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Re: 戦後の食糧難とこども

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らごら

通常 Re: 戦後の食糧難とこども

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/8/16 8:15
らごら  常連 居住地: 横須賀市  投稿数: 46
マーチャンさん toshyさん

 僕の場合も朝鮮(現韓国)に居たときは食料には困らない生活でしたが、引き揚げてきてからの食生活はかなり悲惨でした。
引き揚げ船での食事は海草ばかりの飯?に目を白黒させました。
初めて乗った内地の小さな列車(朝鮮の鉄道線路は広軌《こうき=レールの間隔が大きい)》で買った弁当は大豆ばかりで食べられなかった。
でも、千葉県に住み着いてからの食事は酷かった。
 大豆滓《だいずかす=大豆から油を絞った後のかす、》を粉にしてすいとんにしたもの・芽を取った後のサツマイモの蒸《ふ》かしたもの・サツマイモの蔓《つる》を干したものが大量に入った御飯・半分以上大根が入った御飯(大根は米粒と同じ大きさに刻んであった)・フスマ(メリケン粉を精製した残り滓)が大量に入ったすいとん・トウモロコシの粉で作ったパンやすいとん・大根葉を大量に入れた飯などなど・・・
 近くの池や田圃《たんぼ》で捕った海老蟹(ざりがに)や摘み取ったセリなどはごちそうの部類でした。
父とリュックサックを背負って農家を回っての買い出し、お金を払って買うつもりなのに乞食《こじき》扱いで追い払われる始末。
あのころの農家の人は、いい人もおられたけれど、かなり威張っている人も多かった。入れ替わり立ち替わりで毎日のようにいろいろな人に食料を所望されると、ぞんざいな口で追い払いたくもなるのでしょう。
 引き揚げて3年程度経ったころ父が郵便局に再就職できたので、やっとまともな御飯が食べられるようになりました。
父は朝鮮に居た頃はやはり郵便局に勤めていて、局長になる寸前で終戦、こちらで再就職しても戦前のキャリヤは無視され、ペーペーの下っぱからのやり直しだったようです。
 あの頃の両親は本当にご苦労なことでした。

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