地震などの天災を語る 
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[No.174] Re: SPEEDIは動いているか 投稿者:男爵  投稿日:2013/05/30(Thu) 10:37
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> > > > > > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > > > > >  放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。

> 現場の人はこんなに苦労していたということを認識するには十分な資料ですが
> 本当はこれから紹介する
> 政府はどう対応していたのか、官邸、文科省、原子力安全委員会、それから東京電力はどうだったのかがメインのテーマなわけです。
>   ここまでくるのに18頁 そしてなんと残りは26頁あります。

> 文科省はSPEEDIを動かして、その結果を発表することをなぜか避けたがります。
> 政府から強く言われ、しぶしぶ他の機関に押しつけようとします。

> いろんなことを記述して、とても読みにくい本ですが
> まあ多くの資料を盛り込んでいるから、拾い読みしながら貴重なデータを探すには
> いい本なのかもしれません。

> ともかく1〜2日、もう少し紹介するつもりです。

低線量の放射線を浴びた場合、数年から数十年後にガン、白血病や遺伝子障害などの晩発障害がおきる可能性がある。
原子力安全では、被爆リスクを「合理的に達成できる限り低く抑える」ことが肝心である。
そして、原子力火災が起こった場合は、放射性物質の拡散状況を的確に把握し予測することが不可欠である。

そのためには、炉内事象(特にソースターム)の把握。SPEEDIの運用、モニタリングの実施、そして避難などの行動を迅速に行わなければならない。
なかでも環境放射線モニタリングがカギである。

東京電力も、電事連(各電力会社)も、福島県も、文部科学省・JAEAも、そして自衛隊と警察も、さらに米政府も、それぞれに放射線モニタリングを行った。

このうち自衛隊と警察の放射線モニタリングは自分たちの活動の補助的役割だったが、ほかのモニタリングは住民の避難を念頭に行った活動だった。

東電の場合、発電所敷地内と周辺の放射線モニタリングをすることが防災業務計画で定められている。
地震と津波による全交流電源喪失のため、福島第一原発敷地内に設置されていた8台のモニタリングポストと各号機に接続する14台の排気塔モニターは、すべて動かなくなった。
このため、東電は11日午後5時から、モニタリングカー1台を用いて、第一原発正門前をはじめ敷地内の複数の地点で線量を測定し、東京電力や保安院のホームページに結果を公表した。

福島県の場合、原子力安全・保安院の要請で県内に24台のモニタリングポストを設置していた。
鉄筋コンクリート製の小さな部屋の中に放射線測定器、データを現地対策本部に送るテレメーター伝送装置、非常用の小型発電機を備えている。
それらのうち23台が、3月11日午前4時半には、地震や津波の影響で使えなくなった。

文科省はまた、12日夜、茨城県からJAEAのモニタリングカーなど3台を派遣した。
いずれも福島県のモニタノリング機能がマヒしてしまったための支援という側面を持っていた。

新潟県も当初、福島県へのモニタリング支援に動いた。
「モニタリングポストがやられた。ただちにモニタリングを展開したいので人手を貸してほしい」
福島県からの頼みで、新潟県から専門的知識を持った職員が機器を携えて福島市まで行くと
「やっぱりいいです」と言われたという。
新潟県職員が放射線量モニタリングのデータの提供を求めたら
「勝手に出すなと国から言われていますので」と協力的でない態度。
「最初は全力でやるはずだったが、どこからか力が働いて、測らせないようにしたのか?
」泉田新潟県知事は合点がいかなかった。

しかたなく
泉田知事は12日午後の1号機の水素爆発後、新潟県のチームほ福島新潟の県境まで引き上げさせ、そこでモニタリング作業をさせた。

福島県はすでに、モニタリングから撤退に向かっていた。
福島県は12日早朝からモニタリングを始めたが、1号機建屋の爆発による線量の上昇などによって撤収に向かい、午後9時モニタリングチームを解散した。
(15日には、モニタリングカーなどの資機材を残したまま、オフサイトセンターから撤収した)

 [No.167] の記事で、14日午後に渡辺と雨夜が福島県・大熊町のオフサイトセンターに駆けつけたこと
 福島県原子力センターの2階が文科省と日本原子力研究開発機構(JAEA)の放射線モニタリングチームの拠点となっていたが
 午後9時すぎに急に、この現地対策本部が福島県庁に移動することになった
 ことは書きましたね。 


文科省のモニタリングカーの派遣の指示が遅れたため、オフサイトセンター到着も遅れ、現地到着は13日昼前となった。

GPSを搭載していなかったため、車に乗って測定しても「はて、ここはどこかな?」ということもあった。
文科省のモニタリングチームは、12日夜避難区域に指定された20キロ圏内には入らなかった(JAEAのチームは入った)

14日午後、細野首相補佐官は、文部科学省の加藤審議官を部屋に呼びつけた。
「放射線モニタリングをちゃんと取らないと大変なことになる」
細野はそう言ったと後、加藤に文科省がどんなふうにモニタリングをやっているのか、その結果はどうなのかと質した。

加藤は答えることができなかった。
細野から呼び出しがかかったと聞いて、すぐ文科省EOCにモニタリングのデータを聞いたが、担当者は「データはありません」としか答えられない。

EOCへのデータの集約はまったくできていなかった。
細野は目玉をギョロリと剥いて、加藤に言い渡した。
「もっとしっかりモニタリングをやってください」

福山官房副長官や伊藤内閣危機管理監も、文科省の官僚が「現場とは関係ないような顔をしている」ことに憤った。
(モニタリングをしています、と彼らは言うが、モニタリングするポイントが少ないし、それ以上やろうとはしない)

  ここから文科省は大いにはっぱをかけられわけですが、それは次に。


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