地震などの天災を語る 
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[No.172] Re: SPEEDIは動いているか 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/30(Thu) 07:59
[関連記事

> > > > > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > > > >  放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
>
> > > > 15日夜、文部科学省のモニタリングチームは、福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町のある地点の空間放射線率を計測した。
> > > > 毎時330マイクロシーベルトという高い数値が出た。
> > >
> > > > この地点を測定したのは渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員だった。

> 決められた3つのポイントを1時間ごとに3回くり返して測定してほしいという。
> 午後3時すぎまで行った空線量率のモニタリングの結果
>  ポイント31(浪江町・津島)
>  ポイント32(浪江町・川房)
>  ポイント33(飯舘村・長泥)
> いずれの地点でも高い放射線量を測定した。
> ここの上空をプルームが通過したことは明らかである。

> 19日早朝、二人はEOCから特別任務を与えられた。
> 「新聞で報道されている、原乳からヨウ素131が検出されたという牧場に行って、空間線量率を測定し、午前9時半までに報告してほしい」

帰途、2日前に測定した3つのポイントを再び測定した。
その際、長泥の嶋原区長に会った。嶋原区長は避難の準備をしていた。
嶋原の家は長泥十字路から150メートル離れたところにある。
雨夜は、サーベイメーターを見せながら、測定結果を示し、この区域の放射線量が高いことを伝えた。

EOCからまた連絡があった。
広野のメディカルセンターに行ってほしい、との指示である。
往復200キロはある。疲れがたまっていたが、「待っている患者のために行こう」と申し合わせ、Jヴィレッジに行ったところで、「メディカルセンターに行く必要はなくなった」と通知を受けた。
福島市内の宿に帰ったのは午後9時前だった。
この日、走行距離は550キロにのぼった。

後のことになるが、嶋原が次のようなことを話したと渡辺は人づてに聞いた。
嶋原の家の近くに、白いワゴン車が1台、十字路の道路脇に停車していた。
中には白い防護服(タイベックスーツ)を着用し、防護マスクを被った男たちが数人いて、窓を少し開けては、細長いノズル(金属棒)を突きだしている。
全員、積算線量計を身につけている。

数値ヲ教えるように求めたが、彼らはそれを拒否して、何かに急がされるように去って行った。
「何をビクビクしてやってんだ。もっと落ちついてやってくれよ。放射能はガラスもコンクリートも通り抜けちゃうんだろう。マスクやっても気休めじゃないか」
そう言いたくなったが、嶋原は黙っていた。

嶋原が出会ったのはJAEAのモニタリングチームだったに違いない。
渡辺は、この話を後で聞いたとき
「嶋原さんの気持ちもわかるが、モニタリングチームの置かれた状況も考えてあげなくては....ちょっとかわいそうだな」
と感じた。

「JAEAの測定者たちは若い人も多い。タイペックスーツを身につけて仕事をするのも理解できる。みんな必死になって仕事をしていた。彼らの中には家族が被災した者も多かった」
「それに、防護服の上に防寒着は着れない。あのころ、すごく寒かった。車の中から測定していたとしても責められない」
「ただ、嶋原さんはじめ住民が、あいつらは出てこない、なんだあいつらは、と感じたこともまた否めない事実なのだ」

渡辺と雨夜が測定の作法とした「タイベックスーツも半面マスクも着用しない」、そして「サーベイメーターを示して数値を住民に知らせる」やり方は、二人が現場で話し合って決めたものだった。
その作法をJAEAのチームにも押しつけるべきか否か、渡辺はずいぶん迷ったが、それを強制することは避けた。

渡辺はかつて原研で働いたこともあり、年配でもあったことから文科省とJAEAの測定班の班長のような役回りをしていた。

渡辺と雨夜は、「防護服を着用するべきか否か」を、計測される住民の心情に寄り添う形で自らに問い質し、着用しないことを決めた。しかし、危機管理という観点からは防護服の着用が正解だったかもしれない。

防護担当者は、その役割を持続的に果たすには健康でなければならない。
モニタリング測定者が汚染された場合、汚染を拡大させてしまう可能性がある。
住民はいったん避難させてしまえば被ばくのリスクは少なくなるが、防災担当者は継続的に業務を行うから被ばくするリスクはより大きい。

それだけに、測定者は汚染予防には細心の注意を払わなければならない。
モニタリング測定者が防護服を着用するのは、そうした観点からは必要であり、必須なのである。

少し後のことになるが、4月中旬、枝野官房長官は南相馬市内を防護服を着て視察した。
その際、20キロ圏内から出て、防護袋を脱ぐ映像がテレビに流れた。
周囲に防護服を着用していない人が映っている。
たちまち「自分だけ放射能から身を守ろうとしている」との批判がネットに出回った。

批判する人々は、原発から20キロ圏内の避難区域は、防護服の着用が義務づけられていることは思い至らない。
そもそも防護服は主に放射性物質の周囲への拡散を防ぐ目的で用いられるのである。
(無知な人がネットに書き込みできる自由。無知なマスコミは自分の勉強もかねて、防護服は原発から20キロ圏内の避難区域で着用の義務があるとくり返し報道すべきだった)

JAEAのチームは、1台3000万円もするモニタリングカーを持ってきていた。
これは車の中からダストサンプリングができるとの触れ込みだった。
ところが、車そのものが汚染されたため、車載していた機械も汚染され、使えなかった。
渡辺と雨夜のライトバンで十分用は足りた。

渡辺は
「モニタリングカーもまた、安全神話の表れなのだろう。こんな立派な車があります。しっかり測定します。だから大丈夫です..なんて」
「いざとなったら、使い捨ての車を用意すればいいのだ」
と思った。

二人に対してEOCの担当者は「官邸に報告する」とか「官邸の指示」という言い方をした。
「なぜ、わざわざ官邸、官邸と言うのだろうか?」
二人は首を傾けた。JAEAのモニタリングチームの人々も、「官邸主導のモニタリングチームなんですか」と尋ねてきた。
「文科省は線量の高いところの測定をするとそれが住民避難につながるため、そういうところの測定は官邸の名の下にやろうとしているのか」

  ☆   ☆

さてここまで長々と
福島第一原発から北西方向20キロ付近、浪江町や飯舘村で
毎時330マイクロシーベルトという高い空間放射線率を計測した
渡辺真樹男と雨夜隆之という文部科学省の職員の苦労やぼやきを
紹介してきました。

現場の人はこんなに苦労していたということを認識するには十分な資料ですが
本当はこれから紹介する
政府はどう対応していたのか、官邸、文科省、原子力安全委員会、それから東京電力はどうだったのかがメインのテーマなわけです。
  ここまでくるのに18頁 そしてなんと残りは26頁あります。

文科省はSPEEDIを動かして、その結果を発表することをなぜか避けたがります。
政府から強く言われ、しぶしぶ他の機関に押しつけようとします。
他の関連機関も似たり寄ったりで、重い仕事はなるべく避けたい、責任は取りたくない
という態度なのです。

いろんなことを記述して、とても読みにくい本ですが
まあ多くの資料を盛り込んでいるから、拾い読みしながら貴重なデータを探すには
いい本なのかもしれません。

ともかく1〜2日、もう少し紹介するつもりです。


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