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八つ割れ草履 <英訳あり>

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/6/15 13:00
かれい  一人前   投稿数: 137
伸さん みなさま

八つ割れ草履についてのコメントをありがとうございました。
新聞記事をご覧になった読者の方から、たくさんの情報を頂戴いたしましたが、いただいた情報を集約すれば、やはり、工場や職人さん、商店などで、それぞれの用途に適《かなう》う履物として愛用されていたもののようです。

紺や黒の足袋を履いて、草履をつっかけて、という姿が見えるような気がしてきました。伸さんのご記憶では昭和10年代とのことですが、KAMEさんがご覧になったのは昭和32-3年の頃かと推察されます。といことは、いつ頃からというのははっきりしないものの、1960年代の高度成長期前までは手軽な作業ばきとして愛用されていたものと思われます。

草履と下駄の折衷《せっちゅう》案という、簡単なアイデア品にしては寿命が長かったようです。自作もできたというところが重宝だったんでしょうね。下駄の自作は無理でしょうから。

因み《ちなみ》に、これを下さった方は学校の先生をしておられた方で、ご趣味で履かれていたようです。まとめて買っていたので、新品で残っているからということで送って下さいました。

              かれい
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/6/15 13:12
kousei  管理人   投稿数: 4
読売新聞関西版をお読みになったkouzaiさんという方からのメ
ールにての情報です。

kouzai さんから:

読売新聞にて八つ割り草履のことを知りました。私の母(74歳
によりますと旋盤《せんばん》を使う工場で真鍮《しんちゅう》の屑が床に飛び散りその屑《くず》
を集めて売るために工場内で働く工員の人が工場内でその草履をはいていたそうです。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/6/17 21:59
ゲスト    投稿数: 0
初めまして。はまと申します。

6月11日読売新聞大阪版の記事を見て、情報募集中とのことでしたので投稿させて頂きます。

「八つ割れ草履」についてですが、大工さん、特に鉄工関係の人が履いておりました。
戦前には現在のように作業をする時に履く安全靴などなく、各職場も安全では
ありませんでしたので、自分の足を守るため履いておりました。

以上、大工である祖父からの話を基《もと》に、孫の私が代理で投稿させて頂きました。
(祖父はパソコンを使いませんので…)
ご質問などございましたらまた祖父に聞いてみます。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/6/18 0:53
かれい  一人前   投稿数: 137
はまさん はじめまして

「八つ割れ草履」についての情報をありがとうございます。
実物をみると「自分の足を守るため」という表現はとても納得できます。他の方からも、工場関係の人などが履いているのを見たという情報は寄せられていましたが、自分がそこで履いていたというものはないのです。

引用:
以上、大工である祖父からの話を基に、孫の私が代理で投稿させて頂きました。
(祖父はパソコンを使いませんので…)
ご質問などございましたらまた祖父に聞いてみます。

この草履は戦前だけではなく、昭和32-3年頃でも、工場ではまだ使われていたようなのですが、いつ頃から使われだしたかというのが、今知りたいところなのです。そのあたりのことについて、もしお祖父様がなにかご存知でしたら、お教えいただけますと有難いです。
ご投稿をどうもありがとうございました。

            かれい
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/11/14 1:41
ミキパパ  新米 居住地: 東京都  投稿数: 1
いま、このフォーラムに入会したばかりなので、どのようにカキコしたらいいのか、よくわからないままに、カキコさせてもらいます。

小生〔ミキパパ〕は、現在七十一歳、戦前は兵庫県の「麻裏製造卸」の家に生まれ育ちました。

麻裏草履を、ご存知でしょうか。それはまた、別の話ですが、
八つ割れ草履も、勿論販売しておりました。

当時の履物のなかでは、一番やすい履物でした。
〔田舎のわら草履は売り物ではありませんでしたから〕

畳表の一番安いものに柳の枝を縫い付けて、その上に板切れを釘で貼り付けたぞうりです。いま、現物は小金井公園の江戸東京たてもの園にあるはずです。

戦前、昭和十五年頃は、店屋の丁稚《でっち》などに履かせていたものです。利点は水場でも足が濡れない、板裏がちびないから長期間に履ける。材料が安いなどです。歩くと独特の音がしてやかましいですが、みな平気でした。花緒《はなお》は一番安い白の木綿に藁が入っておりました。今の人なら、すぐに花緒ずれが出来るしろものです。

戦後にはありませんでした。柳の枝や板裏の材料が無くなっていたからでしょう。麻裏草履のかわりに自転車のタイヤ裏草履やゴム草履が高級品ではやりました。

私たちは、「八つ割れ」と言ってました。懐かしい履物です。


下駄、草履、の類なら多少物知りのミキパパです。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/11/14 9:41
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
ミキパパさん  こんにちは!

「麻裏製造卸」というと、履物の中でも特に「麻裏草履」を
ご専門に製造されていらしたのでしょうか?

検索してみると「麻裏草履」というのは【藁表(わらおもて)
の草履の裏に、麻糸で編んだ丸組の紐(ひも)を縫いつけたも
の。】と、ありました。
いわゆる雪駄(せった)のことでしょうか( ̄~ ̄;) ウーン

お祭りの時など、いなせなお兄さんが尻ばしょい(着物の裾を
腰の位置で帯に挟む)をして、白足袋に突っかけるアレは雪駄
とは言わないでしょうかねぇ(^▽^)

引用:
当時の履物のなかでは、一番やすい履物でした。
〔田舎のわら草履は売り物ではありませんでしたから〕


わら草履などは何処の農家でも手作りしていたのですね。
で、八つ割れ草履は、履物の中では最も安価だった(-_-)ナットク

引用:
畳表の一番安いものに柳の枝を縫い付けて、その上に板切れを釘で貼り付けたぞうりです。

ふむ、草履がチビてくると釘が顔を出しそうな気がしますが
板裏が長期間チビないという事は、この板がよほど堅い木で
できていたのでしょうか?

引用:
下駄、草履、の類なら多少物知りのミキパパです。

昭和30年(1950年代)には、まだ和服の夫人は多かった
と思います。母も良く着物を着ていて、伸子針《しんしばり 注》やのし板《はりいた》を使
って、よく洗い張りなどしていました。

雨の日には「足駄(あしだ)」を履いて、つま先が濡れ《ぬれ》ないよう
に、爪皮(つまかわ)をかぶせました。

この足駄の歯は、通常のものより高かったので、歩くのに少し
コツが要りましたよね。

今ではあの足駄、余り見かけませんね。
21世紀の今では、草履にかぶせるビニールの履物なんかが
あります。便利なようですけど、チト風情がありません(--#)

※洗い張りや染物のとき布の両縁に細い竹串を弓状に何本も
  さして縮まないようにすること

--
あんみつ姫

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/11/14 12:01
かれい  一人前   投稿数: 137
ミキパパさん こんにちは

ようこそメロウ伝承館へ!

引用:
麻裏草履を、ご存知でしょうか。それはまた、別の話ですが、
麻裏草履ですか。いいえ、知りません。どういう履物だったのでしょうか。是非教えてくださいませ。麻は丈夫で
張りのある繊維ですね。お米の入っていた麻袋を思い出しましたが、ああいう状態に加工した麻が使われていた
のでしょうか?

引用:
当時の履物のなかでは、一番やすい履物でした。
〔田舎のわら草履は売り物ではありませんでしたから〕

わら草履のような履物は、履物やさんではなく、よろずやさんで売られていたのではなかったですか。
私も疎開先で履いてましたが、よろずやさんの店先に、縄に通して、ぶら下げて売ってました。
新しい時は軽快で気持ちよかったです。私の体験は1945年前後のことです。

引用:
畳表の一番安いものに柳の枝を縫い付けて、その上に板切れを釘で貼り付けたぞうりです。いま、現物は小金井公園の江戸東京たてもの園にあるはずです。

柳の枝はしならせる為ですね。私は現品を手持ちしているのですが、間に入っているのは竹だとばかり
思っていました。お箸のような太さのものが3本入っていますが、これは柳だったのですか。
そういわれれば、柳行李《やなぎこうり》の材料と似てました。(^^;

引用:
歩くと独特の音がしてやかましいですが、みな平気でした。

歩けば音がするのですから、そんなものだと思っていたんですよね。「カランコロン」は下駄の音を表し
ましたが、それも通用しなくなるでしょうね。「ゲゲゲの鬼太郎」愛読世代はわかるでしょうけど。

引用:
下駄、草履、の類なら多少物知りのミキパパです。

生活必需品である履物も、すっかり様変わりしましたが、昔の生活の知恵は是非書き残しておきたいものです。
ミキパパさんからの続いてのご投稿をお待ち申し上げております。

                   かれい
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/11/25 8:37
紫竹の  一人前 居住地: 神戸  投稿数: 92
今頃になってのコメントですが、、、

子供(小学校)のころ、これをはいて通学してきた子があったように思います。珍しいし、羨ましいし、注目の的となりました。

googleで「八つ割れ草履」で検索すると4件が見つかり、うち2件はこの伝承館でした。

「八割草履」で検索すると1300も見つかります。でも、このほとんどは、「八割」と「草履」を含むページでした。

でも、これで見つかったページの一つ(日本はきもの博物館・日本郷土玩具博物館のサイトの一部らしい)に「板裏草履は、5枚の板切れを並べて付けたものになり、一足で切り目が8カ所になることから八割(ヤツワリ)とよばれた。」とありました。ほんとかなあ。

また、このページには、明治34年5月31日の読売新聞の「跣足禁止令出づ」と題する裸足禁止令の記事が紹介されています。それまでは、裸足が多かったのですね。この頃に考え出されたものでしょうか。

「八つ割れ草履」は「八つ折れ草履」とも呼ばれるようなので、それで検索すると、なんと8件が見つかりました。

なお、「八つ折草履」でも2件でした。
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