Re: 沖縄特攻に散った山中正八に捧げる43年目の弔詞
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沖縄特攻に散った山中正八に捧げる43年目の弔詞 (kousei2, 2008/2/6 16:17)
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kousei2
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一月二六日
鬼怒川、大宮間ニテ変針測風 海上夜間飛行二出ルモ 雪ノタメ引キ返ス
一月二七日
空襲警報 夜間飛行訓練
一月二九日
宝積寺(栃木県)-水戸-洋上-豊浦(茨城)-飛行場 夜間飛行 飛行機ハ楽シイ
一月三〇日
鬼怒川橋-鉾田(茨城県)-洋上-久慈-飛行場
一月三一日
室井サンノ家ヲ訪レル
二月三日
人、心身ノ実ハ 依ツテ腹中ヨリ来ルベシ 美麗 香味 以テソノ食餌ニヨル深ク之ヲ慎ムベシ
二月四日
「人間五〇年 人間化転ノ内ヲ比ブレバ夢幻ノ如シ一度」ト謡ヒシ信長ノ心事 亦 佳シ 今 皇国ノ安危ヲ思ヒ 人間二十年ニシテ満足スベキナリ 若キ日ノ感傷 又 愚ナランカ 愚ナラズ 静カニ之ヲ観ジ 自ラ観ズレバ 転心感慨ナカルベカラズ 清純ナル心ノ発スル所 混迷ヲ去リ 明鏡《めいきょう=くもりの無い-》水ヲ止メ サレド一抹ノ哀愁アルベシ 人ノ子ナレバ 未ダ若ケレバ 大義ニ生クル心 能ク之ニ克ツベシ 克ツベシ 父へ 母へ 弟 妹へ
大君ノ民族ノ想イハ変り行クベシ
二月五日
洋上低空目測飛行訓練
二月六日
前日二同ジ 錀山中尉機 水戸二不時着陸ス
二月九日
三辺航法 飛行場-水戸-洋上
二月十日
三辺航法 飛行場-鉾田-洋上
B-29梯団 各梯団十機内外ニテ飛行場上空通過 鮮ヤカナ航跡ヲ引キ 敵ナガラ天晴ナ編隊ナリ 今ニ 我等 汝等ノ上ニ爆弾ノ雨ヲ御見舞申サン
二月十一日
三辺航法 前日ニ同ジ 航法モ熟練セシト自覚ス 後ハ只演習卜努力ニ依ル習練ノミ
二月十三日
三辺航法 前日ニ同ジ 機上通信ヲ実施ス
二月十四日
週番士官ニ叱責サル
二月十五日
心中ノ敵卜戦ヒテ克チタシ
二月十六日
敵米ノ企図ハ 終ニ我ガ本土ニ及ブ 早朝ヨリ波状攻撃ヲ以テ関東各地ニ進入シ 遂ニ薄暮ニ及ビタリ 愈々決戦へト驀進ス
(この日、関東地方に一千機来襲し、二月十九日の米軍の硫黄島上陸の支援行動をとる)
「不淡白ナリ」卜主任教官殿ヨリ注意サル 余ハ此ノ恥辱万斛《ばんかい=総てのものに先がけて》ノ涙ヲ呑ム 退団ニ処サルトモ更ニイズ サレド我ガ戦友ノ微衷《びちゅう=心の中》ヲ察セザルヤ 只 独ソ自己立安ニ馳リテ 一歩ヲ進メテ 他ノ苦衷ヲ偲ブ情ナシ 之ヲ憾ミテ思フハ非力 申シ開キハ為シ申サズ
二月二四日
午後、会合法 霞ケ浦上空ヲ盛ンニ旋回ス
三月一日
修業、目捷《もくしょう=目と睫毛》ノ間ニ迫リタリ 悠揚トシテ闊歩《かっぽ=大またに歩く》スベシ 将校団ノ団結ヲ阻害スルモノ 1.不平 2.悲観 3.妥協心 4.出身別
四月十一日
以下五枚 極秘
夜 忝くも大命を拝す《命令を受ける》 一死以て皇恩に応へ奉らんと覚悟す 馳せ参ずるもの 第二中隊見習士官室全員 橋本、長尾 第三中隊吉野、第一中隊 岡田少尉殿 ともどもに航法者として参ず 会合後 死ねるかと 中隊長殿に言われ 莞爾《かんじ=にっこり笑う》として「ハイ」と応ふ
無心にて壮途を祝して 遊ぶ
我が同乗者 溝田彦二少尉殿(陸軍士官学校第五六期) 田中弥一伍長(二三歳) 高尾峯望兵長(十九歳・少年飛行兵出身)
四月十二日
十三時 出陣式 戦隊長御訓示(菊水作戦発令)
東方遥拝 皇城に訣別し奉る 聖寿万才 之より 福本中尉殿に桜花の下に写真を取って戴く 溝田少尉殿と二、三枚とる 関の叔父に顔もよく似られ 性格もそのまま 豪放磊落な青年将校である
高尾兵長は紅顔の美少年 桜も蕾 可惜 二〇年を散る桜なり
四月十二日
戦隊長機 離陸後失速 墜落 焼死す 戦隊長殿 第一中隊長殿 福永大尉殿 伊藤大尉殿 ○○中尉殿(判読不能)岡田少尉殿等 十二名 壮途半ばにして散華し給ふ
先発 各務原に行きし各中隊機当○○夕刻着す 三中隊機 車輪不具合 胴体着陸 第二中隊機 飛行場に突込み ○○十名 又 勇途空しく散る 可惜 ○○しき攻撃を前にして 又 悲しくもあれ 第一中隊 海没《海に沈む》 かくて若干戦力を減ぜるも我等の攻撃精神些 も衰えず 益々盛んなり 旅館に宿泊す (福岡県朝倉郡甘木町いろは旅館)
(判読不能の文字が続出し、心の動揺が見える)
住所録(父の清八を筆頭にして十二名分が記入されている)
四月二二日
記 以下 戦友部下に託してお送りいたします
(以下 四四頁空白)
人間○○○のうちを比ぶれは 夢幻《むげん=夢まぼろし》の如し一度生を得て 滅ぜざるもの有るべきか(以下二二字判読不能)
結婚について
(その五頁あと一四九貫目) 我は海の子 さすらひの
(以下五行 判読不能)
(了)
鬼怒川、大宮間ニテ変針測風 海上夜間飛行二出ルモ 雪ノタメ引キ返ス
一月二七日
空襲警報 夜間飛行訓練
一月二九日
宝積寺(栃木県)-水戸-洋上-豊浦(茨城)-飛行場 夜間飛行 飛行機ハ楽シイ
一月三〇日
鬼怒川橋-鉾田(茨城県)-洋上-久慈-飛行場
一月三一日
室井サンノ家ヲ訪レル
二月三日
人、心身ノ実ハ 依ツテ腹中ヨリ来ルベシ 美麗 香味 以テソノ食餌ニヨル深ク之ヲ慎ムベシ
二月四日
「人間五〇年 人間化転ノ内ヲ比ブレバ夢幻ノ如シ一度」ト謡ヒシ信長ノ心事 亦 佳シ 今 皇国ノ安危ヲ思ヒ 人間二十年ニシテ満足スベキナリ 若キ日ノ感傷 又 愚ナランカ 愚ナラズ 静カニ之ヲ観ジ 自ラ観ズレバ 転心感慨ナカルベカラズ 清純ナル心ノ発スル所 混迷ヲ去リ 明鏡《めいきょう=くもりの無い-》水ヲ止メ サレド一抹ノ哀愁アルベシ 人ノ子ナレバ 未ダ若ケレバ 大義ニ生クル心 能ク之ニ克ツベシ 克ツベシ 父へ 母へ 弟 妹へ
大君ノ民族ノ想イハ変り行クベシ
二月五日
洋上低空目測飛行訓練
二月六日
前日二同ジ 錀山中尉機 水戸二不時着陸ス
二月九日
三辺航法 飛行場-水戸-洋上
二月十日
三辺航法 飛行場-鉾田-洋上
B-29梯団 各梯団十機内外ニテ飛行場上空通過 鮮ヤカナ航跡ヲ引キ 敵ナガラ天晴ナ編隊ナリ 今ニ 我等 汝等ノ上ニ爆弾ノ雨ヲ御見舞申サン
二月十一日
三辺航法 前日ニ同ジ 航法モ熟練セシト自覚ス 後ハ只演習卜努力ニ依ル習練ノミ
二月十三日
三辺航法 前日ニ同ジ 機上通信ヲ実施ス
二月十四日
週番士官ニ叱責サル
二月十五日
心中ノ敵卜戦ヒテ克チタシ
二月十六日
敵米ノ企図ハ 終ニ我ガ本土ニ及ブ 早朝ヨリ波状攻撃ヲ以テ関東各地ニ進入シ 遂ニ薄暮ニ及ビタリ 愈々決戦へト驀進ス
(この日、関東地方に一千機来襲し、二月十九日の米軍の硫黄島上陸の支援行動をとる)
「不淡白ナリ」卜主任教官殿ヨリ注意サル 余ハ此ノ恥辱万斛《ばんかい=総てのものに先がけて》ノ涙ヲ呑ム 退団ニ処サルトモ更ニイズ サレド我ガ戦友ノ微衷《びちゅう=心の中》ヲ察セザルヤ 只 独ソ自己立安ニ馳リテ 一歩ヲ進メテ 他ノ苦衷ヲ偲ブ情ナシ 之ヲ憾ミテ思フハ非力 申シ開キハ為シ申サズ
二月二四日
午後、会合法 霞ケ浦上空ヲ盛ンニ旋回ス
三月一日
修業、目捷《もくしょう=目と睫毛》ノ間ニ迫リタリ 悠揚トシテ闊歩《かっぽ=大またに歩く》スベシ 将校団ノ団結ヲ阻害スルモノ 1.不平 2.悲観 3.妥協心 4.出身別
四月十一日
以下五枚 極秘
夜 忝くも大命を拝す《命令を受ける》 一死以て皇恩に応へ奉らんと覚悟す 馳せ参ずるもの 第二中隊見習士官室全員 橋本、長尾 第三中隊吉野、第一中隊 岡田少尉殿 ともどもに航法者として参ず 会合後 死ねるかと 中隊長殿に言われ 莞爾《かんじ=にっこり笑う》として「ハイ」と応ふ
無心にて壮途を祝して 遊ぶ
我が同乗者 溝田彦二少尉殿(陸軍士官学校第五六期) 田中弥一伍長(二三歳) 高尾峯望兵長(十九歳・少年飛行兵出身)
四月十二日
十三時 出陣式 戦隊長御訓示(菊水作戦発令)
東方遥拝 皇城に訣別し奉る 聖寿万才 之より 福本中尉殿に桜花の下に写真を取って戴く 溝田少尉殿と二、三枚とる 関の叔父に顔もよく似られ 性格もそのまま 豪放磊落な青年将校である
高尾兵長は紅顔の美少年 桜も蕾 可惜 二〇年を散る桜なり
四月十二日
戦隊長機 離陸後失速 墜落 焼死す 戦隊長殿 第一中隊長殿 福永大尉殿 伊藤大尉殿 ○○中尉殿(判読不能)岡田少尉殿等 十二名 壮途半ばにして散華し給ふ
先発 各務原に行きし各中隊機当○○夕刻着す 三中隊機 車輪不具合 胴体着陸 第二中隊機 飛行場に突込み ○○十名 又 勇途空しく散る 可惜 ○○しき攻撃を前にして 又 悲しくもあれ 第一中隊 海没《海に沈む》 かくて若干戦力を減ぜるも我等の攻撃精神些 も衰えず 益々盛んなり 旅館に宿泊す (福岡県朝倉郡甘木町いろは旅館)
(判読不能の文字が続出し、心の動揺が見える)
住所録(父の清八を筆頭にして十二名分が記入されている)
四月二二日
記 以下 戦友部下に託してお送りいたします
(以下 四四頁空白)
人間○○○のうちを比ぶれは 夢幻《むげん=夢まぼろし》の如し一度生を得て 滅ぜざるもの有るべきか(以下二二字判読不能)
結婚について
(その五頁あと一四九貫目) 我は海の子 さすらひの
(以下五行 判読不能)
(了)