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Re: 俺の戦争 其の3 BUP

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通常 Re: 俺の戦争 其の3 BUP

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depth:
3
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/9/16 6:43
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 

 皆様 今朝も涼しい朝を迎えました、もう秋、本番なんでしょうか。
 今朝は、(オッ)家内儀、娘と共に何処かに遊びに出掛けましたので、つかの間の俺の楽しい時間を「ヒマツブシ」で過ごすことが出来そうです。(帰って来るまでは・・・ネ)
引用:
BUP先輩、ヒマツブシを毎回とっても興味・関心をもって読ませて頂いており
 オアシス様、お書き込みを頂き有難う御座います。
 実は、俺、アマリにもくだらない自己中の書き込みで、皆さんアキレハテテ、無視されていると、ヒガンデました。
 大正14年生まれです。

 ”ハナハトマメマスミノカサ”の最終学年でアリマス。
 会員名簿にはメールアドレスなどの一切の個人情報の記載はお断りしております、紙の会員名簿の送付も頂いて居りません。
 実は数年前に、個人情報を悪用されて、変なメールが飛び込み、対策に困り、メルアドの変更やらでヒドイ目に会ったからなのです。
 紙の会員名簿を頂いても使い道が無く、管理に自信がないので、送付をお断りしている次第です。

 小学生5年のとき、”子供の科学”か”何かの雑誌で、綿巻き銅線を五寸釘に巻いて電磁石を作り、ブリキ板をペコペコ動かして信号を送る記事から、自作して、「モールス符号」にはまり込み、イロハとアルハーベットのモールス信号を覚えました。

 その辺りから。俺の将来が視えて来たようですよ。
 さて、閑話休題、マカッサル時代の想い出などを。

 (其の1)の地図に、宿舎の隣に「w」と書いてある家が見えます、我が友、ジョニー君の家です。
 俺が寝ていた家は大邸宅でした、部屋が10くらい在りました、ペンションだったのです。
 輸送機の搭乗員がマカッサルで宿泊するときの為の施設でした。
 つまり、俺は其処の管理人を兼ねておりました。
 上官の命令なので致し方ゴザイマセン。
 元、オランダ人が住んで居りましたので、食堂にはウイルヘルミナ女王様の額縁も飾って在りました。
 都市ガス、電気冷蔵庫、完備、至れり尽くせりの施設でした。
 トイレは勿論水洗、俺の育ったオオモリの家に比べても雲泥の差でアリマス。
 当時としては珍しい、ガス瞬間湯沸かし器も在りました。
 マンデー(水浴)の部屋(カマル マンデー)の水溜めにお湯を入れておくと、小型の風呂になります。
 電気冷蔵庫には、マンゴー、パパイヤ etc. 果物が何時も入ってます。
 使用人もコックさん、ジョンゴース(男の使用人のこと)、バブ(女性の使用人のこと)と、3人も居て、俺の面倒を見てくれるのです。
 お給料は、俺が払うわけは無い、勿論、部隊で払ってくれておりました。
 表玄関の前は道路に面した庭になっており、ベランダには籐椅子、寝椅子が置かれて居りました。
 道路の名前は「敷島通り」、オランダ時代の名前は「フェネラル・ファン ダーレン ウエ」でした。
 朝、夕の出勤、退庁時間には宿舎から、司令部、民生府などに自転車通勤する防暑服姿の男女の軍人・軍属の皆様が通ります。
 夕方は「ティガルーダー」と呼ばれた三輪車(爪哇島ではベチャと呼ばれてましたが)に乗って散歩するアベックも見られました。
 自転車に二人乗りのアベックも居ります、「ゴンチェン」と言います。
 夕方になり涼しくなると、海岸通りの方に散歩に出掛けます。
 其のことを「マカン アンギン」と言ってました、マカンは食べる、アンギンは風、つまり、”風を食べる”の意味です。
 俺は、ベランダの寝椅子に横たわり、ボーっとして、その「マカン アンギン」の人たちを眺めておりました。

 或る日の夕方、塀の外から、ジョニー君が顔を出して、”オカーチャンがオマエに来いってさー”とのことです。
 つまり、W家に招待されたわけでアリマス。
 W家のご主人は海軍民生部(市役所みたいな役所)の役人で、夕方になると、日本人の軍人、軍属がよくお見えになり、広い庭の籐椅子で御歓談されているのを、しばしば拝見はしておりましたが、とても俺などは入れる雰囲気では御座いませんでした。
 ご主人も奥さんもメナド人です、セレベス島北部の出身者でミナハサ族と呼ばれており、比較的に日本人に重用されて、軍関係の公務員をされている方が多かったようです。
 ツマリ、ジョニー君から俺のことを聞いて、子供みたいな俺を慰めて(?)呉れようと、呼んで呉れたわけです。
 サンダルを履いたままのだらしのない格好で、すぐ隣のW家に出掛けました。
 W家の構成は、オヤジは前述通り、海軍民生部のお役人、奥さんは同じくメナド人、長女は奥さんの前亭、オランダ人との混血、美人でした、独身時代、マカッサルの美人コンテストに入賞したとか、結婚していて、ご亭主はメナド人、マカッサル中学の先生、 男の赤ちゃんロニー君が生まれたばかり、少し離れた住宅に住んでました。
 次女は、俺と同年齢、マカッサル中学を出て、民生部の事務員をやってました。
 以下、三女は中学生、長男はジョニー君、次男、三男と賑やかな御家庭でした。
 俺の宿舎のコックさんから、俺の情報は伝わっていたらしいです。
 食い物に好き嫌いが激しく偏食、だらしが無い、etc. ・・・。
 インドネシアにも小豆と同じような豆が在るのです、但し豆の色が所謂、小豆色ではなく、青い色です、従って名前も”カッチャン イジョー”です。
 カッチャンは豆、 イジョーは青いの意味です。
 其のカッチャンイジョーを、お汁粉にしてご馳走して呉れました。

 ・・・・・・・此処まで、書いて、なんだか、俺、本当に戦争に行ったのか、観光旅行に行ったのか、自分でも分からなくなって来ました。

 家内と娘、帰って来そうなので、続きは・・・・・マタネ。
 段々、核心に迫ってきたので、少し・・・書きにくいので、多少、誤魔化すことにします。   では、マタネ・・・
 

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