Re: 沖縄特攻に散った山中正八に捧げる43年目の弔詞
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沖縄特攻に散った山中正八に捧げる43年目の弔詞 (kousei2, 2008/2/6 16:17)
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kousei2
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資料 山中正八の修養録(日誌)
前出の「太刀洗飛行場物語」に載った山中の修養録(日誌)の全文は次のとおり。昭和十九年八月、岐阜から綏化に向かう途中から始まっている。なお、カツコ内は筆者桑原遵三郎氏の注記。
昭和十九年
八月五日
汽車の中から眺めた 夕方の 色は 何とも言われない美しいものである 山の端に 大きく紫にたなびく 金色の雲 映ゆる紅の像 夕風にそよぐ 青い田の面 帰路を急ぐ人々 遊ぶ子供ら かすかに遠くなびく煙 わらぶきの田舎屋 我れ今姫路に向う さらば本土よ 余は皇城《天皇陛下の》の武士 御身を守らんと 北の鎮《ちん=治め鎮める》に赴く 人々よ強くあれ 堅く瑞穂の国《日本国》を守れ
八月六日
玄海灘 波高し 釜山に向う
八月七日
夏雲乱れ飛ぶ 若葉は清々しい
八月八日
余は第一線の小隊長となりて いざ征く 安東にて
八月十日
新京着 任地出発迄ノ時間ヲ利用シ 新京二在ル学院ノ旧友達二会ヒ、久方ブリビールヲ飲ミ 大イニ歓談ス 綏化二向フ学院生我一人ノミ
八月十一日
任地 綏化ニ到着
八月十二日
俺ハ長イコト 人ノ誠実トイフモノヲ忘レテヰタ、人ノ真情ナルモノダ、ソレハ何モノニモ代エガタイ宝ダ
八月十四日
大イニタルンダ 俺モ少シ気ヲ引キ緊メネバナルマイ
八月十六日
最モ男性的ナル我ガ航空部隊
八月十八日
朝ノスッキリシタ空気 スッキリ晴レタ青空 満洲《注》ノ初秋ノスガスガシ 自ラ心ハ清ラカニシマツテクル 余ガ 憧憬惜ク能ハザル所以ノモノハ 其ハカノ碧空ニ飛ブ白雲ノ姿
八月二二日
暢然と秋の日高し 樹は青し 貴様等が 安価なジャズと 低俗な音楽にうつつを抜カシテヰルトキ 俺ハ 勉強卜仕事ト ソシテ或ル大キナ抱負ノ外何モナカッタ
八月二六日
俺ハ大キナ希望二燃エテヰタ 夫ハ今モ俺ノ胸ノ中二燃へツヾケテヰル
八月二九日
俺ノ環境ハ 質朴ナ気風卜 剛健ナ精神ガ流レテヰタ 俺ハ俺ノ心ヲ欺ク事ハ出来ない 日本ハ俺ヲ待ツ
八月三〇日
今日此ノ頃 俺ノ生活 夫ハ‥……ダ
八月三一日
明ルイ 心ノ清ラカナ 優シイ 親切ナ人 夫ガ小生ノ先生ダツタ ソシテ 今モ先生デアル
九月四日
眠リノ種類 ソノ姿勢ノ千差万別 時卜所トヲ論ゼズ悠々ト…・…‥
九月九日
鳴呼 欧露二日ハ落チテ ボルガノ波 ウラ悲シ
九月一二日
午後の一時を さんさんと照る樹の影で ごろりと草の上で寝転んでいた 静かに瞑《つぶ=目を閉じて》っていると 何時しか勇大な気が充ちて来る 此の時だ 余が特志(特別志願)を決心したのは
九月二三日
夫れ青年将校は一国元気の中枢にして 飽く迄高大に烈々たる抱負の発する所 萬朶の桜《垂れ下がった枝にも花が咲く桜》となつて砕け散る 純白たる富嶽は 澄み渡りたる玲瓏《れいろう=玉を思わせる美しい声》の心の姿なり
九月二五日
方今 青年将校の威容地に落ち 喧々轟々たる非難の声漸く高し 吾人悲憤慷慨止る方なし
九月三一日
昨日の送別の宴も まだほのかに香る 愈々綏化を発って公主嶺へと赴く 時十八・三十
十月一日
公主嶺入隊 大宮島・テニアン島《南太平洋北マリアナ諸島》の玉砕を、入隊式に於て部隊長より聞く 日曜日晴れ
十月二日
(月)(晴) 三省(夕刻の反省の時間のこと)ノ時 余ハ茫然卜唱和シタリ。区隊長殿が候補生二次ギ次ギト尋ネラレシ時、余ハ如何ナルコトヲ答エンカトシキリニ思考セシガ、無キコトヲ有ルガ如ク装ハントスル心中ノ相克《そうこく=お互い敵として争う》如何トモシガタク、全ク慙愧《ざんき=恥じ入る》ニ堪エザリキ。我等ハ神ニアラザレバ、一日、何力欠点在ルモノナリ。サレバ、一日必ラズ反省アルモノナリ。
十月四日
愈々課業開始サレル (水)(晴)
十月九日
(月)(晴) 本日休養ナリ 浩然ノ気ヲ養ウ外出ナキ休日 正ニ二徒然《つれずれ》トシテ送ラレタリ 遺憾千万
十月十二日
言は行を伴わず 行は言を伴う 若きは力なり
十月十四日
(土)(晴) 整頓不良ノタメ区隊長ヨリー撃サル 明日ノ徹底ヲ期セリ
十月十九日
台湾沖航空戦 正二壮烈ナル大戦果 サレド末帰還機三一二機 イタマシキ哉 吾之ヲ覚悟セシニ 不覚ヤ無念ノ涙ヤルカタナシ 敵 るそん島《ヒリピンの島》二上陸 共二血涙ヲシボリシ吾ガ同期生ハ 此島二台湾二安着セシヤ
(つづく)
注
1932~1945年中国東北部に我が国の国策により建国された満州国があった
前出の「太刀洗飛行場物語」に載った山中の修養録(日誌)の全文は次のとおり。昭和十九年八月、岐阜から綏化に向かう途中から始まっている。なお、カツコ内は筆者桑原遵三郎氏の注記。
昭和十九年
八月五日
汽車の中から眺めた 夕方の 色は 何とも言われない美しいものである 山の端に 大きく紫にたなびく 金色の雲 映ゆる紅の像 夕風にそよぐ 青い田の面 帰路を急ぐ人々 遊ぶ子供ら かすかに遠くなびく煙 わらぶきの田舎屋 我れ今姫路に向う さらば本土よ 余は皇城《天皇陛下の》の武士 御身を守らんと 北の鎮《ちん=治め鎮める》に赴く 人々よ強くあれ 堅く瑞穂の国《日本国》を守れ
八月六日
玄海灘 波高し 釜山に向う
八月七日
夏雲乱れ飛ぶ 若葉は清々しい
八月八日
余は第一線の小隊長となりて いざ征く 安東にて
八月十日
新京着 任地出発迄ノ時間ヲ利用シ 新京二在ル学院ノ旧友達二会ヒ、久方ブリビールヲ飲ミ 大イニ歓談ス 綏化二向フ学院生我一人ノミ
八月十一日
任地 綏化ニ到着
八月十二日
俺ハ長イコト 人ノ誠実トイフモノヲ忘レテヰタ、人ノ真情ナルモノダ、ソレハ何モノニモ代エガタイ宝ダ
八月十四日
大イニタルンダ 俺モ少シ気ヲ引キ緊メネバナルマイ
八月十六日
最モ男性的ナル我ガ航空部隊
八月十八日
朝ノスッキリシタ空気 スッキリ晴レタ青空 満洲《注》ノ初秋ノスガスガシ 自ラ心ハ清ラカニシマツテクル 余ガ 憧憬惜ク能ハザル所以ノモノハ 其ハカノ碧空ニ飛ブ白雲ノ姿
八月二二日
暢然と秋の日高し 樹は青し 貴様等が 安価なジャズと 低俗な音楽にうつつを抜カシテヰルトキ 俺ハ 勉強卜仕事ト ソシテ或ル大キナ抱負ノ外何モナカッタ
八月二六日
俺ハ大キナ希望二燃エテヰタ 夫ハ今モ俺ノ胸ノ中二燃へツヾケテヰル
八月二九日
俺ノ環境ハ 質朴ナ気風卜 剛健ナ精神ガ流レテヰタ 俺ハ俺ノ心ヲ欺ク事ハ出来ない 日本ハ俺ヲ待ツ
八月三〇日
今日此ノ頃 俺ノ生活 夫ハ‥……ダ
八月三一日
明ルイ 心ノ清ラカナ 優シイ 親切ナ人 夫ガ小生ノ先生ダツタ ソシテ 今モ先生デアル
九月四日
眠リノ種類 ソノ姿勢ノ千差万別 時卜所トヲ論ゼズ悠々ト…・…‥
九月九日
鳴呼 欧露二日ハ落チテ ボルガノ波 ウラ悲シ
九月一二日
午後の一時を さんさんと照る樹の影で ごろりと草の上で寝転んでいた 静かに瞑《つぶ=目を閉じて》っていると 何時しか勇大な気が充ちて来る 此の時だ 余が特志(特別志願)を決心したのは
九月二三日
夫れ青年将校は一国元気の中枢にして 飽く迄高大に烈々たる抱負の発する所 萬朶の桜《垂れ下がった枝にも花が咲く桜》となつて砕け散る 純白たる富嶽は 澄み渡りたる玲瓏《れいろう=玉を思わせる美しい声》の心の姿なり
九月二五日
方今 青年将校の威容地に落ち 喧々轟々たる非難の声漸く高し 吾人悲憤慷慨止る方なし
九月三一日
昨日の送別の宴も まだほのかに香る 愈々綏化を発って公主嶺へと赴く 時十八・三十
十月一日
公主嶺入隊 大宮島・テニアン島《南太平洋北マリアナ諸島》の玉砕を、入隊式に於て部隊長より聞く 日曜日晴れ
十月二日
(月)(晴) 三省(夕刻の反省の時間のこと)ノ時 余ハ茫然卜唱和シタリ。区隊長殿が候補生二次ギ次ギト尋ネラレシ時、余ハ如何ナルコトヲ答エンカトシキリニ思考セシガ、無キコトヲ有ルガ如ク装ハントスル心中ノ相克《そうこく=お互い敵として争う》如何トモシガタク、全ク慙愧《ざんき=恥じ入る》ニ堪エザリキ。我等ハ神ニアラザレバ、一日、何力欠点在ルモノナリ。サレバ、一日必ラズ反省アルモノナリ。
十月四日
愈々課業開始サレル (水)(晴)
十月九日
(月)(晴) 本日休養ナリ 浩然ノ気ヲ養ウ外出ナキ休日 正ニ二徒然《つれずれ》トシテ送ラレタリ 遺憾千万
十月十二日
言は行を伴わず 行は言を伴う 若きは力なり
十月十四日
(土)(晴) 整頓不良ノタメ区隊長ヨリー撃サル 明日ノ徹底ヲ期セリ
十月十九日
台湾沖航空戦 正二壮烈ナル大戦果 サレド末帰還機三一二機 イタマシキ哉 吾之ヲ覚悟セシニ 不覚ヤ無念ノ涙ヤルカタナシ 敵 るそん島《ヒリピンの島》二上陸 共二血涙ヲシボリシ吾ガ同期生ハ 此島二台湾二安着セシヤ
(つづく)
注
1932~1945年中国東北部に我が国の国策により建国された満州国があった