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Re: 戦後の食糧難とこども

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toshy

通常 Re: 戦後の食糧難とこども

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/8/15 22:29
toshy  常連   投稿数: 42
マーチャン
引用:
 昭和20年8月15日の敗戦のあとも、数年、きびしい食糧難の時代がつづきました。

 私の「上海の思い出」に書きましたが、引き揚げて来るまでは、戦争中の食糧難は全く知りませんでした。

 そして博多に上陸して、真っ黒(正しくは茶色)なパンに吃驚《びっくり》したものでした。

 それは未だ良い方だったのですね。

 大阪に引き揚げてからは、毎日雑炊とか、サツマイモ・ジャガイモが主食でした。

 雑炊も米の雑炊では無く、芋雑炊。

 ひどい時は芋では無く、サツマイモの茎が入った雑炊でした。

 学校への弁当もジャガイモの蒸した物。

 農村が近かったので、もう着ることの無い母の和服などを米と物物(ぶつぶつ)交換するために、父はリュックサックを担いで、買い出しに行ったものでした。
 
 タケノコ生活と言う言葉が有りました。

 一枚一枚着ている物を脱いで生きて行かねば成らなかった、庶民のサマを表したものでした。

 米は配給制で、米穀通帳《=1941~1982年まで各世帯に配布》を持って旅行しなければ、旅館で米のご飯を食べさせてもらえない時代でしたね。

引用:

 また、ララ物資は、アメリカ在住の日系人の方のご尽力で送られてきたものと聞いています。



 ある日、横浜の赤レンガ倉庫の有る埠頭《ふとう》公園に行きましたら、ララ物資のいわれを書いた碑が有りました。
            toshy

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