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学童集団疎開物語りー友人の報告から その4

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えー

通常 学童集団疎開物語りー友人の報告から その4

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/10/13 19:54
えー  新米 居住地: 岐阜  投稿数: 5
  
その4

昭和20年の正月も疎開先のお寺で迎えました。お餅《もち》もひとり2個で喜び合い、お汁をすすりあいながら、淋《さび》しい気持ちを抑えて、目的意識で「勝つまでは!勝つまでは欲しがりません。」と心は充実していたように思います。戦争中の軍事教育を諸《もろ》に受けていました。学童集団疎開を引率されていた先生のご苦労も大変だったとおもいます。
 お寺のお住職さん。奥さん。おばあ様。お住職さんの弟さんには、クラス全員大変可愛がって頂きお世話になりました。感謝しています。村の人々もオヤツを作って持って来てくださいました。私達は、麦踏《むぎふみ》のお手伝いをしました。イナゴも捕って焼いて食べたこともあります。その時の香ばしい食感を今も覚えています。
 私達は、6年生でしたので、何とか自分の身の回りの始末はできましたが、3年生(8才)は可哀想でした。蚤(のみ)や虱(しらみ)はわき放題。寝具の敷布団に寝小便はやり放しで、シクシク泣いてる姿をまのあたりにして、6年生がお手伝いに行き吃驚《びっくり》しました。早速布団を干したり、抱きしめたり、慰めたりと私達の出来る事は一生懸命にしましたが、泣きやみませんでした。おかあさんが恋しいのでしょう。可哀想で私も涙が出そうでしたが耐え忍びました。

 思い出せば限りありませんが、ひもじさと不安の日々でした。クラス全員が助け合って仲良しでした。

 でも、少しのいじめもありましたが、住職さんの弟さんが庇《かば》ってくださいました。竹細工を教えてくださったり、雪すべりのそりを作ってくださったり、竹藪《たけやぶ》の竹取りに同伴してくださったり、歌を教えてくださりと私達を見守って下さいました。さすが住職さんの弟さんだったと大人になりわかりました。









 昭和20年2月21日。私達6年生は、本土空襲が激しくなって来ているにもかかわらず、進学の為帰阪する事になりました。お寺のお兄ちゃんが、大きな愛の手を振り、振り、見送って下さいました。

 私は、11才でした。

 昭和20年7月6日の大阪大空襲の時も、お兄ちゃんは、私達の安否を確認する為大阪に来て下さったそうです。クラスの子供たちとは逢えなかったと言っておられました。私は、成人してから、その事を聴きました。子供を想う愛の深さを知りました。学童集団疎開で色々の事を学びました。

 「忍耐力。暖かい真心。戦争反対。」

続く

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