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Re: 新京脱出行

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あんみつ姫

通常 Re: 新京脱出行

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2007/11/29 16:36
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
新京脱出行(二) -1

 昭和二十年十二月から翌年、一月まで満鉄寮に母と二人、他に満鉄社員が十家族くらいこもっていた。ご多聞にもれず、窓というまどには板ぎれを打ちつけ、正に逼塞《ひっそく=姿を隠して引き篭もる》状態。

その頃、ソ兵が満鉄社宅を駅近くに求めたいというので露月町、羽衣町あたりを歩いていると、この家が気に入ったと言う。案内を乞うと、出て来たのがナント新京商業時代の漢文の先生ナメちゃんこと戎田貞造さんではないか。これはいかんと思い、この家には悪い病気の人が居るから駄目だと告げ、別の家を物色したことがあった。

 二十一年一月十日頃、近くの家にソ兵が侵入し暴れているとの知らせに直ぐさま駆けつけ、その筋に通報するぞと脅かして、引き取らせたが、今思うと、私にもロシヤ語が多少話せた時代があったのだなあと感無量《かんむりょう=計り知れない程身にしみて感じる》だ。

 いずれにしてもソ軍兵士の程度は極端に低く、無知蒙昧《むちもうまい=愚かで道理に暗いこと》振りは驚く程だった。満洲《まんしゅう=中国東北部》に侵攻したら、そこにある日本人の財産は勿論のこと、女もお前達のものだと吹き込まれて日ソ不可侵条約《にっそふかしんじょうやく=1941/4月に日本とソビエート連邦共和国とがお互い侵入しないと条文を作り約束した(しかし1945/8月に一方的にソ連が破棄して侵入してきた)》を踏みにじって送り込まれてきた連中のこと、やりたい放題の態だった。

 生活するために何か収入の途を考えねばならない。母と相談して、机を改造して車輪をつけ、速成の「オデン屋」を開業。毎日、ダイヤ街まで引っ張って行き、母が看板オバサン、日が落ちて、薄暗くなった頃合を見て屋台を引き取りに行く。その日の売れ残りの酒は私の腹に納まるという日課。でも四月になるともうオデンはダメ。暫く様子を見ることにした。

 新京郊外の緑園には奥地から引き揚げてきた人達で一杯。その人達に衣類をという日本人会の呼びかけに在留邦人が多少なりともと応じたが、その中で、めぼしい品物は日本人会職員が奪い合っていた。戦争がすっかり国民性の本質を暴き出した感がある。

 日本人の殆んどの者が独善的で排他的で、他人の苦しんでいるのを見ても助けようとはしない。頑なに城壁を張りめぐらし、身内の者だけよければよいというところを嫌というほど見せつけられた。

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あんみつ姫

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