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Re: 俺の戦争 其の4 BUP

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通常 Re: 俺の戦争 其の4 BUP

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2
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/9/17 8:36
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 皆様 ご無沙汰でした、 ヒマツブシでも、させて下さい。
 (ツレも娘も何処かに消えて、絶好のチャンスなんです)
 先日から急に寒くなって、とうとう、物置から炬燵を出して来ました、足元が暖かくて快調でアリマス。

 さて、前回は”カッチャン イジョー”まででした、・・・と記憶してますがぁ~。
 あの酷暑から秋を飛び越して冬に直行したみたいですね。
 此の国も四季が無くなり、冬、夏の二季になったみたい。
 赤道直下の、あの島々には四季はなく、乾季と雨季の二季だけなんです。

 赤道付近に横たわる赤道前線 I.T.C.Z (InterToropical Convergence Zone)が季節的に南北に移動して、その影響で雨季になったり、乾季になったりするんです。
 雨季には、しとしとと雨が降り続けます。
 日本の冬の季節が、あの島の雨季に当たります。
 庭の大木の根っ子に住み着いた大蛙が夜中にウオーンウオーンと鳴き続けます。

 敵機の本格的な都市爆撃が始まったのは昭和18年に入ってからでした。
 17年のクリスマスは、楽しかった!
 宿舎とジョニー君の家(W家)の間のロサリ海岸に抜ける道の途中にアンボン人のおばさんがケーキを焼いて食べさせて呉れるお店が在りました。
 美味しい紅茶で頂くのです(地図上ではブンドコレクションと書いてますが)、そのおばさんに特大のクリスマスケーキを作って貰い、w家に届けました。

 翌、昭和18年にはいると、東部ニューギニアの戦闘で勝ち誇った米軍の反撃が始まりました。
 主な目標は、油田と製油所の在るボルネオのバリックパパンでした。
 豪北爆撃用の23航戦の基地、ケンダリーも狙われました。
 最初は、帰り道に、ついでに残弾を落として行くような空襲でしたが、次第に本格的な空襲になって来ました。

 防空壕作りが始まりましたが、当部隊の防空壕は特警(陸軍の憲兵と同じ)が連れて来たオランダ軍の捕虜さん達が造って呉れました。
 鉄骨はベッドの金具を利用してました。
 捕虜さんたちは赤銅色をした筋骨隆々の良い体格をしていて圧倒されましたよ。
 休憩時間に横に座っていた捕虜さんに煙草を出したら、ニコッと笑って受け取って呉れました。
 現地製の煙草で名前は”スマンガット”、未成年でしたが配給で押し付けられるので、致し方なく吸ってました(ウソツケ?)。
 頑丈な防空壕で数十人が入れるほどの大きさでした。

 あの島の月夜の晩は明るいのです、(月光で新聞が読めるくらい)月夜の晩は毎夜のように敵機が来襲するようになりました。
 
 ある日の空襲で、港湾地区が爆撃され、多数の犠牲者が出て、遺体の始末に海岸のプールが使われ、以降、プールは閉鎖されてしまいました。
 爆撃は海岸沿いに南から北へ、街並みに沿って爆弾が落とされます。
 或る夜の爆撃で、爆撃も終わり静かになり、防空壕から出始めました、俺も出ようと、階段に足を掛けた瞬間、時限爆弾が爆発、防空壕の奥の壁に叩き付けられました。
 俺より前に出た者は・・・。 (ヤメトキマス)
 その日の爆撃で隣家 W家の防空壕も破壊されましたが、家族は無事でしたが、飼い犬の”タイヒール”はダメでした。(犬の名前を憶えているのは少し異常ですね)。

 W家も壊され、地図上の W-2 の場所に引っ越して行きました。
 W-2に引っ越した、W家も、其処に防空壕を造りましたが、其処は街並みから外れてますので、空襲の安全地帯でした。

 防空壕が直撃されると、犠牲者が多くなると言うことで、各自にドラム缶が支給されました。

 庭に埋めて、蚊取り線香を持って、一人づつ入るのです。
 俺は、馬鹿馬鹿しくなって、空襲のありそうな夜は W-2 の家族の家に自転車で避難することにしました。
 (途中で、W家の長女の家に寄り、赤ちゃんだったロニー君を荷台に乗せて)
 広い庭の籐椅子には、同じく避難して来た、民政部の軍属さんやら、エライ方々で、賑わっておりました。

 当時の空襲の逸話にこんなのが御座いましたので。
 http://www5d.biglobe.ne.jp/~makassar/mks/morimitsuko.html
 さて、戦争も・・・やっていたんですよ。
 マンダイの航空基地のニッパ椰子の小屋の中で、空4号無線電信機に噛り付いて、必死に敵情を上空の味方機に伝えてました。
 機銃掃射の雨霰の下で、防空壕に入りたいけれど、入れない、敵機も上空、味方機も上空、銃弾がブスブスってあっちこっちに突き刺さるんです。
 思わず、目の前のスピーカーを頭の上に載せた姿を見られて、大笑いされたことを想い出しました。
 或る時の敵襲で、機銃弾が右腕を掠りました、煙草の灰が化膿止めになるとか、包帯を巻いていたら治りましたが、あと数センチずれていたら、俺の右腕、なかったなぁ~。

 月日が経ち、爪哇島 スラバヤの南西方面艦隊に移動の命令を受けました。
 これからが、本当の戦争、敵機のうようよ飛ぶ、南の空を彷徨うことになりました。
 草臥れたので・・・ 以下 次号。 (誰も期待してないと思いますがぁ~・・・)
 昼飯どうしようか?  そうだ フトメンが在ったなぁ。

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