[No.175]
Re: SPEEDIは動いているか
投稿者:男爵
投稿日:2013/05/30(Thu) 14:27
[関連記事] |
> > > > > > > > 第18章 SPEEDIは動いているか
> > > > > > > > 放射性物質の広がりを気象条件などをもとに迅速に予測するシステムSPEEDI。
> 14日午後、細野首相補佐官は、文部科学省の加藤審議官を部屋に呼びつけた。
> 「放射線モニタリングをちゃんと取らないと大変なことになる」
> 細野はそう言ったと後、加藤に文科省がどんなふうにモニタリングをやっているのか、その結果はどうなのかと質した。
> EOCへのデータの集約はまったくできていなかった。
> 細野は目玉をギョロリと剥いて、加藤に言い渡した。
> 「もっとしっかりモニタリングをやってください」
15日午後1時から開かれた第8回原子力災害対策本部会議では主として文科省に対してさまざまな注文がついた。
菅首相が口火を切った。
「水道、食料、農産物への影響について、濃度のモニタリングをしっかり行ってもらいたい。これを踏まえて各省でどう対応するか、至急各省で検討してほしい」
枝野が続いた。
「せめて公表の5分前に知らせてほしい」
「単位を揃えてモニタリング数値を出してほしい」
鹿野農水相
「食品の放射性物質の基準を決めてほしい」
北澤防衛相
「自衛隊でもモニタリングを行う。モニタリングポストのポイントを調整しよう」
こうした官邸や政府部内の不満に応える形で、文科省はこの日、モニタリンクセカー6台を新たに投入し、またモニタリング要員として文科省職員5人、日本原子力研究開発機構(JAEA)職員4人、原子力安全技術センター職員4人のモニタリング体制を組んだ。
ただ、文科省は14日以降は、20キロ圏内からの避難措置がほぼ終わった、あるいはこの地域での放射線量が上昇してきた、といった理由をつけて、この区域でのモニタリングカーを用いたモニタリング活動は行わなかった。
唯一、自衛隊だけが福島第一原発近くでの作業のため、20キロ圏内のモニタリングを実施していた。
この状態は3月28日、対策統合本部が「警戒区域」設定後の同区域への一時立ち入りに当たって、同区域のモニタリングを速やかに実施することを決めるまで続いた。
(3月30日と31日、東電は電気事業連合会の協力を得て、20キロ圏内の33カ所でモニタリングを実施した)
航空機モニタリングも結局は、タイミングよく実施できなかった。
原子力安全技術センターは、パンフレットには「事故時に航空モニタリングをします」と宣伝していたが、それは民間ヘリコプターをチャーターすることも想定していた。
この想定はいかにも甘かった。
危機の時、被ばく地域の上を飛ぼうという民間のヘリ会社はどこにもなかった。
文科省は防衛省にヘリを飛ばすよう依頼した。
自衛隊は、その朝まで津波の被災地で人命救助にあたっていた中型ヘリ1機を測定に回すことに決定し、六ヶ所村に向かわせた。
12日午後1時、へリは青森県六ヶ所村の運動公園に着陸した。
しかし、文科省からのモニタリング機材を運ぶように指示された原子力安全技術とセンターの職員はその時刻に姿を現さなかった。航空機は10分間待って、飛び立った。
安全技術センターの二人の職員が公園に来たのはそれから1時間半後だった。
六ヶ所村は震災後、28時間にわたって停電に追い込まれ、携帯も通じない状態に陥っていた。
安全技術センターと現地の連絡が「伝言ゲーム」となり、正確に伝わらなかったという「連絡不調」が原因とされている。
もっとも、すれ違いについては他の理由を指摘する声もあった。
センターが用意していた航空機モニタリング用の機器は、民間機チャーター仕様であり、自衛隊機仕様ではなかったため手間取ってランデブーは不発に終わったらしい...、そうした話が原子力安全委員会には入ってきた。
それを聞いたとき、安全委員会の職員の一人は思った。
「なぜ、センターはヘリの一つももてないのか。オウム真理教でさえヘリを持っていたというのに」
14日午前、自衛隊のヘリがモニタリングするため離陸体制に入ったところで、「3号機が爆発するかもしれない」との情報が飛び込み、離陸を断念した。
15日午前11時20分、自衛隊のヘリにるモニタリングのため離陸したが、まもなく機長に「4号機爆発」の情報が入り、モニタリングは中止された。
文科省が航空機モニタリングを実施したのは、3月25日、独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)の協力を得て、同機構が所有する気象観測用の小型機に放射線測定器を搭載して行ったのが最初である。
危機のさなか日本のモニタリングは、地上戦だけで終わった。