和4~5年頃から 軍部の指導により 民間防空団体として防護団が結成された
起床六時半。近頃に無く早く起きる。登校、朝食。登校途中、「トマト」を買って二つ喰べる。「トマト」とはこんなに美味いものか。此の頃吉川英治の「宮本武蔵」が乗り移って来たような気がする。果敢無《はかない》いものよ。
八月二十二日 (金) 晴 暖
久し振りの清い天候。このような日に、このような秋気の下で育つとどんなに清い人が出来るのかと考える。
柔道にしても、剣道にしても、ラグビーにしてもあらゆるスポーツは強くなるにこしたことはないが、自己の精神と体力を鍛え抜く所に本当の意義があるのではないか。
八月二十三日 (土) 雨 寒
午後五時頃から強く降り出した雨は夜に入ると愈々猛烈を極める。
外出していてまともに雨に会った。暗い雨の降っている中を寮へずぶ濡れになりながら一人歩いた。「シャツ」まで雨が通ってしまえば後はどんなに濡れても同じ。唯、冷たいだけ。満洲に暴風雨が来るようだ。雨は愈々烈しくなり、風も交ってきた。
八月二十四日 (日) 晴 畷
昨日の風雨は夢だったのか、太陽が笑っている。朝早く登校。官本武蔵七巻を読了する。
昼食は、米内先生が「ニューハルビン」で御馳走してくれた。
「ニューハルビン」は始めて。帰寮して窓から眺めていると、寮の看護婦さんが一人花を擁みながら唄を歌っていた「ポロリ」と感傷的な気持になる。男ばかりの寮では滅多に見られない貴重な風景である。
八月二十五日(月)
朝、春日達新京商業の連中を待っていると遅くなって時間がない。朝食を食べる時間がなく飯に味噌汁かけて喉に流し込む。二杯。汁が熱かった。
朝礼に院長が、王朝時代の大伴家持の祖国愛を説き愛国心を訴える。解っているが、彼の話を聞くと心が反対の動きをする。
米内先生が晩「西瓜」を買って来て下さった。室で皆で食べる。美味。今まで美味と思った事がない。 晩、柔道部の会計その他の事で会合あり。
八月二十六日(火) 晴後雨 暖
朝から曇、雨が降るとの予感が当った。豪雨というより車軸を流すような雨になった。
柔道の練習があった。こたえた。体が痛い。眠が真赤だと云われる。勉強する気はさらに起らない。武蔵!! 武蔵!!
寮に汁粉があり。実力百%。
そもそも修業とは何か?自らを苦しめる事か?又苦しめて果たして何が得られると云うのか?苦しんで得られなかった時はどうなると云うのか?
八月二十七日(水) 晴一時雨 暖
朝とてもひどい霧。ポシェット湾の勤労奉仕を思い出さされた。が気温が昇るにつれて次第に消えていった。
防護団《注1》の訓練あり。寮の方に編入される。初めて学校の屋上へ上がって見た。鳩の糞が一杯ある。厚さ五センチメートル。飛行場が直ぐ下に見える。南はずうっと通が伸びて居り、新市街の樹の緑、赤煉瓦や白い建物の調和が美しい。久し振りに雄大な気に接す。
夕方になり雨降る。哈爾浜の夏の終わりの気候は女心と同じか?
八月二十八日 (木) 晴 暖
南崗、亜細亜劇場へ「勝利の歴史」を見に行く。途中、星野剛さん(20期)に会う。何時も人懐こく笑顔、柔道で鍛えた巨大な体躯、併しそれと似合わない優しい心が人を引きつける。学院生の典型みたいな人だ。
「勝利の歴史」は独の対佛《フランス》、対和《オランダ》、対白《ベルギー》の西部戦線の勝利の宣伝映画。皆何だ大した映画でないと言っていたが、臥薪嘗胆的な独の苦しみと努力に賛辞を送る。
帰りに伊藤鎮の下宿に寄る。西瓜を食べる。長い下宿だ。
学校に帰って防護団の演習を見学。隊長は良く出来たと賞める。院長、学監大満悦。
八月二十九日 (金) 晴 暖
昼から神原義徳さん(20期)を訪ねる。長戸俊郎、会場錆一(共に22期)と一緒「マルス」 へ。「ケーキ」「コーヒー」。夕方全部揃って訪ねて行く。ロシヤ料理。夜、哈爾濱駅へ。神原義徳さんと深川正八郎さんを見送る。帰りに蒙克と「一富士」「一駒」へよる。
八月三十日 (土) 晴 暖
午前十一時、星野剛さん。山県泰夫さん(共に20期)汽車で海拉爾へ発つ。見送る。
もう、一銭の金もない。晩、春日と街へ出る。金がないので何とつまらない長い時間をすごした。
寮で音楽室が出来た。ゆったりとした気持ちよい部屋になる。
宴会などの所為か帰らない者が多い。
八月三十一日(日) 晴 暖
哈鉄厚生会館で第一回無段者柔道大会あり。学院は見事に敗れ、私は無惨に醜態をさらして負けた。哈爾濱中学優勝す。
慌ただしかった八月が終わった。
注1:昭和4~5年頃から 軍部の指導により 民間防空団体として防護団が結成された