[No.167]
Re: SPEEDIは動いているか
投稿者:男爵
投稿日:2013/05/29(Wed) 08:25
[関連記事] |
> > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > 放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
> > > 放射性雲は、浪江町へと移動し、雨雪となって地上におちたが、その予測は住民には知らされない。
> 15日夜、文部科学省のモニタリングチームは、福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町のある地点の空間放射線率を計測した。
> 毎時330マイクロシーベルトという高い数値が出た。
> この地点を測定したのは渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員だった。
> 14日朝、二人は茨城県の原子力オフサイトセンターから福島原発に車で向かった。
> 文部科学省のEOCの担当官から福島県・大熊町のオフサイトセンターに行くように指示されたのだ。
14日午後4時すぎ大熊町に到着した。
オフサイトセンターに行くと、玄関先で靴や衣服のスクリーニングが行われていた。
タイベックスーツに半面マスク、シューカバーという装備に身を包んだ担当者が出入りする職員の汚染状態を念入りに測定していた。
渡辺と雨夜はスクリーニングを受けたが、靴底から1600cpm(13.33マイクロシーベルト)の汚染が見つかった。これだとシューカバーをしなければならない。
それまで保安巡視で立ち入りした原子力施設でも最大200cpm(1.66マイクロシーベルト)ほどだった。原発事故が深刻であることを思い知らされた。
シューカバーを二重に着装して、2階の対策本部に行った。
通信手段が衛星携帯電話しかないようだった。みな、この携帯電話の通話から得られる情報に聞き耳を立てていた。
福島県原子力センターの2階が文科省と日本原子力研究開発機構(JAEA)の放射線モニタリングチームの拠点となっていた。
渡辺と雨夜はそこのグループに入った。文科省からは水戸原子力事務所長が指揮官として来ていた。
午後9時すぎ、グループ会議が終わり休憩していたとき
誰かが1階から階段をバタバタと上がってきた。
「待避! 待避! 総員待避!」
大声で叫び、それを繰り返しながら、階段を引き返していった。
文科省の指揮官が「すべて放棄して待避する。全員JAEAのバスに乗車すること」と指示した。
「公用車などのキーはすべて車にさしておくこと」と彼はつけ加えた。
現地対策本部が福島県庁に移動することが決まったという。
駐車場を出ると、自衛隊の車両が整然と走り出すのが見えた。
茨城で調達してきた食料品はすべて、センターにおいて移動せざるをえない。
バスが走り出したところで、半面マスクが配られた。全員、それを着装した。
福島県庁に隣接する公共の宿「杉妻会館」に到着したのは15日午前1時40分。
靴底は1万cpm(83.33マイクロシーベルト)を超え、”放射性廃棄物”と化していた。
寝付かれないまま、床に身を横たえていると
「2号機が爆発したらしい」という情報が伝えられた。
福島第一原発正門前の線量率は「毎時マイクロシーベルトではなく毎秒ミリシーベルトのレベル」とのことだった。
1000倍単位の汚染領域に突入したことになる。
あとで、渡辺と雨夜は、EOCが、二人が福島県庁に移転したことを「職場放棄」とみなしたことを知った。
「勝手に職場放棄をしてけしからん。それに、装備も公用車もそのまま残して撤退するとは何事だ」
そのような”お怒り”だったという。
「線量がどんどん高まるオフサイトセンターにあのまま踏みとどまったとしても無用な被ばくを受けるだけじゃないか」
「それでは、連中があのとき、大熊町オフサイトセンターにいたとして、いったいどういう行動がとれたのか」
「そうなのか。文科省という役所は、職員の無事より車両や物品の方が大事なんだ」
渡辺も雨夜もがっくり。
職員の無事より、帳簿に記載された物品がなくなることが大事というのは
別のところで読んだ、地図をつくる国土地理院の職員の苦労話と同じ。
日本の役所はいずこも同じか。