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モンテンルパの夜は更けて・2

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通常 モンテンルパの夜は更けて・2

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2009/12/2 8:06
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 戦犯死刑囚を救った魂の名曲
 作曲は知多市出身・伊藤正康氏











 モンテンルパ刑務所で当時の国民的大歌手、渡辺はま子が絶唱した。108名の死刑囚らも涙を流しながら大声で歌った。

 その歌声は刑務所の高い塀を越え、フィリピンのキリノ大統領の耳に届いた。大統領の心は、この悲しい歌に動かされて、死刑囚ら108名の恩赦が決まった。音楽にはやはり国境を越える力があったのである。

 歌は「モンテンルパの夜は更けて」。作曲は知多市出身の伊藤正康氏。今年6月11日他界された。この郷土の偉大なる先輩の偉大なる功績を今号は追ってみる。【西まさる】

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 モンテンルパ
     戦犯刑務所

 太平洋戦争終戦から6年目となる昭和26年1月、フィリピンのマニフ市郊外にあるモンテンルパ刑務所には、まだ、BC級戦犯とされた122名の元日本軍兵士が囚われていた。

 そのほとんどは冤罪(えんざい)、いわば日本兵なら誰でもいいと捕らえて来た人たちといえる。

 罪状の多くはフィリピン住民を殺害したというもの。戦闘中、撃って来る相手が敵兵かゲリラか一般市民かの区別などつくわけがなく、いわば「勝てば官軍、負ければ賊軍」そのものだったのだ。

 もっと理不尽なのは「指一本」で囚われた人である。

 「指一本」とは、日本兵に危害を加えられたと訴える住民の前に、数名の元日本兵を並べて、「誰が犯人だ」と聞く。住民が「これ」と指を指す先にいた日本人が逮捕され、悪ければ死刑となる。そんな驚くべき裁判が日常的に行われていたのだ。

 この年、処刑された三木巌陸軍獣医中尉の例は極端だ。
 三木氏は戦時中セブ市の獣医部に所属していたが、そこから400㌔も隔たった地点の残虐事件に関係ありとして、被害者と称する女性から「指差し」を受け逮捕された。そんな不当に輪をかけ、裁判の法廷に被害者と称して現れた女性は指を指した女性とはまるで違っていた。

 また、「中村ケース」と呼ばれ、比島裁判の不当の例に挙げられる、中村秀一陸軍大尉の例も書いておく。

 中村は終戦後日本へ復員、郷里の山口県宇部市で妻と二人の息子と平穏な暮らしに戻っていた。ところが昭和22年、突然、戦犯容疑で出頭命令が来た。セブ島における惨殺事件の容疑であった。中村はその場所に行ったこともなく無罪を疑わず、「すぐに帰るから心配するな」と言い残して家を出た。

 しかし、裁判では死刑を宣告され、彼はモンテンルパの絞首台の露と消えた。

 戦犯には「留守宅給与」という未復員者への国家補償金も支給されない。国家は戦犯家族には全く冷たい。世間の目もしかり。遺された妻子は貧困と蔑視という悲惨な生活を余儀なくされたのである。

 しかし、中村は死刑台の前で、「天皇陛下万歳」を三唱して逝ったのである。

  ―――こんな運命の波に、もてあそばれていたのがモンテンルパ戦犯囚122名だったのである。

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