長崎の被爆者の声(1) (4枚目のCDの52から58まで)
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長崎の被爆者の声(1) (4枚目のCD) (kousei, 2006/7/14 0:37)
- 長崎の被爆者の声(1) (4枚目のCDの1から10まで) (kousei, 2006/7/14 10:12)
- 長崎の被爆者の声(1) (4枚目のCDの11から20まで) (kousei, 2006/7/14 10:14)
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- 長崎の被爆者の声(1) (4枚目のCDの52から58まで) (kousei, 2006/7/14 10:28)
kousei
投稿数: 4
その52 音声を聞く
これはこうしておれんから、まず外に出なくちゃならんと言うので、診察室から廊下のほうに出てみたんです。ところが廊下にはもう上から建築材料がたくさん降ってきてですねぇ、とても歩けないほど。それじゃ隣の部屋を通って出よう、というので、机の上を飛び越えて窓から飛び出した。外へ出てみたら、いわゆるきのこ雲というか、黒い柱が浦上の、ちょうど今の爆心地のへんにあたってずっと立っておった。
ちょうど八月の真昼の太陽が、その雲の中から上に見えるんですけれど、真っ赤な太陽のような気がして。その時に私は、どういう何であったか、自分でもあぁいうことを考えるものかなぁと思うんだけれども、ちょうど「サロメ」という劇があったですな・・・オスカーワイルドの書いた劇のなかに「今夜の月の色は血のような色に見える」という、衛士がそういう台詞を語るところがある、あのサロメの劇の中のその血の色の月の色という、それ連想して・・・
その53音声を聞く
気がついた時はもう部屋の隅っこに、もう先生も看護婦も患者もひとかたまりになって、こう、吹き付けられとったわけですね。ほいで、物が壊れたりなんかした煙で、息ができないんですね。それでなんとか息をしたいと思って、ちょうど三階におったですから、屋上が四階ですけども、屋上にまず駆け上がろうと思って廊下の方に出たらですね、廊下ももう足の踏み場もないんですね。
でも、やっとその倒れた物のあいだを通って、屋上に出たんですよ。その時に、この、外がなんとなく明るく見えてきて、そしてもう見渡す限りペシャンコになっている。最初に外来で患者を診とった時はですね、自分だけがまぁ、やられたんではないかと思ったんですけれどね、屋上に上がって初めてその、見渡す限りがもう跡形ない、ということを見て本当にもうぞうっとしたですね。
そして玄関のところまでやっとまぁ、玄関と言うのは病院の玄関ですね、降りてきたんですが、もうその玄関の入り口あたりはもう、重傷者がうめいているわけですね。そのほとんどが着ている衣類が吹っ飛ばされている、あるいはもう手足が吹っ飛んでいるという状態で・・・
その54 音声を聞く
もう病院の方に向かってですね、坂道を沢山の人が上がってきよる。その人を見るというと、もう体じゅうが焼けただれて、そして着物はボロボロに焦がれてですね、下のほうは着物が焼けて切れて落ちてしまっている、そういう患者が救いを求めてですね、「喉が渇く」、「水が欲しい」、「助けてくれ」と言うて上がってきよる。
けども、私はもう何にも材料もないし、初めのうちはいくぶんか、診察着を裂いて縛ってやった人も一、二はあったと思うけれど、その診察着ももうそういう余裕はないほどであるし、来た人の話によると、これはその「至近弾が自分の近くに落ちた」と。「そこで自分は大学病院のほうに助けを求めて治療を請うためにやってきた、きよる」。ところがきてみたら、どこも同じようなことだ、というので、みんな驚いておるような様子でしたね。
その55 音声を聞く
天井からコンクリが落ちてくる、どげんしたらよかろうか。そしてひょっと見たら、一間ばっかし先のほうがもう火の海でございましたもんね。ほいて先生方も誰も、もう鞄はさげながら立ち往生しとんなさるでしょうが。それから私も逃げなきゃ、ここ逃げていかなくちゃ、もうできないと思って、こんなにしとったら死んでしまう、どうしようかと思いましてね。
こっちからは煙が来よる、こっちからは火が来よる、こらもぅ地獄じゃろかと思ってですね、もう「助けてください」、ほんと「助けてください、助けてください」っておめいたですけども、誰一人、死にかかって転んどる人ばっかりでしょう。でもう、私はもう仕方なかと思ってこう寝とったら、向こうの方から「何とかしても這うてきなさい」とおめきなさるとですよ。
ほんとですね。なんとかして逃げなくては、これはもう、自分だけなら死んでもよかばってん、もう、子供や主人がもし生きていたならねぇ、かわいそうだからって言うてですねぇ。
「あなたの顔は化けもんのごとある」と私に言うて、自分も化けもんのごとなっていとんなさったですもん。カトリックの人だったから、今度はあの、自分の宗旨のね、お祈りでしょうか、しよんなさった。そうしてもう泣いて見たり、笑ろうてみたりして・・・
その56 音声を聞く
大学病院の裏手の、その小高い丘の上まで逃げまして、ここまでくればいいかと思ってひょっと病院の方を見たんです。その瞬間でした。窓という窓から一斉に火を噴いたんです。あれはすぐ火が出るんじゃないんですね。
当時そうですね、いい小父さんに見えましたから、40か50くらいの方だったんでしょうか、お腹が切れちゃってるんです、かなり深く。両掌で腸が外に出てくるのを押さえているんです。その指の間から腸が出てくるんですねぇ。手をこう、交互に上下しながら盛んにそれを押さえてうずくまっていた方がありましたねぇ。
それとですね、下級生です。商業の、一年生か、せいぜい二年生ですか、当時学校に行っていた子は。窓枠、サッシというのは怖いもんです。あれが、爆風でしょうねぇ、飛んできまして、腹から背中へ貫通、じゃないです、盲管ですね。そばを通る私を見かけまして、その子が「取ってくれ」て泣くんですが、学生さんがとっちゃ駄目だと言われたんです。
ま、今考えてみると出血多量を言ったんだと思いますが、痛がるんですね。痛がって、「抜いてくれ」と言うんですが、「抜いたら死ぬから駄目だ」と言われて・・。
もちろん私たちも逃げていかなくちゃなりません。
その57 音声を聞く
そのうちにあのう火が出始めたんですよ。ことにあのう火の出る場所があっちこっちで、それで非常に急いで、その重傷者を早く助け出そうということになったんですけど、どんどん、どんどん燃え始め、もうちょっと危ないからということで諦めて、山手のほうにみんな避難させたんですね。その間、雨がちょっときましたですねぇ。
で、重傷者をだいぶ山手の方に担ぎ上げたわけですよ。ずうっともう斜面ですね、あの病院から穴弘法(寺)に、相当こう急な斜面ですけども、そこはもう、やっとそこまで這い上がってきた連中、あるいは助けながら運んできた重傷者が、もううめいてるわけですよ。そしてもう、すでにそのあたりでこと切れている人もおりましたし。
でもだんだん、だんだん火が近くで燃えるもんだから、熱くておれなくてね、ほいで、ずーっと山の上に登っていったわけです。そこで、その病院が真っ赤に燃えている、そして基礎教室ももう炎に包まれとったですね。情けなかったちゅうかねぇもう、ほんとに、これでもう、この世の中は終わりっていうような気がちょっとしたですね。
その58 音声を聞く
そしてしばらくして、あのう玄関の方へ患者さんを担架で、そうですねぇ、十往復くらいしたでしょうか、救出したんですけれども。そして、しばらくしまして街を見ますと、もう、病院から見渡しますと火の海ですもんね。
ずいぶん遅くまで病院の中へいたわけですけれども、最後に、火が病院にもう移ったと、これでもういよいよ逃げなければ危険だと、玄関でみんな集まって、それから途中の患者さんを救出しながら、あの穴弘法(寺)のすぐ下のほうの所まで行くんだということで、生き残りの者いっしょにそこからずっと、まぁ患者さんを助けながら登っていったわけです。で、途中で角尾学長が倒れておられたわけですね。
そうしますと永井先生は「ここに学長がおられるから、大学の本部はここだ」と、「みんな集まれ」というようなことで、大学本部としてのシンボルをですね、それこそ作って立てるんだということで、古い破れたシーツを取り出して、その中にみんなが倒れるようにして、自分の体についている血液で日の丸を描いたわけですけれども、私にもずいぶんつきましたけれども。
見る見るうちにその日の丸が出来上がりましてね。それをそこへ高く掲げまして、「大学本部はここだぞー、学長はここだぞー」って「みんな職員は集まれー」っていうようなことを永井先生が大きな声で叫ばれましたんですが・・・
これはこうしておれんから、まず外に出なくちゃならんと言うので、診察室から廊下のほうに出てみたんです。ところが廊下にはもう上から建築材料がたくさん降ってきてですねぇ、とても歩けないほど。それじゃ隣の部屋を通って出よう、というので、机の上を飛び越えて窓から飛び出した。外へ出てみたら、いわゆるきのこ雲というか、黒い柱が浦上の、ちょうど今の爆心地のへんにあたってずっと立っておった。
ちょうど八月の真昼の太陽が、その雲の中から上に見えるんですけれど、真っ赤な太陽のような気がして。その時に私は、どういう何であったか、自分でもあぁいうことを考えるものかなぁと思うんだけれども、ちょうど「サロメ」という劇があったですな・・・オスカーワイルドの書いた劇のなかに「今夜の月の色は血のような色に見える」という、衛士がそういう台詞を語るところがある、あのサロメの劇の中のその血の色の月の色という、それ連想して・・・
その53音声を聞く
気がついた時はもう部屋の隅っこに、もう先生も看護婦も患者もひとかたまりになって、こう、吹き付けられとったわけですね。ほいで、物が壊れたりなんかした煙で、息ができないんですね。それでなんとか息をしたいと思って、ちょうど三階におったですから、屋上が四階ですけども、屋上にまず駆け上がろうと思って廊下の方に出たらですね、廊下ももう足の踏み場もないんですね。
でも、やっとその倒れた物のあいだを通って、屋上に出たんですよ。その時に、この、外がなんとなく明るく見えてきて、そしてもう見渡す限りペシャンコになっている。最初に外来で患者を診とった時はですね、自分だけがまぁ、やられたんではないかと思ったんですけれどね、屋上に上がって初めてその、見渡す限りがもう跡形ない、ということを見て本当にもうぞうっとしたですね。
そして玄関のところまでやっとまぁ、玄関と言うのは病院の玄関ですね、降りてきたんですが、もうその玄関の入り口あたりはもう、重傷者がうめいているわけですね。そのほとんどが着ている衣類が吹っ飛ばされている、あるいはもう手足が吹っ飛んでいるという状態で・・・
その54 音声を聞く
もう病院の方に向かってですね、坂道を沢山の人が上がってきよる。その人を見るというと、もう体じゅうが焼けただれて、そして着物はボロボロに焦がれてですね、下のほうは着物が焼けて切れて落ちてしまっている、そういう患者が救いを求めてですね、「喉が渇く」、「水が欲しい」、「助けてくれ」と言うて上がってきよる。
けども、私はもう何にも材料もないし、初めのうちはいくぶんか、診察着を裂いて縛ってやった人も一、二はあったと思うけれど、その診察着ももうそういう余裕はないほどであるし、来た人の話によると、これはその「至近弾が自分の近くに落ちた」と。「そこで自分は大学病院のほうに助けを求めて治療を請うためにやってきた、きよる」。ところがきてみたら、どこも同じようなことだ、というので、みんな驚いておるような様子でしたね。
その55 音声を聞く
天井からコンクリが落ちてくる、どげんしたらよかろうか。そしてひょっと見たら、一間ばっかし先のほうがもう火の海でございましたもんね。ほいて先生方も誰も、もう鞄はさげながら立ち往生しとんなさるでしょうが。それから私も逃げなきゃ、ここ逃げていかなくちゃ、もうできないと思って、こんなにしとったら死んでしまう、どうしようかと思いましてね。
こっちからは煙が来よる、こっちからは火が来よる、こらもぅ地獄じゃろかと思ってですね、もう「助けてください」、ほんと「助けてください、助けてください」っておめいたですけども、誰一人、死にかかって転んどる人ばっかりでしょう。でもう、私はもう仕方なかと思ってこう寝とったら、向こうの方から「何とかしても這うてきなさい」とおめきなさるとですよ。
ほんとですね。なんとかして逃げなくては、これはもう、自分だけなら死んでもよかばってん、もう、子供や主人がもし生きていたならねぇ、かわいそうだからって言うてですねぇ。
「あなたの顔は化けもんのごとある」と私に言うて、自分も化けもんのごとなっていとんなさったですもん。カトリックの人だったから、今度はあの、自分の宗旨のね、お祈りでしょうか、しよんなさった。そうしてもう泣いて見たり、笑ろうてみたりして・・・
その56 音声を聞く
大学病院の裏手の、その小高い丘の上まで逃げまして、ここまでくればいいかと思ってひょっと病院の方を見たんです。その瞬間でした。窓という窓から一斉に火を噴いたんです。あれはすぐ火が出るんじゃないんですね。
当時そうですね、いい小父さんに見えましたから、40か50くらいの方だったんでしょうか、お腹が切れちゃってるんです、かなり深く。両掌で腸が外に出てくるのを押さえているんです。その指の間から腸が出てくるんですねぇ。手をこう、交互に上下しながら盛んにそれを押さえてうずくまっていた方がありましたねぇ。
それとですね、下級生です。商業の、一年生か、せいぜい二年生ですか、当時学校に行っていた子は。窓枠、サッシというのは怖いもんです。あれが、爆風でしょうねぇ、飛んできまして、腹から背中へ貫通、じゃないです、盲管ですね。そばを通る私を見かけまして、その子が「取ってくれ」て泣くんですが、学生さんがとっちゃ駄目だと言われたんです。
ま、今考えてみると出血多量を言ったんだと思いますが、痛がるんですね。痛がって、「抜いてくれ」と言うんですが、「抜いたら死ぬから駄目だ」と言われて・・。
もちろん私たちも逃げていかなくちゃなりません。
その57 音声を聞く
そのうちにあのう火が出始めたんですよ。ことにあのう火の出る場所があっちこっちで、それで非常に急いで、その重傷者を早く助け出そうということになったんですけど、どんどん、どんどん燃え始め、もうちょっと危ないからということで諦めて、山手のほうにみんな避難させたんですね。その間、雨がちょっときましたですねぇ。
で、重傷者をだいぶ山手の方に担ぎ上げたわけですよ。ずうっともう斜面ですね、あの病院から穴弘法(寺)に、相当こう急な斜面ですけども、そこはもう、やっとそこまで這い上がってきた連中、あるいは助けながら運んできた重傷者が、もううめいてるわけですよ。そしてもう、すでにそのあたりでこと切れている人もおりましたし。
でもだんだん、だんだん火が近くで燃えるもんだから、熱くておれなくてね、ほいで、ずーっと山の上に登っていったわけです。そこで、その病院が真っ赤に燃えている、そして基礎教室ももう炎に包まれとったですね。情けなかったちゅうかねぇもう、ほんとに、これでもう、この世の中は終わりっていうような気がちょっとしたですね。
その58 音声を聞く
そしてしばらくして、あのう玄関の方へ患者さんを担架で、そうですねぇ、十往復くらいしたでしょうか、救出したんですけれども。そして、しばらくしまして街を見ますと、もう、病院から見渡しますと火の海ですもんね。
ずいぶん遅くまで病院の中へいたわけですけれども、最後に、火が病院にもう移ったと、これでもういよいよ逃げなければ危険だと、玄関でみんな集まって、それから途中の患者さんを救出しながら、あの穴弘法(寺)のすぐ下のほうの所まで行くんだということで、生き残りの者いっしょにそこからずっと、まぁ患者さんを助けながら登っていったわけです。で、途中で角尾学長が倒れておられたわけですね。
そうしますと永井先生は「ここに学長がおられるから、大学の本部はここだ」と、「みんな集まれ」というようなことで、大学本部としてのシンボルをですね、それこそ作って立てるんだということで、古い破れたシーツを取り出して、その中にみんなが倒れるようにして、自分の体についている血液で日の丸を描いたわけですけれども、私にもずいぶんつきましたけれども。
見る見るうちにその日の丸が出来上がりましてね。それをそこへ高く掲げまして、「大学本部はここだぞー、学長はここだぞー」って「みんな職員は集まれー」っていうようなことを永井先生が大きな声で叫ばれましたんですが・・・