長崎の被爆者の声(1) (4枚目のCDの1から10まで)
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長崎の被爆者の声(1) (4枚目のCD) (kousei, 2006/7/14 0:37)
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kousei
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その1 音声を聞く
その時から1週間さかのぼる、8月夕刻、長崎県庁知事室にて。
その2 音声を聞く
退庁時刻でした。慌ただしく、うーん、勢い込んで知事の部屋へ、西岡さんが入って来られたんです。
その時まで私は、広島の新型爆弾のことについては、えー、ちょっと新聞に1~2行出たのを、ちょびっと見ただけで、全然知らなかったんですが、西岡さんが、
「広島の新型爆弾というのは、あれは大変な事ですよ」と。「えー、実は私は東京の帰りに、広島を徒歩連絡で、海田市かどこかで降ろされて、あと徒歩連絡で、その、通過して、そして、えー、たった今、長崎の駅に着いたばっかりなんだが、大きな、両手で抱きまわすような、大きな木がポンポン折れておる。」と。
鉄筋コンクリートのビルが、建物がみんな押しつぶされるというような話、広島の全市が火の海になったんだと、広島の街全体あちこちに、ベロベロに顔から胸から焼け爛れたような人たちがもう、右往左往に走っている、というような状態であったという話を、まぁ、聞いたわけなんです。
それで私は、「一体、今の話はあんた自身の目で見たのか、あのぅ、それとも人から聞いた話も、その中に入っているのか」ということを云ったら、「いや、これはもう私の見た話をみんなするんだ」と。
その3 音声を聞く
8日の昼間に、あのぅ工場でおにぎりの特配があったんですよ。それは父の方の工場でもあったし、私共の職場でも、全工場にあったわけですね。で、あのぅ、ちょうど8日の晩はですね、空襲警報がありましてね、防空壕に入ったんですね。それであのぅ、家の近くの防空壕に入って、父も母も私ども兄弟もみんな入りましてね、その、おにぎりを、あの、分けて食べた、それがもう本当に最後のお別れだったみたいですね。
その4 音声を聞く
あーた、原爆が落ちる夢見たんですよ。飛行機がどっから飛んできたか、わからんで、ピカーっち光ってね、そしたらねぇ、あっちもこっちも怪我人が出きるし、家は燃えよるしねえ、(そうした)夢、正夢を見とるんですよ。
ほいからねぇ、私あのう隣りの奥さんにね「うちゃ《私》、こうこうしてあんたあのう、飛行機がね、どっから来たとやろね、ピカーと光ってね、火事になったとやが」っち言うたらね、「あんたそういう事ばっかり言うとる」って。「いま、軍法会議に回さるっとたい」って。「へえー、夢みたとでも話したら軍法会議に回さるって、ほおー、恐ろし恐ろし」って言うてね、私しゃ帰ったんですよ。
そうしたらあーた、初めて長崎に落ちて、初めて、あらー夢とまあ同じもんたいと、思うてね。一つも変わりませんでしたね、夢と。
その5 音声を聞く
8月9日午前長崎
その6 音声を聞く
あの日はちょうど、あのぅ小雨が降っておりました。そして、7時頃出勤しますのでねぇ、あの、酒屋町から幸町までね、あのぅ、電車でございますのでね。そして雨がしとしと降っていたんで、あの、一番悪い靴を履いていっとったわけですよね。新しい靴を兄からかって貰っとったんですけど、雨が降るからと思って、もったいなくてですね、そして社給の洋服を着まして、袋にはもう全財産を入れまして、薬もみんな入れましてですね。
そして大体8月6日に、そのぅ、広島に新型爆弾が落ちたということでですね、非常にあの緊張はしとりましたですよ、これは。やっぱり造船が狙われているっていうような通達が回っておりましたのでですね、防空頭巾と、傘をさして、その、弁当も持ってですね、そしてあのぅ、参りまして・・・。
その7 音声を聞く
だからその朝は「僕は今晩は当番だから、多分帰られないと思う」と、子供言いましてね、その時に、奇妙なことに、一遍出て行って、そして途中で引き返してきて。いっぺん帰ってきましたもんね、その朝は。おかしいね、この子は。今日は帰ってきて。
「あんた、どうしたの、今日はさぼるつもり?」って云ったら、「いいや、なんかちょっとこう、忘れもんしたようにあるから、僕、取りにきた」って云って、防空壕の中に、そのぅ、大事な書物をいつも入れてとくんですけど、それを見にきた云うて、わざわざ見にきたんですよね。ああ、ここにちゃんと入っとるから、「お母さん、もしも爆弾が落ちた時には、この本だけは大事にしといてくれんね」いうて、わざわざ私にそれを云うてね、そして出ていったんです。その頃はそのぅ、ドイツ語で書いたその本ていうのは貴重だったんですね。それでわざわざ引帰して、私にそう云って出ていったと。
それから弟の、まだ4つと2つの子供を、そのぅ、妙にその、抱き上げてね、「兄ちゃん、行ってくるからね、元気でおんなさいよ。」 いつもせんことを、やっぱりして出ていったんですよ、今から思うとねぇ・・・
その8 音声を聞く
9日の日は10時10分に出たんですけど。
子供たちが、私についてくるって云うたのを・・そいじゃけど一番長男坊だけは、どうしてもついてくるっていうのを、なだめすかして、置いてきたんですけれど、そしてその長男坊が、どうしてもお母さんが連れていかんならば、僕に飛行機を、紙の飛行機のこうなって、こう飛ばすやつがありましたもんね、あれを買うてくれちゅうもんだから、そんならちゅうて、そこの下のなんまで連れて行って、そして3人、3つ買うて持たせて・・。
そして買うてやったら、またその長男も後ろも見ずに帰りましたもんねぇ。それを曲がり角まで黙って、私は眺めてたんですけど・・。
それが最後の別れです。後姿がいまだに、あのぅ、7つの子の後姿が、今でもやっぱり忘れられません。。
その9 音声を聞く
表通りだったもんだから、表通りに面したガラスにね、「西日本新聞長崎支局」という文字を、金文字で、看板屋さんに頼んで、かかせる日だったんですよ。それで朝からずっとそれに看板屋さんがかかっておりましてね、出来上がる頃ですたい、写真部のヨシムラ君ていうのがね、「支局長、この立派な金文字が、秋まで持てまっしょうかな」ちゅうて冗談云うたことがあるんですよ。「ばか言うな!縁起の悪い」ちゅうて笑った事がありますが。
看板が書き上がったわけですね、文字が。ほいで、お金を払って自分の席に戻ってね、座った時ですよ。
その10 音声を聞く
小川町ちゅうところに、三菱の分院があったわけですね。三菱の病院の分院です。そこの1階の待合室で、その人と2人、木の椅子に長くなって、こう寝とったわけですね。そこに5~6人おったと思うんですよ、待合室には。
そいで、ラジオが鳴っていたわけですね、「島原上空を西に進んでいるB29、3機あり」つったかな、一目標か、3機やったと思うんですがね。あっ、長崎、来るなと思って、頭上げたのと一緒にもう・・・