成瀬孫仁日記(三) 昭和十六年八月~九月
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- 成瀬孫仁日記(三) 昭和十六年八月~九月 (kousei2, 2008/11/4 9:47)
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投稿日時 2008/11/4 9:47
kousei2
投稿数: 250
引き続き、哈爾浜学院21期生の同窓会誌「ポームニム21」に寄稿された「成瀬孫仁日記」を、許可を得て記載いたします。
ブヘット・マルス・池田
八月一日(金) 晴 暖
朝六時起床。深坂宅へ。又迷惑を掛ける。馬場、福永、深坂と共に南新京駅より乗車。軍隊の輸送に廻されて、列車運行本数減少し、車内混雑を極める。午後十時四十分。哈爾濱着。「しまや」で氷二杯宛。「ブヘット」でクワース二本。
八月二日(土) 晴 暖
朝六時起床。洗面。洗濯後登校。駅、スンガリーを廻って帰校。
昼食後、柔道場の畳の上で夕方まで寝る。二十期の清水裕久さんの下宿に行く。不在。田峰宗八さん(20期)の下宿に寄る。三年生は院長に騙されたとぶりぶり怒っていた。
八月三日(日) 晴後雨 暖
朝から洗濯七枚。昼食後街に出る。雨に会ひビッショ濡れ。寒し、「マルス」に逃げ込む。
三年生は喧々囂々議論、愈々悲観論が旺んである。併し皆元気に微笑して議論を楽しんでいる様に見える。
院長にあれだけ騙されて、将来を棒に振り、一身を犠牲にする国士か? 頭が下がるか?
八月四日(月) 晴 暖
太陽島で二年生、一年生の合同園遊会あり(1)。 先生方も多数参加されて愉快な時を過す。宝さがしがあり靴下三足貰う。帰途「池田」へ寄り例の「原節子」に似た目のパッチリした美人を見て安心して帰る。
晩、春日とオデン屋三軒飲み廻る。最後に「たぬき」で親爺に散々説教せられる。
八月五日(火) 晴 暖
起床八時。九時より始業式あり。授業なし。院長の訓示がおとなしいのが物足りない。悪党にはそれらしい言葉が出ないとおかしい。
午後街へ出る。春日と下宿を探す。最近春日とは運命共同体的なものを感じる。死ぬ時一緒に死ぬのかなあ。
夜、原田さん、山田さん、馬場、鈴木、福永、春日と「ほてい」「翁庵」を廻る。二日続きで堪える。
八月六日(水) 晴後雨 暖
午前中授業あり。午後又も春日と一緒に下宿探し。ないので最後に露人小学校の広瀬先生の所へ行く。絶世の美人も夢の中。柔い感じがすごく魅惑的だ(2)。
八月七日(木) 晴 暖
午前中張り切って授業。昼食後、又春日と下宿探しに街へ出る。
皆続々下宿し始めた。心の中でお前は寮に残れと言う声が聞こえて狼狽する。
八月八日 (金) 晴 暖
朝寝坊をして第一時間目の授業に遅れる。入学以来始めてのこと。
星野さんが新京へ発つのを見送る。
「ニェット、コムナター」。最後に広瀬先生の所へ行ったが拒られた。当然だろう。独身の美女である。露西亜語の「下手」な男が露西亜語ベラベラな女に惚れたのかな?
四国県人会の送別会あり。「グロート」で二次会、「内蔵之助」で三次会。盛大である。胡麻本先生も出席された。
八月九日(土) 晴 暖
午前中三時間授業。年後春日と又下宿探し。室の送別会あり。
「大安グリル」「緊楽」で飲む。会の前に秋林の前の食堂で夕食を済ます。
晩、「池田」へ「原節子」に会ひに行く。貴女好きだと言いたいがロから出てこない。馬鹿め!! 始めてやけに煙草を喫う。
夜、「バス」の中で聡明そうな御婦人と隣りになる。横の露人の御婦人とロシヤ語でにこやかに話をして居られる。隣りで聞いていると解らない所がある。女に負けるか。発奮せよ。
八月十日(日) 晴 暖
春日と下宿探し。無い。諦める。
八月二日遂に米ソ経済援助協定締結の新聞記事あり。
(1)
八月四日 太陽島の園遊会。この後も時々あるが、行ったと言う記憶がない。
(2)
八月六日 「絶世の美人広瀬先生」も頭中にも文脈の内にも浮かんで来ない。
ブヘット・マルス・池田
八月一日(金) 晴 暖
朝六時起床。深坂宅へ。又迷惑を掛ける。馬場、福永、深坂と共に南新京駅より乗車。軍隊の輸送に廻されて、列車運行本数減少し、車内混雑を極める。午後十時四十分。哈爾濱着。「しまや」で氷二杯宛。「ブヘット」でクワース二本。
八月二日(土) 晴 暖
朝六時起床。洗面。洗濯後登校。駅、スンガリーを廻って帰校。
昼食後、柔道場の畳の上で夕方まで寝る。二十期の清水裕久さんの下宿に行く。不在。田峰宗八さん(20期)の下宿に寄る。三年生は院長に騙されたとぶりぶり怒っていた。
八月三日(日) 晴後雨 暖
朝から洗濯七枚。昼食後街に出る。雨に会ひビッショ濡れ。寒し、「マルス」に逃げ込む。
三年生は喧々囂々議論、愈々悲観論が旺んである。併し皆元気に微笑して議論を楽しんでいる様に見える。
院長にあれだけ騙されて、将来を棒に振り、一身を犠牲にする国士か? 頭が下がるか?
八月四日(月) 晴 暖
太陽島で二年生、一年生の合同園遊会あり(1)。 先生方も多数参加されて愉快な時を過す。宝さがしがあり靴下三足貰う。帰途「池田」へ寄り例の「原節子」に似た目のパッチリした美人を見て安心して帰る。
晩、春日とオデン屋三軒飲み廻る。最後に「たぬき」で親爺に散々説教せられる。
八月五日(火) 晴 暖
起床八時。九時より始業式あり。授業なし。院長の訓示がおとなしいのが物足りない。悪党にはそれらしい言葉が出ないとおかしい。
午後街へ出る。春日と下宿を探す。最近春日とは運命共同体的なものを感じる。死ぬ時一緒に死ぬのかなあ。
夜、原田さん、山田さん、馬場、鈴木、福永、春日と「ほてい」「翁庵」を廻る。二日続きで堪える。
八月六日(水) 晴後雨 暖
午前中授業あり。午後又も春日と一緒に下宿探し。ないので最後に露人小学校の広瀬先生の所へ行く。絶世の美人も夢の中。柔い感じがすごく魅惑的だ(2)。
八月七日(木) 晴 暖
午前中張り切って授業。昼食後、又春日と下宿探しに街へ出る。
皆続々下宿し始めた。心の中でお前は寮に残れと言う声が聞こえて狼狽する。
八月八日 (金) 晴 暖
朝寝坊をして第一時間目の授業に遅れる。入学以来始めてのこと。
星野さんが新京へ発つのを見送る。
「ニェット、コムナター」。最後に広瀬先生の所へ行ったが拒られた。当然だろう。独身の美女である。露西亜語の「下手」な男が露西亜語ベラベラな女に惚れたのかな?
四国県人会の送別会あり。「グロート」で二次会、「内蔵之助」で三次会。盛大である。胡麻本先生も出席された。
八月九日(土) 晴 暖
午前中三時間授業。年後春日と又下宿探し。室の送別会あり。
「大安グリル」「緊楽」で飲む。会の前に秋林の前の食堂で夕食を済ます。
晩、「池田」へ「原節子」に会ひに行く。貴女好きだと言いたいがロから出てこない。馬鹿め!! 始めてやけに煙草を喫う。
夜、「バス」の中で聡明そうな御婦人と隣りになる。横の露人の御婦人とロシヤ語でにこやかに話をして居られる。隣りで聞いていると解らない所がある。女に負けるか。発奮せよ。
八月十日(日) 晴 暖
春日と下宿探し。無い。諦める。
八月二日遂に米ソ経済援助協定締結の新聞記事あり。
(1)
八月四日 太陽島の園遊会。この後も時々あるが、行ったと言う記憶がない。
(2)
八月六日 「絶世の美人広瀬先生」も頭中にも文脈の内にも浮かんで来ない。
kousei2
投稿数: 250
八月十一日(月) 晴後雨 暖
授業さぼって駅へ見送りに行く。(3)居ない。居ない筈だよ一日延びたんだそうだ。帰りに「マルス」でアイスクリームを御馳走になる。美味い。その味は忘れられない。
国民学校へ行って露西亜語の授業参観する。先生は昨年学校の記念祭に生徒を連れて参加して頂いた紫の袴の先生。可愛いロから露西亜語がこぼれる。
夜十一時、駅へ清水裕久さん(20期)を見送りに行く。大変な混雑だ。
八月十二日(火) 晴 暖
原田調三さん、須藤信博さん(何れも20期)を駅で送る。十一時。
どうも皆と一緒に団体行動するのがつまらなくなって来た。
下宿は止めた。晩は一人淋しく寝る。
八月十三日 (水) 晴 暖
最後の下宿探し。ないのであきらめる。広瀬さんに搾られたのがショックか元気が出ない。春日帰る。淋しさ一杯。淋しい方が勉強出来るか。
八月十四日(木) 晴後雨 涼
此の頃毎日七時半起床。ゆっくり朝食喰ったことがない。 本も読まず一日過ごす。少しは恥を知れ。
日下、日本へ帰る。体の調子が良くないらしい。
新聞によると八月九日から十二日まで「ルーズベルト」は「チャーチル」と大西洋上で英近代戦艦「プリンスオブウェールズ」艦上で洋上会談。「大西洋憲章」として発表。くだらない事よ。
八月十五日(金) 雨 涼
見事、下宿見つかる。気が進まないが決める。夏風邪を背負い込む。めっきり寒くなった感じがする。だらしない生活をもう半月も送っているが、之で良いのか。夜、院長先生が来て珍しく面白い話をしていた。
八月十六日(土) 雨後晴 涼
登校途中、雨に会う。ずぶぬれ。どうにもならんよ、道は泥濘。
晩、春日は下宿すると、私は止めた。
八月十七日 (日) 晴 暖
朝から寝て目が覚めたら二時。腹が空腹(ヘッ)て眼が覚めた。日にぽかぽか照らきれながら本を読む。「宮本武蔵」。福真さん(20期)と共に中台先生宅へ伺う。中司(22期)日本から帰る。
八月十八日 (月) 雨 涼
朝から雨天。藤本悟郎氏宅を訪う。居ないのですぐかえる。帰途植物園を通る。若い女の人あり。道は泥濘む。通り抜ける。思わず反省してみる。恥ずかしい。心は早や女の人の事を想うている。
「結婚式と降誕祭」を買う。吉川英治の官本武蔵全巻をそろえて借りて来る。机の前に並べて読む。吉川英治は偉いよ。
八月十九日 (火) 雨 涼
昨日も雨、今日も雨、本当によく降るねえ。寮委員の部屋に寝る。落ちつかない。寝台でないせいか。本を鈴木の所から十冊持って帰る。さあ読むぞ。
宮本武蔵は好きだ。ああやって自分を苦しめて見たい。
八月二十日 (水) 晴 暖
七時丁度に起床。久し振りに「漫々的」《マンマンデイ=注1》に朝食。昨日の「南瓜」美味かった。一号室の者全員揃う。室会でもやらなきや意気が上らない。
「サッド」に行って本を読む。目的は別。今日は女学生が通らない。あの白いセーラー服と紺のスカート、憧れの的。併し口から出ないのがじれったい。
(3)
八月十一日 誰を見送りに行ったのか書かれていない。八月分皆整理してから気がついたので、そのままにして置く。又、紫の袴の先生のことも覚えていない。
注1:ゆっくりと
授業さぼって駅へ見送りに行く。(3)居ない。居ない筈だよ一日延びたんだそうだ。帰りに「マルス」でアイスクリームを御馳走になる。美味い。その味は忘れられない。
国民学校へ行って露西亜語の授業参観する。先生は昨年学校の記念祭に生徒を連れて参加して頂いた紫の袴の先生。可愛いロから露西亜語がこぼれる。
夜十一時、駅へ清水裕久さん(20期)を見送りに行く。大変な混雑だ。
八月十二日(火) 晴 暖
原田調三さん、須藤信博さん(何れも20期)を駅で送る。十一時。
どうも皆と一緒に団体行動するのがつまらなくなって来た。
下宿は止めた。晩は一人淋しく寝る。
八月十三日 (水) 晴 暖
最後の下宿探し。ないのであきらめる。広瀬さんに搾られたのがショックか元気が出ない。春日帰る。淋しさ一杯。淋しい方が勉強出来るか。
八月十四日(木) 晴後雨 涼
此の頃毎日七時半起床。ゆっくり朝食喰ったことがない。 本も読まず一日過ごす。少しは恥を知れ。
日下、日本へ帰る。体の調子が良くないらしい。
新聞によると八月九日から十二日まで「ルーズベルト」は「チャーチル」と大西洋上で英近代戦艦「プリンスオブウェールズ」艦上で洋上会談。「大西洋憲章」として発表。くだらない事よ。
八月十五日(金) 雨 涼
見事、下宿見つかる。気が進まないが決める。夏風邪を背負い込む。めっきり寒くなった感じがする。だらしない生活をもう半月も送っているが、之で良いのか。夜、院長先生が来て珍しく面白い話をしていた。
八月十六日(土) 雨後晴 涼
登校途中、雨に会う。ずぶぬれ。どうにもならんよ、道は泥濘。
晩、春日は下宿すると、私は止めた。
八月十七日 (日) 晴 暖
朝から寝て目が覚めたら二時。腹が空腹(ヘッ)て眼が覚めた。日にぽかぽか照らきれながら本を読む。「宮本武蔵」。福真さん(20期)と共に中台先生宅へ伺う。中司(22期)日本から帰る。
八月十八日 (月) 雨 涼
朝から雨天。藤本悟郎氏宅を訪う。居ないのですぐかえる。帰途植物園を通る。若い女の人あり。道は泥濘む。通り抜ける。思わず反省してみる。恥ずかしい。心は早や女の人の事を想うている。
「結婚式と降誕祭」を買う。吉川英治の官本武蔵全巻をそろえて借りて来る。机の前に並べて読む。吉川英治は偉いよ。
八月十九日 (火) 雨 涼
昨日も雨、今日も雨、本当によく降るねえ。寮委員の部屋に寝る。落ちつかない。寝台でないせいか。本を鈴木の所から十冊持って帰る。さあ読むぞ。
宮本武蔵は好きだ。ああやって自分を苦しめて見たい。
八月二十日 (水) 晴 暖
七時丁度に起床。久し振りに「漫々的」《マンマンデイ=注1》に朝食。昨日の「南瓜」美味かった。一号室の者全員揃う。室会でもやらなきや意気が上らない。
「サッド」に行って本を読む。目的は別。今日は女学生が通らない。あの白いセーラー服と紺のスカート、憧れの的。併し口から出ないのがじれったい。
(3)
八月十一日 誰を見送りに行ったのか書かれていない。八月分皆整理してから気がついたので、そのままにして置く。又、紫の袴の先生のことも覚えていない。
注1:ゆっくりと
kousei2
投稿数: 250
八月二十一日(木) 晴 暖
起床六時半。近頃に無く早く起きる。登校、朝食。登校途中、「トマト」を買って二つ喰べる。「トマト」とはこんなに美味いものか。此の頃吉川英治の「宮本武蔵」が乗り移って来たような気がする。果敢無《はかない》いものよ。
八月二十二日 (金) 晴 暖
久し振りの清い天候。このような日に、このような秋気の下で育つとどんなに清い人が出来るのかと考える。
柔道にしても、剣道にしても、ラグビーにしてもあらゆるスポーツは強くなるにこしたことはないが、自己の精神と体力を鍛え抜く所に本当の意義があるのではないか。
八月二十三日 (土) 雨 寒
午後五時頃から強く降り出した雨は夜に入ると愈々猛烈を極める。
外出していてまともに雨に会った。暗い雨の降っている中を寮へずぶ濡れになりながら一人歩いた。「シャツ」まで雨が通ってしまえば後はどんなに濡れても同じ。唯、冷たいだけ。満洲に暴風雨が来るようだ。雨は愈々烈しくなり、風も交ってきた。
八月二十四日 (日) 晴 畷
昨日の風雨は夢だったのか、太陽が笑っている。朝早く登校。官本武蔵七巻を読了する。
昼食は、米内先生が「ニューハルビン」で御馳走してくれた。
「ニューハルビン」は始めて。帰寮して窓から眺めていると、寮の看護婦さんが一人花を擁みながら唄を歌っていた「ポロリ」と感傷的な気持になる。男ばかりの寮では滅多に見られない貴重な風景である。
八月二十五日(月)
朝、春日達新京商業の連中を待っていると遅くなって時間がない。朝食を食べる時間がなく飯に味噌汁かけて喉に流し込む。二杯。汁が熱かった。
朝礼に院長が、王朝時代の大伴家持の祖国愛を説き愛国心を訴える。解っているが、彼の話を聞くと心が反対の動きをする。
米内先生が晩「西瓜」を買って来て下さった。室で皆で食べる。美味。今まで美味と思った事がない。 晩、柔道部の会計その他の事で会合あり。
八月二十六日(火) 晴後雨 暖
朝から曇、雨が降るとの予感が当った。豪雨というより車軸を流すような雨になった。
柔道の練習があった。こたえた。体が痛い。眠が真赤だと云われる。勉強する気はさらに起らない。武蔵!! 武蔵!!
寮に汁粉があり。実力百%。
そもそも修業とは何か?自らを苦しめる事か?又苦しめて果たして何が得られると云うのか?苦しんで得られなかった時はどうなると云うのか?
八月二十七日(水) 晴一時雨 暖
朝とてもひどい霧。ポシェット湾の勤労奉仕を思い出さされた。が気温が昇るにつれて次第に消えていった。
防護団《注1》の訓練あり。寮の方に編入される。初めて学校の屋上へ上がって見た。鳩の糞が一杯ある。厚さ五センチメートル。飛行場が直ぐ下に見える。南はずうっと通が伸びて居り、新市街の樹の緑、赤煉瓦や白い建物の調和が美しい。久し振りに雄大な気に接す。
夕方になり雨降る。哈爾浜の夏の終わりの気候は女心と同じか?
八月二十八日 (木) 晴 暖
南崗、亜細亜劇場へ「勝利の歴史」を見に行く。途中、星野剛さん(20期)に会う。何時も人懐こく笑顔、柔道で鍛えた巨大な体躯、併しそれと似合わない優しい心が人を引きつける。学院生の典型みたいな人だ。
「勝利の歴史」は独の対佛《フランス》、対和《オランダ》、対白《ベルギー》の西部戦線の勝利の宣伝映画。皆何だ大した映画でないと言っていたが、臥薪嘗胆的な独の苦しみと努力に賛辞を送る。
帰りに伊藤鎮の下宿に寄る。西瓜を食べる。長い下宿だ。
学校に帰って防護団の演習を見学。隊長は良く出来たと賞める。院長、学監大満悦。
八月二十九日 (金) 晴 暖
昼から神原義徳さん(20期)を訪ねる。長戸俊郎、会場錆一(共に22期)と一緒「マルス」 へ。「ケーキ」「コーヒー」。夕方全部揃って訪ねて行く。ロシヤ料理。夜、哈爾濱駅へ。神原義徳さんと深川正八郎さんを見送る。帰りに蒙克と「一富士」「一駒」へよる。
八月三十日 (土) 晴 暖
午前十一時、星野剛さん。山県泰夫さん(共に20期)汽車で海拉爾へ発つ。見送る。
もう、一銭の金もない。晩、春日と街へ出る。金がないので何とつまらない長い時間をすごした。
寮で音楽室が出来た。ゆったりとした気持ちよい部屋になる。
宴会などの所為か帰らない者が多い。
八月三十一日(日) 晴 暖
哈鉄厚生会館で第一回無段者柔道大会あり。学院は見事に敗れ、私は無惨に醜態をさらして負けた。哈爾濱中学優勝す。
慌ただしかった八月が終わった。
注1:昭和4~5年頃から 軍部の指導により 民間防空団体として防護団が結成された
起床六時半。近頃に無く早く起きる。登校、朝食。登校途中、「トマト」を買って二つ喰べる。「トマト」とはこんなに美味いものか。此の頃吉川英治の「宮本武蔵」が乗り移って来たような気がする。果敢無《はかない》いものよ。
八月二十二日 (金) 晴 暖
久し振りの清い天候。このような日に、このような秋気の下で育つとどんなに清い人が出来るのかと考える。
柔道にしても、剣道にしても、ラグビーにしてもあらゆるスポーツは強くなるにこしたことはないが、自己の精神と体力を鍛え抜く所に本当の意義があるのではないか。
八月二十三日 (土) 雨 寒
午後五時頃から強く降り出した雨は夜に入ると愈々猛烈を極める。
外出していてまともに雨に会った。暗い雨の降っている中を寮へずぶ濡れになりながら一人歩いた。「シャツ」まで雨が通ってしまえば後はどんなに濡れても同じ。唯、冷たいだけ。満洲に暴風雨が来るようだ。雨は愈々烈しくなり、風も交ってきた。
八月二十四日 (日) 晴 畷
昨日の風雨は夢だったのか、太陽が笑っている。朝早く登校。官本武蔵七巻を読了する。
昼食は、米内先生が「ニューハルビン」で御馳走してくれた。
「ニューハルビン」は始めて。帰寮して窓から眺めていると、寮の看護婦さんが一人花を擁みながら唄を歌っていた「ポロリ」と感傷的な気持になる。男ばかりの寮では滅多に見られない貴重な風景である。
八月二十五日(月)
朝、春日達新京商業の連中を待っていると遅くなって時間がない。朝食を食べる時間がなく飯に味噌汁かけて喉に流し込む。二杯。汁が熱かった。
朝礼に院長が、王朝時代の大伴家持の祖国愛を説き愛国心を訴える。解っているが、彼の話を聞くと心が反対の動きをする。
米内先生が晩「西瓜」を買って来て下さった。室で皆で食べる。美味。今まで美味と思った事がない。 晩、柔道部の会計その他の事で会合あり。
八月二十六日(火) 晴後雨 暖
朝から曇、雨が降るとの予感が当った。豪雨というより車軸を流すような雨になった。
柔道の練習があった。こたえた。体が痛い。眠が真赤だと云われる。勉強する気はさらに起らない。武蔵!! 武蔵!!
寮に汁粉があり。実力百%。
そもそも修業とは何か?自らを苦しめる事か?又苦しめて果たして何が得られると云うのか?苦しんで得られなかった時はどうなると云うのか?
八月二十七日(水) 晴一時雨 暖
朝とてもひどい霧。ポシェット湾の勤労奉仕を思い出さされた。が気温が昇るにつれて次第に消えていった。
防護団《注1》の訓練あり。寮の方に編入される。初めて学校の屋上へ上がって見た。鳩の糞が一杯ある。厚さ五センチメートル。飛行場が直ぐ下に見える。南はずうっと通が伸びて居り、新市街の樹の緑、赤煉瓦や白い建物の調和が美しい。久し振りに雄大な気に接す。
夕方になり雨降る。哈爾浜の夏の終わりの気候は女心と同じか?
八月二十八日 (木) 晴 暖
南崗、亜細亜劇場へ「勝利の歴史」を見に行く。途中、星野剛さん(20期)に会う。何時も人懐こく笑顔、柔道で鍛えた巨大な体躯、併しそれと似合わない優しい心が人を引きつける。学院生の典型みたいな人だ。
「勝利の歴史」は独の対佛《フランス》、対和《オランダ》、対白《ベルギー》の西部戦線の勝利の宣伝映画。皆何だ大した映画でないと言っていたが、臥薪嘗胆的な独の苦しみと努力に賛辞を送る。
帰りに伊藤鎮の下宿に寄る。西瓜を食べる。長い下宿だ。
学校に帰って防護団の演習を見学。隊長は良く出来たと賞める。院長、学監大満悦。
八月二十九日 (金) 晴 暖
昼から神原義徳さん(20期)を訪ねる。長戸俊郎、会場錆一(共に22期)と一緒「マルス」 へ。「ケーキ」「コーヒー」。夕方全部揃って訪ねて行く。ロシヤ料理。夜、哈爾濱駅へ。神原義徳さんと深川正八郎さんを見送る。帰りに蒙克と「一富士」「一駒」へよる。
八月三十日 (土) 晴 暖
午前十一時、星野剛さん。山県泰夫さん(共に20期)汽車で海拉爾へ発つ。見送る。
もう、一銭の金もない。晩、春日と街へ出る。金がないので何とつまらない長い時間をすごした。
寮で音楽室が出来た。ゆったりとした気持ちよい部屋になる。
宴会などの所為か帰らない者が多い。
八月三十一日(日) 晴 暖
哈鉄厚生会館で第一回無段者柔道大会あり。学院は見事に敗れ、私は無惨に醜態をさらして負けた。哈爾濱中学優勝す。
慌ただしかった八月が終わった。
注1:昭和4~5年頃から 軍部の指導により 民間防空団体として防護団が結成された
kousei2
投稿数: 250
〝にぎり″大阪二銭、こちら二十銭
九月一日(月) 雨後晴 暖
関東大震災記念日。興亜奉公日《注1》。秋林へ行き買物。出ると寮のナースに会う。お茶に誘って「ビヤホール」の方へ行きかけると「ビヤホール」へ行くのかと言う。紅茶はあると言うと、隣の「マルス」の方が素敵ではないですか、と言うので「マルス」へ入った。彼女日く「成瀬さん、女の子誘うのは初めてでないのですか」と冷やかきれた。その通りである。冷や汗かいた。
九月二日(火) 雨 涼
朝、雨が降りそうなので傘を持って行くと矢張り大雨になった。
福真吾四郎さん(20期)出発する。見送りに行けなかった。
晩、瑠璃垣と張り合い頑張る。
九月三日(水) 晴 涼
朝うかうかして授業に遅れそうになる。併し朝飯だけは喰べる。八時になると食堂で内から鍵を掛ける。人を馬鹿にしている。
此の頃馬鹿になったのか授業が面白い。半田先生の「西伯利亜《シベリア》発展史」など然り。
満語《注2》の課外授業あり。仲々人気があり、運動部の練習にも人がいない。私も出ることにした。
寮に帰ると院長が来ていて、希望者と座談会を持つ。話は良いが長すぎる。出ない。
九月四日(木) 晴 涼
尾上先生の時局についての学院を中心とした世界動勢の話あり。大いに感銘を受けた。
胡麻本先生の露語試験が急にあり。
夜、哈爾濱神社の宵祭り。ちらつと見た女の顔に引かれてついて行こうとすると横にいた春日に「おい飲みに行こう」と引っばられた。鳴呼、俺は未だ女より酒の魅力に引かれているのか。
九月五日(金) 晴 暖
朝から上天気。晝から哈爾濱神社の祭礼に行く。柔道大会あり。出場、一番に負ける。見事。食堂で「善哉」あり。併し充分にはなし。
寮に帰る。十四日の月は煌々として美しかったが、気持ちは淋しい。
九月六日(土) 晴 涼
配給があったとして靴下一足貰う。純綿なり。陰暦十五の満月は夜半より欠け始めた。月食なり。
九月七日(日) 晴一時雨 暖
朝十時から柔道部練習あり。午後大いに雨降る。困った事に日光浴させていた「蒲団」がずぶ濡れ。
点呼直前に学監来寮。一室、一室厳重に検査して廻る。その後又遅くまで長いながい吾々に取って不必要(?)な話が続く。学監は天敵か。
九月八日(日) 晴 暖
数日来の風邪未だなほらない。。部屋が悪いなら変りたい。
桜木先生の試験あり。馬鹿め、試験など何であるんだ。之は試験に出来なかった男の愚痴かな。
教練に調子が悪いのを無理して出る。銃剣術あり。突かれてひっくり返る。こんなもの将校のする事ではない兵隊のする事だ。
九月九日(火) 曇 暖
教練の時間に狭窄射撃《注3》り。一発真中、二発は行方不明、弾痕なし。他の二発は漸く標的の円に入る。
米内先生が赤十字病院へ入院。春日と二人で見舞いに行く。馬場と藤原が来ていた。
九月十日(水) 晴一時雨 暖
野外教練あり。楽な遊びだと思っていると雨が降り出したのに止めない。大変な目に会った。
注1:国民精神総動員委員会決定の「国民生活日」の趣旨を採択し興亜奉公日を定めた 趣旨は当日全国民は挙って戦場の労苦を偲び自粛自省を実際生活に表すと共に興亜の大業を翼賛する
注2:満州語
注3:実弾射撃の代わりに 狭窄弾を用いて狭いところでする模擬射撃訓練
九月一日(月) 雨後晴 暖
関東大震災記念日。興亜奉公日《注1》。秋林へ行き買物。出ると寮のナースに会う。お茶に誘って「ビヤホール」の方へ行きかけると「ビヤホール」へ行くのかと言う。紅茶はあると言うと、隣の「マルス」の方が素敵ではないですか、と言うので「マルス」へ入った。彼女日く「成瀬さん、女の子誘うのは初めてでないのですか」と冷やかきれた。その通りである。冷や汗かいた。
九月二日(火) 雨 涼
朝、雨が降りそうなので傘を持って行くと矢張り大雨になった。
福真吾四郎さん(20期)出発する。見送りに行けなかった。
晩、瑠璃垣と張り合い頑張る。
九月三日(水) 晴 涼
朝うかうかして授業に遅れそうになる。併し朝飯だけは喰べる。八時になると食堂で内から鍵を掛ける。人を馬鹿にしている。
此の頃馬鹿になったのか授業が面白い。半田先生の「西伯利亜《シベリア》発展史」など然り。
満語《注2》の課外授業あり。仲々人気があり、運動部の練習にも人がいない。私も出ることにした。
寮に帰ると院長が来ていて、希望者と座談会を持つ。話は良いが長すぎる。出ない。
九月四日(木) 晴 涼
尾上先生の時局についての学院を中心とした世界動勢の話あり。大いに感銘を受けた。
胡麻本先生の露語試験が急にあり。
夜、哈爾濱神社の宵祭り。ちらつと見た女の顔に引かれてついて行こうとすると横にいた春日に「おい飲みに行こう」と引っばられた。鳴呼、俺は未だ女より酒の魅力に引かれているのか。
九月五日(金) 晴 暖
朝から上天気。晝から哈爾濱神社の祭礼に行く。柔道大会あり。出場、一番に負ける。見事。食堂で「善哉」あり。併し充分にはなし。
寮に帰る。十四日の月は煌々として美しかったが、気持ちは淋しい。
九月六日(土) 晴 涼
配給があったとして靴下一足貰う。純綿なり。陰暦十五の満月は夜半より欠け始めた。月食なり。
九月七日(日) 晴一時雨 暖
朝十時から柔道部練習あり。午後大いに雨降る。困った事に日光浴させていた「蒲団」がずぶ濡れ。
点呼直前に学監来寮。一室、一室厳重に検査して廻る。その後又遅くまで長いながい吾々に取って不必要(?)な話が続く。学監は天敵か。
九月八日(日) 晴 暖
数日来の風邪未だなほらない。。部屋が悪いなら変りたい。
桜木先生の試験あり。馬鹿め、試験など何であるんだ。之は試験に出来なかった男の愚痴かな。
教練に調子が悪いのを無理して出る。銃剣術あり。突かれてひっくり返る。こんなもの将校のする事ではない兵隊のする事だ。
九月九日(火) 曇 暖
教練の時間に狭窄射撃《注3》り。一発真中、二発は行方不明、弾痕なし。他の二発は漸く標的の円に入る。
米内先生が赤十字病院へ入院。春日と二人で見舞いに行く。馬場と藤原が来ていた。
九月十日(水) 晴一時雨 暖
野外教練あり。楽な遊びだと思っていると雨が降り出したのに止めない。大変な目に会った。
注1:国民精神総動員委員会決定の「国民生活日」の趣旨を採択し興亜奉公日を定めた 趣旨は当日全国民は挙って戦場の労苦を偲び自粛自省を実際生活に表すと共に興亜の大業を翼賛する
注2:満州語
注3:実弾射撃の代わりに 狭窄弾を用いて狭いところでする模擬射撃訓練
kousei2
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九月十一日(木) 晴一時雨 涼
朝から身休がぞくぞくする。登校後も止まらない。昨日の雨の中での教練の為に風邪を引いたか。
九月十三日(土) 晴 涼
完全な「ブランク」だ。何もしたくない。本を読んでも気が入らない。
九月十四日(日) 晴 暖
午後花園小学校へ運動会を見に行く。面白くない。風邪気味で早く寝る。夜、停電、電気はつかない。
九月十六日(火) 晴 暖
私的用事で急に日本に帰ることになる。夜汽車は混んでいたが、青木の父上と一緒になり席を取り得た。
九月十七日(水) 晴一時雨 涼
新京での事。建国忠霊廟の例祭に皇帝陛下が御参拝されるのに会う。拝観していると雨が降りずぶ濡れになる。 特急「のぞみ」に乗る。
九月十八日(木) 晴 涼
朝鮮内で眼を覚す。奉天から乗った水野好子と云う若い女の人と一緒になる。住所は新京。東京へ琴の修業へ行くと。準師範の免状を持つ。退屈しない。
九月十九日(金) 晴 涼
朝、連絡船下関着。下関で一日遊ぶと云う「オキャン」な好子さんと別れて大阪行急行に乗る。 日下に会う。桟橋まで散歩し、日海丸に乗船する。
朝から身休がぞくぞくする。登校後も止まらない。昨日の雨の中での教練の為に風邪を引いたか。
九月十三日(土) 晴 涼
完全な「ブランク」だ。何もしたくない。本を読んでも気が入らない。
九月十四日(日) 晴 暖
午後花園小学校へ運動会を見に行く。面白くない。風邪気味で早く寝る。夜、停電、電気はつかない。
九月十六日(火) 晴 暖
私的用事で急に日本に帰ることになる。夜汽車は混んでいたが、青木の父上と一緒になり席を取り得た。
九月十七日(水) 晴一時雨 涼
新京での事。建国忠霊廟の例祭に皇帝陛下が御参拝されるのに会う。拝観していると雨が降りずぶ濡れになる。 特急「のぞみ」に乗る。
九月十八日(木) 晴 涼
朝鮮内で眼を覚す。奉天から乗った水野好子と云う若い女の人と一緒になる。住所は新京。東京へ琴の修業へ行くと。準師範の免状を持つ。退屈しない。
九月十九日(金) 晴 涼
朝、連絡船下関着。下関で一日遊ぶと云う「オキャン」な好子さんと別れて大阪行急行に乗る。 日下に会う。桟橋まで散歩し、日海丸に乗船する。
kousei2
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九月二十六日(金) 晴 涼
五時に小豆島発。宇高連絡船午後九時十分高松発。岡山発午後十一時三十一分の急行で下関へ。
九月二十七日(土) 晴 涼
朝、六時三十分下関着。午前十時三十分発関釜連絡船に乗船開始九時三十分。
昼間の連絡船に乗るのは始めて。朝鮮海峡は「天気清瓏なれど波高し」の天候だった。
六時、釜山着、下船は最後になったが、列車の席は取れた。
九月二十九日 (月) 晴後雨 暖
昨夜列車の内は空いていて横になれたのは良かったが、寒くって風邪を引いた。
朝、八時過新京着。駅の構内で直ぐペストの注射をされて、腕が痛く腫上がったが、注射の証明書を持たないと駅から出して呉れない。新京はひどい埃だった。
本屋で三年生 (20期)の人に会う。十月一日から学院でロシヤ語の授業だと。するとソ聯との斗いはないかなと想う。
九月三十日 (火) 晴 暖
朝九時二十分新京駅発。列車は空いている。晩、春日と街へ出る。大阪の心斎橋で食べた「握り寿司」が忘れられず寿司屋に寄った。心斎橋で一個二銭だったものが一個二十銭とは驚いた。「ねた」も良くない。失望して帰る。
三年生が寮に来ている。大阪外語、東京外語の人達も一緒。
(成瀬孫仁日記(四)につづく)
五時に小豆島発。宇高連絡船午後九時十分高松発。岡山発午後十一時三十一分の急行で下関へ。
九月二十七日(土) 晴 涼
朝、六時三十分下関着。午前十時三十分発関釜連絡船に乗船開始九時三十分。
昼間の連絡船に乗るのは始めて。朝鮮海峡は「天気清瓏なれど波高し」の天候だった。
六時、釜山着、下船は最後になったが、列車の席は取れた。
九月二十九日 (月) 晴後雨 暖
昨夜列車の内は空いていて横になれたのは良かったが、寒くって風邪を引いた。
朝、八時過新京着。駅の構内で直ぐペストの注射をされて、腕が痛く腫上がったが、注射の証明書を持たないと駅から出して呉れない。新京はひどい埃だった。
本屋で三年生 (20期)の人に会う。十月一日から学院でロシヤ語の授業だと。するとソ聯との斗いはないかなと想う。
九月三十日 (火) 晴 暖
朝九時二十分新京駅発。列車は空いている。晩、春日と街へ出る。大阪の心斎橋で食べた「握り寿司」が忘れられず寿司屋に寄った。心斎橋で一個二銭だったものが一個二十銭とは驚いた。「ねた」も良くない。失望して帰る。
三年生が寮に来ている。大阪外語、東京外語の人達も一緒。
(成瀬孫仁日記(四)につづく)