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Re: 俺の戦争 其の2 オアシス

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通常 Re: 俺の戦争 其の2 オアシス

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2
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2012/9/15 6:50
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 BUP先輩、ヒマツブシを毎回とっても興味・関心をもって読ませて頂いており少年時代、熱血愛国少年で少年飛行兵の試験を受けるために 5桁の数字がパッパッパッと出るのを覚えたり、両手両足を使っての器機操作など練習に通っていた者です。

 生まれは昭和7年9月11日 上記は小学校5、6年の担当の先生が 生徒に吉田松陰の思想・行動をひたすら殉国と安易に教えた結果です。げに教育の影響・効果は恐ろしきかなです。

 倶楽部の名簿には 貴兄の生年月日の記入が無く、確か大正の最後15年(昭和元年)だと推定しており、7歳年上と思っておりますが、、、

 さて前回の発言の下記引用
引用:
第二南遣艦隊の根拠地セレベス島のマカッサルに空路、到着したのが昭和17年8月のことであります。
 私は西宮小学校4年、満10歳になる寸前です。年の差は7年?です。
 また(その2)の下記引用
引用:
さて、帝国海軍は昭和17年(1942年)6月のミッドウエイ海戦で主力空母4隻とその艦載>機を一挙に失い、それに代り豪北(豪州の北の意味)の島々に滑走路一本の航空基地を設営、作戦の継続を余儀なくされました。
其の全てを、17歳になる直前の俺にやらせたのですから、帝国海軍の考え方が、今もって俺には・・・ワカリマセン。
 「俺は」 云々での書き方 とっても親しみをもって読ませて頂いています。また ございますと丁寧な文章で感心させられています。 
 戦況の把握や、地域の軍隊の配置などのお詳しいのには驚かされます。
 「17歳になる直前」は、満年齢でしょうか?

引用:
「伏見博英海軍大尉ケンダリー発マサッカル行きの飛行機に搭乗中、昭和18年8月21日に撃墜されて戦死」(数少ない皇族の戦死者の一人で、検索で沢山出てきます)迄は・・・。

 これは翌年、私メ5年生の満11歳になる一ヶ月前です。
 愛国少年の私は、同学年の者の中で 地理が得意、特に南方戦線に我が軍が展開する地域、島々は殆ど頭に入っておりました。

 その後 内地の19年、20年の爆撃は、殆どがB29 一トン爆弾か 焼夷弾でした。
 わが家は阪急電車 夙川、通ってたのは旧制兵庫県立芦屋中学でした。
 家は阪急の線路に等間隔で落とされる1トン爆弾の為、壁が落ち 至近家屋まで焼夷弾で延焼、おまけに警戒警報(空襲警報で無く)で学校から近道で1間道路 溜池横の道路で機銃掃射にあい(敵さんの顔が見えました)、道の端から池にパッパッパッと銃弾が、、長屋が並んだ側に蹲り 反対から撃って来た 残り弾で遊びの敵が旋回して来れば丸見えで死んでたでしょう。川原を通った仲間が沢山撃たれて死にました。

 で、何んと昭和20年6月 縁故疎開で石川県金沢近郊の松任町へ疎開しました。

 ちょっと時期や生々し体験など ずれた話を長々と 述べ申し訳ありません。
 先の戦争は比較すれば前線・戦地センチの兵隊さんの方が大変な被害、死傷者が出ましたが、内地の都会暮らしの者たちも 沖縄・広島・長崎、例えば3月10日の東京のように激甚なる被害に会い、戦後の暮らしも餓死寸前と大変だった その代表的人間の一人だと思っています。

 ヒマツブシ 今後とも大いに期待しています。

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