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学童集団疎開物語りー友人の報告から その2

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えー

通常 学童集団疎開物語りー友人の報告から その2

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/10/13 19:47
えー  新米 居住地: 岐阜  投稿数: 5
  
その2

 朝。続経から始まり、27名の女子生徒が「こげんぎぎー いじんむぎょく にょうぜーえんみょう むぅようとうしゃ にちげつばあにぃー しゅうこうえんみょう かいじつおんぺぃ・・・・・・・・・・・・・・・・・がんにしきどくみょうとうせい いっさい どうほつぼだいしん おうじょうーらー」と毎日一斉に唱えていました。(60年の月日が経ちましたので、お経をこれだけしか覚えていません。)

 続経後、お住職さんの法話をお聞きし、朝食を「箸《はし》とらば、雨 土 みよのおんめぐみ 祖先や親の 恩を味わえ。」と合唱して頂きました。そして、村の学校の間借りの教室で勉強しました。

 日が経つにつれて、父や母が恋しくなり、夜。お月様に向かって「早く戦争に勝って、大阪に帰れますように。」と拝み、「シク、シク。」と先生に見られないように庭の隅《すみ》で友達と泣いていました。

この山の向うが大阪と教えてもらっていましたので、山に向かって、「お父さん。お母ちゃん。」と心の中で叫んでいました。


「大阪に帰りたいなあー?」など一言でもいえば、それこそどんなに叱《しか》られるか判っていましたので、歯をくいしばって、友達と淋しさに耐え忍んでいました。でも何時の日か戦争に勝って大阪に帰れると信じこんでいました。


 私は、井戸水が合わなかったのか?ストレスか? すぐ全身に湿疹が出来ました。「先生どしたら治るのですか?」と聞きましたら「戦争がおわったら・・・」と言われました。何時終わるのかしら? と思いつつも11才の学童には、返すことばも知りませんでした。

 洗濯は、上記のペイント画の川で、石鹸《せっけん》無しで、すすぎ洗いだけでしたので、虱(しらみ)が、どんどんと湧《わ》き、ついで蚤(のみ)も仲間入りしていました。頭髪にも虱が湧き放題、髪を梳《す》かすとパラパラと廊下に落ちました。

 お手洗いは、本堂の横に掘っ立て小屋4箇所を作ってくださいました。








 ドアも鍵も無く。莚(むしろ)が垂れ下がっているのにのには、11才の少女でしたので、恥ずかしい思いでしたが、しかたがありませんでした。

トイレットペーパーなどありません。古新聞紙の代用品でした。

 習字の練習も、新聞紙です。ノートは、ざら紙でした。あまり記憶にありませんが、 とにかく物資不足で、店頭に商品がありませんでした。配給の時代です。

 食べるものも、主食といえば米粒などわからないほどサツマイモの入った芋麦ご飯です。でも2糎角のバターがちょこんと毎日載せてありました。唯一の栄養源でした。隣のお友達のお汁が多いとすすりあいしたこともあります。炊事当番の時。なま芋を切りながらひもじさの為につまみ食いをして、先生に叱られました。

続く

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